序盤ボスの悪役貴族に転生したので裏ボスに媚び売ってたら婚約することになった件 作:三つ眼の荒木
決闘当日の朝から、私はずっと機嫌が悪かった。
理由ははっきりしとる。主役が来おへんのや。
アイン・タレントがハイターの顔面に手袋を叩きつけて、決闘を申し込んでから三日。その三日というもの、あの子は学園から綺麗さっぱり姿を消していた。教室にも、寮にも、いつもつるんでいるWAINSの二人のところにもおらん。斥候を自任する私が丸三日、一人の一年坊の尻尾すら掴めへんかった。これがどれだけ屈辱的なことか、分かるやろか。
決闘は昼。場所は学園の闘技場。相手は五年、前生徒会長、侯爵家のアブファイル・ハイター。
棄権すれば当然アイン・タレントの負け。決闘から逃げた腰抜けとして、学園中の笑いものになって終わる。
どこ行ってんねん、あんた。
開始三十分前。観客のざわめきが最高潮に膨らんだ、まさにその時。
選手用の通路からひょっこりと、その男は現れた。
制服姿で、腰に一振り。何食わぬ顔で、まるで散歩の途中に寄っただけみたいな足取りだ。
「……アイン君!」
私は柵から身を乗り出して、思わず名前を呼んだ。安堵より先に頭にきていた。三日も心配させおって。
「ザネ先輩。おはようございます」
「おはようやないわ。あんた、この三日どこほっつき歩いとってん。私がどんだけ――」
そこまで言いかけて、私は口をつぐんだ。
なんや、これ。
魔力量が違う。
三日前のアイン・タレントやない。いや、姿かたちは間違いなくあの子や。けれど、その体の内で巡っている魔力の総量が、三日前とはまるで別人のそれになっていた。
私は伊達に斥候をやっとらん。相手の魔力を測るのは呼吸をするのと変わらん。だからこそ断言できる。
――こんなん、ありえへん。
魔力量ってのはそう簡単には増えへん。年単位で少しずつ育てるもんや。それがこの子は、たった三日で三年生相当の魔力量に増えとる。一年坊の器が上級生の水を湛えている。何をどうしたら、そんな真似ができるんや。
「アイン君。あんた……三日で、何があってん」
努めて軽う聞いたつもりやったけど、声の芯がちょっと硬なってしもた。
アイン・タレントは少しだけ首をかしげて、それからいつもの薄い笑みを浮かべた。
「何、と言われましても。決闘前に、少し追い込みをかけただけですよ。人間、崖っぷちに立たされると、案外どうにかなるものですね」
「三日で魔力量がそんだけ跳ね上がる追い込みが、この世にあってたまるかいな」
「先輩の買いかぶりですよ。測り間違いじゃないですか」
――しれっと。
この食えん子は。はぐらかす時ほど丁寧に笑いよる。押しても引いても、するりと手のひらから逃げていく。これ以上つついても、こいつは口を割らへん。長年の勘がそう言うとった。
○
係の生徒が決闘のルールを読み上げていく。私は聞き流しながら、頭のなかは別のことでいっぱいやった。
「――勝敗は、いずれかが戦闘不能と審判に判断された時点、あるいは降参の申告をもって決する」
三日。この三日であの子が化けた。
「武器は学園支給の制式剣のみ。破損した場合は、係の者が随時、新品を補給する」
そして、もう一つ。この三日、姿を消していたのはアイン・タレントだけやない。
「決闘は一対一。第三者による攻撃、防御、回復、魔道具の差し入れ――一切の助力を禁ずる。違反は即時失格とする」
ユリちゃんや。
うちの生徒会長サマもこの三日、生徒会にほとんど顔を出さんかった。それもそのはず、アイン君がユリちゃんを連れて隣国の温泉旅館に誘っとったからや。
「防具、および各自の魔法の使用は、各人の裁量に任せる。開始の合図があるまでの手出しは禁止。審判の判断は絶対とし、これに異を唱えることはできない」
ユリちゃんがアイン君を鍛えたのは間違いない。
そこまではわかる。わかるんやけど、その先がまるで繋がらん。いくらユリちゃんでも、あの魔力量の跳ね上がりを、しかも他人に対して起こせるとは思えへん。二人して、どこで何をしとったんや。
答えの手がかりが全くない。
……ほんま、おもんない。おもんないけど――ちょっとだけわくわくもしてる自分がいた。この学園に来て、こんだけ読めへん札を突きつけられたんは久しぶりや。
○
観客席は立ち見の余地もないほど埋まっとった。
五年の前生徒会長と、噂の一年首席。おまけに片方は現生徒会長の婚約者でもう片方は生徒会長の逢引き相手。ゴシップの種には事欠かん。ミーハーな連中が朝から場所取りに走った甲斐あって、闘技場はすり鉢の底まで人、人、人や。
私ら生徒会組は闘技場を一等見下ろせる特別席にいる。役得ってやつやね。
席に戻ると、隣にユリちゃんが座っとった。相変わらず絵に描いたような澄まし顔で。
私は迷わず切り込んだ。
「ユリちゃん。この三日、どこ行っとってん。アイン君と何しとった」
「……」
「あの子の魔力量、見たやろ。あんなん尋常やない。あんた絶対なんか知っとるやろ」
ユリちゃんはしばらく黙っていた。それからちらりとだけ私を見て、また闘技場へ視線を戻す。
「どうせじきに分かるわ」
それきりや。取りつく島もない。
「見ていなさい、ザネ。……あの子が、どこまでやるのか」
その横顔があんまり静かなもんやから、私はそれ以上問い詰められへんかった。
○
どよめきが闘技場を揺らした。
両側の通路から二人が姿を現す。
アイン・タレントはさっきのまま。制服に、腰の一振り。防具の一つも着けとらん、丸腰同然の恰好や。
対するハイターは――全身みっちりと鎧で固めていた。
磨き上げた金属の胸当てに、篭手、脛当て。要所を漏らさず覆った上等の一式や。動きこそ多少は鈍るやろが、あんなもん着込まれたら生半可な刃は通らへん。
「おいおい、あれ反則じゃないのか」
「片っぽ全身鎧で片っぽ制服って」
周りの席から当然のように声が上がる。私は肩をすくめて、名も知らぬ観客に教えてやった。
「反則ちゃうで。ルール読んどったやろ。武器は学園支給の剣で、そこは同条件。防具と魔法は各自の裁量――鎧は、圏内や」
しかも、や。事前の取り決めでアイン・タレント本人がこの条件をあっさり呑んどる。「防具は任意で結構です」と自分から言うたらしい。何を考えとるんやか。
闘技場の中央で二人が向き合う。
「やあ、タレント君。逃げずに来たのは、褒めてあげよう」
ハイターが爽やかに、よう通る声で言うた。優等生の仮面ってのは大したもんや。これで裏の顔が屑やなんて、事情を知らん観客は夢にも思わへんやろ。
「鎧を着るのは卑怯という声もあるみたいだが当然リスクもある。重い私より身軽な分君の攻撃は素早く通りやすいだろう。安心したまえ。上級生として君の攻撃を全て受け切って見せよう」
善人ぶった台詞のあとで。ハイターは一歩詰めて、観客には絶対に届かへん声量で囁いた。
「――せいぜい無様に転がってくれよ、伯爵風情が。侯爵家に泥を投げた落とし前だ。三年、いや五年は、笑い者にしてやる」
あーあ。地獄耳の私にだけはばっちり聞こえてしもた。
ほんま根っから腐っとるわ、この男。表と裏でここまで顔が違う人間も珍しい。屑や。
アイン・タレントはその囁きにも眉一つ動かさへんかった。ただいつもの薄い笑みのまま、静かにハイターを見返している。
○
「――待ちなさい」
凛とした声が闘技場に降ってきた。
特別席からユリちゃんが立ち上がっていた。
「この決闘、審判は私が務めます。生徒会長として。……異論は?」
ざわ、と場が沸く。当代最強と名高い生徒会長みずからが裁定役に立つ。これ以上公正で、これ以上格の高い審判はおらん。表向きは、な。
「――光栄ですね。会長直々とは」
ハイターは恭しく一礼してみせた。けど、私は見逃さへん。その頬がほんの一瞬引き攣ったのを。
あの男のことや。どうせ正規の審判のひとりくらい金で抱き込んどったんやろ。それが会長の一声で根こそぎ台無しや。
いい気味やわ。
ユリちゃんがすたすたと闘技場へ降りていく。両者の中間、けれど巻き込まれん位置に立って、右手を静かに掲げた。
「両者、構え」
アイン君が腰の剣を抜いた。
ハイターが鞘走りとともに、盾のごとく剣を前に据える。
「――始め!」
○
先に動いたのはアイン君やった。
地を蹴って一足で間合いを潰す。放たれた斬撃は速い。速いだけやのうて、軌道がいやらしいくらいに読みにくい。
けど、ハイターも伊達に五年の指折りやない。
護神流。守りに特化した、高位貴族御用達の剣術。ハイターは一歩も引かず、アイン君の斬撃をことごとく剣の腹で受け、受け流し、いなしていく。攻めの派手さはないが、その守りは岩のように堅い。
――なるほどな。地力は本物や。
うちの生徒会組ほどやないにせよ、こいつが学年五指に入るってのは伊達やない。並の一年やったら、あの守りの前で手も足も出んまま削り殺されて終いやろ。
けど。
アイン・タレントの攻めは止まらへん。
ハイターが繰り出す護神流の技――受け、流し、そこから転じる小さな反撃。その一手一手をアイン君は、まるで最初から答えを知っていたみたいに完璧に潰していく。防御の型が動くより一拍早く、次の一撃をその空きへ滑り込ませる。
あんなん、護神流を何十年とやり込んだ剣士でもそうそうでけへん。まるでハイターの手の内を、丸ごと一冊の本みたいに読み終えとる。
――当たっとる。ちゃんと刃が届いとる。
なのに。
アイン君の斬撃はハイターの鎧にことごとく弾かれた。
カン、カン、と甲高い音ばかりが響いて、傷一つ通らへん。技で完全に上回っていても、あの装備一式が全部を防いでしまう。
アイン君は攻めあぐねる。じりじりと、一方的に攻めているはずのアイン君の刃が、鎧の壁に阻まれて実を結ばへん。
そして――先に焦れたのは、守っていたはずのハイターのほうやった。
「ちょこまかと……鬱陶しいっ!」
鎧の内で魔力が膨れ上がる。守勢一辺倒だった構えが、ぐん、と沈んだ。
――来る。護神流の奥義や。
「【護神返し】ぃっ!」
受けの流派の返し技。相手の攻撃の力を丸ごと呑み込んで、そのまま倍にして叩き返す護神流の切り札。ちょうど踏み込んでいたアイン君の胴へ吸い込まれるように突き刺さった。
――もらった。
闘技場中の誰もがそう思ったやろ。私も一瞬、心臓を鷲掴みにされた。
突き込まれたアイン君の体が、ぐしゃりと手応えを伝え――
その輪郭が陽炎みたいに揺らいで消えた。
「……なっ」
ハイターが目を剥く。
私も息を呑む。今の斬られたアイン君は――影武者。実体を持った、もう一人のアイン君。
二剣一流の【分身ダブル】。人剣連合のデントが使う、あの秘技を彼が使うのは初めて見た。
護神流の奥義は一度放てば大きな隙が空く。守りの剣がその瞬間だけがら空きになる。
そして、その空きの正面に。
――一人やない。
いつのまにか、二人、三人。実体を持ったアイン君が、ハイターを囲むように湧いていた。
その悉くがただ一点――鎧が覆っていない場所へ狙いを定める。
頭部。剣の柄を握り直したアイン君たちの刃に、ありったけの魔力が白く収束していく。三日で跳ね上がった、あの尋常やない魔力のその全部を、たった一点に注ぎ込んで。
「――しまっ」
ハイターが防御を戻すより疾い。
複数のアイン君が同時に、その無防備な頭へ渾身の一撃を叩き込んだ。
閃光。
衝撃が観客席までどっと風になって届き、闘技場が、しん、と静まりかえった。
○
土煙が晴れていく。
ハイターは立っていた。
片膝をわずかに落として。それでも倒れてはいない。剣を杖に、辛うじて。
その頬からつう、と一筋、血が垂れていた。
――かすり傷。
たった、それだけ。あれほどの手数と、あれほどの魔力を丸ごと一点に叩き込んで。
無防備な頭を正面から捉えて。
その結果がかすり傷一つ。
……そらそうや。冷静に考えたら当たり前の話。
いくら三日で化けたって言うても、せいぜい三年生の器や。ハイターは五年。魔力量の絶対値が桁からして違う。魔力ってのは多ければ多いほど、それ自体が鎧になる。込めた魔力は相手の魔力の壁に相殺されて目減りする。
鎧を剥いだところで、その下には五年ぶんの分厚い魔力の膜が張られとる。三年生の全力なんぞ、その膜をうっすら裂くのが精一杯。
技では完全に上回っていた。頭脳でも剣でも、あの子はハイターを赤子みたいに手玉に取っていた。
なのに。届かへん。
このたった一筋の血が、二人のあいだに横たわるどうしようもない格の差を、残酷なくらいはっきりと示していた。
最善手をあの子は全部だし切った。三日で魔力を跳ね上げて、護神流を読み切って、分身で奥義を釣り、無防備な急所に魔力を叩き込んだ。あれ以上の手がどこにある。
それでもかすり傷。手の内はもう割れてしもた。次はハイターも分身に釣られはせん。
「……驚いたよ」
ハイターが頬の血を指で拭った。その顔にじわりと余裕が戻ってくる。
「一年で、私にこれだけやるとはね。大したものだ。――だが、そこまでだ」
剣を握り直す。膨れ上がる魔力はまだ底が見えん。
「悪いことは言わない。降参したまえ。無様に伸される前に、ね。それが君のためだ」
ぐうの音も出ん。正論や。ここで引けば傷は浅い。誰もここまで戦った一年坊を腰抜けとは呼ばへんやろ。
決闘の落としどころとしては両者が称えられる最も良いタイミング。
決定打がない彼にとっては最高のタイミングのはずや。
けど。
闘技場の真ん中で、アイン・タレントはこの絶望的な現実を前にして笑うとった。
驚いてもいない。落胆もしていない。まるでこの現実――この一筋の血すらもとうの昔に知り抜いていたみたいに、誰よりも冷静な目で、垂れる血をじっと見つめている。
その横顔に、私はぞくりとうなじを撫でられた。
――なんや、こいつ。
アイン君が剣を正面に構え直す。降参の二文字なんぞ、はなから辞書にないみたいに。
そして口の端を吊り上げて、はっきりと言うた。
「――上等」