序盤ボスの悪役貴族に転生したので裏ボスに媚び売ってたら婚約することになった件 作:三つ眼の荒木
上等――か。
この期に及んで、よくもまあ吠える。私はその減らず口をいっそ小気味よくすら感じた。たかが一年坊主が、侯爵家のこの私を相手にかすり傷ひとつ。世が世なら大金星と讃えられてもいい戦果だ。だが勝敗はまた別なのも事実。
頬を伝う血を指で拭う。歳に関係なくここまで護神流を崩しかける者はなかなかいない。アイン・タレントが私を上回る点があるのは認めてやろう。認めてやったうえで捻り潰す。それが勝者の余裕というものだ。
彼は剣を下ろさぬまま、静かに口を開いた。
「ハイター先輩。護神流の弱点を、教えて差し上げましょうか」
「……何だと」
「守りの流派の宿命ですよ。あなたの剣は、相手が攻めてくることを前提に組み上がっている。受けて、流して、返す。ならば答えは単純です。攻めなければいい。それだけで、あなたの剣はほとんど意味を失う」
小癪な。だが言っていることは正しい。
護神流は攻めの剣ではない。相手の力を呑み、利用してこそ活きる。自ら踏み込んで斬り伏せる技がないわけではないが、私はろくに練り上げてこなかった。攻めてこない相手というのは、この流派にとって最も相性が悪い。
果たして彼はその言葉どおり一歩も踏み込んでこなくなった。剣を正面に据えたまま、ただ私の出方を待っている。
膠着した。
互いに動かぬまま、時間だけが過ぎていく。観客のざわめきがじわじわと苛立ちの色を帯びていくのが分かった。
○
ふん。付き合っていられるか。
このまま睨み合ったところで決着などつかん。それに上級生たる私が、格下相手に手をこまねいて立ち尽くす姿など観客に見せられたものではない。ならば仕掛けてやる。それでこそ、この決闘の絵になる。
私は自ら地を蹴った。
踏み込みざまの一閃。手応えを求めたその刃を、男は受け、そして流した。
なに。
私の目は確かにそれを捉えた。今の受け流し。あれはまぎれもなく護神流の型【桜流し】だ。私の剣を、私の流派でいなしてみせた。
いつのまに、そこまで。……いや、驚くほどのことでもないか。護神流に対して完璧な対応ができていたのは、彼自身が護神流の使い手だったからだと考えれば理にかなっている。どこで会得したかは分からないが、これで狙いも読めてきた。狙いは私に攻めさせ、受け続けることで護神流奥義【護神返し】の威力を上げることだろう。あの奥義は攻撃を受ければ受けるほど強くなるからだ。
しかし、護神流に詳しいのはお前だけじゃない。私自身、あの奥義をうつタイミングは分かっている。
私は攻めた。ただし致命の踏み込みだけは決してしない。奥義をうたれぬよう浅く、探るように刃を重ねる。彼もまた受けるばかりで、自分からは来ない。
一合、また一合。決め手を欠いたまま、戦いは間延びしていった。半刻ではきかない。とうに一時間は超えている。こんな決闘は前代未聞だった。
○
腹の底が焦げるように私は苛立っていた。
そもそも、なぜ私がこんな小僧相手にここまで手こずらねばならん。元凶はあの女だ。
生徒会長、ユリ・スーン・アムストラクト。審判の位置から無表情にこちらを見下ろしている。この決闘の裏にあの女の差し金があることくらい、私にも察しはつく。アイン・タレントを三日でどう化けさせたのかは知らんが、まったく無駄なことを。
馬鹿な女だ。
ありえないが、万が一彼が勝ったとして何になる。
仮に私が彼女に無礼な発言をしたところで、謝罪しようがこの婚約がなくなることはない。
政略結婚であり家同士が決めた結婚だからだ。
彼女の家もまたこの結婚に意味があることは知っているはず。
彼女の思い一つで決して覆すことのできない決定事項なのだ。
それに私はあの女に何ひとつ期待などしていない。愛人の一人や二人、囲っていようが好きにすればいい。噂の逢引き相手がこの小僧かと思えば、むしろ滑稽で笑えてくる。女など家を大きくするための道具にすぎん。アムストラクトの血さえ手に入れば、あとはどうでもいいのだ。子を産ませてしまえば、あの女など生涯、置物として飾っておけば済む。
アイン・タレントのことは認めてやってもいい。実力も才も、私の想像をはるかに超えていた。
だが、それと勝敗はまったくの別だ。
世にはどうあがいても勝てぬ相手がいる。その時は戦わぬ。それが賢者の常道というものだ。そしてこれは剣の話に限らない。
この決闘さえ終われば手はいくらでもある。ハイター侯爵家の力を使えば、伯爵家の小僧を一人、社会から葬るなど造作もない。あるいは――あの女の弱みとして手元に抱え込んでやるのも一興か。飼い殺しにして、あの女の首輪にすげ替える。悪くない趣向だ。
そう考えれば、この不毛な膠着すらちょっとした余興に思えてくる。
……だが。
いくら刃を重ねても奥義を放つ気配はない。
狙いは別にあるのではないか。
ふと、そんな考えが頭をもたげた。この構図だ。上級生の私が下級生を一方的に攻め立てている。もし勝てぬと悟った小僧が、せめて私の評判を地に落とそうと図っているのだとしたら。侯爵家の五年がうら若い一年をいたぶり続けた――そう観客に印象づけ、私を悪役に仕立てるつもりなら。あの女の入れ知恵なら、なおさらありうる話だ。
ならば、こちらにも考えがある。
○
私は剣を下ろし、審判へ声を張った。慈悲深い上級生の顔をしっかりと作って。
「会長。これ以上は無意味でしょう。ご覧のとおり、彼の刃は私に届かない。実力の差は明らかだ。続ければ、いたずらに彼を痛めつけるだけになる」
だが会長は眉ひとつ動かさずに言い放った。
「彼はまだ戦闘不能ではありません。決闘は続行します」
つれない女だ。だが、これでいい。
「では、せめて彼の意思を確かめてやってください。もう充分に戦った。自分から負けを認めるのは、ただ言い出しづらいだけかもしれない。上級生として、逃げ道くらいは作ってやりたいのです」
我ながら白々しい。本心はまるで逆だ。この一方的な攻めは私の温情なのだと、観客に得心させたいだけのこと。勝者は敗者に情けをかけた。そういう筋書きにしてしまえば、この先どれだけ嬲ろうと私の評判が傷つくことはない。
彼はこともなげに答えた。
「戦闘の意思は、あります。どうぞ続けてください」
これで言質は取れた。ならば遠慮はいらん。
私は攻勢を強めた。守りの剣を攻めへと転じさせ、時にはわざと大きな隙をつくってやる。そら、ここだ。奥義を叩き込んでくるがいい。返り討ちにしてやる。
だが彼はその誘いに乗ってこない。
差し出した隙を、まるで見えていないかのようにただ淡々と私の剣をさばき続ける。
なぜだ。この小僧は馬鹿ではない。これほど分かりやすい隙を見逃すはずがない。ならばなぜ攻めない。いったい何を待っている。
考えを巡らせた、その時だった。
ぐらり、と足元が傾いだ。
地面が揺れたのではない。揺れているのは私自身だ。
それを皮切りに視界の端がじわりと白く霞んでいく。踏み込もうとした足に力が入らず、剣を握る指先が氷のように冷えてしびれていた。
いつの間にか息が上がっていることに気が付いた。心臓だけが不相応に速く脈を打ち、うなじを冷たい汗が伝い落ちる。耳の奥では、きぃん、と甲高い音が鳴りやまない。
立っているだけで頭の芯がぐらつく。剣がいつもの倍は重く感じる。
何だ。何なのだ、これは。
毒か。
真っ先にその考えが浮かんだ。これは尋常な疲れではない。それに加えこの一時間、致命傷のひとつも受けていない。攻め立てるのに慣れてはいないが体力を見誤るほどではない。ならば毒しか考えられん。
いつ盛られた。……あの、最初の一撃か。頬に受けたあのかすり傷。あの刃に毒が塗られていたのだとしたら辻褄が合う。
私は後ろへ跳んで距離を取り、審判へ叫んだ。
「会長! 彼の剣を検めていただきたい! 毒が塗られている疑いがある。念のため、剣の交換を!」
会長は彼の剣を受け取ると、刃に指を滑らせ匂いを確かめ魔力を当てる。そして静かに告げる。
「毒は塗られていません」
言い切った。
「決闘の規定に明文はありませんが、毒物の使用が判明した場合は当然失格とします。ご不満なら外部の検査官を呼んでも構いません。ただしその間、あなた達は今のままこの場で待機していただきます」
会長の目がまっすぐに私を射た。
「――お望みではないでしょう?」
この女がこれほどの衆人環視の場で、露見すれば身の破滅を招く嘘をつくとは思えない。まして観客の中には、魔力を検分できる手練れも少なくないのだ。塗られた毒を隠し通すなど土台無理な話だろう。
毒は本当に無いと考えるのが妥当だ。
ならば検査官など呼ぶだけ損だ。到着を待つあいだ、この得体の知れぬ虚脱を抱えたまま私は立ち尽くすことになる。消耗するのは私のほうだ。
だが、毒でないなら。この体の不調はいったい何だというのだ。
私は無意識に疼く頬へと手をやった。あのかすり傷へ。
指先にぬるりとした感触が触れた。
――血だ。
引き剥がした指を見て、私は我が目を疑った。赤い。生々しく濡れて、指の腹を伝っている。
馬鹿な。もう一時間だぞ。とうに乾いて塞がっているはずのただのかすり傷が、いまだに血を流し続けている。
すると目の前の小僧が「ようやく気付きましたか」と口を開く。
「その傷は塞がりませんよ。魔力が尽きない限り、いつまでも」
何を、言っている。
「毒なんかじゃありません。あなたのその症状はただの貧血。頬から少しずつ血を流し続けたことによるものです」
アイン・タレントが剣を構え直す。あの薄い笑みのまま。
「それでは楽しい楽しい持久戦と行きましょうか。あなたが立っていられなくなるまで」