序盤ボスの悪役貴族に転生したので裏ボスに媚び売ってたら婚約することになった件   作:三つ眼の荒木

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第二十三話 婚約破棄

 

 腕のなかでアイン君が力なく目を閉じている。

 

 勝った。この子は本当に勝ってしまった。

 

 正直に言えば分かってはいたのだ。三ヶ月かそこら鍛えたところで、五年生のそれも侯爵家のハイターとは実力がかけ離れていること。彼の一撃がかすり傷にしかならなかったのを見て、ああやはり、と思いもした。

 

 それでも私はこの子なら勝つと信じていた。

 

 私には思いつきもしないどこか変な方法で。私の常識の外側からするりと、そういう勝ち方をする子だと、あの三ヶ月で嫌というほど思い知らされたから。

 

 そして彼は本当にそれをやってのけた。塞がらない傷を一つだけ与えて、あとはただ逃げ回り相手が倒れるのを待つ。美しくもなんともない地味で執念深くて彼らしい勝ち方で。

 

 ――敬意を抱く。

 

 そして決して声に出して言えないような感情もまた――

 

 ……いえ。今は、それどころではないわね。

 

 この子を早く医務室へ運ばなくては。魔力が空っぽで指の先まで冷えている。私は膝を折り彼の背と膝の下に腕を差し入れ抱え上げようとして――

 

「――待て」

 

 濁ったけれど確かな声が背後で上がった。

 

 アブファイル・ハイター。倒れ伏していたはずの男が片膝をつき、こちらを睨んでいる。アイン君の魔力がなくなり頬の傷はふさがり、あの死人のような蒼白さはいくらか引いていた。

 

 彼のかたわらに青い顔をした取り巻きが一人おり、手のひらに淡い回復の光を灯している。決闘が決した後に駆け寄って高位の回復魔法により貧血を治したのだろう。

 

「こんなものが、勝負か」

 

ハイターはふらつきながら立ち上がる。

 

「まともに斬り合いもせず、逃げ回り、卑怯な小細工で人を削る。こんな不当な決闘、認められるものか」

「認めるも認めないも」

 

 私は腕のなかのアイン君をそっと闘技場の床に横たえてから立ち上がった。

 

「この決闘の審判は私よ。そして私が正当な勝負だと判断している。それで、話は終わり」

「――ぐっ」

 

 言葉に詰まったハイターへ、私は一歩踏み出す。

 

「それにちょうどいいわ。この決闘の勝者には一つ権利があるでしょう。彼は今口が利けない。だから代わりに私が言わせてもらう」

 

 私は周りの誰の耳にも届くように言う。

 

「あなたこの決闘の前からあちこちで私のことをずいぶんと好き勝手に語っていたそうね。婚約者の私を置物にするだのなんだの。――彼が勝った以上、それを問いただす権利があるはずよ。訂正と、謝罪を要求するわ」

 

 ハイターの眉がぴくりと動いた。

 

「……身に覚えがないな。誰がそんな出鱈目を。証拠でもあるのか」

 

「証拠なら、ここにありますよ」

 

 声は観客席のほうから飛んできた。

 

 人垣を割って進み出たのは新聞部の腕章をつけた女生徒だ。フウラ・アサ。記事の忖度も捏造も嫌うあの図太い部長だ。その手のひらには掌に収まるほどの録音の魔道具が一つ。

 

「先日、アイン・タレント伯爵子息から預かりました。決着がついたら公の場でこれを再生してくれ、と」

 

 フウラ・アサが魔道具に指を触れる。

 

 流れ出したのは紛れもないハイター自身の声だった。女は弱いからこそ意味がある。強い女など可愛げがない。子さえ産ませれば、あとは屋敷の隅に置いておけばいい――そんな言葉が闘技場に朗々と響き渡っていく。

 

 観客がどよめいた。

 

 アイン君。あなた、気を失う直前までこんな仕込みを。……本当に、油断も隙もない子ね。

 

「……小賢しい真似を」

 

 ハイターの顔が屈辱に赤黒く歪む。それでもこの男はまだ引かなかった。

 

「いいのか、アムストラクト。私を追い詰めて。この婚約が壊れて困るのはお前の家だぞ。両家の顔に泥を塗って、それで済むと思っているのか」

 

 ――ああ。そう来るのなら。ちょうどいい。

 どうせいつか皆の前で言わねばならなかったことだ。ならば、今がいい。

 

 私は闘技場じゅうに響く声を腹の底から出した。

 

「先ほどの無礼な発言を理由として、アブファイル・ハイター、あなたとの婚約を破棄させていただきます」

 

 しん、と場が静まる。

 

「なっ……」

 

ハイターが目を剥いた。

 

「認められるものか。そもそもこの婚約は、家と家が決めたもの。お前や私が勝手に反故にしていいものでは――」

「ええ。ついこの間までは、そのとおりだったわ」

 

 私は彼の言葉を途中で断ち切る。

 

「だから、もう一つこの場で報告しておきましょう。私、先日の帰省で――アムストラクト家の家督を継ぎました。今の私は公爵家の令嬢ではなく、当主よ」

 

 ざわめきが大きくなる。

 

 当然、父は猛反対した。まだ学園に通うような娘に代を譲るなど正気か、と。それはもう顔を真っ赤にして。だから私は父に庭に出てもらって、十度ほど地に沈めて差し上げた。十一度目を数える前に父は存外あっさりと判子を押してくれた。……ふふ。血は争えないと思う。

 

「当主となった今、この婚約を破棄する権限は私にある。家と家の話だと言うのならなおのことよ。アムストラクト家の当主が破棄すると決めた。それだけのことなのだから」

 

「――貴様……!」

 

 ハイターの声が上ずる。それでも最後の理屈にしがみついた。

 

「なら聞くが、この婚約には意味がある。ハイター家の力を王家一派へ加える。魔王軍と戦うための戦力の確保だ。それをみすみす手放すのか。お前の一存で国の備えを削るのか!」

 

「戦力なら――」

 

 私は迷いなく告げた。

 

「来年、私の権限で勇者を召喚します。その力をもって魔王軍は討ち滅ぼす。あなたの家の武力などあてにするまでもないの」

 

 闘技場がどっと沸いた。勇者召喚。その言葉の重みが、生徒たちの間を波のように広がっていく。

 

 観客席の一角――生徒会の面々だけは静かだった。けれど、その静けさの底で皆どこか高揚した目をしている。

 

「反論があるのなら」

 

 私は腰の剣に手を添える。

 

「今、この場で私が決闘にて受けて立ちます。一人でも、十人でも、束になっても構わない。かかってらっしゃい。――もし、私に勝てたなら。アムストラクト家は勝った者の言うことを何でも聞きましょう」

 

 公爵家の当主が何でも言うことを聞くという破格の条件とは裏腹に誰も動かなかった。

 

 ハイターも。彼を囲んでいた取り巻きたちも。ただ床の一点を睨むばかりで剣の柄にすら手を伸ばさない。

 

 当たり前だ。勝てないと分かっている。そして、敗者はこの学園で居場所を失う。負けると決まっている戦いにこの人たちは決して踏み出せない。

 

 ――ねえ、ハイター。

 

 私は床に寝かせたアイン君をもう一度抱え上げた。片腕を背に片腕を膝の裏に通し、世に言うお姫様抱っこ、というやつで。眠るこの子はずいぶんと軽かった。

 

「あなたが彼に負けた理由を教えてあげる」

 

 私はハイターに背を向けた。

 

「この子はきっとあなたと同じ立場に立たされても――勝てないと分かっていて、それでも動くの。あなたが動けなかったまさにその場所で。だから負けたのよ、あなたは」

 

 返事は待たなかった。

 

 私は腕のなかの重みを落とさないように、ゆっくりと闘技場を後にした。

 

○

 

 ――と、そんな一部始終を後になって俺は人づてに聞かされた。

 

 なにしろ当の本人は締めのいちばんいいところでぐっすり気を失っていたのだ。アブファイル・ハイターに思うところがないわけではないが、まぁ自業自得だ。

 

 むしろよく彼女の悪口言えるよな。俺だったら命が惜しくて絶対に言えない。

 

 しかしその後のハイターの顛末は俺の予想よりも少しばかり重かった。

 

 停学処分。家の力でどうにか退学だけは免れたもののそれで済みはしなかった。彼が前生徒会長時代に握りつぶしていた他の生徒とのいざこざ。泣き寝入りさせられていた連中の訴えを、学園側がこの機とばかりに片っ端から蒸し返したのだ。積もり積もった分の清算は決して軽くはない。これまでの功績はまとめてなかったことにされた。

 

 俺はそれを少し離れたところから眺めていたわけだが――たぶん、これは本来の歴史でも似たようなことが起きるのだろう。

 

 俺の知るゲームの筋書きに会長が誰かと婚約しているなんて話は影も形もなかった。

 それに、この世界で生活してきて、来年勇者を「召喚する」なんて話もまるで出てこなかった。きっと秘匿にされているだけで裏で準備を進めているのだろうと勝手に思っていた。

 

 しかし、本来の歴史はおそらくこうだ。会長はどこかでこの婚約を撥ねつける。そしてハイター家という戦力を失った穴を埋めるために、代わりの手として勇者を呼び寄せる流れになったのだろう。俺がしゃしゃり出ようが出まいが、行き着く先はだいたい同じ場所になったはずだ。

 

○

 

 決闘の勝利をもって、俺は晴れて生徒会の一員として正式に迎えられた。

 

 仕事は思っていたより地味で思っていたより多い。書類の山と行事の段取りと下部組織の陳情と。それでもこの椅子を勝ち取るために俺がどれだけの手間をかけたかを思えば、文句を言う気にはなれなかった。ここがいちばん安全な場所なのだ。

 

 ただ、一つだけ直らない癖がある。

 

「アイン君。今、会長を何とお呼びした」

 

「……失礼。ユリさん、と」

 

「生徒会において、会長は会長だ。会長が納得されているとしても公私の別はつけたまえ」

 

 副会長にして会長の執事でもあるベリエルに、俺はもう何度同じ小言をもらっただろう。あの三ヶ月ですっかり「ユリさん」呼びが染みついてしまって、気を抜くとするりと出てしまう。そのたびに、この生真面目な副会長の眉間の皺が一本ずつ増えていく。

 

 他の連中はおおむね俺に好意的だった。

 

「いやあ、見事な勝ちっぷりやったでアイン君。あの膠着からまさか失血狙いとはなあ。屑が青い顔して倒れるとこ録画しといたから、今全生徒に広めてるところやねん」

 

 ザネは決闘のことを会うたびに蒸し返してはにやにやする。会計のイーデルも、「素晴らしい決闘であった。いずれ吾輩も正面から戦いたいものだ」と武人らしくほめてくれた。あれで彼が俺に出した加入条件を満たしたということらしい。

 

 順調だ。何もかもおおむね順調に回っている。

 

 ――ただ一人、肝心の会長を除いては。

 

 あの人はあの決闘以来、俺にこれといって何も言わない。よくやったの一言も。責める言葉も。まるで俺という存在を丁寧に視界の端へどけているみたいに。

 

 どうも避けられている。気のせいではないと思う。

 

 妙なのは、それにしては二人きりになる場面がやたらと多いことだ。書庫で、廊下で、誰もいない会議室で。ふと気づくと、一人でいたはずなのに会長が隣にいる。そして声をかけようとした途端、取ってつけたような用事を思い出し――「あ……私、次の会議が」「そうだ、ベリエルに頼まれていたことが」――そう言い置いて逃げるように去っていく。

 

 ……俺が何か粗相をしたのだろうか。

 

 考えても思い当たらない。旅館でのことはお互い忘れるという話だったし。取り込むと決めた駒を、今さら遠ざける理由もあの人にはないはずだ。

 

 わからない。この世界で俺の計算がいちばん通用しない相手。それが会長だ。

 

○

 

 その謎が頭の隅から消えないまま日々をこなしていたある日のこと。

 

 実家から呼び出しがかかった。

 

 王都の外れへ向かう馬車に揺られながら、俺は嫌な予感をずっと持て余していた。この時期にわざわざ俺を呼び戻す理由なんてろくな話ではない気がする。まぁ、生徒会に入れたことを聞きつけて事情を聴きたい可能性もなくはないが、それほど俺の親は有能ではないはずだ。

 

 屋敷に着き父の待つ客間に通されて。

 

 俺はその予想がいちばん外れる形で裏切られることになる。

 

「アインよ。喜べ。お前の婚約が決まった」

 

 父は上機嫌だった。

 

「先方からたっての申し出があってな。願ってもない良縁だ。私の一存で承諾しておいた」

 

 ――は?

 

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