序盤ボスの悪役貴族に転生したので裏ボスに媚び売ってたら婚約することになった件 作:三つ眼の荒木
手鏡の前で髪を整える。香水を服全体に散らばせながら身だしなみの最終チェックを行っていった。
「よし」
ばっちり決まったのを確認してから俺、アイン・タレントは角を曲がり、待ち合わせ場所の噴水前へと向かった。
普段から身だしなみには気を付けているが、今日は特別な日。婚約者、ユリ・スーン・アムストラクトとのデートの日だからだ。
平日は学校終わりに街へと寄り軽いデートをしているが、休日はまだ数回しかしていない。公爵家当主となり2ヶ月半程。落ち着いてきたとはいえ休日の予定は詰まっている。彼女の元へ行き手伝うことも少なくはない。
そんな多忙な彼女がわざわざ自分のために時間を割いてくれたのだ。最低限身だしなみはいつも以上に綺麗にしなくてはいけなかった。
と言ってもデートはデート。初めてでもないし気を張る必要はない。いつも通りの雰囲気で接して、少しでもリラックスさせてあげられたら良いけど……なんて考えていたら背後から声を掛けられる。
「お待たせ。待たせてしまったみたいね」
「いえ、私もさっき来たところ――」
声の方へ振り返りながら返事をしようとしたが言い切ることはできなかった。
「どうかした?」
「いえ、お綺麗だと思って」
そこに綺麗な私服姿のユリさんがいるのは間違いない。ただし、明らかにいつもの雰囲気とは違った。表情は普段の余裕のある笑みは浮かべておらず、目つきが鋭く感じる。それに何といっても気迫。まるでこれから戦場へと赴くような気配を漂わせていた。
「ありがとう」
ユリさんは笑みを浮かべる。しかし、それはいつもより少しぎこちなくそれでいて不自然ではなかった。まるで獣が牙を見せるような笑み。
間違いない。今日はただのデートではない。何か別の目的がある。
言葉にできないということは、他人を気にしているということ。まずは敵が誰なのか一刻も早く探らなくては。
★
キスがしたい。
恋人同士がするような濃厚なキスをしたい。
彼と婚約者となり(正式に決まったわけではないけれど)2ヶ月半ほど。日々デートを重ね私たちの距離は順調に縮まってきている。
手をつないだり人目がないところでハグをしたりプレゼントを贈りあったり。
婚約者として節度のあるお付き合いを続けていた。
そう、節度がありすぎる。婚約が決まって2ヶ月。そろそろ次の段階に進んでも良いのではないか。
具体的に言うと接吻。当然口同士。絡ませるような濃厚なキスを私は望んでいた。
何度か顔を近づけ試そうとしたのだが、彼は気に掛ける様子もなくすぐに距離を取ってしまう。避けられているというよりは気づいていない。単純に顔が近いから遠ざかったような印象だった。
だから今日こそはキスをしたい。
数少ない休日のデート。良い雰囲気になりムードができたら彼も気が付くでしょう。
彼も今日は特別なデートと感じているのか、いつもよりフォーマルな服装だった。私は彼に声をかけながら遅れたことを謝罪する。
彼が私の服装を褒めてくれる。私は感謝の言葉を述べながらその視線は彼の唇へと寄って行ってしまっていた。
……落ち着きなさい。今は駄目。私は練りに練ったデートプランを再度脳内で確認しながら気合を入れなおす。
今日、彼の口を獲る。
〇
まず、私たちが向かったのは劇場だった。今日のために演劇の特等席。他の客の席とは仕切りで分けられた二人きりになれる席を用意した。
ここでまず劇を見ている最中、隣同士で手が触れてドキッとする作戦。
そのため劇場の支配人にはわざわざ、手が触れ合うようなソファを用意させている。
私たちは席に着き軽い談笑を交わす。
そして劇が始まった。
劇の内容は予習済み。この後で話す内容もすでに決めている。だから今はアイン君に集中することができる。
当然、アイン君はこの劇は初めてなので目の前の内容に集中するでしょう。手が触れても気づかれない可能性がある。だから途中、話がすこし単調でだれてくる――このタイミング!
私はそっと、そしてさりげなく彼の手の上に私の手を添える。
すると、彼はぱっと私の顔を見て――目が合った。
数瞬、見つめあったのち彼が反対方向へと視線を逸らす。
決まった!
その後も彼は恥ずかしかったのか劇の方ではなく私をたまにちらちらとみては視線を逸らす。しかし、それでいて席から手を離そうとはしない。
ふふふ。意識しているわ。策謀を巡らせるのはあなただけじゃないのよ。
★
劇場に着き談笑を交わしながらも周囲の警戒を怠らない。
そして劇が始まっても、集中することはできなかった。
暗い劇場ではどこから敵がやってくるか分からない。
そんな時ユリさんの手が俺の手の上にそっと重なる。肌触りの良い婚約者の手の感触に一瞬ドキッとし、彼女の方を見る。
凝視されていた。
ずっと、顔を凝視されていた。
何だ?なぜこっちを見ているんだ?劇ではなくこっちを見ているということは、この方向に敵がいる?それとも俺に何か伝えたいことが?
それとも手を重ねたことにも何か意味があるとか?
様々な彼女の思惑を考え状況を探ろうとするが結論は出ない。
当然、劇には全く集中できなかった。
★
「まさか、ヒロインがあそこで剣を握るなんて思いもしなかったわ。演者の演技も素晴らしかったし……アイン君はどうだった?」
「え、ええ。私もそう思います……」
彼の歯切れの悪い答えから劇に集中できなかったのは明らかだった。想定通り。
劇場を出ると空はもう茜に染まっていた。
次に向かうのは大通りから一本外れたところにある料理店。貴族の使う店にしては格式ばらないほうだけれど料理の腕は煌都でも指折りで、なにより個室がある。
私が押さえたのは一番奥の部屋だった。給仕には料理を運んだらすぐ下がるよう言い含めてある。
向かい合って座ると前菜が運ばれてきた。
「美味しそうですね」
「ええ。ここの前菜は評判なのよ」
――さあ、ここからが本番。
名付けて「あーん作戦」。
……名前が少々間抜けなのは認めるわ。けれど効果のほどは保証されている。恋愛小説でも街の噂話でも、恋人たちは必ずこれをやっているのだから。
「アイン君」
「はい」
私は肉を一切れフォークに刺し彼の口元へと運んだ。
「はい。あーん」
手首に力を入れて指先が震えないようにする。ここで怯んだら全てが台無しになる。
彼は一瞬だけ動きを止めた。それから何かに納得したような顔をして素直に口を開ける。
「……いただきます」
あっさり食べた。
躊躇いというものがまるでない。もっとこう、あるでしょう。顔を赤らめるとか目を泳がせるとか。
……いいえ。恥ずかしがって断られるより百倍いいわ。順調。順調よ。
「美味しいです」
「そう。よかったわ」
さて次の一手。ここで今度は彼にもやってもらわなければ意味がない。
「アイン君のも私に頂戴」
そういって私は口を開ける。
意識しなさい。私たちは今恋人らしいことをやっているのだと!恥ずかしがってできなくてもそれはそれでいいわ。
そう思っているとアイン君は、私と手元の料理を見比べる。するとなぜか一口自分で食べてゆっくりと咀嚼した後に、口にしたフォークで再び肉を刺し私の口元へと運んだ。
間接キス……
流れ的にここはあーんをするか、全くしないのが普通だ。しかし彼はあえて間接キスをさせようとしてきたのだ。
……やるわね。しかし間接キスはこの前経験済み。そして今の私が欲しいのは間接などではなく本物のキス!これしきで動じないわ。
私は仕上げの一手を打つ。
私は左の壁へと視線を投げた。
「飾っている絵画も素晴らしいわね」
「そうですね」
彼の顔が左へ動く。誘導成功。
その一瞬で右手に魔力を集めた。
肘から先だけを限界まで加速させ指先で皿のソースを掬い彼の頬に触れて戻る。
瞬き一つ分にも満たない時間だった。
魔物の首を落とすときより余程気を遣う仕事だった。速すぎれば頬を裂いてしまうし遅ければ気づかれる。
彼は何かが触れたのに気づいたのかもしれない。誘導した視線から逆方向をすぐに確認する。私は感づかれる前に身を乗り出した。
「ユリさん?」
「アイン君。じっとしていて、ソースがついているわ」
頬に指を這わせてソースを拭う。それから彼の目を見たまま、その指を自分の唇へと運んだ。
舌先で舐め取る。
彼の目が見開かれた。
――どう?
私は口の端を上げてやる。生徒会長の笑みではない。今日のために鏡の前で何度も作った笑みだ。
完璧。完璧よ、私。このまま計画通りいけばキスも……いや、その先もいけるかもしれない。
★
個室に通されて料理が並んだ時点で、俺は自分の役目を察するべきだった。
「はい。あーん」
差し出された肉を見てようやく俺は状況を理解した。
なるほど。毒見役というわけか。
俺は緊張しながらも口を開けた。
「……いただきます」
舌は痺れない。喉も焼けない。問題なしだ。
「美味しいです」
「そう。よかったわ」
一安心していると今度はユリさんが口をあけながら待っている。
「アイン君のも私に頂戴」
え、なんで?せっかく毒見したのに食べないのか?
俺のを食べて何が目的なんだ?
違う料理ならともかくコース料理だから全く同じだし、全然意図が読めない。毒見じゃないのか?
俺は困惑し考えた後に、先に一口食べて毒がないことを確認してから彼女に料理を差し出した。
何か意味があったのか?暗号とかだったら気づけていないので良くないが……
「飾っている絵画も素晴らしいわね」
「そうですね」
考えを頭で巡らせながら、適当に話を合わせ横を向く。
すると、次の瞬間反対方向から強烈な気配がした。
驚き顔を向けた先には何もない。しかし、明確に気配があったはずだ。
膨大で研ぎ澄まされたような気配が……。一瞬首を取られたかとも思ったほどだ。
するとユリさんが前かがみに身を乗り出す。
「ユリさん?」
「アイン君。じっとしていて」
彼女の指が俺の頬に触れた。
「ソースがついているわ」
そういうと彼女は俺の頬についていたソースをふき取った。
……そういうことか!
おそらく先ほどの魔力は彼女のものだろう。何者かが俺を攻撃し咄嗟に彼女が防いだのだ。
そしてその時におそらくついてしまったソースを、あえて言葉にしてふき取り口に運ぶことでこの事実を俺に伝えてきたのだ。
ソースがついているのは敵が俺をねらっていたことを、口に含むのはそれを彼女自身が防いだことの暗喩。
「ユリさん、それは……」
「どう?」
彼女は笑っていた。見たことのない笑い方だった。
……敵わない。
俺は頭を下げた。
「ありがとうございます」
「ふふ。どういたしまして」
彼女は満足そうに頷いた。
刺客がいる。それも俺が気が付かないほどの強敵。
俺は膝の上で拳を握った。しかしこれで大方見当はついた。
★
「アイン君。もう少しだけ付き合ってくれるかしら」
「ええ。喜んで」
食事を終えた私たちは丘へと向かった。
煌都の南、住宅街を抜けた先にある古い展望台。昼のうちは子供が駆け回っているけれど日が落ちれば人は引く。街灯もまばらで足元が危ういから、わざわざ登る物好きもいない。
――つまり二人きりになれる。
石段を登り切ると眼下に街が広がった。窓と街灯の明かりが円を描いて連なっている。中心の噴水広場だけが白く光り、そこから通りが放射状に伸びていた。
「綺麗ですね」
「そうでしょう」
私は自然と彼の隣に立つ。肩が触れそうで触れない距離。
風もない。人もいない。話し声も届かない。
残っているのは私と彼だけ。
……ここまでお膳立てをすれば、さすがの彼も気づくでしょう。
「アイン君」
「はい」
彼がこちらを向いた。目が合う。
その瞳に街の明かりが小さく映っている。
用意していた台詞は全部どこかへ行ってしまった。何か言わなければと思うのに舌が動かない。
彼も何も言わなかった。逸らしもしない。
――今。
私は顎を引いて少しだけ背を屈める。彼より頭一つ分高いこの身長を今日ほど恨めしく思ったことはなかった。
距離が縮む。睫毛の影まで見えた。
彼の唇が動く。
「……なるほど。そういうことでしたか」
え。
彼はすっと顔を背けると、まったく明後日の方向――展望台の裏手の茂みへと向き直った。
「出てこい」
★
朝からずっと見られている気配があった。
視線というものは案外はっきり分かるものだ。噴水前で待っていたときも、劇場を出たときも、店を出たときも、背中の同じあたりが落ち着かなかった。
最初は思い過ごしとして処理した。しかし食事の席のあれで考えを改める。
刺客だ。しかもユリさんはそれを承知で歩いている。
仕切りのある劇場。人払いをした個室。そして人の来ない夜の展望台。
彼女は徹底して他人の目のない場所ばかりを選んでいた。無関係の人間を巻き込まない場所へ釣り出すためだ。
「出てこい」
しばらく何も起こらなかったが、観念したのか茂みが揺れる。
「あ~あ。あとちょっとやったのになぁ」
両手を挙げて出てきたのは見慣れた顔だった。
「ザネ先輩」
「ザネ?!」
生徒会書記ザネ・アウフガング。その後ろからもう一人、腕章をつけた女子生徒が渋々といった様子で立ち上がる。
「新聞部部長のフウラ・アサです。以前ホームでお会いしましたね、アムストラクト公爵閣下」
「あなた……!」
フウラ部長が胸に抱えているのは筒のついた黒い箱だった。録音の魔道具に景色を写し取る仕掛けを組み合わせた新聞部の備品だと聞いたことがある。
「ザネ。あなたが手引きしたのね」
「人聞きの悪いこと言わんといて。うちはただの取材協力や。ユリちゃんの気配の探り方は独特やから、そら教えられるのはうちしかおらんやろ」
ユリさんが剣を抜いた。
金色の光が刃を包む。
「【王の剣】……!」
「ユ、ユリちゃん?! それ街中で抜くもんちゃうやろ!」
「使う条件は私が決めるわ。今がその時よ」
条件もかなり私事になりすぎだろ。
フウラ部長は腰が抜けかけながらも箱を抱え直した。
「公爵閣下。もう十分に絵になるものは頂きました」
彼女は箱を掲げる。
「劇場で重ねられた手、食事の席で頬に触れる場面、そしてただ今の見つめ合い。すべて記録済みです。明日の朝刊、一面に載せさせていただきます!」
ユリさんの顔から表情が抜け落ちた。
「ザネさん、走りますよ」
「言われんでも!」
二人が石段へ向かって駆け出す。
俺も剣を抜き魔力を圧縮させる。すると剣が銀色へと輝き始めた。
「うわ、アイン君も【疑似・王の剣】使って本気やん!」
「ザネさん、そんなこと言ってる暇ないです!私たちは魔王軍四天王じゃないんですよ!」
〇
「……台無しだわ」
ユリさんは地面で気絶している二人組に視線を下ろしながら魔道具を細かく切り刻む。
「一日中考えて用意したのに」
その一言に俺は少なからず驚いた。
当然だ。俺がデートを楽しみに待っていたように、彼女もそのつもりだった。しかし、来る途中でこの二人の気配に気が付きデートどころではなくなってしまったのだろう。
であれば俺にできることは一つだ。
「ユリさん。もう一箇所だけ、付き合っていただけますか」
〇
「進入禁止区域ではあるのですが……アムストラクト公爵閣下でしたら、まぁ」
門の衛兵は最後まで言い切らずに敬礼をした。
門を抜けて森へ入る。木の根を跨ぎ、藪を分け、道と呼べないところをしばらく歩いた。
「あなた、この森にやけに詳しいのね」
「以前この奥に用がありましたので」
「人剣連合ね。……常習犯じゃない」
ユリさんが少しだけ笑った。
雑木林を抜けると草地に出る。倒木が一本転がっているきりの、何もない場所だ。
空を遮るものがない。
ユリさんが足を止めて上を向いた。
星が出ていた。街の明かりが届かないぶん、噴水前で見上げるものとは数がまるで違う。
「ようやく二人きりになれましたね」
俺が言うと、彼女は目を丸くしてこちらを見た。それから倒木に腰を下ろす。
俺も隣に座った。
「……ここを知っていたのなら最初から言いなさい」
「行き先を決めるのは誘われた側ではありませんので」
「今日は特別よ」
しばらく二人とも黙って空を見ていた。
風が草を鳴らす。虫の声がする。それ以外に音はない。
ふと隣を見た。
ユリさんが顎を上げて星を見ている。星明かりが銀の髪の輪郭を白く縁取っていた。
なぜか目が離せない。
口の中が渇いた。
「アイン君」
名を呼ばれて息が止まる。
彼女がこちらを向いていた。目が合う。
「今日はありがとう。ずいぶん台無しになってしまったけれど、最後にこんな場所を知れたもの」
「いえ。私のほうこそ」
それきり言葉が続かなかった。
彼女も何も言わない。
倒木は一本きりで、座れば肩が触れる。
彼女の顔がわずかに傾いた。
――ああ、これは。
この先に何があるのか分かった。
彼女の顔が少しずつ近づいていく。いつもなら距離を取るのに金縛りでもあったみたいに体が動かない。
彼女と触れ合うその瞬間――首の向きを変えた。
唇ではなく、彼女の頬に。
……触れるだけのごく短いものだった。
顔を離す。
ユリさんは目を見開いたまま固まっていた。それから頬を押さえ、勢いよく顔を背ける。耳まで赤かった。
その拍子に彼女の口元が視界へ入った。
考えるのも浅ましい欲望を唾と一緒に飲みこむ。心の奥底へと。きっと今はその時じゃないから。
息を吐いて空を仰ぐ。
「……星が、よく見えますね」
「……そうね」
それから俺たちはずいぶん長いこと、どちらも隣を見られなかった。
改めて本作『序盤ボスの悪役貴族に転生したので裏ボスに媚び売ってたら婚約することになった件』を読んでくださりありがとうございました。
タイトル回収し話としても一区切りついたため、一度完結という形で物語を閉めさせていただきます。
第二部につきましては他サイトのコンテスト等に合わせて更新予定ですので、気長にお待ちください。
また興味がある方は作者が現在執筆中である
『TS転生者によるダンジョン配信攻略記』
『処女の女冒険者に気をつけろ』
も読んでいただけたら幸いです。
時間がかかってしまいましたが、完結まで書けたのは読んでくださる読者の皆様のおかげです。ありがとうございました。
三つ目の荒木でした。