もしも源石氷晶にフロストノヴァの遺伝情報が遺されていたら 作:とむ
真っ暗な闇の中を進んでいる。
意識が混濁していて、ふらふらと今にも倒れそうだ。自分が何者か分からない。否、自分が何者かは分かる。
自分の中に、知らない何かが混じっている。自分が自分でなくなる錯覚。冷たい意識に溶け込んだ誰かが温かく囁く。
「お前はどう生きる」
彼女の声が聞こえる。
僕たちが命をかけて救いたかった人。無事に都市を抜け出せたのだろうか。
「私は暖かい最後だった」
冬に降り注ぐ日差しのような透き通った柔らかい声で語る。
聞こえるはずのない声が、今まで聴いたことのない声色で耳に入ってくる。
「氷痕が胸に残る限りお前は生きるだろう」
一定のリズムを放つ心臓のような鼓動が耳に入ってくる。胸の中心から冷たい波動が体中に広がる感覚を覚えた。
体が冷気に浸されても心がほんのり温かい。生きていて欲しい人の声を聞けるだけで、幸せなのだ。
「私の意思は既に大地から消えた。お前を縛ることはない」
生きていて、欲しかった。姐さんの口ぶりから察するに、僕たちは死んでしまったのだろう。僕たちの命を賭けて引き延ばした時間が暖かい最期に繋がったのなら、本望だ。けれどもう少し話していたい。意識が消えるその時まで語り合っていたい。
なのに、闇の中に徐々に光が差してきた。それに伴って声はどんどん遠ざかっていく。
いやだ、姐さん。行かないで。
僕は姐さんの役に立てましたか。姐さんの声を聞きたいです。
僕たちの命は姐さんに届きましたか。姐さんの話を聞きたいです。
「この大地は残酷だ。だが私と兄弟たちの命がお前を生かした。未来を繋いだ」
嫌だ、生きていたくない。
僕だけが生き残った現実を認めたくない。
だって、姐さんと、スネグ達との居場所が僕にとっての全てだった。
姐さんもスネグもグラードもペトロワも。スノーデビルのみんなと一緒にいたい。一人寂しい思いをするくらいなら、死んでしまった方が楽なのかもしれないとまで思う。
それに、僕が生きていたって何もすることがない。
「何をしてもいい。ロドスの仲間として生きるのも、一人大地を巡るのもお前の自由だ。死した身を纏うお前は何ものにも縛られない」
いやだ、分かりません。
「難儀な体だが、困った時はドクターを頼るといい」
姐さんが何を言っているのかわかりません。だからもう少しお話しをしたいです。
姐さんに話しかけようとするも体が動かない。声すら出せない。思考のみが知覚できる唯一の己であり、姐さんの声が僕の気狂いを留めてくれている。
しかしその声すらも遠ざかっていく。
誰かに頼らないと生きていけない未熟な己が、何を為せば良いかも分からないまま残酷な大地に一人残される。
ひどく恐ろしい現実に暗闇の中でみっともなく縋る。
姐さん、一人は嫌です。僕もみんなと共に行きたい。もう寂しい思いはしたくないんです。
僕は覚えています。姉さんとの出会いを。
ウルサスの開拓地が野盗に襲われ、みんな死にました。開拓地が炎に包まれる中、僕はたまたま採掘場にいたから生きていました。
しかし冬の蓄えをすべて奪われて、一人で死を待つのみでした。
黒く焼け爛れた骸に縋って孤独を癒していたような子供だった僕を、姐さんは抱きかかえてくれましたね。
あの時、どれだけ僕が救われたか分かりますか?
凍えるような寒さを湛えた開拓地には僕しかいない。どれだけ叫んでも雪が声を吸い込み、反響すらしないんです。誰の声も聞こえず、誰の息すらも聞こえない。
家も焼け落ち思い出なんか消え去って、ただ死を待つのみでした。
一人で死ぬのは嫌だったから、誰の死体かも分からない黒い塊を勝手に親だと決めつけて母さん、父さんと語りかけていました。
いよいよ目を閉じそうになった時、冷たい骸に縋り付いていた僕を姐さんが抱きしめてくれましたね。
あの時の暖かさに、僕は救われたんです。
一人じゃないんだって。僕には抱きしめてくれる人がいるんだって、生きる気力が湧いてきて僕を支えてくれたんです。
そしてスノーデビルのみんなと過ごす時間が凍った心が溶かしてくれました。スネグが酔い潰れて僕が寝床まで運んであげたことも、グラードが僕にアーツを教えてくれたことも、ペトロワが敵から僕を守ってくれたことも、全ての出来事が暖かい思い出です。
あの時間が一番幸せでした。
みんなが、姐さんがいないと僕は幸せじゃないんです。
だから姐さん。僕を置いていかないで。
僕をひとりにしないで。
「――――――♪」
あ。それ、は。
「――――――♪」
姐さんの。
「――――――♪」
「この歌を、お前だけの為に歌おう」
「――――――♪」
「眠れ。目覚めの時まで」
「私たちは、いつでもお前の後ろにいる」
「見守っている」
「――――――♪」
「涙を拭いて――、さぁおやすみ」
結局。姐さんは行ってしまった。
安寧の眠りと良き目覚めを祈る歌を託して姐さんは暗闇の中へ消えていった。
姐さんの思いを理解する事はできなかったが、僕の中から姐さんが消えてしまった事だけは理解できた。
ああ、僕は一人になってしまった。
その事実がどっと心にのしかかると共に、暗闇を白い光が飲み込んで意識を黒く染め上げた。
*
「う……」
目を覚ますと、体がビニールのような袋で覆われていた。
ずいぶん長く眠った感覚があり、手足を伸ばそうとしても体が甘く痺れて動かない。脳の半分は覚醒していないようで、ただぼうっとビニールの向こう側の光を見つめている。
目覚めの心地としては最悪だ。
さっきの姐さんと話していた夢は、事実僕の脳内で起こったことなのだろう。
倦怠感に包まれている理由は、きっと長い眠りから覚めただけではない。
姐さんと、みんなは死んでしまった。
また僕だけが生き残った。
開拓地で一人死を待つのみの時間を思い出す。
あの時は寒かった。雪風が体を打ちつけ熱を奪っていく以上に、心が孤独によってじわじわと死んでいくのだ。
ああ、いやだ。
一人はいやだ。
「姐……さん」
一人でに呟いた声は、ひどく枯れていた。
声変わり前の特徴的な高い声が潰れて、幾分か声色が落ち着いている。
声が落ち着いていても、僕の心は荒れている。
「スネ……グ……、ペトロワ」
アーツを放つ前に僕の意識は途絶えている。
つまり、近衛局からスネグとペトロワを守りきれなかったのだろう。
姐さんの源石氷晶を体に取り込んでも、その力を御しきれず隙が生まれた。
その隙を近衛局兵たちに突かれ、僕は殺されてしまった。
それが何故かこうして目を覚まし、脳みそを働かせている。
何故生きているのかは分からない。
むしろ、死んでしまった方が良かったとさえ思う。
姐さんは僕に生きろとは言わなかった。
何をしてもいい、自由にしろと。
ふふ、姐さんたちはそういうところまで同じなんだ。
あの時。スキットルで乾杯を交わすときにも、スノーデビルのみんなは僕のやりたいことを自由にやれと尊重してくれた。
だから僕は姐さんを救いたくて、姐さんの最後が少しでも良いものになって欲しくて命を捨てる決意をした。
だけどね。姐さん。
僕は今やりたいことがないよ。
姐さんも、スネグも、ペトロワも。グラードもスノーデビルのみんなも。
守りたかった人たちはみんな死んじゃった。命をかけてでも守りたかった人たちだったんだ。
あはは。
僕の命なんかかけたって何も救えないって、そういうことなのかな。
なんで僕なんかが生き残ってしまったんだ。
頭の中でこの思考が繰り返される。
止まらない自己嫌悪と絶望の螺旋に囚われている中で、不意に足音が聞こえた。
幾つもの地面を蹴る音から複数人だと当たりをつける。
彼ら、彼女らはまっすぐとこちらに向かってきているようだ。
「この方で最後です。皆さん、お疲れ様でした」
「いえ。代表こそ戦いの後でお疲れでしょう。私たちが運んでおきます」
「大丈夫ですよ。最後の方は私に運ばせてください……その責任があるのです」
「死体は一人では重すぎます。お手伝いだけでもさせてください」
「ありがとうございます。ですが、この重さを感じさせて欲しいんです」
「代表……分かりました、ではお気をつけて」
言葉をいくつか交わした後、足音が去っていった。
それにしても驚いた。
会話を交わす声の中に、聞き覚えのある声が混じっている。
確か姐さんを助ける時にいた、黒いうさぎさん。
何度も姐さんのアーツを防ぎ、僕たちにも反撃をしてきた勇ましい子供。
その子供が代表と呼ばれ、周りの大人は敬意を持って接している。
なるほど、彼女があの行動隊の長だったのか。指揮官がトップとばかり思っていたが、聡明そうな彼女の方がおどおどしている指揮官よりも頼りがいがあるに違いない。
それに、理想を語る彼女の姿に最初の頃のタルラさんが重なって見えた。
不思議なカリスマ性を持つ彼女と同じく、多くの人が黒いうさぎさんの元で信念を燃やしているのだろう。
レユニオンとロドス。
敵対している組織ではあったが、手を取る未来もあったのかもしれない。
だが、もはや手遅れだ。
ここで僕が手を挙げ、彼女らと協力した所で何も変わらない。僕には何もできない。
ならば、流れに身を任せてみるのもいいだろう。
おそらく彼女たちは死体を運んでいる。
感染者の死体の多くはまとめて廃棄処理場行きだ。
死体の結晶化による粉塵拡散、および飛散した源石粉塵を吸い込む事故の防止のため、ビニールで覆われてから運ばれる。
最後まで尊厳なんか無い、死んだ後も汚染物質として廃棄されるのだ。
もはや僕には、その結末すらどうでもいい。
僕がどうなった所で、どうせ一度は死んだ身。
決定された死が先延ばしにされただけで、遅かれ早かれ僕は感染症で死ぬ。
源石を心臓に刺したのだ。
源石の血中濃度は並の感染者を超えて、姐さんと同じくらいかそれ以上の進行度だろう。
死に場所が戦場から死体に囲まれたところに変わるだけだ。
「助けられなくて、ごめんなさい」
だから、僕には関係ない。
「間に合わなくて、ごめんなさい」
彼女が苦しんでいようと、関係ない。
どうせ死ぬ僕には、関係ないんだ。
「殺してしまって……ごめんなさい」
関係、ないんだ。
「謝罪だけでは足りませんね……。私は、あなた達のような人を助けるために尽力します」
僕に話しかけている訳ではない。
誰もいなくなった空間に、死体しかいない空間だからこそ本音をこぼしている。
開拓地で死体に喋りかけていた僕のように、幼い少女がビニール袋に覆われた死体に争いの責任に向き合う言葉を語る。
「きっと、いつの日か感染者も非感染者も手を取り合える日を迎えて見せます」
それは決して後悔の言葉ではない。苦悩の言葉ではない。
僕よりも幼いのに、消えてしまった命と向き合い、これからの争いへ覚悟を示す言葉を語る。
やめて。これ以上、僕を惨めにさせないでくれ。
ああ、辛いよ。
助けたかった人たちを助けられなかった。自分の無力さに打ちのめされた。
その上、僕よりも幼い子供が、僕以上の絶望を味わっているはずなのに、前を向いている。
なんて惨めなんだ。
「あなた達の犠牲を無かったことにはしません」
「いつの日か訪れる最後まで、私はあなた達を背負って進みます」
「だから、まずは今日。あなたを背負わせてください」
そう言って僕を覆っているビニール袋へ微かに聞こえる、小さい足音を立てて近づいてくる。
ああ。なんて誠実なんだろう。
たかだか死体を運ぶだけなのに、何も聞こえていない死体に立てなくてもいい誓いを立てている。
ここには誰もいない。
真実、彼女が己を奮い立たせるために語った言葉なのだろう。
こんな光に当てられて、何もしない訳にはいかない。
体から心の芯まで凍りついていた熱情が、少し溶けたような気がした。
「自分で……ある、く」
「――」
いきなり声をかけて驚かせてしまっただろうか。
申し訳ないが、死体が驚かせずに喋りかける方法を僕は知らない。
「え……まさかっ」
彼女が息を呑んで、ビニール袋を開けようと手をかける。
それは辞めておいた方がいい。重度の感染者である僕に近づくのは危ない。
だから、ビニール袋を凍らせて、彼女が近づけないようにする。
袋に手のひらを付けて冷気を流し込んでいくと、接地面から徐々に凍りついていく。
「なっ」
彼女は驚いたようで動きを止めた。
その隙に凍らせた袋を砕き、不自由な袋の中から体を解放した。
体を起こして立ち上がる。
見回せばそこは四方を壁に囲まれた狭い空間。
コンテナの中だろうか。
視線を落とすと、尻餅をついた小さなコータスの少女が目に入る。
凍結に巻き込まれなかったみたいで良かった。
「フロストノヴァさん!?」
安堵も束の間、少女が僕を見るなり動揺して亡霊でも見るような目で問い詰める。
僕を見て、姐さんの名前を叫ぶ。
「ああ……そういうことですか」
先ほどの夢の意味を理解する。
死した身を纏う……そして、難儀な体で済まないという言葉。
少女が僕の姿を見てから姐さんの名前を叫んだこと。
何より、揺れ動く少女の瞳には、白いコータスの女性……僕が死んでも守りたかった、フロストノヴァの体が写っていた。
本筋とは関係のない、フロストノヴァ(スノーデビル君)がドクターや他オペレーターと仲良くする話は必要?
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