牙狼外伝—VEGA—受け継がれし願い   作:赫牛

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 初めましての方は初めまして。赫牛(あかうし)と申す者です。
 欲望が抑えられずこの文を書いた次第です。どうか広い心で読んでいただけると幸いです。
 それでは、お楽しみください。


音盤

 光あるところに、漆黒の闇ありき。古の時代より、人類は闇を恐れた。

 

 しかし、暗黒を断ち切る騎士の剣によって、人類は希望の光を得たのだ。

 

 

 

 

 

 魔戒騎士(まかいきし)、そして魔戒法師(まかいほうし)。人知れずホラーを狩り、人類を守りし者達。その志は皆同じ。

 しかし当然違いも存在する。『女は魔戒騎士になれない』、ただの習わしだからではなく、鎧が女を拒むからだ。それはどうしようもない、絶対的な差。

 だから誰もが思っているはずだ、『そんなものは存在しない』、と。

 これはそんな話。瞬きせずに見て欲しいな。

 

 

 

 

 

 ねえ、この前先輩がさ——。

 もしもし、お世話になっております——。

 今日何食べたい?えー、何だろ——。

 

 声、声、声。どこかから聞こえてくるBGMや車の走行音の方が大きいはずなのに、不思議と耳につく声。皆澄んで、美しい音を奏でている。

 羨ましい。

 かつては女もそうだった。何なら人並みよりかは綺麗な声を出せていたと自負していた。

 でももう出ない。出せなくなってしまった。

 医者からは酷使し過ぎた結果だと言われた。もう以前の様には歌えないと。もう何年も前の事だ。

 そしてそこそこ有名だった女はメディアから姿を消した。突然歌えなくなった女に世間は同情し、そして興味を示さなくなった。女にとってそれはどうでも良い事だった。歌声を失った事で既に地獄にいたから。

 声は何処までもついてくる。誰もいない路地裏に行こうがずっと聞こえる。

 ああ、嫌になる。嫌になる程、羨ましい。

 

「いたっ……」

 

 何かに足をぶつけた。月明かりも無い夜の暗がりでは仕方ないかもしれない。

 それは古びたレコードプレーヤーだった。喫茶店にある様な洒落た物ではなく、小型で簡素な物だ。女と同じ、もう誰にも必要とされないものだった。

 女は足の痛みをそれに返す事はしなかった。そんな事をしたって無駄だと知っているから。怒る気力も湧かなかった。そしてそのまま通り過ぎようとした。

 

 

 

『また歌いたい?』

 

 

 

「え……誰?」

 

 小さくかすれた声で女は問いかけるが応えは無い。自分に話しかけられたと確信できるのに、女の傍には誰もいなかった。

 

『歌いたいんでしょう?』

 

 否、いた……と言うよりあった。

 さっきのレコードプレーヤーだ。何故か電源がオンになってセットされていたレコードがくるくると回っている。そこから声は聞こえていた。

 

「う……歌い、たい」

 

 女の望みがぽろりと零れる。だが機械は黙ったままだ。

 

「歌いたい、もう一度、歌えるようになりたい……!」

 

 精一杯の声で願いを吐き出した女に、レコードプレーヤーが笑いかける。

 

『こっちにおいで。貴方の望みを叶えてあげる』

 

 その言葉の引力は凄まじく、ふらふらと何かに取り憑かれた様に女は機械に近づいていく。レコードプレーヤーを拾い上げ、縋る様にそれを見つめた。

 そしてレコードプレーヤーは笑った。

 

 

 

『お前を喰らってからな……!』

 

 

 

 レコードプレーヤーが震え、そこから黒い異形が生み出される。それは姿は正しく『悪魔』のものだった。

 

「あっ……」

 

 驚いた女に悪魔が覆い被さり、その拍子にレコードプレーヤーは地面を転がる。悪魔から黒い奔流が流れ出し、女の目、耳、口、鼻の中に入っていく。叫ぶ事もままならず、女は手足を痙攣させ、やがて動かなくなった。その上に悪魔の姿は無かった。

 突然糸に引っ張られたかの様に女は起き上がった。だらりと垂れ下がった頭がゆっくりと持ち上げられ、女は目を開いた。その目から瞳が消え、白く濁った悪魔の目が現れた。

 

 

 

 

 

 子どもの頃から魔戒騎士になるのが夢だった。

 ホラーを斬り、人々を守る騎士。今までも数々の魔戒騎士が存在し、その意思は現在まで脈々と受け継がれている。そんな騎士の一人に俺もなりたいと願った。

 魔戒騎士の家系に生まれたのだから当然と言えばそうなのだが、周りにも魔戒騎士を目指す子どもが多い環境だったからと言うのも大きいかもしれない。

 大抵の魔戒騎士の卵は成人する辺りで正式に騎士となり、ハガネの鎧を拝受する。もしくは死んだ親や後継者のいなくなった鎧と称号を受け継ぎ、その重責を背負いながらホラーを狩る。俺の周りのほとんどがそうなり、今日もホラーを狩っているのだろう。

 でも俺は違う。

 俺はまだ、卵のままだ。

 

 

 

 

 

 一閃。

 真っ黒な(もや)の様なものが真っ二つに裂け、消滅する。それと同時に辺りに漂っていた不穏な空気が晴れていく。靄を斬った剣は陽の光を反射して輝き、見惚れている間に鞘に納められた。

 

「さあまだまだあるぞ……どうした、(れん)?」

 

「あ、いえ、何でも」

 

 先生……牙猛浬(がもうかいり)は俺の返答に眉をひそめた。

 

「何でも良いが、エレメントとは言え気を抜くと命に関わる。気を引き締めろ」

 

「はい、すみません」

 

 勿論怒っている訳ではないのはそれなりに長い付き合いだから分かる。俺が気を抜いていたのを注意してくれただけだ。

 

「良し、ここからは手分けして浄化するぞ。俺は繁華街の方を、煉は郊外を頼む。終わったらまたここで落ち合おう」

 

「はい」

 

 エレメント、と言うのはオブジェ等に溜まった陰我(いんが)の塊の事だ。これを斬る事でホラーが人間界に出現する契機となる『ゲート』の発生を未然に防ぐ事ができる。

 そう、ホラー。魔界より現れて人を喰らう魔獣。陰我……人の強い想念をゲートとして人間界に入り込み、喰らった人間に成り代わってまた人を喰らう。大抵のホラーは人間界と魔界との間に結ばれた約定に従って生きているが、稀にそれを破って人間を喰らいに来る、言わば『犯罪者のホラー』を討滅し魔界に送り返すのが魔戒騎士の仕事だ。まだ俺は魔戒騎士ではないがこれも修業の一環として、先生からエレメント浄化の手伝いを任されている。

 

 気配を感じ取るにエレメントが多い方に先生は行ってくれたみたいだが、それでも数は多い。早速一つ目だ。

 剣を抜き、捨てられた本に剣を突き立てる。一般人が人前でこんな事をやれば目に付く事間違いなしだが、俺、と言うかこの仕事に携わる者が着る魔法衣(まほうい)の効力によって人目は誤魔化す事ができる。

 

「はっ!」

 

 本から溢れ出た黒い靄から剣を引き抜き、剣を縦に横にと払って靄を斬り裂く。たちまち靄は消滅し、ここ一帯の陰我は消え去った。

 勿論これだけではなく、邪気が漂う場所は後何箇所かある。これを全て斬って浄化するのが、魔戒騎士の昼間の仕事だ。

 

 

 

 

 

「はぁ……はぁ……」

 

 呼吸は乱れ、汗が頬を伝う。全身を包む疲労感に耐えられず木陰にへたり込んだ。喉がカラカラで、水筒の一つでも持ち歩けば良かったと後悔した。

 ホラーを討滅するだけではなく、エレメントの浄化であっても当然体力を使う。ホラーを斬るための剣に使われている鋼……ソウルメタルは使用者の精神に呼応してその重さを変える。時には羽根の様に軽く、時には鉛の様に重くなり、それを自在に操るためには精神をコントロールする必要がある。立派な魔戒騎士ならそんなものは意識せずともできるが、俺はまだ常に集中していないと剣を振るう事もままならない。そのせいで余計に体力が持っていかれる。

 まだまだ未熟だな、俺は。これじゃあ当分騎士なんてなれそうにもない。

 

「ねえ」

 

 そんな事を考えていると声をかけられた。顔を上げると目の前に黒いコートを着た女がしゃがんでいた。こんなにも近づかれていたのに気付かなかった事に驚いている俺を後目に、女は言葉を続ける。

 

「ねえ、手伝ってあげよっか?」

 

「は?」

 

「やってるんでしょ、エレメントの浄化」

 

 それを知っている女という事は。

 

「魔戒法師か……良いよ、一人でやる」

 

「って言う割には辛そうだけど、ほんとに大丈夫?」

 

「うるさいな、ほっといてくれ!」

 

「おっと」

 

 俺が乱暴に払った手を避けて立ち上がった女は、まだ癇に障る笑みを浮かべていた。

 

「君、名前は?」

 

「教える必要が?」

 

「教えてくれたって良いじゃん」

 

「……柴崎煉(しばさきれん)だ」

 

「ふーん、煉くんね」

 

 この女だからかは分からないが、くん付けで呼ばれるとなんだか小馬鹿にされている様に感じた。

 

「あんたは?」

 

「んー?教えないよ」

 

「は?自分は聞いておいてそれは無いだろ」

 

「だって魔戒騎士にならないかもしれない人に名前を教えちゃいけないでしょ?君、魔戒騎士……ではないでしょ、まだ」

 

「ぐっ……」

 

 見抜かれている。俺の立ち振る舞いかこの女が鋭いのかはどっちでも良いとして、気付かれた事が悔しい。

 

「兎に角、あんたに手伝ってもらわなくても一人でできる。だから俺に構うな」

 

「強情だなぁ」

 

 くるりと俺に背を向けた女は顔だけ振り返ってにこりと笑った。肩辺りまで伸びた緩くウェーブのかかった黒髪が揺れる。

 

「またね、煉くん」

 

 ひらひらと手を振って女は去って行った。

 

「何なんだよ……」

 

 黒いコートが風に吹かれてはためく。

 あまり良く見ていなかったが、あの女の身に着けている物は魔戒法師の物と言うよりまるで……。

 

 

 

 

 

 夜。

 薄暗い路地を一人の男が歩いていた。その足取りはおぼつかなく、顔は真っ赤に上気していた。明らかに酒に酔っている様子である。

 男は残った微かな理性を頼りに家を探していた。普段男が通る道にこの路地は含まれていなかったが、それを男は分かっていなかった。

 そしてそれが最大の不幸だった。

 

「なんだぁ……?」

 

 歌が聞こえてくる。その響きはとても美しく、こんなに綺麗な歌声を男は耳にした事が無かった。もっと聞きたい、もっと近くで聞きたいと思った。

 歌に導かれて男はふらふらと歩く。壁にぶつかりながらも歌に引き寄せられていく様子は、何かに取り憑かれている様でもあった。

 果たして男が辿り着いたのは人気(ひとけ)の無い繁華街の隅だった。捨てられたたばこやごみが散乱するその場所に女はいた。赤いドレスを身に着け、街灯に照らされる彼女は正しくスポットライトを浴びた歌姫だった。

 歌声が途切れる。男の存在に女が気付いた……が、それを意に介した様子も無くまた歌い出した。男はすっかりその歌声の虜だった。

 街灯に群がる虫の如く男は女に引き寄せられる。そして後一歩で手が触れる、と言う所で歌声はまた途切れ、女が男に微笑む。

 

「私の歌、聞いてくれる?」

 

「ああ、もっと、もっと聞きたい……!」

 

 男の頭の中には歌の事しか無かった。そして女が歌い出し、男は今まで味わった事の無い幸福感に包まれた。自分の体が解けていく事にすら、気付かなかった。男はそのまま、幸せに支配されたままこの世からいなくなった。

 歌い終わった女が舌なめずりをする。街灯は消え、代わりに月光が彼女を照らした。女は深く一礼すると、闇の中に消えていった。

 

 

 

 

 

「はっ……たぁっ!」

 

 稽古用の剣が空を斬り、芝生が揺れる。何千回と繰り返した型に乗せられた剣圧は、他の騎士にだって見劣りはしないだろう。

 それなのに俺にはまだ騎士の資格が無い。まだ何かが足りない。しかしそれが何なのかは俺には分からなかった。

 

「煉」

 

 投げ渡されたタオルを受け取り、汗を拭う。

 人里離れたこの場所に建つのは古めかしい豪邸。ここは先生の家だ。仕事が無い時の修業の場でもあり、心が安らぐ場所でもある。俺を弟子とするにあたって、先生は俺をここに住まわせてくれている。

 

「そろそろ飯だ。シャワーを浴びてこい」

 

「はい」

 

 シャワーを終え食卓に着くと、小鳥(ことり)さんが湯気が立つスープを持って来てくれた。

 小鳥さんは先生の奥さんで、元は一般家庭の生まれだったらしい。どう言う経緯で先生と出会って結ばれるに至ったのかは知らないが、時々いるのが気まずくなるくらいには夫婦仲は良い。

 先生達に子どもはいない。その分俺を息子の様に可愛がってくれている。かと言って先生が俺に自分の鎧を継がせるつもりなのかは分からない。親も師もいない哀れな男を拾ってやった、と言う風に俺は認識している。実際の所はどう言うつもりなのか聞くのが怖いのもある。

 

「さ、冷めないうちに食べましょ。浬も座って」

 

「いや、食べるのはこいつの用が済んでからにしよう」

 

 小鳥さんが促すが、先生の視線は食卓には無かった。

 部屋の中にどこから湧いて出たのか、顔に札が貼られた小さな子どもが立っていた。先生が近づくとそいつは黒い封筒を差し出した。指令書だ。

 先生が手のひら程の大きさの、複雑な装飾が施されたライターを取り出し、点火すると赤い炎が噴き出し指令書を燃やす。指令書は灰も残さずに燃え尽き、そこから文字が飛び出して宙に浮かぶ。魔界文字で綴られたそれが、番犬所(ばんけんじょ)……魔戒騎士を束ねる組織からの依頼、と言うより命令だ。

 

「『闇夜に紛れ人を惑わし、それを喰らう魔獣出現せり。直ちに討滅すべし』、か」

 

 先生が読み上げると文字は消え、さっきの子どももいつの間にかいなくなっていた。

 

「浬……」

 

「心配するな、飯はちゃんと食う」

 

「もう、そう言う事じゃない」

 

 心配と笑いが混じった不思議な顔の小鳥さんと先生は座り直し、手を合わせた。

 

「煉?食べないの?」

 

「いえ、食べます。食べますとも」

 

 慌てて席に着き、俺も手を合わす。

 

 

 

 

 

 小鳥さんが先生の肩に藍色のコートを掛け、ぽんぽんと背中を叩く。仕事に送り出す時に小鳥さんがいつもやる仕草だ。

 

「気を付けてね」

 

『心配するな小鳥、浬はそう簡単にくたばったりはしないさ』

 

 先生でも小鳥さんでも、勿論俺でもない声が小鳥さんを元気づける。声の発生源は先生の首に掛かっているペンダントだった。鳥の様な仮面を被り、口元が露出した人の頭部を模したそれは、人間に友好的なホラーの魂をソウルメタルの器に移した『魔導輪(まどうりん)』。そして先生をサポートする彼女の名はマルヴァである。

 

「分かってるって。でも気を付けるに越した事は無いでしょ?」

 

『そう言う所は昔から変わらないなぁお前。嫁と言うより母親だな』

 

「うるさいわね、そう言うあんたは姑みたいよ」

 

『誰が姑だ!』

 

「止さないか二人とも……兎に角行ってくる」

 

 先生は安心させる様に笑い、外に出る。

 

「煉も、怪我しないで帰ってくるのよ」

 

「分かっています。ちゃんと帰ってきます」

 

 先生の後に続いて俺も玄関をくぐる。

 

「いってらっしゃーい!」

 

 小鳥さんの元気な声が俺達を送り出した。

 

 

 

 

 

 夜の街は賑やかだが、少し離れれば途端に冷たくなる。余程の大喰らいでなければ、人気の無い場所にホラーは潜伏している。そして人知れず人間を喰らうのだ。

 そして今日もまた、ホラーは活動を開始する。

 

『浬、ホラーの気配だ!』

 

「どこにいる?」

 

『そのまま真っ直ぐだ。早くしないと誰かが喰われるぞ!』

 

 先生と顔を見合わせ、俺達は走り出す。マルヴァがホラーの気配を感じ取れる範囲は俺達より広い。おそらく街の外れに出現したのだろう。

 一直線に走り続けると、マルヴァがまた口を開いた。

 

『不味いな、もう一匹出やがった』

 

「何?」

 

『しかも真反対の方向だ。一匹目を倒してからじゃ間に合うか分からない』

 

 同時刻にホラーが二体も出るなんて、世界に異変が起こる一大事の時以外は聞いた事が無い。エレメントは浄化し周っていると言うのに、それ程までにこの街に陰我が溜まっているのか、それとも強い想念がホラーを呼び寄せたのか。

 

「仕方ない……煉、もう一体はお前に任せる。無理はするな」

 

「はい!」

 

 正式な騎士ではない俺にホラーの討滅は難しくても、先生が来るまでの時間稼ぎならできるかもしれない。

 兎に角、急がないと。

 

 

 

 

 

 街に近づくにつれ、ホラーの気配が徐々に濃くなっていく。それは繁華街の片隅にある、噴水広場の方から漂っていた。そしてそれが聞こえてくる。

 

「歌……?」

 

 澄んだ歌声が微かに聞こえてくる。それは心に染み渡り、いつの間にか穏やかな心地になっていた。その歌声の発生源が気になって、自分が何をしていたのか忘れ探し始めた。

 そして辿り着いたそこに彼女はいた。噴水に腰掛け月明かりに照らされた彼女は、この街には相応しくない程に美しく感じた。歌う赤いドレスの彼女は一瞬こちらを見ると、それを気にする事なく歌い続ける。その歌声に魅了され、自分でも気付かない内に彼女に近づいていく。

 もう少しで手が触れる距離になった時、歌うのを止めた彼女が俺に微笑んだ。

 

「私の歌、聞いてくれる?」

 

 彼女は微笑み俺の応えを待っている。そして俺は——。

 

「ああ、まだ歌えるならな」

 

 剣を彼女の喉元にあてがった。

 

「何をするの?」

 

「それはこっちの台詞だ、ホラー」

 

「あら、気付いてるのね」

 

 くすくすと笑うホラーを斬ろうと剣を振るうが、ホラーは剣を避け俺の後ろを取った。

 

「貴方魔戒騎士?それにしては……なんだか頼りないわね」

 

「なんだと!」

 

 振り向きざまに振るった剣は受け止められ、ピンヒールの踵が俺の腹に突き刺さる。倒れた俺の顔を踏み潰そうとする足を転がって避け、足を狙って剣で薙ぎ払うがまた避けられてしまう。

 

「怖い子……落ち着いて、何も怖くないから」

 

「何を……」

 

 すうっと息を吸ったホラーが先程の様に歌い出した。その瞬間体から力が抜け、剣を取り落としてしまう。気付くと床に倒れ込んでおり、脇腹を蹴られて地面を転がった。

 

「かはっ……」

 

「大丈夫、その内痛みも感じない程幸せになるから。もっと私の歌を聞いて」

 

 そしてホラーはまた歌い出し、俺は立てなくなった。全身の感覚が鈍くなり、苦しさと幸福感が体の中で渦巻いていた。

 

「あはは、あははははは!」

 

 苦しむ俺の顎を蹴り飛ばし、哄笑したホラーは再び歌を奏でた。

 

 

 

 

 

 歌が聞こえてくる。

 

『ホラーが暴れてるよ。行かないの?』

 

 左手の中指に嵌めた魔導輪、ギルバが促してくる。

 

「分かってるって。今行こうとしてたとこなのに」

 

『そんな子どもみたいに拗ねないでよ。魔戒騎士、なんでしょ?』

 

「むっ……」

 

 優しい声して痛い所を突いてくるのは、昔から変わらない。

 

「しょうがないなぁ……行くよ、ギルバ」

 

 立ち上がり、見据えた向こうには煌々と光る街があった。

 

 

 

 

 

 何度も蹴られ続けて俺の体はぼろぼろのはずなのに、痛みは感じとれなかった。全身の感覚はほとんどなくなり、立つ事すらままならなかった。

 

「ここまでいたぶるつもり無かったんだけど……つい興が乗っちゃって。ごめんなさいね」

 

「くっ……ぅお……」

 

 立たなければ。でないとここで喰われるか殺される。魔戒騎士になれないまま死ぬなんてごめんだ。

 

「そろそろ食べてあげるわ。私の歌、聞いててね」

 

 そして口を開けたホラーの頬を、放り投げた剣がかすめていった。喉を狙った乾坤一擲の一撃は、大きく狙いが逸れた。俺が付けた傷は瞬く間に消え、ホラーは俺を睨みつける。

 

「そんなに痛い目が見たいなら、そう言う風に殺してあげる」

 

 こつこつと言うヒールの音を鳴らしながらホラーが近づいてくる。その手が変化し、鱗と長い爪を持つ腕になる。あれで引き裂くつもりだろう。そう分かっていてももう動けなかった。

 ホラーが腕を振り上げる。鋭い爪が白く光るのを馬鹿みたいに見ながら、俺は命の終わりを悟った。

 ここまでだと諦め、目を瞑った。

 

 しかし、ホラーの腕は振り下ろされなかった。

 

「グッ……」

 

 腹を押さえて後退りするホラーと俺の間に、誰かが立っている。その背中で、黒いロングコートがはためいていた。

 

 

 

「君、諦めちゃ駄目だよ」

 

 

 

 振り返ったその顔は。

 

「あんたは……」

 

 昨日出会った妙な女だった。

 

『何だ貴様は。邪魔をするのか』

 

 余裕が無くなったのか、ホラーは魔界語で話し始めた。

 

「当たり前でしょ。ホラーを狩るのがボク達の仕事なんだから」

 

 応えた女は振り返り、拳を構える。

 ホラーが唸り、跳躍して高所から蹴りを放つ。それは女の腕に受け流され、着地ざまに放ったもう一撃も受け止められる。そして女がホラーの足、胴、顔を続けざまに殴る。顔面を殴られた衝撃でホラーは吹き飛び、歯を剥き出しながら立ち上がる。

 

『私の歌を聞いた者は幸せの中で死んでいく。普通に死ぬよりもよっぽど良いだろう?それを邪魔するのか!』

 

「例え幸せだったとしても、これから先に在ったかもしれない幸せを奪う権利は誰にも無い。お前が言っているのはただの詭弁だ」

 

 冷たく言い放つ女の瞳は、黒く燃えていた。尚も襲い掛かるホラーのかぎ爪を、女は手に持った何かで受け止めた。それは俺も良く目にする何か。

 それは青の鞘に納められた剣だった。女は剣でホラーを押し返す。

 

『貴様、魔戒騎士か』

 

 ホラーの問いに女は首を傾げた。

 

「だったら、どうする?」

 

『お前も私の歌を聞いて……死ねぇ!』

 

 ホラーは大きく息を吸い、絶叫した。音の波が広がって押しつぶされそうな感覚。その中でも、女は平然と立っていた。

 やがてホラーの姿が変わっていく。全身に鱗が生え、二本の脚には鳥のかぎ爪が、腕にはヒレが備わる。背中には一対の翼が現れ、(くちばし)を持つ頭部には鶏冠(とさか)とヒレを冠していた。

 

『魔獣セイレン。歌声で人を惑わし喰らう、危ない思想を持った奴だよ』

 

「通りで歌だけは綺麗だと思った」

 

 どこからか聞いた事の無い男の声がした。しかしそれについて考えている時間は無かった。ホラーが絶叫し、先程までの歌声とは正反対のノイズが辺りに響き渡る。女は腕で身を守るが、音圧によって何メートルか後退った。

 

『声に気を付けて。何回も受けたら体がもたない』

 

「それ、もうちょっと早く言って欲しかったなぁ」

 

 そう言いながら女は鞘から剣を引き抜いた。黒みがかった刀身は、街灯の光を反射して白く光る。

 またホラーが口を開き、吼える。

 

 

 

 その瞬間、女は剣で頭上に円を描く。円から光が差し込み、そして女は鎧を身に纏った。

 黒に近い紫の鎧。所々に銀の装飾が施された全身は、艶やかでありながら凛々しく光る。魔戒剣(まかいけん)はその刀身を紫に変え、そして兜に(かたど)られた獰猛な狼の牙は、深紅に染まっていた。

 

 

 

 女は、間違いなく魔戒騎士だった。

 しかし有り得ない。こんな事は。

 女は魔戒騎士になれない、それは遥か昔からの世の理であり、常識だった。その常識では語れない事が、今目の前で起きていた。

 声の攻撃を受け止め、緑の瞳で敵を見据えた騎士が一歩踏み出す。ホラーは何度も絶叫するが、騎士は全く動じず嵐の中を突き進む。無駄だと悟ったホラーが爪で引き裂こうとするが、それは騎士の左腕に防がれた。そして右腕に持つ魔戒剣がホラーの腹を横に裂く。後退るホラーに、騎士は剣の切っ先を向ける。

 ホラーが翼を広げる。それは騎士に立ち向かうためではなくこの場から逃走するためだった。背を向けたホラーは跳躍し、翼を懸命に羽ばたかせる。

 それを見た騎士は剣を持つ腕を引き、腰を落とす。そして驚異的な脚力で跳躍し、瞬く間にホラーに肉薄する。騎士が跳ぶ様は、正に空を翔ける鳥の様だった。

 一撃目。振り払った剣が翼を両方切り落とす。そして。

 

「はあっ!」

 

 空中で回転し、その勢いを乗せた二撃目がホラーを真っ二つにした。ホラーの身体は弾け飛び、存在していた痕跡を何一つ残さず消滅した。

 

 着地した騎士が居住まいを正すと鎧が分離し、魔界へと還った。その中から現れたのは間違いなくさっきの女。決して夢ではない。

 

「煉!無事か!」

 

 近づいてくる足音。先生が駆け寄ってきて俺を支える。

 

「何とか……その人に助けられて」

 

 先生が女を見、そして険しい表情になる。その女が持っている剣の意味を理解したのだろう。

 

「お前は、一体……」

 

 疑問を投げかける先生に対し、女は正面を向き深く一礼した。

 

「牙猛浬、裂空騎士(れっくうきし)たる貴方に会えるとは、身に余る光栄です」

 

 顔を上げた女は、笑みを浮かべながら言葉を綴った。

 

 

 

「ボクは阿華莉(あかり)。魔戒騎士、ベガの鎧を纏う者です」

 




 
 誰にだって触れられたくない過去はある。
 それが後ろめたい事なら尚更ね。

 次回『罪人』!

 君の秘密が暴かれる。
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