牙狼外伝—VEGA—受け継がれし願い   作:赫牛

3 / 3
裂空

 その男は、彼にとって幼い頃からの目標であり、憧れだった。

 数々の大会で頂点に立ち、誰よりも高く、華麗に宙を舞ってみせる。そんな男の様になりたいと、一目見た時から彼は思い続けていた。走り高跳びと言う競技の世界に身を投じたのは自然な事で、少しでも彼の様になりたいと努力を続けてきた。

 しかし現実とは無情なもので。

 

「なあ、何でこんな事したんだ」

 

 トレーナーからの問いかけに、彼は応えられなかった。

 それなりに名の通った彼は、しかしそれ以上の名誉に輝く事は無かった。才能と言う壁はどうしようも無いほどに高く、憧れに届くのに自分の力では無理だと彼は悟ってしまった。その絶望は、頼ってはいけないものに頼ってしまうには充分な動機だった。

 

「薬なんか使わなくても、お前ならもっと……」

 

「それが無理だからこんな事しちゃったんだよ」

 

「諦める事ないだろ。まだ頑張れる、メニューだって見直す、だから……」

 

「それ何回目だよ!もう無理なんだ。いい加減現実見ろよ!」

 

 トレーナーが今まで彼にかけてきた言葉も、もはや彼にとっては意味の無いものになってしまっていた。何度も同じ様な台詞をかけられたけど、状況が良くなった事など無いのだから。

 

「あんただって、こんな才能無い奴の世話何年もして無駄だったって思ってるだろ?」

 

「……なんだと!」

 

 男の言葉に反応したトレーナーは男に掴みかかった。

 

「俺がそう思ってるって言いたいのか?ああ!?いつまで腐ってるんだ!」

 

「離せ!」

 

 もみ合いになり、もう終わりにしたかった彼はトレーナーを突き飛ばした。その時、つい力が入ってしまった。壁に後頭部をぶつけたトレーナーは、壁にもたれかかったままずるずるとその場に倒れた。ぽたぽたと血が滴り、血溜まりが徐々に大きくなっていく。

 彼は自分がしてしまった事の大きさに一瞬思考が追い付かなかった。血溜まりに映る自分の顔を見て、ようやく喉から音が出た。踵を返して、その場から立ち去ろうとした。

 その足が、何かに掴まれた。

 つんのめった彼が振り返って見たのは、血溜まりから生えた血濡れの腕だった。それは掴んだ彼の足を取っ掛かりにして、血溜まりの中から這い出てくる。

 そして姿を現した『悪魔』が、彼に覆いかぶさった。彼の悲鳴は建物の中に響いたが、それに気付く者はいなかった。

 

 否、一人だけ。その声で気を失っていたトレーナーが目を覚ました。トレーナーに背を向けて彼は立っていた。

 

「鵜飼……?」

 

 トレーナーの声に反応して彼は振り返った。その目に、白濁した悪魔の目が重なった。

 今宵二つ目の悲鳴も、誰の耳にも届く事は無かった。

 

 

 

 

 

 白くたなびく煙がボクの体に纏わりつく。良い匂いがして、目を瞑ると優しく包まれる様な感覚が強くなる。徐々に体が軽くなって、頭がすっきりしてきた。

 

「終わったぞ、阿華莉」

 

 目を開けると煙は消え、白髪の年老いた男がボクの隣に立っている。体を起こしぐっと背伸びすると、心地良い痛みが全身にじんわりと広がった。

 

「今日もありがとう崔臥(さいが)法師」

 

 ボクの礼に対し、崔臥法師は目を細めた。

 

「また随分と無茶をしているようだな。隠していても丸わかりだ」

 

「流石は閑岱で一二を争う法師様だ」

 

 崔臥法師は腕の立つ魔戒法師で、各地から教えを請う魔戒法師が来るのも珍しくはない。だからこそ、安心してこの仕事も任せられる。

 

「茶化すでない。丈夫とは言え体を酷使するなと言った、もっと頻繁に来いとも言った。だと言うのにお前は……」

 

「もー分かったって。いつも心配ありがとう」

 

 こんな風に心配性で昔からうるさいのが玉に瑕だが、勿論腕だけでなく人としても良い所がいっぱいある。なるべく心配はかけたくないけど、それじゃあ魔戒騎士はやってられない。

 

「また必要になったら来い。できるだけ早くな」

 

 言葉を遮られて不服そうな顔をしながらも、崔臥法師は送り出してくれた。

 

「ギルバも、阿華莉をしっかりと見張っておくんだ」

 

『分かってるよ。でもね法師、阿華莉が僕の言う事素直に聞くと思うかい?』

 

「ちょっと、それじゃあボクが頑固みたいじゃない」

 

「頑固だろう、お前は。全く人の話も聞かないで……」

 

 やばい、また始まった。

 

「あー、分かった分かった。それじゃあ行ってくる。またね!」

 

 まだ何か言いたげな崔臥法師を後目に玄関をくぐり、町へと繰り出した。他の街に比べ圧倒的に豊かな自然の中を暫く歩くと建物が寄り集まった場所、おしゃれに言うなら『住宅街』に着く。目に付くのは子ども達だ。まだ幼く無邪気に駆け回る子どももいれば、親に教わりながら剣術や法術の鍛錬に励む子もいる。何かと少子化が騒がれる今日だが、嬉しい事に閑岱の人口は昔よりは増えている。

 

「あ、阿華莉だ!」

 

 誰かがボクを見つけ、その声で子ども達が一斉にボクに群がってきた。

 

「阿華莉、またホラーをやっつけたの?」

 

「そうだよ、剣で斬ったんだ」

 

「すごーい!」

「どんな感じだったか聞かせて!」

 

「そうだねー……」

 

 こんな風にボクの仕事の話を聞きたがる子は多い。その度に直近であったホラーとの戦いを絵本の様に読み聞かせるのも、ここに来た時のルーティンになっていた。

 

「阿華莉ねえちゃん」

 

 話に一区切りがついた所で、女の子が私に問いかけた。

 

「なに?」

 

「私も阿華莉ねえちゃんみたいな、立派な魔戒騎士になれるかな?」

 

「え……」

 

 思わず言葉に詰まる。魔戒騎士になれるのは男だけ。それはこの子も分かっているはずだ。けれどもそんな事を言ってしまうのは、間違いなくボクと言う例外がいるからだ。ボクが魔戒騎士をやっている事を良く思っていない人もいるけど、これは確かに良くない影響を与えているかもしれない。

 

「うん、きっとなれるよ」

 

 

 

 

 

 魔戒騎士の仕事の主なものは夜間に行われる事が多い。勿論昼間だって仕事が無い訳じゃない。エレメントの浄化だったり番犬所からの指令をこなしたりする事だってある。

 だけどもそう言う仕事が一切ないと判断した場合は、各々が余暇を好きに楽しんでいる。絵を描いたり、家族とどこかへ出掛けたり、何もせずだらだらとしたりと言う様な具合に。俺の場合は専ら鍛錬に時間を割いている事が多いが、『普通の社会の事も知っておくべし』と言う先生の方針の元、小鳥さんの買い物に付き合ったり3人でレジャー施設に遊びに行く事もある。

 故にそう、俺の欲求は正常なものなのだ。

 そろそろ、休みが欲しい——。

 

 

 

 

 

「どこにいるんだよ……」

 

 当ての無い人探しを始めて早一週間とちょっと。流石に体力的にも精神的にも限界が近づいて来ていた。

 謎の女騎士阿華莉。彼女の素性を探るべく、俺と先生が最初に訪ねたのは閑岱の地だった。あそこは魔戒騎士や法師の集まる場所であり、自然とネットワークの中心となった場所だ。何か少しでも情報が無いか聞き込みに行き、そして落胆した。

 閑岱の人々は阿華莉について何も知らなかった。『女の魔戒騎士』と言う噂を聞いた事がある、と言う人はいたが、それを実際に見た人はおらず、信じてもいないとの事だった。最初に最大の希望を打ち砕かれ、俺達に残された方法は各地に散らばった関係者達に話を聞きつつ、地道に探す事だった。

 彼女がどこを根城にしているかは分からない。この街のどこかかもしれないし、はたまた遠く離れた土地からわざわざここまで来ていたのかもしれない。『いつかは会える。そんな予感がする』と言う、先生のありがたい一言を心の支えにして今日まで頑張ってきたが、ここまで進展が無いと挫けそうになる。

 

「すみません、この辺りで黒い髪で、黒いロングコートを羽織った女性を見ませんでしたか?」

 

「ええと……見てないわね」

 

「そうですか……ありがとうございます」

 

 道行く人に尋ねてみるも収穫は無い。そも黒のロングコート、もとい魔法衣はかけられた法術によって、すれ違った程度なら違和感を持たれない様にカモフラージュされるし、黒髪の女性なんてごろごろいるのだから、印象に残らない方が自然だ。

 それでも、何事もやってみないと分からない。と言うかそれくらいしか残ってない。

 今いるのは街の北にある住宅街。この時間帯は人通りも少なく、聞き込みできる場所と言えば店くらいだろうか。そう、丁度目の前にある洋菓子屋の様な。

 決して広くはない、しかし小洒落た店に入ると、奥で作業をしていた壮年の男性が顔を上げた。

 

「いらっしゃい!注文は決まってますかな?」

 

「あ、いえ、その、買い物に来たのではなくて、ちょっとお尋ねしたい事がありまして」

 

「ほう、何です?」

 

「この辺りで黒髪の、黒いロングコートを着た女性を見ませんでしたか?」

 

 その質問に対して、男性はふむ、と口元に手を当てた。

 

「まあ知ってるけど、どうして探してるんだい?」

 

「ええと、それは……」

 

 流石に騎士だのなんだの言っても通じないだろう。はて、どう説明したものか。

 言葉に詰まっていると、男性の視線が俺の背後に移った。

 

「ああ、阿華莉ちゃん、いらっしゃい!」

 

「こんにちは、おじさま……あ」

 

 聞き覚えのある、と言うよりずっと探し求めていた声。振り返るとそこには黒髪の、黒のロングコートを着た女性が立っていて、俺を見て固まっていた。

 

「あー!」

 

 

 

 

 

「そうか、阿華莉ちゃんの知り合いだったのか、はい、どうぞ」

 

「あー、まあ、はい、ありがとうございます……」

 

 テーブルに置かれるケーキと紅茶。そして気まずそうな彼女。ずっと探してやっと会えたのに、何故だか俺も気まずい。

 

「いただきます」

 

 誤魔化す様にフォークを手に取り、ケーキを一口。

 

「美味しい……」

 

「ありがとう。じゃあ邪魔なおじさんは引っ込むから、どうぞごゆっくり」

 

 なんだかあらぬ誤解を受けている様な気もしなくはないが、兎も角話をしないと。しかしどう切り出したものか。

 考えていると、先に彼女が口を開いた。

 

「美味しいでしょ?ここのケーキ」

 

「え、ああ、そうだな」

 

「ボクも気に入ってね。この街に来てからずっと通ってる」

 

 阿華莉もケーキを食べ、紅茶を飲む。その表情が幾らか柔らかくなった。

 

「ここのお菓子を食べると自然と笑顔になってね……他の人達もそうだと思う。この店を、ボクは守りたい」

 

 そしてこちらを見た阿華莉の目には確かな決意が宿っていた。

 

「だからボクはこの街でホラーを倒す。君達の詮索に構ってる暇は無いんだ」

 

 その言葉に対し、俺が覚えたのは苛立ちだった。

 

「こっちは指令でやってるんだ。それを遊びみたいに言うのはいただけない。第一今もケーキ食べてるのに、暇が無いはないだろ」

 

「魔戒騎士だってリフレッシュの時間は必要です。自分に甘くないと、今みたいに余裕無くてかっこ悪くなっちゃうよ?」

 

「な……」

 

 やっぱりこの女の、人を食ったような態度は好きになれない。その上で澄ました顔をしているのが余計に腹が立つ。

 などと考えている間に阿華莉はケーキを平らげ、席を立つ。

 

「おい、まだ話は終わってないぞ」

 

「話す事なんて無いよ。ま、ボクにはって事だけど。せいぜい聞き込みなりなんなり頑張ってね」

 

 それじゃあ、と手を振って阿華莉は去って行く。その背中が遠ざかるのを馬鹿みたいに眺める事しか俺にはできなかった。きっと俺が何を言っても何も話さないだろうと思う様な、明らかな拒絶だった。

 

「お茶、おかわりいるかい?」

 

 いつの間にか隣に立っていた店主がポットを掲げる。

 

「いただきます……」

 

 

 

 

 

 彼が深呼吸して、見据えるは二つの支柱に掲げられた高さの指標。越えなければいけない壁。その場で軽く跳んで足に熱を溜め、何度目かで力のベクトルを前に飛ばす。歩幅は徐々に大きく、弾む様に地面を蹴り、そして跳躍すると同時に体を捻る。心地良い浮遊感の後、体はクッションに受け止められ深く沈む。見上げたバーは全く揺れていなかった。

 

「この高さを跳ぶなんて……本当に今までやった事なかったのか?」

 

「はい、初めてです」

 

 新しく彼に付いたコーチは感嘆の声を漏らし記録を取る。それは今までのものと比べて明らかに突出したものだった。近くで見ていた者が違和感を覚えるくらいには。

 

 

 

 

 

「おい、お前なんかやってるだろ」

 

 練習を終え更衣室に戻った彼にかけられたのはそんな一言だった。声をかけた男の視線から、彼に対する深い疑いが感じ取れる。

 

「何もやってませんよ。何を証拠にそんな事を」

 

「いやおかしいだろ、急に10センチも高くするとか。有り得ない」

 

「別にどうだって良いでしょ?あんたに何の関係があるんですか?」

 

 当然ながら彼は苛立った。さも自分が正義かの様に振る舞い、彼を糾弾しようとする男の態度が気にくわなかった。ただ自分には力があるだけなのに、そしてそれを行使しただけなのに。

 

「もしドーピングだとしたら、流石に見過ごす訳には……」

 

「はぁ……うるさいな」

 

 だから、消す事にした。

 男は腹部に強烈な痛みを覚えた。見下ろすと、自分の腹に鱗が生えた何かが突き刺さっているのに気付いた。それは背中まで貫通する事はせず、男の中に何かを流し込んだ。それは男を内側から溶かし泡立たせる。苦悶の表情を浮かべたまま、男は血の様に赤い液体に変わった。

 さっきまで無表情だった彼は男が死んだのを確認すると、極上の食事を目の前にしたかの如く舌なめずりをする。地面に伏し、さっきまで男だったものをすすり舐めとる。獣のものとも違う異様な『食事』だった。

 暫く経った頃、悲鳴が聞こえ彼は食事を中断した。更衣室の入り口で別の男が腰を抜かしていた。確か殺した男のトレーナーだったか。まあ誰であれ、見られたからには生かす訳にはいかないと、彼は立ち上がった。

 そして声も出せず口をぱくぱくさせる男に彼は尻尾を伸ばし……それは黒みを帯びた剣によって阻まれた。

 彼と男の間に立ち塞がったのは全身が黒の、女の魔戒騎士。

 

「逃げて」

 

 彼女の一言で我に帰った男は悲鳴を上げながらおぼつかない足取りで駆けだしていった。それを意に介する事も無く、彼と魔戒騎士は睨み合った。

 

「あんたも邪魔をするのか」

 

「そう、きっちり魔界に送り返してあげる」

 

 油断無く剣を構えた魔戒騎士を彼は尻尾の一撃で薙ぎ払おうとする。それは剣に受け止められ力比べになり、一瞬拮抗するがすぐに彼の尻尾が魔戒騎士を弾き飛ばした。追い打ちに尻尾を槍の様に突き出すが、魔戒騎士はそれを寸での所で躱し、更に斬りつけた。

 廊下に出た後も攻防は続く。繰り出される尻尾の攻撃を魔戒騎士が防ぎ、的確に反撃する。時折魔戒騎士も傷つくが、それでも騎士の優勢は変わらなかった。

 

「ちっ……」

 

 舌打ちし、彼は窓を突き破ってトラックに躍り出る。魔戒騎士もそれを追う。照明に照らされたコースを、二つの影が疾走する。彼は尻尾で魔戒騎士を妨害するが、騎士は攻撃を躱し、いなし、同じ距離でぴったりとついてくる。

 彼は地面を蹴り、昼間とは比べ物にならない程高く跳躍する。トラックから観客席へ、観客席からスタジアムの外へと逃げる。そしてそれを当然の様に、魔戒騎士は同じルートを辿って追いかける。

 兎に角魔戒騎士から逃げる、そう後ろに気を取られていた彼は気付くのが遅れた。

 彼の前に、二人の男が立ちはだかっていた事に。

 

 

 

 

 

 彼らの姿を認めたボクは立ち止まり、剣を鞘に納める。

 

『おや、追いかけなくて良いのかい?』

 

「良いんじゃない?彼は称号持ちだし、ボクも休んだばっかだし」

 

『それもそうだね』

 

 ギルバの同意を得、そして彼を信頼してボクはその場を後にした。

 

 

 

 

 

 先生が魔導火を着火すると、息絶え絶えの男の目に魔導文字が浮かび上がる。一応の確認ではあったが、この男がホラーで間違いない様だ。

 俺が前に出ようとすると、先生がそれを手で制した。

 

『煉の出る幕じゃない。こいつ結構危険だから』

 

 悔しいが、マルヴァの忠告は聞いた方が良いのは身に染みて分かっている。ここは素直に下がって先生の戦いを見ておく事にした。

 先生が抜刀し、構えるのとほぼ同時にホラーはその姿を変える。鋭く尖った尻尾はそのままに、腕は大きな翼に変わる。全身を堅い鱗が覆い、ねじれた角を持つ竜の如き顔は怒りに震えている。

 ホラーは翼をはためかせ、上空から鋭い爪で先生に襲い掛かる。受け止めた剣と爪の間で火花が散り、殺風景な夜を鮮やかに照らす。

 距離を取った先生が剣を頭上に掲げる。鎧を召喚しようとする動きだ。しかしそれを阻む様に、ホラーは低空飛行で先生に突撃する。

 先生は体を捻ってホラーの体当たりを躱し、同時に剣を放り投げる。天高く舞う剣は空中で円を描き、別次元へと繋がるゲートが開いた。体勢を立て直した先生は高く跳躍し、剣に手を伸ばす。剣を掴みながらゲートをくぐる先生の体に、召喚された鎧が装着されていく。空に軌跡を描き、そして騎士は地に足をつけた。

 

 

 

 風の様にたなびく意匠が施された空色の鎧。片刃の剣も同じく空色に染まり、古代西洋の兵士の物に似た兜を被る奥には黄色の瞳が光る。

 これこそが、牙猛浬が纏い、そして背負う鎧と称号。

 裂空騎士、馮牙(ひょうが)。その姿である。

 

 

 

 馮牙がホラーを見据え、羽ばたくホラーを迎え撃つ体勢に入る。それを見たホラーは接近戦を選ばず、顎から火球を馮牙に向けて放つ。生身なら簡単に燃やし尽くすであろう火球は、しかし剣の一振りで両断され消滅する。それでも続けざまに放たれる火球によって、馮牙は近づけずにいた。その間にもホラーはぐんぐんと高度を上げていく。

 普通の魔戒騎士ならこのまま距離を取られ、ホラーの逃亡を許してしまうだろう。普通の魔戒騎士であれば。

 火球の雨が止み、ホラーが逃げようと背を向けた瞬間、馮牙は動いた。一歩踏み出し、地面から少し高い位置の何もない空を踏みしめる。一歩、また一歩と、透明な階段を駆け上がるが如くホラーへの距離を縮めていく。気付いたホラーが牽制しようと火球を吐くが、それを右に左に、まるでそこに地面があるかの様に自在に動き回り、馮牙はホラーの攻撃を躱していく。

 これが馮牙の鎧が持つ能力。何も無い空を飛ぶのではなく、地上と同じ様に立ち、跳び、駆け回る事ができる。

 肉薄した馮牙が振るった剣がついにホラーを捉え、切断された角が消滅する。突き出された尻尾の先端を掴み、それと繋がったホラー自体を自分の得物の様に振り回し地面に叩きつけた。

 砕けたアスファルトの中に埋もれるホラーは少しでも逃げようと地面を這う。しかし無情にも、その背中を馮牙が踏みつけ身体を固定した。

 

『や、やめろおおおおっ!』

 

 ホラーの絶叫が響く中、馮牙は逆手に持った剣を掲げ、そのままホラーの背中に突き刺した。とどめの一突きでホラーは爆散し、この世界から消滅した。

 

 鎧が返還され、先生は剣を鞘に納める。

 

「帰ろうか」

 

 俺に一声かけてその場を去る先生の背中は、とても大きく見えた。

 

 

 

 

 

「いらっしゃいませ……ああ、この前の!」

 

 店主は店に入ってきた俺を見て笑顔を浮かべた。

 今日もこの店にやって来たのは阿華莉と話すためだったのだが……。

 

「今日、阿華莉は……」

 

「あー、ちょっと前に来てケーキとか買っていっちゃった。役に立てなくてごめんねえ」

 

「いえ、そんな」

 

 今日は空振りに終わった様だ。しかしここに毎日通っていると言うのは事実のようだし、最悪待ち伏せすると言う手も無くはない。

 とは言えそれだけのために店に来るのも、それはそれで悪い気がする。

 

「あの、ショートケーキを三つと……」

 

 

 箱が入った袋をぶら下げながら街を歩くと、家電量販店のショーウィンドウに展示されたテレビが目に入った。ニュース番組が映し出されていて、走り高跳びの選手がまたも好成績を収めたと報じられている。

 

『ぼくもあんな選手になりたいです』

 

 小さな男の子の一言で締めくくられ、次のニュースが報じられる。

 

「俺も……」

 

 俺も、先生みたいな魔戒騎士になりたい。

 それは変わらない、確かな目標だ。しかしそこに到達するまで、一体どれ程かかるやら。

 それでも、そうなるために、一歩ずつ前に進むしかない。

 

「さてと」

 

 取り敢えずは早く家に帰らないと。ケーキが美味しいうちに、三人で食べられるように。

 




 二度とは醒めぬ終わらない夢。
 それは迷宮の様に人々を惑わす。

 次回『番人』!

 君は、自分自身を信じられるか?
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※評価値0,10は一言の入力が必須です。参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。