「ふう」
伊集院レイはどさりとベッドに倒れこんだ。ネクタイをゆるめ、シャツのボタンを外しながらもう一度ため息をつく。
高校に入ってからの初めてのパーティーである。本人にその自覚はなかったが、少々気を使いすぎたらしい。
もっとも、誕生パーティーとはいえ出席した生徒のほとんどは、その主役など構わずに久々に会う友人や料理に夢中だった。もちろんレイを目当てとした女生徒も多くはいたが。
レイは女性にはあくまで優しく、けれど線を引いて接していた。そして男子生徒には近づく隙さえ与えず切り捨てる。・・・だが、そんな「彼らしい」態度にも平気で立ち向かう男がいた。
『い、伊集院。お前、物音も立てずに人の背後に立つなよな』
(ひとを化け物か幽霊みたいに・・・)
彼の嫌そうな顔を思い出して、レイはくすりと笑う。
レイへの反応といえば、その背後にある伊集院家を恐れて胡麻をする、もしくは完全な無視であった。しかしその同級生は、嫌悪の顔を隠しもせずに言い返してくるのだ。当然それもレイにとって嬉しい態度ではないが。
いつの間にか、彼の顔が頭の中につきまとう。
「妙な・・・男だ」
そう口に出してみても、苛立ちは募るばかりだった。
ベッドに倒したままの体の向きを変えると、ベッドサイドに包みが見えた。開けずとも中は分かっていたので、そこにそのまま置いていたのだ。レイは体を起こしてそれを開ける。
真っ白なワンピース。
少しばかり少女趣味なデザインのそれに、自分がいくつになったか知ってるだろうかと苦笑する。もっとも別居している母親と会ったのは、もう数年前の事だった。
薔薇の刺繍が彼女のデザインであることを語っている。家の中でも外でも着られない服である。
「着て・・・みようかな」
レイはハッとなって口を押さえる。自分でも信じられない言葉だった。
いつもなら袖も通さずにしまわれる、祖父の目の届かぬ所へ。この誕生日プレゼントも当然そうなるはずなのに、なにがそう思わせたのか・・・その答えはレイ自身も知っているような気はしたけれど。
* * *
ガンッ、
リングに弾かれた音が薄明かりの公園に響く。
バスケットボールはそのままコートの外へと転がっていった。
「あーヤメだヤメ!!」
小波満は3on3用のコートに寝ころんだ。
目を閉じると、水辺の方から吹いてくる風が汗にぬれた肌を撫でる。どんなに寝苦しい夜でもここは天国だ。それを目当てにして小波は時々ここに来ていた。
ため息をついて目を開けると、半分に欠けた月が浮かんでいる。何度こうして空を見上げただろう。
「やめる・・・か」
もう一度ため息をついて体を起こす。
「帰ろ」
小波はボールを探してコートを出る。
散歩道にあったボールは結構な距離を転がっていた。身を屈めて拾おうとすると、水辺の方から物音が聞こえた。
・・・砂利を踏みしめる足音。
(やばっ!)
小波はとっさに身を低くする。
この中央公園は夜は閉鎖されるため、この時間は誰もいないはずである。もちろん小波もいるはずのない人間であった。
(でも、見回りなんて来た事あったっけ)
小波は自分を棚に上げて怪しんだ。
通り過ぎるどころか、何度も行ったり来たりしている足音の方へ、そーっと近づく。
暗い空間に、ふわりと白いものが見えた。
(ーーーー幽霊!?)
小波は茂みに身を隠す。
ドキドキと弾む胸を手で押さえながら、今見たものを頭の中で確認する。
(落ち着け、まだそうと決まったわけじゃない。何かの見間違いってことも・・・て、足音してるじゃん!)
なんだかんだ言って小波は混乱していた。
足音はまだ聞こえている。
(足音・・・? 待て、幽霊って足ないはずだよな)
小波はゆっくりと茂みから顔を出し、それを確かめる。
白いスカートが、長い長い髪が舞っていた。
彼女がまわるとスカートがひるがえる。
彼女が跳ぶと髪がふわりと舞う。
小さな女の子がスカートのすそが広がるのを喜ぶかのように、とても楽しげに。
幽霊・・・いや、まるで妖精が踊っているかのような幻想的な風景だった。
小波は思わず身を乗り出す、茂みの存在など忘れて。
ガサッ
「!?」
彼女は背を向けて走り出した。
「ま、待って!!」
小波は急いで追いかける。そうしないと消えてしまいそうな気がして。
すぐに追いついて腕をつかんだ。その手に確かな感触・・・幻じゃない。
(え?・・・ええっ!?)
彼女ーー伊集院レイは混乱していた。
誰もいないはずの公園に人が、それもよく知っている人物が目の前にいる。
「あっ、ご、ごめん!!」
彼女が赤い顔をしてまじまじと見つめていたので、小波は慌てて手を離した。
「べ、別に怪しい者じゃなくて俺・・・いやこんな時間にいたら怪しいか、そのあんまり楽しそうにしてたものでつい、バスケやってたんだけど向こうにコートあって誰もいないから練習にいいかなって忍び込んで、いや忍び込むってもただ練習してるだけでその・・・えーと・・・」
説明だか言い訳だかわからない事を必死に言っているのがおかしくて彼女は微笑む。小波もつられて笑った。
「は、はははは・・・・。えーと、驚かせちゃってごめん」
彼女が首を振ると、小波もやっと落ち着つく。
「俺、向こうでバスケの練習してたんだ。そしたら足音が聞こえたから・・・。君はどうして?」
彼女はうつむく。
「あ、いや別に言わなくてもいいよ。そうだ、まだ名前も言ってなかったっけ。俺は小波満」
しかし彼女の返事はない。
理由も名前も言えるはずがなかった。ここにいる彼女と世間の知る「伊集院レイ」は同一人物であってはいけないのだ。
(何かまずいことでも聞いたか?)
うつむく彼女の前で小波は焦っていた。
(ただ名前言っただけだよなぁ。何か引っかかるとこある
か? 実はすごい変な名前とか、名前がないとか、発音できない名前とか・・・いやいやいや)
思考がずれていく中、小波はある事に気づく。
(発音できない・・・?)
まだ彼女の声を一度も聞いてなかった。
「もしかして口がきけない・・・とか?」
彼女は驚いて顔を上げる。ほんの少し間を置いて、小さくうなずいた。
(幽霊かと思ったけど、それ以上に不思議な娘だ)
小波には目の前の少女が、いまだに幻のように見える。
月光に照らされて銀のように光る長い髪、生気を感じさせない程の白い肌、月と同じ色の瞳・・・。
彼女の頬が赤く染まる。
小波はいつのまにか彼女の目をじっと見つめていた。
「あっ・・・」
小波はなにか言おうとするが、言葉が出てこない。
彼女は気まずそうに背を向ける。
「あのっ俺、明日もここにいるから!」
彼女は振り向きもせずに闇の中に消えていった。
* * *
「見られた」
同じクラスの小波だった。
「見られた・・・」
跳んだり踊ったりしているところを。
「イヤ~~恥ずかしい~~~」
レイは枕を抱えてベッドの上で暴れる。バタバタともがいたところで恥ずかしさは消えない。
「で、でも、私とは気づいてないようだったし」
格好が違うからか、夜陰に紛れていたからか、彼女が伊集院レイだとは分からなかったようだ。もっとも、彼が知っている伊集院は「男」なのだから、あの状況では気づかないのも当然だろうが。
『俺、明日もここにいるから!』
その言葉を思いだし、枕を抱いたまま天井を見つめる。
(・・・どういうつもりだろう)
自分が行く理由はない、そう思った。
* * *
『俺、明日もここにいるから!』
「・・・なんで、あんなこと言ったんだろう」
ボーッと天井を見つめてボールを放る。
(もう、あそこへは行かないつもりだったのに)
落ちてきたボールをつかんでまた投げる。くるくると赤青白のカラーリングが回る。受け止めて間近に見るとけっこう薄汚れている。
「・・・・・」
もう一度天井へと投げる。
ガンッ、
ボールは天井に当たって跳ね返る。
「あっ」
それは机にぶつかって大きな音を立てた。
「みつるーっっ! 部屋でボール投げるのやめなさいって言ったでしょ」
「は、はいはい!」
急いでボールを拾い、左手でボリボリと頭をかいた。
「あら、出かけるの?」
階段を降りる音を聞いて母親が顔を出す。息子の腕に抱えられたものに目を止めて眉をひそめた。
「練習もいいけど、もう遅いんだし適度にしなさい」
「悪さすんなよー」
「ハイハイ」
居間から聞こえるヨッバライの声に、適当に返事して小波は家を出た。
木々に囲まれた所に自転車を置く。柵に沿った茂みをかき分けるとそこだけ柵が壊れている。ボールを転がして自分も公園の中に忍び込んだ。
ブランコやちょっとしたアスレチックなどがある広場を抜けると、3on3などに使われるストリートバスケ用のハーフコートがあった。
公園は静まりかえっていた。八時には閉鎖されてしまうし、昨日彼女と会ったよりもずいぶん早い時間だから当然といえば当然だが。
「結局、来ちゃったな・・・」
ボールを軽くドリブルしてシュートする。それはあっさりと外れた。
跳ねるボールを小波は無言で見つめる。
「やっぱり辞めるか・・・バスケ部」
そう呟くと、小波はただ立ちすくむ。
ずっと考えていた事だった。自分が上手い方じゃない事ぐらい判っていた。それが高校に入ってからは、周りのレベルが高いことに焦って追いつこうとする余り、いつしかバスケをする事までも苦痛に思うようになっていた。
小波はボールを拾いあげ、フリースローラインに立つ。
「よし、これ三本入ったら辞める!」
何かきっかけでもないと、踏ん切りがつきそうになかった。
一本目のシュートは危ないながらも入った。二本目、2、3度ボールをついてから投げる。ガンッとリングに弾かれた。
「・・・もう一回」
次は一本、二本と続けざまに入った。
(これが入ったら終わりか・・・)
ボールを構えて小波は息を整える。リングを見つめてそれを放った。
バックボードに当たってあらぬ方向へと飛んだ。
「くそ、もう一回だもう一回!!」
* * *
「くそっ」
大きく外れたボールを追ってコートを出る。ボールの転がる散歩道・・・その先に、水辺。
小波が腕時計を見ると、彼女と会った時間はとっくに過ぎていた。
「夢・・・じゃなくても、来ないよなぁ」
別に約束したわけでもない、ここに居ると一方的に言っただけだ。
小波は頭を振る。何か期待していたような自分に気づき、ひどく馬鹿らしく思えた。
ボールを拾ってコートに戻り、練習・・・いや、辞めるためのきっかけを再開させた。
* * *
もう何本目かもわからないシュートが外れた。
「だーーっっ」
小波はコートに転がる。
「なんであんなの入んないんだよーー」
頭を抱えてゴロゴロと転がっていると、クスッと笑い声が聞こえた。
「えっ・・・」
急いで体を起こすと、すぐ横のベンチに昨日の幻が座っていた。集中するあまり、彼女が来たことにも気づかなかったのだ。
「い、今の・・・見てた?」
彼女はちょっと困ったように微笑む。小波の体温は一気に上昇した。
(うひーカッコわる~~)
焦っている小波を見て、くすくすと彼女は笑う。
街灯の下、うっすらと金に光る髪に白い肌・・・そこには血の通った現実味を帯びている。
逆にそれが小波の動悸を速めた。
「い、今フリースローやってたんだ。俺ヘタで・・・その・・・ゴメン、練習続けていいかな」
小波は恥ずかしさをごまかしたいのもあり、小走りにコートへと戻った。
彼女はそれをただ見つめる。
(・・・時間が空いたから来ただけだ)
レイはそう自分に言い聞かせた。
ここに来る理由などなかったはずだ。ましてや正体を見破られるかもしれない危険までおかして。
しかし小波は、こちらの事など忘れて練習に没頭している。彼女はほっと息をついてベンチにもたれる。
(ボールをあの輪の中に入れて、なにが面白いんだろう)
本人が言ったように、そう上手ではないことは彼女の目にも明らかだった。投げては拾い、投げてはボールを追う姿はなんだか不思議に見えた。
ボールが彼女の足元に転がってきた。拾い上げると、小波が目の前にいたので手渡す。彼は申し訳なさそうに頭をかきながら言った。
「その、俺・・・夢中になっちゃって。・・・退屈じゃない?」
彼女は首を振った。
確かに単純な動作ではあったが、何故だか見ていて飽きなかった。
よかったぁ、と笑う小波に彼女は顔をそらす。
(・・・いつも、女の子にはこんな笑顔を見せるのかしら)
訳もなく苛立った。
そのそらした視界に柱が入る。上には時計が付いてあった。小波も同じように時計を見上げると日付けはとっくに変わり、2時にもなろうとしている。
(いけない、もう帰らないと)
腰を上げた彼女に、小波は不安そうな顔を見せた。
「明日も来る?」
彼女は目をそらす。
(これ以上来てはいけない)
そう思いながらも首を横に振ることはできず、二人の間に沈黙が流れた。
「そうだ」
ふいに声を上げた小波に、彼女は視線を戻した。
「俺、ここに居るから。・・・この時間はここに居るから。よかったら、いつでも来てよ」
何故か彼女はうなずいてしまった。
にこっと笑う小波の顔がまともに見れず、背中を向けて駆け出す。
いつまでも、彼女の胸の中にその笑顔が焼き付いていた。