岩城医院から大柄の男が出てくる。
真夜中の街灯の少ない場所で、黒ずくめの男はすぐに闇にまぎれた。
角を曲がり、やはり黒い車のドアを開く。
「レイ様、ひどいケガではないようです」
「・・・・・・・・」
ひざに置いた手は強くにぎりしめて血の気がない。
「レイ様・・・・」
宙を見つめ、わずかにふるえている。
「皆・・・・居なくなってしまう・・・・・」
男は肩をつかんでゆする。
「レイ様! レイ様!!」
「・・・・外井」
そこにいるのが気づかなかったかのように、男の名を呼んだ。
彼女の瞳には、少しだけ本来の色が戻る。
「レイ様、あの方は無事です。意識はまだ戻っていませんが、心配ないとの事です」
「・・・・そう」
「この医院は信頼の置けるところです。他言される心配はありません。あの方にも、伊集院家にも」
「ええ、ありがとう」
そう言って笑ってみせた。
表情はいつも通りに戻ったように見えた。表面的には。
「少し遅くなってしまったわね。車を出してちょうだい」
「・・・・よろしいのですか?」
「もう用は済んだのでしょう」
彼のことなど興味がないかのように言った。
「了解しました」
運転席に乗り込むと、静かに車を出した。
「・・・・レイ様」
レイの自室まで送ると外井は、ためらいがちに声をかける。
「何?」
レイは従者を見上げる。二人とも表情は硬い。
「・・・・いえ、おやすみなさいませ」
そう言って深々と頭を下げると、レイも「おやすみなさい」とあいさつを返して部屋に入っていった。
外井は顔を上げて、ドアを見つめる。
「・・・・・・・・」
しばらくそうした後、浮かない顔をして廊下を戻っていった。
***
男たちが彼に群がる。
拳が、蹴りが、彼へと叩き込まれる。
「助けて」
拳をよけた彼を、もう一人がつかまえる。
その体に再び拳が叩き込まれる。
助けて。
白い服をきた人がたくさんいる。
いそがしそうに走りまわっている。
いろんなキカイが、そのヘヤにはいっていく。
たすけて。
まわりのみんなが、それをコワイかおでみていた。
イタイ。
イタイよ、かあさま。てをはなして。
ごめんなさい。ごめんなさい。
かあさま、ドコいくの?
かあさま、どこ?
レイといっしょにねてくれないの?
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
おじいさま、どうしてレイをみてくれないの?
わたしのことがきらい?
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
しろいイヌ。
うるさくて、わがままで、かってについてきて、
・・・・あたたかい。
なにもないヘヤに、ベッドだけがある。
駄目。
白い犬。
ふわふわで、優しくて、いつも後をついてきたのに、
もう、暖かくない。
・・・・・・。
白いベッドに、誰かが寝ていた。
やめて。
ボサボサの黒い髪、見知った身体つき、けれど、ひどく青白い。
やめて!
顔にかけられていた、白い布を取る。
「いやあああああ!!」
ガバッと起き上がると、そばにあったものにすがりつく。
遠い、冷たい記憶に、涙があふれる。
「・・・・・・っ・・・・・」
声も出さずに泣いた。
さびしくて、苦しくて、悲しくて、しかたがなかった。
「レ・・・レイ様・・・・・?」
うわずった声に気づくと、目の前で由利が面食らった顔をしている。
その後ろでは、美利が微笑んでいた。
「!!」
レイは体をそむけると、涙をぬぐった。
由利はヒザをついていたベッドから降り、エプロンを直しながら動揺を見せないよう必死で冷静を装う。
「ココアをお持ちしましたが、いかがですか」
美利はお盆にのったカップを差し出した。甘い、やすらぐ香りが広がる。
レイはゆっくりと受け取る。
冷たく緊張していた指に、じん、となるほどカップは熱く感じた。
チョコレートブラウンの液体を流し込む。体の中を通る感覚に、やっとレイは落ち着きを取り戻した。そこで初めて、夜勤を担当することのないふたりが、今ここにいることに気づいた。
「どうしてここへ?」
「えと、あの・・・」
由利はまだ動揺している。
「外井さんから飲物をお持ちするように、と言われました」
主人を心配して、同世代で比較的気をゆるしているふたりをよこしたのだ。
「・・・そう」
レイは泣いていたことなど忘れたふりをしてココアに口をつける。差し出されたお盆にカップを戻そうとすると、お盆の上でカタカタッと音を立てた。
「レイ様っ!!」
由利はガバッと手を取る。両手で包んだその手は震えていた。
「怖い夢を見たんですか!?」
「え・・・ええ。少し、ね」
まっすぐ見つめられて、レイは瞳をそらす。
美利もベッドに乗り、もう一方の手をにぎった。
「だいじょうぶ、夢ですよ」
レイの瞳から、ポロリと涙がこぼれる。
「あ・・・・・」
ぬぐおうとすると、暖かな手がレイの背中にそえられる。
ほほを涙が伝った。
「うっ・・・ああ・・・・」
涙は後から後からあふれてくる。
今までためていた何かを吐き出すように声を上げて泣き、二人はただそれを受け止めた。
「・・・始めは、父が死んだ時の事だったわ」
やっと涙が引いた頃に、少しずつ語り出した。
つないだ二人の手が暖かくて、気を抜くとまた涙があふれそうだった。
「レイ様が小さい時に、病気で亡くなられたんですよね」
「医師団が慌しく出入りしてたから、ただならぬ状況だというのは判ったけど、動かない父を見ても幼かった自分にはよく理解できなかったわ」
握った手に、わずかに力がこもる。
「・・・ごめんなさい、あなた達の事も思い出させてしまったかしら」
「「そんなことないです」」
ステレオで答える。
二人の両親も、数年前に事故で亡くなっていた。
「じつは、あんまり実感ないんですよね」
「死ぬところを見たわけでもないですし・・・葬式から何から伊集院家にやってもらって、突然ここで働くことになって・・・・そんなヒマなかった、と言いますか」
「いまもどこかで生きてるんじゃないか、って気がしちゃうんです」
美利にしてはめずらしく、さびしげに笑う。
「そうね、私も実感と言うより『もう会えなくなる事』が解らないままだったわ」
それも今では、生きていた頃のことを思い出す方がむずかしかった。
「夢の中で母が家を出て行った事がよみがえって、飼っていた犬が死んで・・・・」
そして、彼が・・・
「皆・・・・皆、私の前から居なくなってしまう・・・」
「なに言ってるんですか! そんなワケないじゃないですか!!」
ぎゅっ、と強く手をにぎる。
そしてもう一方の手はやさしく包まれた。
「そうです、わたしたちがレイ様の前からいなくなることなんてないですよ、ゼッタイに」
両手から温もりと安心が伝わってくる。
レイは顔を上げ、ふっと笑った。
「由利、あなたが泣く事はないのよ」
「だって・・・レイ様が、バカなこと言うからじゃないですかあ・・・」
「そうね、馬鹿ね」
「そうです、大バカです」
「美利! レイ様になんてこと言うの!!」
「はじめに言ったのは由利でしょ」
「それは・・・言葉のアヤと言うか・・・」
くすっとレイが笑い、ふたりも声を上げて笑う。
「イヌを飼ってたんですか?」
「ええ白くて大きな犬を」
「名前は?」
「墨田」
「「スミダ?」」
「・・・変わった名前ですね」
レイは笑う。
「何も考えずに付けたの。その時は犬なんて欲しくなかったし、目の前にあった花と同じ色だったからその名から取ったの。本を読んでいると邪魔しに来るし、鬱陶しかったわ」
遠い目で微笑む。
「嫌がっていてもずっとついて来て、そのうち側にいるのが当たり前になってきて、いつも一緒に居て・・・・・」
ぽろり、と涙がこぼれる。
こらえて、ぬぐおうとするレイの手を、美利はにぎる。
「泣けばいいじゃないですか」
「墨田が死んだ時も涙は出なかったのに・・・」
「だったらその分、いま泣いたらいいと思います。泣きたい時は泣けばいいんです」
そう言いながら由利は、すでにもらい泣きしていた。
そうして三人は、それぞれの昔話を笑ったり泣いたりしながら語り合った。
***
ハッハッハッ、と鼻息がかかる。
横を見ると、ボールをくわえて黒い瞳がこちらをのぞきこんでいた。
『いまは本を読んでいるんだから、あっちに行ってなさい』
クゥーン、とさびしげな声を出して、2・3歩下がる。
本に目をもどし、読書をつづける。
『・・・・・・・・・・』
ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ・・・
『・・・・・・・・・・』
ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ・・・
『もお、仕方ないわね。おいで』
すぐそばで待っていた犬は、大喜びでボールをわたす。
受け取ると、それを放った。
白い犬はボールを追いかけ、嬉しそうにくわえて持ってくる。
頭をなでると、シッポを思い切り振って顔をなめる。
『きゃっ、コラやめなさいっ。もう・・・』
犬を引きはがすと、ボールを見せる。
『ほら、もう一度取っておいで』
ぽーん、と放り投げる。
タタタタッ、と先ほどと同じようにボールの方に走っていった。
『・・・・・・・・・』
戻ってこない。
『・・・・墨田?』
返事はない。
『墨田!』
犬が走っていった方に歩き出す。
何度その名を呼んでみても、返事も気配もない。
『墨田・・・すみ・・・ッ・・・・・』
涙が落ちる。
たまらなく悲しくなった。
『・・・・ひっく・・・・ひっく・・・・』
しゃくり上げながら歩いていると、何かが聞こえた。
音のする方に駆け出す。
『墨田?』
タン、タン、と音のする所に出てみると、バサッと音がしてボールが落ちる。
バスケットボールをつかむと、そのままタッタッタとこっちに駆け寄ってきた。
『なんだ、こんなところにいたんだ』
差し出されたボールを受け取り、手をのばして黒いボサボサの頭をなでる。
『きゃっ』
ペロペロと顔をなめられる。
『やめなさっ・・・ふふっ・・・』
「・・・・由利!美利! 何してるのあなた達!!」
レイは目を開ける。
「ふえっ?」
「ううーん・・・・」
両サイドから声がして、片方はガバッと起き、片方はゆっくりと起きて辺りを見回す。どちらも自分のいる場所をよく分かってないらしい。
レイも身体を起こす。
「れ・・・レレレレイ様!?」
「レイ様、おはようございますー」
のんびりとあいさつをする妹をベッドから引きはがし、由利は真っ赤になって飛び退いた。
「す、すみません! えっと、いつの間にか寝てしまって・・・」
「はいはい、由利、美利、後で弁解は聞くから、早く戻って仕度なさい。遅れるわよ」
起こしに来たメイドは由利の服のシワを軽く伸ばしながら言う。
「は、はい!!」
まだ状況を把握していない美利を引いて、ダッシュで出ていった。
とたんに寝室は静かになる。
「二人を叱らないでやってちょうだい、私が引き止めたのだから」
「いいえ、叱るべき時はちゃんと叱りませんと」
きびしい言葉のわりには、優しい微笑みを返す。
「さて、レイ様もそろそろ起きていただけますか」
そう言われて、レイもベッドから出る。
「寝室までレイ様を起こしにくるなんて、いつ以来だったでしょうか」
「あ、ごめんなさい」
メイドは目を細める。
「いいえ、たまには私どもにもっとレイ様のお世話をさせて下さいな」
にっこりと笑いながらメイドは、後であの二人にじっくりと聞き出さなくては、と思っていた。
***
教室にまだ小波はいない。
登校するのは遅い方ではあったが、いつもならもう来てもいい頃だ。
「オハヨー」
・・・彼ではない。
教室のドアに人の出入りがあるたびに、レイは聞き耳を立てた。
複雑な気持ちを何度もくり返していると、やっと目的の声がする。
「おはよー」
彼だ!
「おはよ、・・・ってお前、どーしたんだよソレ!?」
級友の反応の後、教室はにわかに騒ぎ出す。
小波のほほは腫れ、青アザをあちこちに作り、試合後のボクサーといった感じだ。
「ケンカでもしたのか」
「大丈夫?」
「うわ痛そー」
大注目の中、小波は「わはは」と笑う。
「いやーそれがきのう、すっごい美人が悪者に追われてたんだよ。俺はそれを助けるために大スペクタクルで、悪者をちぎっては投げちぎっては投げ・・・」
心配そうな瞳は、次第に冷ややかになっていく。
「・・・で、本当のところは?」
「不良のケンカに巻き込まれた」
「そんなところだろうと思ったぜ」
ごく簡潔な答えに周りは大きく納得し、人の輪はしだいにほどけていった。
一人だけその波に逆らうように、小波に近づく人物がいた。
「君のような男がケンカなんてするからだ」
つとめて、いつもと同じように憎まれ口をたたく。
「尻尾を巻いて逃げている方がお似合いだと思うがね」
「ほっとけ」
小波もいつものように返す。
変わらない、その苦笑した顔にレイは、胸が痛むと同時にたまらなくホッとした。
そして気付き始めていた胸の中の存在を、これ以上否定することができなくなっていた。