『やっぱもうちょい背欲しいよな。そりゃ背が高いからって勝てるわけじゃないけど有利なのは確かだし、あと10・・・いや5cmは欲しいな』
練習の合間、小波はいろいろと話すようになった。
『一応カルシウム取ったり努力はしてるつもりだけど、効いてるんだかどうだか。ちなみにバスケやってると背が伸びるって言うのは迷信だと思うな。バスケ部に163cmの先輩がいるんだけど、小学校の頃からやってるって言ってたもん。ようは背が高い人がバスケやってるんだよな。あ、カルシウムって夜取った方がいいんだって。納豆がいいらしいけど、やっぱ納豆は朝って気がするよなぁ』
(よくしゃべる男だ)
ペンを持った手を口に、クスッと笑いをもらす。
「レイ様、近ごろ楽しそうですね」
レイが我に返ると、すぐそばにメイドがワゴンと共に立っていた。
「そ、そうかしら」
咳払いをして精一杯真面目な顔を作る。手元に目を落とすと、いつもならすぐに終わっているはずの宿題もまったく進んでいなかった。
「はい、とっても」
微笑みながらメイドはティーカップを机に置く。煎れたての紅茶の香りが辺りに広がった。
カップを持つと視線を逃れるようにイスを回す。紅茶に口をつけながらチラリと見ると、メイドはニコニコと嬉しそうにレイを見つめていた。何故か居心地が悪く、必死で話題を探す。
「そ、そういえば衣替えしたのね」
「はいっ。今日からなんですよ」
ハートマークが2つぐらいつきそうな口調でくるりと回って見せ、屈託のない笑顔を向ける。白いエプロンと二つに結んだ髪が揺れた。
「冬服も好きですけど、なんだか夏が終わってしまうみたいで少し寂しいですよね」
「・・・そうね」
カチャ、とカップをソーサーに戻してつぶやく。
この夏はレイにとって長かったような短かったような、そんな気がした。
「まだまだ暑いですけどね」
ワゴンを少し下げて礼をしドアの方に向かう。かと思うと、メイドはピタッと足を止めて振り返った。
「そうそう。旦那様が今日帰って来られるそうです」
「お爺様が・・・」
レイは遠くを見つめるように、そうつぶやいた。
* * *
伊集院家本宅のエントランス。一流ホテルに引けは取らない広さで奥の方はかすんで見えない・・・と言うのは少し大げさだが、かなりの広さを誇っている。しかし今はそれが手狭に感じられるほど人が集まっていた。中央を開け、道を作るように使用人が並んでいる。
玄関の扉が重々しく開き、一人の老人が現れた。
「お帰りなさいませ」
一堂は一糸乱れぬ動作で頭を下げる。その真ん中をお供を連れて老人はゆっくりと進んだ。
伊集院光輝、レイの祖父にて伊集院グループの総帥。日本の、いや世界の経済を動かす人物である。
「お帰りなさいませ、お爺様」
大階段からレイが下りて来る。ラベンダー色のワンピースに身を包み、それより少し濃い葡萄色のリボンを長い髪と共に編み上げている。
「元気にしておったか、レイ」
「はい、お爺様もお変わりないようでなによりです」
にっこりと笑いかける。しかし、それはどこか実のない印象を受けた。
祖父は軽くうなずくとその横を通り抜ける。レイはそれを目で追った。
「あの、お爺様」
光輝が振り向くと、ボディーガードと秘書は脇に控える。
「お願いがあるのですが・・・」
「何だ」
レイは言葉を詰まらせた。
身長はそう変わらない祖父だが、その固太りした体は威厳にあふれ、孫であるレイでさえ威圧感を覚えずにはいられなかった。
「言ってみなさい」
「は、はい。・・・運動施設を造りたいのですが」
「それならいくらでも増設すればよいだろう」
「いえその、家の外に造りたいのです。一般の者も利用できる所を」
「好きにしなさい」
祖父は少しの間も空けずに答えた。
「ありがとうございます」
祖父は再び奥へと足を進める。その背中を見つめ、レイは小さく息を吐いた。
先程と同じ様にボディーガードが脇を固め、秘書はその後に続く。光輝が足を止めると周りもピタリと止まった。
「レイ」
「は、はい」
背を向けたまま祖父は続ける。
「お前もいずれはこの家を継ぐのだ、そのくらいの判断は自分でしなさい」
「・・・はい。申し訳ありません」
祖父は再び奥へとゆっくり消えていった。
この家に二人きりの家族の、短い会話だった。
部屋に戻るとレイは、ため息をついてソファーにもたれた。
祖父は嫌いではない。 ・・・嫌いではないが苦手だった。
仕事でほとんど家を空けてるため、何ヶ月も姿すら見ないことがある。たまに会ったとしても話す事といえば今日のように用件のみで「家族の会話」というにはほど遠く、いつも息が詰まりそうになるのだった。
レイはもう一つため息をつくと立ち上がり、近くの電話で内線を呼ぶ。
間もなく、聞き慣れた声が応えた。
* * *
車は住宅街を静かに走る。寂しい道に入るとそのライトは消され、木々に囲まれた一角に滑り込んだ。
街の中心から少し外れた所にあるとはいえ、その周辺は特に静かだった。街灯の光も弱々しく灯る下、黒塗りの車がライトも点けずに駐車していては、そこにあると知ってない限り他人の目には止まらないだろう。
ドアが開き黒服の男が降りて来る。男は後部座席のドアを開ける。中から出てきたのは手折れそうな印象の少女だった。浅黄色のブラウスと厚手の白いフレアスカートが月に照らされ、そこだけ浮き上がっているかのように見えた。
黒服の男は数歩進むと、塀の向こうへ通じる小さな扉に鍵を差し込む。扉を開きその脇に立って頭を下げた。
「いってらっしゃいませ」
その扉を抜けると、彼女は伊集院家の後継者から名もなき少女へと変わる。言葉を話せない、というただ一つの嘘をまとって。
公園に足を踏み入れると、虫の音だけが聞こえる。昼間はまだ夏の名残を感じるとはいえ、日が落ちてからの空気は以前とは違っていた。ましてや元々涼しいこの公園では少し軽装だったかなと彼女は思った。
並木道を抜け、遊具のある広場へと来るとボールの跳ねる音が聞こえてきた。横に回り込みベンチに腰を下ろす。しかしコートで練習する彼は、まったくこちらに気づいてなどいないようだった。
毎日毎日・・・少なくとも彼女が見る限り、必ずそこで練習している。
飽きもせずに。
(・・・悩みなさそうよね)
何にも縛られず練習に没頭できる姿に、無性に腹が立ってきた。
ボールがそれてベンチの方に転がり、小波はやっとこちらに気づく。
「・・・やぁ、こんばんは」
脳天気な笑顔を向けられ、彼女もにっこりと笑い返しながら立ち上がる。
ボールを拾って小波に投げ返した。
思いきり、
顔面に向けて。
「うおっと・・・とと」
仮にもバスケ部である、顔にぶつけはしなかったが予想外のボールの勢いに1・2歩後退した。
「け、けっこう力あるね」
(・・・くっ・・・・くくっ・・・)
彼女は笑いをこらえるのに精一杯だった。
少し気が晴れてベンチに腰掛け、いつものように練習する小波を眺める。
始めの頃こそシュート練習ばかりだったが、今は筋力トレーニングや基礎が主だった。ボールを体の周りで回したり腕立をしたりしている。相変わらずこちらのことなど気にも止めていないように。
しかし彼女は忘れられる心地よさを感じていた。家の中でも外でも、彼女は常に「伊集院レイ」であることを要求される。偽りの自分と本当であるはずの自分・・・そのどちらでもなく、肩の力を抜いたあるがままの姿でいることができた。
(だから、来てしまうのかしら)
そんな事を考えながらコートに目をやると、練習していたはずの男の姿が見えない。
「?」
少し間を置いて、小波は小走りに彼女の元へ戻ってきた。
「ノド渇かない?」
よく冷えた円筒形のものを手渡すと小波もベンチに腰を下ろす。
彼女は手の中にあるものを見つめた。それが飲物であることぐらいは分かっていた。なにより外側に「ミルクティー」と明記してある。しかしその飲み方が判らない。
缶を横にしたりして眺めていると、横でごくごくごくっと缶をあおり、ぷはーこの一杯のために生きてるよなー、という様に息を吐いた。
(・・・ずいぶん喉乾いてたのね)
思わず目を奪われた。
なので、彼がこちらを向いた時には見つめあう形になってしまった。
「・・・・・・・」
小波はじっと彼女を見つめる。
(な・・・何?)
一筋の汗が背中をつたう。
(もしかして、気づかれた!?)
目をそらす事はできなかった。
彼が二人の距離を縮めるのをただ見つめる。
どくん、どくん、どくん・・・。
右手を彼女の顔へとのばした。
「!!」
ぎゅっと目をつぶる。
「・・・・・・・・・・・」
「・・・ほら、髪に葉っぱがついてたよ」
目を開けると、木の葉をもてあそびながら小波は笑う。それを風に飛ばしてやると再び缶に口をつけ、いつものように雑談を始めた。
「・・・・・・・・」
彼女はうつむいていた。
(・・・っっかじゃないの!?)
彼女の鼻息が荒くなる。
(どうして二ヶ月も会ってるのに判らないわけ!? 鈍いとは思ってたけど程があるわ!)
「今日もタイタンズに負けたんだけど、あの点の取られ方はないよなぁ」
そんな彼女の様子には気づかずに、小波は野球の話をしていた。
(・・・あれ? それでいいのよね。・・・私だと気付かれたら困るんだから)
矛盾に心の中で首をひねる。
その横で、小波はなおも話を続けていた。
「あれは痛かったよなー。いや、今年の結果はとっくに見えてるけど、来シーズンのこともあるだろ。いっつもスタートダッシュだけはいいんだけどなぁ」
彼の口から出るのはサッカー選手の移籍がどうとか、プロレスの技がどうとか、スポーツの事ばかりだった。
伊集院グループ系列のスポンサーのチームやスポーツ選手も数多くいるので、ある程度の結果ぐらいは彼女も知っていた。
「最下位だけはまぬがれて欲しいよ」
(どうしてそんなチームを応援するのだろう)
彼に言わせるとその辺がファンを止められない理由らしいが、彼女にとっては理解できなかった。
結果以外に興味などなかった彼女には彼の話題はほとんどが解らない。それでも小波が解説を付けながら身振り手振りで話しているのを見ると、面白そうに聞こえるから不思議だ。
いつの間にか、今度はトレーニングの話をしている。
「腹筋するのってさけっこう腰痛めるんだよ。昔後輩と腹筋競争したんだけど、後で腰痛くて痛くて。ホラ、腹筋マシーンって知ってる?通販でよくあるやつ。上半身に付けてゆりかごみたいになるんだけど、こないだ森岳ん家に行ったら・・・。あ、森岳ってバスケ部の・・・」
話は一瞬途切れるが、小波は何事もなかったように続ける。
「ーーバスケ部のやつなんだけど、そいつん家にあってやってみたんだけど、なんつーか、こー、たしかに他に負担かかんないんだけど、いまいち物足りないというか・・・ほら、トレーニングって体をいじめる喜びってない?・・・あ、わかんないよね。アハハハハ・・・」
乾いた笑いをするとジュースをあおり、うなだれるように視線を落とす。
「・・・俺さ、バスケ部辞めようかと思ってるんだ」
(・・・嘘・・・・・)
信じられない言葉だった。
毎日ここで練習していて、口を開けばスポーツの事・・・そんな男が部を辞めるだなんて。
「中学の時はあんまり強くないチームだったんだ、1コ勝っただけで大喜びするような。それでも楽しくて、高校に入ってからもバスケ部に入ったんだけど。・・・周りが皆上手くて」
小波は缶に口を付けるが、中身はとっくになくなっていた。
立ち上がって缶を目の前にかまえる。それを、3・4mはなれたゴミ箱へとシュートした。
カンッ、・・・カ、カラカラカラ・・・
「やっぱ俺ってヘタだよなぁ」
寂しげな笑い顔を見せると、缶を拾ってゴミ箱へと捨てる。
「周りに追い付こうと必死で、・・・いつのまにか楽しくなくなってたのに気づいたんだ。部活に行くのも気が重くて・・・」
ゴミ箱のふちに手をかけてうつむく。
こちらに背を向けて表情は見えないが、相当落ち込んでいるのは分かった。
(ど、どうしよう・・・・)
小波といえば学校でもいつも明るくて、あの「伊集院のイヤミ」でさえ受け流す男である。
初めて見る姿に彼女はどうすることもできず、その背中を見つめる。
すると、突然小波は声をあげた。
「うおおおおおおお!」
「!?」
コートに向かって前転すると、バンッと手をついた。
「・・・・・・・」
何が起きたか分からず、彼女は目を点にする。
小波は前回り受け身をした後も、そのまま大の字に寝転がっていた。
「・・・今度小さな大会があるんだ。2チームのうち1つを1・2年で編成するっていうから・・・俺じゃムリかもしれないけど、それ目指してやるだけやってみようかな、って。このままダラダラ続けても仕方ないし」
伸びをするように両手をまっすぐ空にのばし、ぎゅっと握る。
「そう思って練習し出したら、3時間ぐらいの部活でも終わる頃には結構ヘトヘトになるんだ。前に先輩から『やる気がない』って言われて・・・悔しいけどその通りだったんだよな」
足を上げ、反動をつけて立ち上がる。
彼女の方を向いた時には、その顔に迷いはなかった。
「ごめんグチっちゃって。でももーやめた、俺ゴチャゴチャ考えるの苦手だし。うん、話したらスッキリしたよ。よぉぉっし!」
小波は突然スクワットを始めた。
(・・・変な人)
勝手に落ち込んで、勝手に立ち直っている。
行動のひとつひとつが彼女には予測のつかないものだった。
当の本人はピタ、とスクワットを止めると辺りを見回す。
「あ、そっちか」
ベンチの方に転がっていたボールを拾い上げると、小波の目が彼女の手元で止まった。
そこには渡されたままの缶紅茶が握られていた。
(ど、どうしよう)
慌てて飲もうとするが、なにしろその方法が分からない。必死になって缶を見ていると、上の方に「タブをおこす →、タブをもどす←」と書かれていた。
(タブってこれ?)
小さなリングに指をかけてみる。
カチン、と鳴っただけで何も変わらなかった。
(こ、これじゃないの? 何か間違ってる?)
一気に汗が吹き出してきた。
もう一度説明を見つめるが、それ以上のことは書いていない。
「貸して」
小波は彼女から缶を取る。
その時、わずかに手が触れた。
「きゃっ」
「ご、ごめん!!」
その反応に、小波も必要以上に意識してしまう。
「は、はいコレ」
あたふたとプルタブを開けると、彼女に渡してさっさとコートに戻ってしまった。
「・・・・・・・・・」
彼女は呼吸を整える。
触られた所を右手で押さえ、ぎゅっと缶を握りしめる。
(・・・・・嫌・・・)
ざわざわと心の中が波立っていた。
物心ついてから使用人以外に体を触れられる事など皆無に近かった。他人と手が触れるなんて嫌悪以外の何物でもない。
その感覚を振り切るように頭を振り、缶に口をつける。
(うっ・・・何コレ)
紅茶自体の味はほとんどない上に甘ったるく、不自然な香りが鼻についた。
確かめてみると、ちゃんとミルクティーと書いてある。が、彼女の知っている紅茶の味とはかけ離れていた。
(いつもこんなの飲んでいるのかしら)
味以前に体にもよくなさそうだと思った。
もう口をつける気にもなれず、手に余るそれをベンチに置く。
コートに目をやると、小波は楽しそうにシューティングしていた。部を辞めるなんて言ったのがウソのように。・・・いや、ここで練習する小波に辛そうな姿など感じた事はなかった。
* * *
「おかえりなさいませ」
外井雪之丞は見送った時と同じ体制で主人を出迎える。まるで、一歩もそこから動いていなかったのように。
手早く通用口を閉じると、続いて車のドアを開く。
「いかがでしたか?」
「・・・・別に」
レイは無表情で答える。
しかしそこには、行く前とは明らかに違う色が見て取れた。
「それは良ろしゅうございました」
「だから別にっ・・・」
反論しかけたが口をつぐみ、そんなことはどうでもいいと言わんげに車に乗り込む。
外井は何事もなかったようにドアを閉め、自分も乗り込んだ。
車はゆっくりと走り出す。
レイがそっと後ろを振り返ると、三日月が公園を静かに照らしていた。