「あ、俺そろそろ部活行くわ」
話を切り上げて席を立つ小波を、隣の男が不思議そうな顔で見つめる。
「早くないか?」
時計を見ると部活が始まるまでまだ50分もある。
着替えや準備の時間を考えても、たしかに充分余裕はあるが・・・
「別に早く行ったっていいだろ」
良くない、と言いたげな顔だ。
「なに言ってやがる。ついこないだまで背中に暗雲しょって足引きずるように行ってたってのに、昨日なんかスキップしてたぜ」
「するか」
「いーや、しそうな勢いだったって。・・・で、なんでそんな楽しそうなんだよ。大会はぜんぜんダメだったんだろ?」
「・・・思い出させるなよ」
試合にでるという目標は、全員出場であっさりとかなったのだが、その内容はお粗末なものだった。
「レギュラーになれそうとか」
「まさか」
「補欠に入れてもらえそうとか」
「いいや」
「わかった、女だ」
「え・・・」
好雄は急に立ち上がり、ぐっと詰め寄った。
「美人のマネージャーが入ったんだろ、そうだ、そうに違いない!!」
「あのな、・・・お前じゃあるまいし」
苦笑しながらも、心の中で胸をなで下ろす。
(そうだよな、好雄が知ってるはずがない)
「んじゃ、なんなんだよ!」
軽く逆ギレ気味にイスに座る様を見て、小波は苦笑する。
「俺も分かんないんだけど、目標決まってとにかく練習してるうちにどーでも良くなったっつーか。・・・なんで俺悩んでたんだろうなーって。今思うと」
「なんだそりゃ」
「俺がヘタなのとバスケが好きなのとは別っていうか、開き直ったっていうか・・・うーん、うまく言えないけど」
好雄は納得いってなさそうだが、本人もよくわかっていないのだった。
「んじゃ俺部活行くから」
「あ、オレも」
カバンを持って好雄も立ち上がる。
「オレも?・・・て、部活?」
好雄はクラブに入っていないはずだ。
「ほら、可愛い女子マネチェックしないと」
「いないって。第一、お前が知らないはずがないだろ」
「たまには女子バスやバレーとかもチェックしないとな」
「はいはい」
幸せな男だよな、と思う小波の後をスキップしそうな勢いで好雄はついていった。
* * *
『まいったよ』
小波は笑って頭をかいた。
『せっかく出られたはいいけど、全員出場じゃーなー。でも一応目標は果たせたし、部活辞めるって話はなかったことにしてもいいよな・・・ははは・・・』
言い訳がましく話す。
元々一人で決めたのだから、勝手にすればいいのだ。
『でも得点どころか足引っぱりまくってたし、結局Bチームは一回戦敗退だったし・・・』
その試合は彼女も・・・「伊集院レイ」も見た。
本人が言う通り、おせじにも活躍したとは言いがたい内容ではあった。しかし、試合後に的確な所をついたイヤミを言っても『うるせえぞ、伊集院』と答えつつも、吹っ切れたような笑顔が印象的だった。
(妙な男だ・・・)
「・・・いん・・・伊集院!」
「え・・・きゃっ!!」
たった今思い浮かべていた顔が目の前に現れた。身を引こうとして階段から足をすべらす。
「おおっと」
ぐらり、と景色がゆれて天井が見えた。
「大丈夫か?」
ひょい、と顔がのぞき込む。
片手で抱き止められている事に気づき、あわてて体を起こす。
「ぼ、僕に気安く触れないでくれたまえ!」
小波は目を丸め、隣では好雄が眉をひそめた。
「助けてもらってソレはねぇだろ」
「別に助けてくれと言ったわけじゃない。それに元はと言えば彼が僕の前に顔を出したせいだろう」
「だからって、そーいう言い方は・・・」
「まーまー、確かに俺が悪かったよ。ぼーっとしてると危ないって言おうと思ったんだけど・・・お前もぼーっとすることもあるんだな」
「年中惚けてる君に言われたくはないね」
「うるさいよ」
苦笑する小波の横腹をヒジがつつく。
「おい、行こうぜ」
「ああ。それじゃ、もっと前見て歩けよ」
早く女子マネ見ないと、だからいないって、などとドタバタ階段を降りていくのを見届け、伊集院は自分の腕を抱きしめる。
「・・・・・・」
抱き止められた事を思い出すと鳥肌が立つ。
他人に体を触れられことのない伊集院には耐えられないことだった。
どうしようもない苛立ちが身体中を包んだ。
* * *
いつものようにボールをかかえて公園に入っていくと、コートには先客がいた。
「来てたのか」
金色の瞳が振り向く。月に照らされた毛が銀色に波打った。
近づいていく小波をじっと見つめている。
あと少しの距離まで来ると、小波はしゃがんでそれに手を伸ばす。
「あっブチ!!」
白黒模様のネコは背を向けてあっと言う間に消えてしまった。
「ちぇー、今日はいけると思ったのに」
この公園でときどき見かけるネコだ。
始めは近付こうとしただけですぐ逃げられたが、最近はかなり近くまでいけるようになっていた。そろそろ触れられる頃かと思っていたいたのに・・・
名残惜しそうにブチの消えた方を見ていたが、あきらめて練習を始める。
ボールを持つとスイッチが切り替わる。
コートの外は目に入らなくなり、大会を目指すようになった頃からは雑音も一切耳に入らなくなっっていた。
もっとも、雑音を作り出していたのは他ならぬ小波でしかなかったが。
大会前は思いだけが先走って体がついていってなかった。けれど、今はそれでもいいと思えるようになっていた。
開き直っただけといえばそれまでだが、悩み苦しんだ時を乗り越えてたった一つ気付いたのは「それでもどうしようもなくバスケが好き」ということだけだった。
* * *
「あっと」
真正面に戻ってきたボールを取りこぼす。
もう一度つかもうとした手からも逃げていってしまった。
小波は左手を握って開いてみる・・・手の感覚がすっかり鈍っていた。
体は汗をかくぐらいだったが、冷たいボールを触っていた手は冷えきっていた。滑り止めのついた手袋も用意してはいるが、ボールの扱いに違和感があるので素手を好んでいた。けれど手の感覚すらなくなってはそろそろ手袋の出番かもしれない。
ジャージの下に手をもぐり込ませ暖める。
Tシャツは汗でぬれていた。このままではカゼをひくかもしれない。
ジッパーを下ろそうとするが、指はまだうまく動かない。
ブレイカーのえりをくわえ、動きの鈍い手でなんとかファスナーを下げる。
同じようにジャージを脱ぎ捨てると、今度はTシャツを・・・
「きゃっ」
「ご、ごめん!!」
いつの間にか来ていた彼女が声を上げる。
目を覆って真っ赤な顔をしていた。
急いでTシャツを戻そうとするが、ぬれてくっついている。あせるとよけいに上手くいかない。
あきらめてTシャツは脱ぎ、直接ジャージを着る。
替えのシャツは持ってきていたが、彼女が掛けているベンチの横のバッグの中だ。
「その・・・ごめん」
彼女はうつむいたまま首を振ると、小波にスポーツドリンクの入った水筒を差し出した。目はそらしたままで。
受け取ってそれに口をつける。
塩気のある液体が汗をかいた体に染みわたった。
「ありがとう」
水筒を返すときも、まだ目は合わせられなかった。
小波はコートに戻りボールを拾おうとすると、足元に黒い点が浮かぶ。
黒点はいくつも現れ、コートを染めていく。
「わわ、そっち、木!!」
二人があわてて木の下にもぐり込んだ頃には、水の玉は強くコートをたたいていた。
滝のような雨は音と空間を遮断する。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
無言だった。
いつもなら彼女の分までしゃべっている小波も、今はただ雨を見つめている。
黒のジャージはぬれても見た目は変わっていなかったが、彼女のクリーム色のジャケットは上半分がグレーになっていた。時折落ちる滴がそれを広げてゆく。
雨は弱まりそうな気配がない。
ボールも水筒も雨に打ちつけられている。
コート全体を水が覆い、足元ではいくつも小さな川ができていた。
小波はぬれた髪をかきあげて空を仰ぐ。
黒。
この木の下と街灯が照らす空間以外はこの世界に存在しないかのようだった。
雨粒が街灯の下でキラキラと輝いている。
それをボーっとながめていた小波に、かすかな甘い香りが届く。
(あれ?)
どこかで嗅いだことのある香りだった。
「・・・・・」
『どうしてそこまでするの』
(あ・・・)
部活を辞めるかどうかでやけくそに練習していた頃、この公園でうたた寝をして夢を見た。
『体壊したら何にもらないのに』
心配そうにそう言った夢。
あの声、あの香り・・・
(あれは、夢じゃなかったのか?)
さっきもTシャツを脱いだ時、声を上げていた。
(・・・本当はしゃべれる? でもそれなら何でしゃべれないフリなんか??)
隣りを見ると彼女は遠くを見つめていた。
逆光に照らされ横顔を浮き上がらせている。
雨露が髪に落ちる。
前髪をつたい、胸元に落ちた。
ジャケットのボタンをとめていなかったせいで、すっかりぬれて下着の線が浮かび上がっていた。
(うおっっ)
あわてて顔をそむける。
自分でも顔が赤くなるのが分かった。
どくん、
どくん、
どくん・・・
今更ながら気付く。
夜の公園で、女の子と、二人きり、という事実に。
どく、どく、どく・・・
ぬれた服が一気に乾きそうなほど、手の先まで熱くなる。
降りしきる雨も小波の目には映らなかった。
「くしゅん」
小さなくしゃみが小波の心臓をはね上げた。
「・・・あ・・・う・・・」
「?」
不思議そうな瞳で見つめられて、さらに鼓動は激しくなる。
小波は雨の中へ駆け出した。
「!?」
水をはね上げてコートを走る。
顔と体を打ちつける雨が火照った身体を少しづつ冷ました。
コートの端に脱ぎ捨てていたブレイカーを拾い頭にかぶる。
体はほとんどぬれていたし容赦なく振る雨には意味がないようだったが、それでもバシャバシャと木の下まで戻ってきた。
「むこうに東屋があるんだ。雨もおさまりそうないし、とりあえず屋根のある所に行かないか?」
雨音に負けないような声で言う。今度はやっと目を見て話せた。
彼女はちょっと考えたそぶりをしてからうなずく。
「それじゃ、あっちの奥だから」
ブレイカーを彼女の上にかかげる。
二人が入るには小さすぎるが、林の中を通っていけばなんとかなるだろう。
彼女は腕の下に一歩踏み込んだ。
「きゃっ」
ぬかるみが足を取る。
小波の胸にそのまま倒れ込む。
反射的に抱きしめた。
細い、体だった。
「イヤッッ」
体を突き放した。
1メートルほどの距離、打ちつける雨がそれ以上に感じさせる。
「・・・あ・・・」
蒼白した顔を横に振る。
彼女自身がその行動に戸惑っていた。
一歩、近寄ろうとするとビクッと体をひく。
「あっ、待っ・・・」
声は雨にかき消される。
彼女は雨の向こうへ駆け込んだ。
雨は二人の間を埋めつくし、
そして全てを塗りつぶした。
* * *
雨垂れが筋となって落ちていくのが見える。
小波は何を見るでもなく、それを眺めていた。
「ねぇねぇ、好雄知んない?」
視界に赤毛の女性が割って入る。
朝日奈夕子。明るく歯に絹着せぬ性格のため男女を問わず友人が多く、好雄の中学からの腐れ縁で小波とも顔なじみだった。
尋ねられて辺りを見回す。
「・・・いないみたいだけど」
「だから聞いてんじゃん」
腰に手をあてて不満そうに言うが、聞いているのかいないのか小波の反応は鈍い。
「まーいっか、これ好雄にやっといて」
朝日奈はポケットからポータブルMDを取り出して渡す。
「・・・え?」
小波はMDを受け取った。その手ごと。
「ちょっとぉ・・・」
呼びかけてもやはり声など聞こえていないかのように、じっと手とMDを見つめている。
朝日奈はどうしたものかと天井をあおいだ。
「何をやっとる、何を」
その声と共にエルボーが後頭部にめりこみ、やっと手が離れる。
「あっ好雄」
「ごめんな朝日奈」
「はいコレ」
彼女は気にしてなさそうにMDプレイヤーを手渡した。
「朝からコイツ、変なんだよ」
小波は無言で頭を起こすと指された好雄の指をつかみ、焦点の定まらない目でそれをもて遊ぶ。
「な」
指をつかまれたまま、好雄はニガ笑いをした。
「どしたの?」
「さあな。どーせまたバスケの事だろ」
小波は首をひねる。
「おかしいなぁ」
「おかしいのはお前の方だ・・・あででっっ」
小波はつかんだ指を互い違いに開きながらため息をついた。
「きゃはははは、アンタ達ってホントいいコンビよね」
「・・・ねぇ朝日奈さん、さっき俺に触られたときイヤだった?」
「え? 別にイヤじゃないけど・・・ちょっとびっくりしたかな」
「そっか・・・」
宙に視線をさまよわせて、小波はまた意識を飛ばす。
「あ、アタシそろそろ戻らなきゃ。好雄、それ買ったばっかなんだから壊したらタダじゃおかないかんね」
「はいはい」
朝日奈は「じゃねー」と手を振って、慌しく消えていった。
(たしかに彼女も驚いてたけど・・・やっぱり抱きしめたせいだよな)
窓の外を見てため息をつく。
「満」
(あの時『イヤッ』って・・・イヤなのか!? 俺のことが? 抱きしめた事が?)
「みつ・・・痛っっ」
(でも、俺が嫌いなら来ないよな、うん。そうだよな・・・多分)
「ででっ・・・みつる! 満!!」
「・・・あ、好雄。何?」
「何じゃねーよ。手!」
「手?」
目を落とすと、手には好雄の指が握られたままだった。
「うおっ」
「・・・ったく、イヤがりたいのはコッチだよ」
ぶらぶらと手を振り、息を吹きかける。
「好雄、抱き・・・いや、触っただけで逃げられるって、嫌われてんのかな」
「そうだろ」
あっさりと、明確な返答。
「そっか・・・そうなんだ・・・」
遠くを見つめる友人に、好雄は首をかしげる。
「なんでそんなに落ち込むんだ? どーせお前も嫌いだろ」
「え、俺が!? 何で!!」
立ち上がった小波に押されながらも、好雄は不思議な顔をする。
「・・・伊集院のことじゃないのか?」
「伊集院?」
どうやら先日の、階段で受け止めたことを言っているようだった。
「ああ違う違う。別に嫌いじゃないし、嫌われてるわけでもないよ」
「はぁ?」
あまりに当然のように答えたものだから、好雄は聞き違いでもしたのかと思った。
「あんだけ毎日イヤミ言われて、なんでそー言えるんだ?」
「ええと・・・なんでだろ?」
言った本人が頭をひねる。
「うーん。でもなんとなく。あんまり悪意を感じないし」
「オレには悪意のかたまりにしか聞こえないけど」
変わった物でも見るように小波を見つめる。
「ま、お前の感覚はフツーじゃないしな」
「ほー。そーゆーこと言うわけ」
小波は半眼で、がしっと好雄と指を組ませる。
「あ、イヤ、ごめんなさい」
力くらべをするように、好雄の方に手首を曲げた。
押し返そうとはするが力ではまったく敵わず、体が反るぐらいに押される。
「痛だだっ、ギブギブ!!」
「・・・はぁ。いたずらに好雄を痛めつけた所でムナシイだけだな」
「だったらやめろぉぉ~~~~~~」
* * *
雨は音もなく降りつづいている。空は明るく、視界に紗をかけていた。
小波は傘をさして公園に立っている。
毎日のようにここに通ってはいたが、日の光の下で見るのは久しぶりの事だった。
木々は鮮やかに装いを変え、雨によってその色を濃くしている。
落ち葉によって赤と黄色に彩られた道をゆっくりと歩みを進め、コートへと近づく。
雨が降っているせいか人影は見えず、滴をためたリングは時が止まっているように見えた。
スミに泥に汚れたかたまりがあった。拾い上げてみると小波が忘れたTシャツだった。雨と泥でグチャグチャになっていて、ゴミにしか見えない。
ベンチを見る。
彼女が忘れていったはずの水筒はそこにはなかった。
まるで彼女の存在など始めからなかったかのように。
小波は空を見上げる。
雲の向こうにうっすらと太陽が光っていた。
* * *
「・・・ああもう!」
書き損じた字をグシャグシャと塗りつぶし、そのページをやぶり捨てる。机の横のゴミ箱は似たような紙くずで一杯になっていた。
ペンを置くとイスを回して後ろの窓を見上げる。
窓ガラスをぬらす雨は、もう三日も降りつづいていた。
公園に行けない理由があってホッとしているはずなのに、なぜか夜が来ると落ち着かなくなるのだった。
『イヤッ』
手を振りほどいて帰ってきてしまった。
しかも口がきけないはずなのに、事もあろうに叫んで逃げだした。
(だって・・・あんな・・・)
抱きしめられた。
転びそうになったのを支えられたのだが、それは他人に触れられる事が少ない彼女にとっては大事だった。
「・・・・・」
肩に、腕に、その時の感触がよみがえる。
自分の体を抱きしめる。
叫んでしまいたかった。
「~~~~~~~~」
強く、腕に力を入れる。
気持ち悪くて、苦しくて、わけが分からなくて・・・・
雨は、まだ降りつづいていた。
* * *
その夜、小波はボールを持って飛び出していった。
雨が上がるこの日を待っていた。
彼にとって公園に行くという事は、練習して上手くなるという目的より、むしろ練習した気になるという精神安定剤的役割が大きくなっていた。
柵の手前にある植えこみを軽く蹴ると、ザアッと滴が落ちる。それから手でかき分けると、壊れた柵の、人ひとりがやっと通れるほどのスペースが現れた。しげみに触れないようにしても結局はぬれてしまう。
ぬれた足元を払うようにして公園の中に入ると、空気がいっそう冷たく感じられた。
待っていた・・・はずなのに、そこから急に足取りが重くなる。
彼女にした事を思うと、会うのが恐かった。
「でもホラ、今日来るとは限らないし」
消極的な考えだが、そうとでも思わないと前に進めなかった。
足を引きずるようにしてやっとバスケットコートが見える所まで来ると、そこに一つの影があった。
銀色の髪を波打たせ、金の瞳が振り返る。
・・・彼女だった。
(ど、どどどーして!? いつもはもっと遅いのに、なんでもう来てるんだ!?)
とたんに小波はテンパる。
(ど、どどどーしよう!? 喋られない振りしてた事尋ねられるわよね。名前聞かれたら? ああ、どうしてここに来ちゃったのかしら!?)
彼女も充分テンパっていた。
二人は見つめ合って立ち尽くす。
(騙していた事、怒ってるわよね。な、何かこっち睨んでるし・・・謝らないと・・・)
「・・・・ご・・・」
「ごめん!!」
(え?)
小波は深々と頭を下げていた。
「はずみとは言え女の子を抱きしめるなんて、本当にごめん!」
頭を下げたまま、ひたすらに謝る。
「そんなつもりはなかったって言っても事実は事実だから、言い訳はしない」
(もしかして、私が喋った事に気付いてない?)
「その・・・許して・・・もらえないかな」
おそるおそる頭を上げて、彼女を見る。
(あの時、雨の音が酷かったから聞こえなかったのかも・・・そう、そうよね)
自分に言い聞かせながら、ゆっくりとうなずく。
「よかったーーー」
張りつめてたものが、一気に解ける。
「冷たっっ」
小波は雨にぬれた地面に座りこんでしまい、あわてて立ち上がった。
くすくすと笑い声が聞こえ、小波も照れたように笑う。
(・・・よかった)
ほっと胸をなで下ろす。
唯一の息抜きの場であるここは、いつの間にか彼女にとっても大事な場所となりつつあった。
「にぁぁ」
なごむ二人の耳に、小さな鳴き声が聞こえる。
しげみの間から光る目がこっちをうかがっていた。
「おいで、ブチ」
小波がしゃがんで手を伸ばすと、白地に墨をこぼしたような模様のネコは見慣れぬ来客を気にしながら、おずおずと近づいて来た。
あと50センチ、という所で足を止める。
小波はそっとその毛皮に手を伸ばした。
「フギャッ」
「痛っっ」
爪の一閃を残して、ブチはまた消えてしまった。
「!」
彼女は駆け寄ってその手を見る。
赤く爪あとが浮き上がっていた。
「・・・・・あの・・・」
小波が困ったように声をかける。
「!!」
自ら彼の手を取っている事に気づき、あわてて離す。
「大丈夫、たいしたことないよ」
(別に、心配なんて・・・)
むっとして顔をそらす。
その頬はわずかに赤く染まっていた。
「・・・・そうか・・・」
傷を見つめてつぶやく小波を、彼女は再び振り返る。
「あ・・・ええと・・・」
不思議そうにのぞき込む瞳に、どう答えたらいいものかと頭をかいた。
「昔、ネコを飼ってたんだ」
ブチが消えた方を見ながら、静かに口を開く。
「小学生の頃、ノラネコを拾ったんだ。ちゃんと世話するからって親に頼み込んでやっと許してもらったのに、コレがちっともなつかなくてさー、メシ喰う時なんか誰も取らないってのに必死で食べるし、始めの頃なんか寝てるトコに近づいただけでバッと起きるし・・・生傷も絶えなかったなぁ」
なぜか、楽しそうに言う。
「一年ほどして、なつくまで行かないけどやっと俺のこと認めてくれたのかな、って程度に慣れてきた頃・・・車にひかれて死んじゃったんだ」
見上げると、空にはぼんやりかすむ月が浮かんでいた。
「あいつの代わりなのかもしれない」
彼女はさっきのネコを思い浮かべ、
小波は一人の男を思い浮かべた。
「爪出して、警戒して・・・来るなって言うくせにかまってほしいような目をしてるもんだから、ひっかかれることすら面白がってつい手を出してしまうんだ。それは俺の一方的な思い込みで、本当に迷惑がられてるだけかもしれないんだけどさ」
静かに、小波は笑った。
* * *
「ーーーと言うわけで、アレは警戒してるだけなんだよ」
「なにが『と言うわけ』なのかは知らんが」
得意げに言う友人を好雄は胡散臭そうに見つめる。
「嫌われてるのと警戒してるのって、どー違うわけ?」
「そりゃ、その・・・・・うーん・・・」