琥珀色の瞳は紙の上をなぞる。
一枚、また一枚と紙をめくり、新たな文字を目で追う。とても読んでいる速さには見えないが、情報は次々と彼女の頭の中に収まっていった。
「よし、終わり!」
机の上に積み上げられた紙の束に、今読んだものを無造作に載せる。
うーん、と体を伸ばすと、横から新たな紙の束が積み上げられた。
「こちらが新たに増えた来賓のリストと出入り業者のリスト、そしてこちらが・・・」
「うえー、まだあるの?」
伸びの形のまま机に伏したのを見て、ゴホン、と外井は咳払いする。
「全てを把握しておくのはホストの務めだと旦那様のお言い付けです」
「はいはい、解ってるよ」
「レイ様、返事は一度で結構です。それと先程から・・・」
小言を始めようとする外井をノックの音がさえぎった。
「お茶を用意しましたので、少し休憩されてはいかがですか?」
ワゴンを押して短い髪のメイドが入ってきた。今のレイにとっては願ってもない申し出だ。
イスから立ち上がって再び大きく背伸びする。サラリと流れた黄金色の髪に冬の柔らかな光が反射した。
「そうだ、外井も由利も休まない?」
「仕事中ですので私は結構です」
机のそばに立った男はあっさりと断る。
「私もレイ様とご一緒するわけには・・・」
「なんとなく誰かに付き合って貰いたい気分なんだ。駄目かな」
メイドの立場として主人と席を同じくするわけにはいかないが、顔をのぞき込まれるようにお願いされて、けして断りたいわけではない気持ちが大きく揺らいだ。
「・・・でしたら一杯だけ」
一度そう言ってしまうと先ほどまでの決心はどこへやら、由利と呼ばれたメイドは耳の下で切りそろえた髪をゆらして、いそいそと紅茶を淹れ始めた。
レイは直立不動の男を見上げる。
「私は結構ですから、お二人でどうぞ」
あきらめてレイはソファーに移動した。
フレアスカートを整えて腰を下ろすと、目の前に二脚のティーカップが置かれる。
「では失礼して」
由利もソファーに座ってカップを手にする。紅茶に顔を向けたまま、上目使いでレイを見た。
長いまつげを紅茶から立ち昇る湯気がふわりとなでる。
その姿に目を奪われていると、視線がぶつかった。
「あ・・・あのっ」
レイに微笑まれて、由利の鼓動は大きく跳ねる。
主人であるレイと二人きりで(横には外井がいるのだが)真正面に向き合うなど滅多にない事である。由利は必要以上に緊張していた。
「こ、今年のクリスマスは大変ですね」
「ああ、昨年まではお爺様がホストだったからね。僕にも少しづつ慣れろとという事だろう。今まで任せられた事のある仕事ばかりだから大した事ではないが、全ての業務をこなさなくてはいけないとなると流石に、ね」
ホストなら八月の誕生日の時も務めたが、そちらはあくまで「お誕生会」。一般のそれとは規模が違うとはいえレイ個人のものだったが、今回は伊集院家全体の行事である。
来客にしても伊集院グループ傘下の者、取引大手の社長・会長に各界の著名人・・・きらめき高校の生徒まで入れると予定人数を数えるだけで一苦労だった。
「無理なさらないで下さいね」
大丈夫だよ、と微笑まれて由利はさらに赤くなる顔を下に向けた。
再び静まり返る部屋に、ノックの音がひびく。
「失礼します。麗奈様からのお届物をお持ちしました」
平たい紙の箱をかかえてメイドが入ってきた。
由利と同じ背格好で髪を二つに結っている。
「ああ、その辺に置いてくれ」
「はい」
入口近くの小さなテーブルに箱を置くと、ソファーに座ったメイドを「いいなぁ」という顔で見つめた。
「美利もお茶にする?」
レイが笑いながら言うと、跳び上がらんばかりに喜ぶ。
「いいんですか? ありがとうございます!」
「・・・美利、少しは遠慮しなさい」
それと対称的に由利が頭をかかえた。
「だってー、由利ばっかりずるいじゃない」
やれやれと腰を上げ、由利はカップを暖める。
入れ替わりに座った美利は、机の横に立っている男に目を止めた。
「あれ、外井さんは?」
「仕事中ですので」
「そんなのわたしだってそーですよ」
「いばらないの」
由利の言葉など聞こえてないように立ち上がり、外井の腕を引く。
「そんなとこにつっ立ってたらコッチが落ちつかないでしょ。さー座って座って」
「し、しかし・・・」
身長差は大人と子供ほどある二人だが、小さい方が強引に手を引いて大きい方を座らせる。
その前にスッと紅茶が差し出され、外井はしぶしぶとカップを受け取った。なかなかの連携プレーだ。
もう一つ紅茶を用意するとメイド二人はソファーに腰掛ける。
そこに同じ顔が並んだ。
そう、ふたりは双子なのだ。
髪が短い方が由利、結んでいるのが美利。もしくはキッとしまった眉をしているのが由利、穏やかに下がっているのが美利。と、顔と体の作りは同じだが、だいぶ印象が違うふたりである。
髪を結った方、美利がカップを置いて一息つく。
「だんだん忙しくなってきて、ああクリスマスが近づいてきたなーって感じがしますね」
「うん、伊集院家の一大イベントだものね」
美利が混ざった事で緊張も解け、姉妹は仲良く談笑する。片方は始めから緊張などしてそうにはなかったが。
「調理部なんて今から大いそがしですよ。どれだけ準備しててもイブの日は戦争ですもんね」
「もう何日かすれば、他人事じゃなくなるけど」
明日は我が身、と苦笑いする由利にレイは目を伏せる。
「僕が至らないせいで皆には迷惑を掛ける」
「そんなっっ、迷惑だなんてこれっぽっちも思った事ないです!」
両手を握りしめて力説すると、隣の妹も微笑みながら言った。
「いそがしいけど、それもふくめて楽しいんです。当日を考えたらもー今からドキドキですもん」
「しかし祖父のようには行かなくて、無駄に手間を掛けさせてばかりだ」
「誰だって、初めての時ぐらいそうなります」
「そんなのアタリマエじゃないですか。だって、レイ様は光輝様じゃありませんから」
なんでそんな事を言うのか、というぐらい当然のように美利が言うと外井も続いた。
「旦那様と同じである必要はありません。今はまだそこまで手は回らないかもしれませんが、少しづつレイ様の思うようになさればよろしいのです」
「私達でよければ、いくらでもお手伝いしますから!」
三人の言葉に、レイの胸は紅茶を飲んだ後のように暖かくなった。
冷めたカップを持った指にも血のめぐりさえ感じる。
「ああ・・・ありがとう」
微笑むレイに、三人の顔もなごむ。
「レイ様、お茶のおかわりはいかがですか?」
「そうだな、頼む」
由利が空になったカップを持ってワゴンに立ち、新たに茶葉をティーポットに入れる。
ソファーに座った妹はカップを置くと、正面の主人を見つめた。
「ところでレイ様、どうして男口調なんですか?」
美利がずばりと尋ねたので、危うくお湯のポットを落としそうになった。
それは由利も気になっていた事だった。
「男口調・・・かい?」
「ほら。それに昨日もそーでしたよ」
由利はお湯を注ごうとしていた事も忘れ、じっと二人を見つめる。
「そうだったかな・・・でもどうせ外では男で居なければならないし、いっそ家の中でも男の姿でいた方が楽かな」
「「ダメです!!」」
姉妹は声をそろえて抗議する。
「・・・お止め下さい」
外井も静かに反対した。
「や・・・やあね、冗談よ」
ははは、と笑うレイを三人は真剣な目で見つめる。
単なる冗談には聞こえなかったからだ。
「ほら、最近は男の姿での業務が多かったから、癖になっただけだと思うわ」
「それならいいんですけど・・・」
* * *
「どうだった、好雄?」
「は・・・ははは、気にすんな! 明日から冬休みだ、細かいことなんか気にしてるヒマないって!!」
通知表をバシッと閉じてヤケクソ気味に笑う。小波はそれ以上、成績について聞く必要はなかった。
好雄はカバンに通知表をしまうと、瞬時に頭を切り替える。
「それより、お前も伊集院のクリスマスパーティー行くだろ」
「俺はパス」
「ええっっなんで!?」
思ってもみなかった反応に、好雄は大きく驚く。
「面倒だし・・・家、仏教徒だから」
「おいおいおい、何言ってんだよ。そんなもんカンケーなく楽しめるもんは大いに楽しむ、それが正しい日本人ってもんだろ? パーティーに行きゃー豪華料理がたくさん、しかもタダ! そして何よりドレス姿の女の子がいっぱいなんだぜ!! これを見逃すテはないだろ」
「そりゃココロひかれるけど、こないだみたいに服装がどーとか言うんだろ? それに俺、ああいうイベントってあまり好きじゃないし」
好雄は心底信じられない、という顔をした。
「変な奴。いいよ、オレが料理と女の子ひとりじめするから」
「ああ、まかせた」
苦笑しながら、小波もあまり楽しくはない通知表をしまう。
「やぁ諸君、その様子だと結果は芳しくなかったようだね。いやいや成績ごときで一喜一憂できるなんて羨ましいよ。僕なんていつも結果は見えているから面白味がなくてね」
「うるせえぞ伊集院」
忘れようとしていた事をわざわざ蒸し返されて、小波は金髪の同級生にかみつく。
「知っているとは思うが24日は僕の家でクリスマスパーティーがある。一応君達も参加する資格だけはある事だし、雰囲気だけでも味わいたかったら来たまえ。門の外でも中の賑わいを知る事は出来るからね」
「お前、招待してるのかしてないのかはっきりしろよ」
友人に続いて口を開いた好雄に目をやると、伊集院は大げさに頭を振った。
「いやすまない、僕としては招いているつもりなんだが、当然起こるであろう事実は無視できなくてね」
あの伊集院家の跡取りだろうが関係なく口を出す友人を見て、横にいる好雄も思った事を口にするようになってきた。もっとも、小波のように「警戒してるだけ」と好意的に見る事はできなかったが。
「ああそうだ」
視線を小波に戻すと、口の端を上げて言う。
「君も他人に手伝ってもらってまでパーティーに来たいと言うならそれでも構わないさ。君のセンスじゃ到底入られそうにはないからね」
小波はグッと握りこぶしを作って伊集院を見た。
「俺一人で行ってみせる!」
「ほう、無謀な事を・・・。それじゃ君が服装チェックを通る事を心から願っているよ。はーっはっはっはっは」
伊集院は高笑いと共に去っていった。
それを見送った後、好雄は視線を隣に移す。
「お前、パーティー行かないんじゃなかったっけ?」
「いや・・・つい」
* * *
「伊集院くん、どうかして? どなたかお探しかしら」
我に返るとレイのそばには女性が立っていた。元々長身ではあるが、目線が同じなのは彼女がハイヒールを履いているせいだろう。
「魅羅くん、来てくれたのかい」
「お招きありがとう。本当に素敵なパーティーね」
きらめき高校一の美女と称される鏡魅羅の笑みに、男なら誰もが魅了されるだろう。だが彼女と見劣りしない容姿の持ち主は、そんなそぶりも見せずに微笑み返す。
「先程からずいぶんと男性に声を掛けられていたようだが、不快な思いはしていないかい」
「ご心配なく、名刺をいただいただけですわ。もっとも、私が学生だとは思ってらっしゃらなかったみたいですけど」
「無理もない、魅羅くんの美しさは今すぐ社会に出ても通用する程だからね」
「まあ、お上手ね」
たくさんの人が会話し食事するホールの中で目当ての人物を探すだけでも容易な事ではなかったが、ただでさえ目立つ二人が並ぶとそこだけスポットが当たっているかのような存在感を発していた。遠目から二人を指してささやき合っている者もいる。
気軽に近づけないその空間に、割り込む者がいた。
「レイ様、ご歓談のところ申し訳ございません」
祖父、光輝が呼んでいるとメイドは告げる。
「すまない魅羅くん、失礼させてもらうよ。ゆっくりしていってくれたまえ」
「ええ、ごきげんよう」
高校の生徒達が集まっている周辺から離れ、年輩の男性が多い方へとメイドに導かれる。生徒とそれ以外を隔てているわけではないが、同じ世代同じ目的の者が集まるのは自然の事だった。
「レイ、こちらに挨拶なさい」
会話の中心にいた人物が手招きする。
横にいるのはヤセタン社の社長だ。伊集院家にとっては大して重要な位置を占めていないが・・・ああそうだ、伊集院グループも関わる新たなプロジェクトが進んでいたのだったな、周りにいるのもその関連企業の者ばかりだ。レイはものの数秒でそれだけ判断する。
「ようこそいらっしゃいました。ヤセタン社のプロジェクトは僕も期待してしています」
営業用の笑顔で握手を交わす。
「すべては伊集院グループの投資とお力添えのおかげですが、そう言っていただけると心強い。次期総帥の読みは外れた事がないという噂ですから」
周りにいた大人達も会話に加わる。
「今も話題にしてましたが、本当に見事なホストぶりですな。会長もご安心でしょう、こんな立派な後継者がいらっしゃって」
「伊集院グループの未来は安泰ですな」
「なに、まだまだです。あまり褒めんでやって下さい」
「これはまた手厳しい」
はははは、と社交辞令の笑いに包まれる。その中心にいながらもレイの心は何も感じてはいなかった。
* * *
伊集院家の正門前。人々は中に入るために服装チェックの順番を待っている。
その列から戻ってくる二人を見つけ、朝日奈は手を振った。
「ヤッホー。もー帰んの?」
「うっせーよ朝日奈」
好雄は顔をしかめ、小波は苦笑いをした。
入れてもらえなかった事を分かっていて、わざとそう言ったのだ。
コートを羽織っただけの二人を前に、軽く視線を上下させる。
「まーそのカッコじゃムリないかもね。なんていうか、どっかの制服と・・・マジシャン?」
小波はグレーの綿パンに紺のブレザー、好雄にいたってはラメ入りの緑の燕尾服だ。何かカンチガイしてるようにしか見えない。
超ダサー、と笑われて好雄は反論する。
「それでもコイツは入れそうだったんだぜ。それを『いいです』とか言って断っちゃうんだから、ナニ考えてんだか」
「だってあの人なんか変だったろ。それに皆がここまで気合い入れたカッコしてくるとは思ってなくてさ、これじゃ入れたって気後れして落ち着いていられないし」
「んなコト気にするよりタダで豪華な食事! 可愛い女の子達がいっぱい!! ・・・ああもったいねぇ~。なんだったら服を取りかえてオレが・・・そうだ服よこせ。いま脱げすぐ脱げ早くくれ!!」
「ばっ、やめっ・・・いやーえっちぃぃ~~~」
「・・・・ちょっと、恥ずかしいから路上ストリップはやめてよね」
後ずさりながら朝日奈は言う。
「それに服交換したところで、結果はイッショだと思うけど」
「なにぃっ、そんな事言ってお前はどーなんだよ!」
好雄のニラみを軽く受け止める。
「ふっふっふー。そーゆーセリフはコレ見てから言ってよ」
コートを脱いでくるりと回ってみせた。
モスグリーンのドレスにサンタ風のジャケット、彼女らしい華やかな服装は二人の目からもチェックを通ると思われた。
「だいたいこのアタシが、服のセンスでひっかかるワケないじゃん」
悔しそうな好雄に追い撃ちをかける。
「ま、二人の分までた~っぷり楽しんできてあげるから。じゃあね~」
ひらひらと手を振って朝日奈は門の方へと駆けて行く。
それを見送り、好雄は大きくため息をついた。
「ちぇー、さみしいクリスマスかー・・・」
「なんだったら俺ん家でパーティーでもやるか?」
「アホか! なにが悲しくて男二人でパーティーなんぞしなきゃなんねーんだよ!! 男だけでクリスマス過ごすぐらいだったら、一人の方がよっぽどマシだああっっ!」
「なーんでそんなにクリスマスがいいかなぁ」
自転車をこぎながらしみじみとつぶやく。
商店街はカラフルに彩られ、クリスマス一色になっていた。店の前には真っ赤な服を着た老人の人形が飾られている。
プレゼントに心踊らせたのも昔の話だ。信じる信じないではなく、もらえる年齢はとっくに過ぎていた。
にぎやかな通りを外れると途端に人気はなくなり、細い道に入るとさらに静かになる。
自転車を止めると茂みに隠し、ボールを手に取って公園に入った。
しん、と静まり返り、冷たく澄み切った空気が精神を高めるように感じられた。
吐く息が白い。
「おりゃっ」
勢いをつけて、ボールをかかえたまま駆け出す。
コートまで来るとそのボールをドリブルし、シュートを決めた。
「うしっ!」
軽くガッツポーズをする。
準備運動を始め、しだいに練習に没頭していく。寒かろうがクリスマスだろうが変わらない、普段通りの風景だった。
* * *
入れ代わり立ち代わり挨拶が交わされる。祖父が紹介するのもあれば、向こうから選挙よろしく自分の名を連呼していく者もいた。あまり表立って姿を現さない伊集院家の跡継ぎに、ここぞとばかりに取り入ろうと必死だった。
それがひと段落したのを見計らって白髪のメイドが近づく。
「お疲れ様です」
差し出された飲物を流し込むと、思いの外ノドが乾いていた事に気づく。
「旦那様、レイ様をお借り致します」
少し離れたところにいた当主に断ると、レイをうながした。
「何の用だね?」
「レイ様にしかできない急ぎの用件です。詳しくは後ほど説明致しますので、ささ、こちらへ」
それだけ言って、足早に先導する。
歩きながらも挨拶される相手に目礼しながら、ホールを出、エントランスを抜けると、玄関前に車が待っていた。
「レイ様を頼みます」
メイドは運転手に挨拶すると、有無を言わさずにレイを車に乗り込ませる。
運転席に座っているのは外井ではない。いつもの男は門の所で警備に当たっていた。
どこに向かうか尋ねようとすると、ほどなく車は止まる。
「「お帰りなさいませ、レイ様」」
メイド二人が車を迎える。そこは伊集院家本館前だった。
本館の留守を守ってヒマを持て余していた由利と美利は、満面の笑顔で主人を迎えた。
「さあ、レイ様こちらへ」
「え、あっ・・・用件と言うのは?」
「はい、レイ様をゆっくり休ませるようにと、メイド長が」
計られた、と後ろを振り返るとすでに車はない。
「車は後ほど迎えに来ますので、それまでこちらにいらして下さい」
「今日は車も運転手も出払ってますから」
「だが、ホストが中座したままと言う訳にはいかないだろう」
「旦那様もいらっしゃいます」
「しかし皆に示しが・・・」
「レイ様!」
由利はしかるように腰に手をやり、主人を見上げる。
「朝からずっと働きっぱなしでしょう、ここ数日は夜遅くまで仕事してらっしゃいましたし。お願いですから休んで下さい」
その隣りで、にっこりと美利は笑う。
「レイ様はじゅうぶんホストのつとめを果たしました。あとは終わる前にごあいさつしていただければばカンペキです。だから、それまで少しぐらい休んでも平気ですって」
二人に引きずられるようにして自室に入れられると、出る事は叶わぬ、とばかりにぴっちりとドアは閉められた。
あの様子では簡単に戻してもらえないだろう、とあきらめてソファーに座る。
もたれかかるようにして天井をあおぐ。疲れているつもりはなかったが、一度座ってしまうと指一本動かすのすら面倒に感じられた。
何もせず、何も考えずに、ただ天井を見つめる。
使用人もほとんどがパーティー会場に出払っていて、まったく気配がしない。先ほどまでのにぎわいがウソのようで、耳鳴りがしているみたいだった。
チッチッチッチッ・・・・
時計の音がレイの心を急かせる。
部屋に戻ってからきっかり10分経ったところで立ち上がった。
迎えが来ないと言うのは、自分を休ませるための方便だと分かっていた。形だけでも休んだからかまわないだろう、とネクタイを締め直し扉に向かう。するとドア横のテーブルに箱が載っているのが目に止まった。
中にはパールピンクのドレスが入っていた。肩から胸にかけて薔薇のコサージュをあしらい、タイトなワンピースの上にシースルーのふわりとしたスカートを重ねてある。
独特の薔薇のデザインが、贈った人間の作った物だという事を教える。
やはり少女趣味な印象だ。
『どなたかお探しかしら』
その言葉と共に、一人の男を思い出す。
以前、母から服を贈られた時に出会った人物だった。
(僕が彼を探していただと?)
否定しようにも、真っ先に顔を浮かべた事が何よりそれを認めている。
レイは目を閉じ、小さく息をはく。
「近頃、あの間抜け面をあまり見ていなかったからな」
目がその男を求めていた事を自覚し、笑いをもらした。
「どうやら馬鹿正直に、自力で来ようとしたらしい」
もうパーティーも終わりに近いというのに、小波の姿は見えなかった。どんな姿で来たかと思うと、自然に笑いがこみ上げてくる。
レイはドレスを箱に戻すと窓に寄って、外をながめた。
(こんな寒い中で練習してるのだろうか)
窓ガラスに手をやると、ひやりと冷たい感触。
そこから見える木々は、部屋の明かりに照らされて寒々と立たずんでいた。
「物好きな男だ」
しかしその顔には、先ほどまでなかった柔らかな微笑みさえ浮かんでいた。倦怠感もいつの間にか消えている。
レイはドアを振り返ったかと思うと、また窓を見つめる。腕を組んで、うろうろと部屋を歩きまわった。
しばらくそうした後に、レイは受話器を取る。
「はい、外井です」
正門前の男の携帯電話につながる。
「僕だ」
帰る客のチェックを補佐役の青年にまかせ、外井はその場を離れる。
「レイ様・・・今日はおやめになった方が良いかと存じます」
祖父は財界人相手にまだパーティー会場にいる。いま車を出しては耳に入る可能性が高い。それはレイも十分承知していた。
「・・・頼む」
* * *
「ふぃー」
練習のメニューがワンセット終わった所で息をつくと、茂みの方から音がした。
小波は急いで振り返る。
「なんだブチか」
その言いぐさに、白黒模様のネコは鳴いて抗議した。
「ゴメンゴメン、彼女かと思ったんだ。・・・でも、今日も来ないだろうな」
ぐしゃ、と髪をかき上げてしゃがみこんだ。
銀髪の彼女は、月の始めに顔を出したきりまったく姿を現さなくなっていた。
「いいよ、俺にはお前だけだブチ!!」
抱きしめようとする手をするりと抜け、ネコは素知らぬ顔をこっちへ向ける。
「ちぇーー」
すねたように地面の上でくるくるとボールを回す。
ブチも時々は触らせてくれるようになったが、それもそう多い事ではなかった。
「にあー」
「ん?」
ブチは彼女がいつも座っているベンチの上にいた。
その横には見慣れない包みがある。
「これ・・・さっきはなかったよな」
荷物を置いた時の記憶をたどるが、その覚えはなかった。
周りに人の気配もない。
戸惑いながらそれを開けると、中には手袋とマフラー、そしてカードが入っていた。
一言、「Merry X'mas」と印刷されている。
「もしかして、俺に?」
寒さでこわばっている手で手袋を脱ぎ、さっそくそれを着けてみる。薄手なのにとても暖かかった。
ボールを持ってみると滑り止めがついているわけでもないのにドリブルにも支障はなく、素手でボールを扱っているような感覚がするほど違和感がなかった。
澄み切った星空を見上げ、白い息をはく。
「・・・・クリスマスもいいもんだな」
現金な男だ。
* * *
手袋にほおずりをする小波に、もう一度ブチの鳴き声が聞こえる。
「?」
プレゼントのかげには、プラスチックの薬のケースのような物が置かれてあった。
つまみ上げて、そのラベルを読む。
「・・・プロテイン??」