「レイ様、今年はいかがいたします?」
「・・・え?」
何を問われたのか分からずメイドを見るが、本人はニッコリと主人を見るだけだった。
「美利、それだけじゃなんだか分らないでしょ! ああ申し訳ありませんレイ様、もうすぐバレンタインデーですから今年は何を作ろうかというご相談なんですけど」
もう一人のメイドがフォローする。注意された方は「あ、すみません」とあまり気にしていない。
「そう・・・もうそんな時期なのね」
バレンタインデー、それは日本では女性が好きな男性へチョコレートを贈る行事となっている。愛の告白から単なる知人に贈るいわゆる義理というものまで、その意味は広い。
どちらしろ数週間前から女性は頭を悩ませ、男は浮き足立つ。しかし家の外で性別を偽るレイにとっては、そのどちら側に属すともいえず、むしろ気を重くする日だった。
「そうね、ブラウニーなんてどうかしら?」
「「いいですね、ブラウニー。私も大好きです!」」
双子は声をそろえて返事する。
「わたし、ナッツたっぷりがいいなー」
「美利の好みはどうでもいいの」
クスッとレイは笑う。
「そうね、多めに入れましょうか」
「やったー!」
諸手をあげて喜ぶ妹に、由利はやれやれと頭を振った。
「レイ様、今年もいっぱいチョコもらってきてくださいね」
(美利!)
「・・・そうね、高校に入ってから初めてのバレンタインだから、どうかは判らないけど」
「レイ様ならだいじょうぶですよ。中学のとき以上にもらえますって」
由利は頭をかかえたが、屈託ない笑顔にレイはかえって気が軽くなった。
* * *
窓から下をながめると女生徒がトラックに群がっているのが見えた。荷台はカラフルに染められている。
(・・・こんな男のどこがいいのか)
女なのに男の立場でチョコをもらうこと・・・相手に悪いとは思うが、もうバレンタインについては特に感じることもなくなっていた。
ひとつため息をついて廊下に視線を戻すと、そこに同級生が立っていた。
「やあ、おはよう」
バレンタインの憂いを捨て声をかけると、相手は少し身構える。
「何だよ、伊集院」
「今日はバレンタインだね。君には敵わないが、僕も少々もらったよ」
いつものように嫌味を言っていると、胸の内が手に取るように相手の表情が変わっていく。「迷惑だ」といわんばかりの顔がおかしくて、舌のすべりも良くなる。
「そんな事はないだろうが、帰りに鞄が空いていたら言ってくれたまえ」
「何でだよ」
「僕のをほんの少しだけ分けてあげるよ。それじゃあ、また。はーっ、はっはっはっ」
「・・・・・・」
ボウゼンとしている男を置いてくるりと背を向けると、目の前には女生徒が立っていた。
「あ・・・あの・・・伊集院君・・・・」
彼女は真っ赤な顔をして、小さな包みを握りしめている。中身はたしかめるまでもなくチョコレートだろう。
(まいったな・・・)
「その・・・これ・・・・」
「ありがとう」
伊集院は営業用の笑顔でこたえる。しかし手を出そうとはしない。
「悪いが外のトラックに入れてくれないかな」
「何だよソレ!」
背中から上がった声に振り返ると、小波がまだそこにいた。
「それぐらい、受け取ってやれよ」
伊集院は大げさにため息をつく。
「これだから庶民は。一つ受け取れば全て受け取らなくてはいけなくなるだろう」
「・・・だからってわざわさ渡しにきてくれた娘を帰すことはないだろ」
(何も知らないくせに)
「僕は全てのチョコを受け取る事はできない。女の子達に公平であるために誰からも直接受け取らないようにしているんだ。いいかい? 仮に彼女のチョコを受け取ったとする、それが僕の熱烈なファンに知れたらどうなると思う?」
「いくら公平だって、それじゃ・・・」
「あ・・・あの!」
黙って立っていた女の子が、声を上げる。
「・・・その・・・もういいですから」
彼女は涙目で走り去っていった。
じろり、と小波をにらむ。
「君が余計な口出しをするからだ。彼女の為を思うならこれでいいのだよ。軽々しく口を挟まないでくれたまえ」
「・・・でも、やっぱり俺は受け取った方がいいと思うけど」
* * *
「ああもう!!」
ダン!と包丁でチョコレートを真っ二つにすると、周りのメイド達の視線を感じた。目を丸くしてレイを見つめている。
「あ・・・ははは・・・・このチョコレート固いわね」
「私が替わります。レイ様はどうぞこちらでご指示を」
メイドが作業を受け継ぐ。
始めから指示だけでいいと言われていたのを振り切ってチョコをきざんでいたのだが、いらぬことを考えていて結局は取り上げられてしまう。
ハートや星、いろいろな形のチョコが細かくきざまれ、溶かされていく。伊集院レイに向けられた好意もすべて、ひとまとめに溶けていった。
「レイ様、報告致します」
厨房に入ってきた由利と美利はレイの前に気をつけする。
「チョコレートはすべてX線、金属探知機等のチェックを終え、その一部は伊集院家経営の孤児院や福祉施設に贈りました」
由利が報告し、美利は脇で待つ。
「それから手作りの物は・・・処分させて頂きました」
「・・・そう」
何が入っているかも分らない物を一つ一つ成分を調べているわけにもいかず、手作りだと分かる物は処分せざるを得なかった。
「あらかじめ手作りは遠慮して欲しいと断っているのだけど、どうしても居るのよね」
困ったようにレイは微笑む。
「それと、いただいた方のリストと入っていた手紙はレイ様の部屋へお持ちしました」
「そう、ご苦労様」
「レイ様、これでよろしいですか」
報告が終わったのを見計らって、ボウルを持ったメイドがうかがう。
「もう少し泡立てた方がいいわね。あ、それはもういいわ、蜂蜜とカラメルを入れて」
テキパキと指示を出すレイを由利は見つめる。
この人は夜中までその手紙を読むのだろう・・・
(レイ様がそこまで責任感じることないのに)
そう思っても、口に出すことはできなかった。
「レイ様、なにかお手伝いできることありますか?」
「そうね・・・」
「それなら、二人ともこっちお願い」
チョコレートをきざんでいたメイドが二人を呼んだ。
先ほどから辺りをおもしろそうにながめていた美利が、ぱたぱたと近づく。
「あっおいしー」
「さっそくつまみ喰いしてんじゃないの」
ぺしっと手をはたいて、ボウルのフチにたれたチョコをなめた美利をたしなめる。
「美利にココまかせてたら焼く分がなくなっちゃうから、他の所にやって下さい」
「あははは。そうね、美利ちゃんはラッピングをお願いしようかしら。となりで準備しているから」
「はあーーい」
美利は少し残念そうに厨房を出ていった。
レイがもらったチョコを使ってお菓子を作り家の者に配る、それが伊集院家でのバレンタインの行事になっていた。
伊集院家内で直接働く者、全員に配るといえばかなりの量だ。しかも男性だけではなく女性にも。ホワイトデーは女の子達にお返しをするのに忙しいため、まとめてバレンタインにすませていた。
「レイ様、このチョコレートを生地に入れてもよろしいですか?」
「そうね、このくらい冷めたらいいでしょう」
料理をするのは好きだった。頭を空っぽにしてくれるから、結果が形になって見えるから。けれど、今日はいつまで経っても心の中が乱れていた。
白い生地と溶かしたチョコレートがマーブルに混ざってゆく。それは、はっきりしないレイの心模様を映しているようだった。
* * *
「ブラウニーはすべて配り終えました。皆さんとても喜んでます」
「そう、ご苦労様」
部屋に戻ったレイは、手紙を読みながら由利の報告を聞く。
「はい、レイ様」
美利がテーブルに置いたのは、先ほどまで作っていたブラウニーだった。
透明な袋に入れられ、簡単にリボンだけかけている。
「レイ様の分です」
「私はいいわ。味見もしたから」
一日中チョコレートに囲まれ、香りをかぐだけでも胸がいっぱいになりそうだった。
「ほら美利、だからやめようって言ったでしょ」
「だってこんなにおいしいのに・・・そうだ、それじゃレイ様からどなたかにあげたらどうですか」
(なっ・・・美利!?)
由利はあわてふためいた。
家の掟で男の格好をしなくてはいけないレイに恋愛の話などもってのほか、それを連想させるような会話にも細心の注意を払うというのに、この妹ときたら後先考えずに口に出す。
「お祖父様にはもう送ったから」
レイは別段気にした様子もなく当たりさわりのない返事をした。
「そっか、先週作ってましたね。そうですよね、渡したい人にはとっくに渡してますよね」
「え・・・」
「それじゃ、あとで食べたくなったら食べてください。とってもおいしかったですから」
「それならあげるわ、二人で食べてちょうだい」
美利はすぐにでも手を出すかと思ったが、むずかしい顔をしている。
「・・・いえ、すっごくおいしかったですから、レイ様ともこのヨロコビをわかちあいたいんです」
食べたい気持ちと戦っていたが、横からの刺すような視線に何とか思いとどまる。
「余った分は皆で分けて、私たちも多めに頂きましたのでお気遣いは結構です」
由利が釘を刺すが、美利はもうそんなことは忘れたように笑う。
「また来年もたのしみにしてます!」
「美利、気が早すぎるって」
「だってー、レイ様のお菓子っておいしいんだもん。去年のザッハトルテも絶品だったよねえ」
ほう、とため息をつく妹に由利は苦笑し、レイも微笑む。
しかし、そんな主人を見ると二人は悲しい顔になった。後先考えない方がすぐに口を開く。
「レイ様、今日なにかあったんですか?」
「いいえ、どうして?」
「なんだか、ずっと怒っていらっしゃるようなので」
「え・・・そんなことないわよ」
にっこりと笑う。けれど、それが本当の笑顔ではないことぐらい、そばに仕える二人にはすぐ分かる。今日のレイがどこかおかしいことを、二人はずっと気にしていた。
よけい心配そうになる二つの視線にたえられなくなり、レイは口を開く。
「・・・ただ、ちょっと学校でね」
特に名は出さなかったが、チョコレートを渡しにきた女の子を拒否したこと、それを見ていた男子生徒に意見されたことを話す。
「私だって受け取りたくないわけじゃないわよ!」
語っているうちに怒りがよみがえってきたのか、語尾が強くなる。
「そんなことがあったんですか」
家の外のことはあまり話さないだけに、主人の学校の話題に美利はいつも以上の笑顔に戻る。それと対称的にもう一つの顔がくもった。
「レイ様がそんな風に、他人のことをおっしゃるのは珍しいですね」
「・・・そうね、悪口なんて言うものじゃないわね」
「いえ、その・・・」
そういう意味ではなかったのだが、由利は言葉を飲み込む。
(レイ様がこんなに感情的になるなんて・・・)
何に対しても、自分のことすら他人事のように話すレイが、負の感情をあらわにすることなどなかった。少なくとも、二人が伊集院家に勤めてからこの二年の間は、一度も。
レイも普通の人間だと思うのと同時に、レイをいらだたせた存在に何か不穏なものを感じた由利だった。
二人が退室した後は、レイは再び手紙に目を向ける。
「伊集院レイ」という幻影に向けられた好意、もしくはそれ以上の感情。読めば読むほどレイの心は重くなっていった。
それが自分の勤めだとばかりに次々と読んでいたが、ふと顔を上げて窓を振り返る。
暗く、凍えそうな景色が広がっていた。
(今日も飽きずに練習しているんでしょうね)
『とっくに渡してますよね』
小波のことを思い出すと同時に、美利の言葉が浮かんだ。
「どうして私があげなきゃいけないのよ!」
レイはぶんぶんと頭を振る。
(あんなデリカシーない人に)
学校でのことを思い出して、ムカムカと腹が立ってきた。
(無神経だし鈍感だし、地面に平気で寝転がるし、そうよ、この間なんてベンチにこぼしたドリンクを服で拭いてたわ、信じられない!)
次々と小波の短所をあげる。
(大雑把だし忘れ物多いし、授業中には寝るし、思った事はすぐ顔に出るし)
嫌そうな顔をする小波、嬉しそうに笑う小波が浮かんだ。
(・・・根拠のない楽天家だし、間が悪いし、それに・・・それに・・・・・・)
* * *
タン、タン、とボールの音が夜のコートに響く。
冷たく凍りつきそうな空気の中、一人の男が相も変わらず練習していた。
そしてそれを見守る女性は、はあ、と白いため息をもらす。
ここまで来たものの昼間のことを思うと顔を合わせる気にもなれず、やはり帰ろうかと考えていた時だった。
「!?」
妙な気配がして横を見ると、小波がブチと呼んでいるネコがいた。ポケットに入れていたブラウニーをひっぱり出している。
(ダメ!)
ネコにチョコレートを与えるとけいれんや心臓発作を起こすことがある。急いで取り上げようとしたがブチは袋をやぶってブラウニーをくわえる。
「あっ」
そのままコートを横切って逃げていった。
「うわっ!」
小波は一人だけの世界から、現実へ引き戻される。
「・・・ブチ?」
黒い何かが通り抜けた空間に首をひねる。問いかけてみても、その何かは戻ってはこなかった。
小波はこぼれたボールをさがそうとして、ベンチにいる彼女に目が止まり、手を振った。
「こんばんは」
にへら、と笑ってベンチに近づき、腰かける。
ウインドブレイカーのジッパーを下ろすと、凍えそうな気温だというのに小波からは湯気が出ていた。
彼女は水筒を出そうとして、先ほどあわてて詰め込んだブラウニーに手があたる。
(・・・別に、あげようとして持って来たわけじゃ・・・・)
それは無視して、スポーツドリンクをそそいだコップを渡す。小波はくいーっと飲み干すと、それを返すでもなくもてあましながら苦い顔をしていた。いつもなら学校であったことや家のこと、とりとめのない話をおもしろおかしく語りだすのだが、小波はあまり見せたことのない顔をして沈黙を保っていた。
「・・・学校で、すごく女子に人気がある奴がいるんだ」
その口ぶりに、「自分の事だ」と彼女は身を固くする。
「今日、女の子からチョコ・・・じゃなくて、プレゼントをいっぱいもらってたんだ。そして一人の娘がそいつに渡そうとしたら『その娘だけ直接受け取るわけにはいかない』みたいなこと言ってさ」
(だから、それは仕方なかったのよ!)
「あ、いや、別に悪口言おうってわけじゃないんだ」
彼女を見て、小波はフォローする。
「・・・いや、少しは悪口かな。その時は腹立ったし。でも、なんて言うか、誰からも受け取らなければたしかに平等かもしれないけど・・・そいつ、女の子にはやさしいんだけど、どの娘にも同じようにやさしくて・・・・それって、実はすごく寂しいことなんじゃないかって気がするんだ」
「・・・・・・・」
「ごめん、変な話しちゃって。ごちそうさま」
ニコッと笑ってコップを返すと、立ち上がって伸びをする。そしていつものようにコートに寝転がった。
小波はしばらく口を開けて空を見ていたかと思うと、急に起き上がる。
「空がすげーキレイだよ」
目を輝かせて言うものだから、彼女も空をあおぐ。
空気が澄んでたしかにきらめき市としては美しい方かもしれなかったが、あちこちの外国の天文台で星を見たことのある彼女にとってはそれほどとも思えない。
「そうじゃなくて、ここから見ないと・・・ごめん、君にはこんな所に寝ころがれないよね」
カチン、
(私がそのくらいの事できないって言うの!?)
ムッっとして立ち上がる。
小波にバカにされたような気がした。
(そうよ、汚れたってお風呂に入れば済む事じゃない!)
えいやっとコートに寝ころがる。
(ほらこんな事、簡単じゃない)
見上げると、そこに星があった。
「・・・・・・・」
ちょうど、そこから街灯は木のカゲになり、星の光はまっすぐ瞳に飛び込んでくる。
星の輝きはさっき見たものとさほど変わりなかったが、視界いっぱいに広がる星、星・・・。まるで自分が夜空に浮かんでいるような感覚だった。
腹が立ったのも忘れ、目の前の世界に引き込まれる。
オリオンの近くで、スッと光が流れた。
「あっ流れ星!」
すぐ横で声が上がった。
あまたの星の中で、ちょうど同じ星を見ていたらしい。
「ね、なかなかいいだろ」
起き上がると小波は、星空が自分のもののように言って笑う。逆光ではっきりとは見えないが、その笑顔は胸の奥まで入りそうな気がしてうつむいた。
手を差し出されて、彼女はうつむいたまま立ち上がる。
小波は彼女の背中についたほこりを払ってやった。
「きゃっ!!」
「ご、ごめん!!」
汚れを取ろうと無意識にその手を下まで・・・彼女のお尻に触れてしまった。
バンザイをして、他意はないことを主張するが、彼女は顔をそらして小走りでコートを出て行った。
(ああっ! 俺のバカ!!)
そのまま帰るのかと思ったが、彼女はボールをかかえて戻ってきた。
目は合わさずに、それを小波に差し出す。
「・・・ああそうか、もうそんな時間か」
受け取ると小波はフリースローラインにつき、彼女はベンチに戻る。
練習の最後に、締めのフリースローをするのが習慣になっていた。一日に何十本何百本とシュートを打っていても、今日の出来を占うようなこの一本は試合さながらの緊張感を持つ。
大きく息を吸い、軽く二度ドリブル。彼女を横目で一度見る、そしてシュート。
「よし!」
成功率も上がっている。
三年が抜けたあと試合にも度々出してもらえるようになり、少しづつ手ごたえも感じていた。
シュートを見届けると、彼女は立ち上がる。
「おやすみ」
手を振る小波に軽く礼をして出口へと向かう。
星が輝く薄明かりの下、並木道を早足で抜けているうちにいつしか駆け足になっていた。
『実はすごく寂しいことなんじゃないかって気がするんだ』
悲しそうに言う彼。
『ね、なかなかいいだろ』
嬉しそうに自慢する彼。
起き上がる時につかまれた腕、汚れを払われた背中が熱く、胸がざわめいた。
しかし、身体に触れられた時の以前の不快な感情とはまったく違うことを、彼女自身も気づき始めていた。
同じ星空の下、小波は振ったその手を下ろせずにいた。
「・・・チョコ、もらえなかったな」
がっくりとうなだれる。
「いやでも、バレンタインを知らなかったかもしれないし!」
そう自分に言い聞かせても、冷たい風が心の中にまで吹き込むだけだった。