「子宮って言うときこっち見んのやめてくんない? キモいから」
長々と続いた怪談を、チエは一言で切って捨てた。
「見てねーよ!」
いや、見てたよ――というのは勘弁してあげた。シュンはその手のイジりが苦手なのだ。
まあ、そういうのを差し引いても、よくわからなかったというのが正直な感想だった。でも、私はそれを口にする前に、ちらりと横目でハルカを見る。
「うーん、いまいち」
似たり寄ったりの感想。私はそれに追従して「同じく」とだけ口にする。だいたい世話になったお医者さんのためとはいえ、殺人事件の捜査を妨害する警官とか、荒唐無稽すぎる。
思った通りの反応じゃなかったのか、シュンは口をとがらせる。けど空気を悪くするほどじゃないようだ。ホッ、と一安心。
まあ、ハルカの意見だ。私が気をもむまでもなくみんな受け入れるだろう。
「そもそもいきなり何の話? 夏休みどこ行くか決める日じゃなかったっけ」
タカノリがさりげなく話の筋道を立てる。シュンの話はしょっちゅういろんな方向にすっ飛ぶので、聞き上手な彼がいてくれるとコミュニケーションが楽に済む。
まあ、シュンのためじゃなくて、
チエはキツめの見た目に反して結構怖がりだから、話題の中心を怪談から逸らしてあげようとしたんだ。
ただその目論見は失敗に終わってしまった。
「肝試し行こうぜ!」なんてシュンが言い出したからだ。
興津って先輩に聞いた話なんだけど、と軽く前置きをしながら話し始めたのはコウジだった。
S病院――
コウジはその先輩に貰ったという黄ばんだパンフレットを取り出した。
四、五ページの薄い冊子で、病院の長々とした沿革と、当時の有名人だか政治家だかの感謝の声が書かれている。それを読む限り、たしかにさっきの怪談と符合する部分が多かった。
裏表紙に書かれている住所は、大学からそう離れてはいなかった。車で一時間もすればつくくらいの距離。
「さっきの怪談がここのやつかはわかんないけどな。シュンが適当に拾ってきたやつだし」
「いや、絶対ここのだって。N県でH市でS病院だろ? ぴったりじゃん」
「はいはい。まあ、でも事件とかあったのは本当らしい。新聞とかにも載って、閉鎖されて。そっから地権者不明のまんま。だから肝試しに行くんならちょうどいいんじゃないか、って」
コウジがそういうってことは、ある程度は調べているらしい。ただ学部の先輩の入れ知恵とかいうのが、いかにもうさん臭い。雑談の流れでそうなったらしいけど、特に仲がいいわけでもない後輩に、そんなことをいちいち教えるものだろうか? わざわざパンフレットまで持ってきて? 怪しすぎる。
案外、どこかのサークルの「秘密基地」みたいな使われ方をしているのを知ってて、私たちをからかおうとしてるんじゃないだろうか。いかにもありえる話だ。
――と、いうか。そもそもこのご時世に肝試し? こいつらはテレビを見ないのだろうか。
けど、私がそれらの言葉を口に出すことはなかった。
「いいね、肝試し。行ってみない?」
ハルカが行きたいと言っている。それはつまり、行き先が決まったということに他ならない。
それに水を差すような真似が、出来るはずもない。
結局、肝試しは夏休み初日に決行されることになった。
そして、当日。夜の一一時。大学最寄りの駅に私たちは集まっていた。七時ごろまで降り続いていた雨も上がり、空にはポツポツと星が輝いている。お世辞にも綺麗とは言えない光景だった。おまけにじめじめして蒸し暑い。
私たちは、コウジがお父さんから借りてきたミニバンにいそいそと乗り込んで、目的地の病院へと向かうことになった。
車内の空気は妙に浮足立っている。
今からやろうとしてることは、行ってしまえば不法侵入だ。幽霊がいる、いないに関係なく何となく気分が高揚してしまうのもしかたがない。まあ褒められた話じゃないんだけど。
けど、私の気分は沈んでいた。日取りが決まってから今日にいたるまでずっとだ。
なんで誰も「肝試し」という行為を危険視していないんだろう。私とみんなの間にある、ギャップの理由がわからないのが怖かった。もしかしたら、私と同じように周りに合わせて――いや、ハルカに合わせて笑ってるだけなのかもしれないけど。
■■に捕まるかもしれないと、誰一人として言い出さないのは何故なんだろう。
ミニバンは市の中心部から離れて、郊外へと進んでいく。それに応じて人通りと電飾の数は減っていき、灯りの消えた人家が増えた。しかし三〇分もすればそれすらなくなって、今は緑と茶色、それらを包み込む夜の黒ばかりが周囲に広がっていた。
そこまで来るとはしゃいだような雰囲気も次第に失せて、話題も自然と怪談へと移っていく。
そういえばさ、とハルカが前置きをした。
「あの話のオチってどういう意味なの? いきなり赤ちゃんとか言ってたけど」
「うん、何か唐突だった。盛った?」
「盛ってねーよ! あれは、あー……ちょっと女の子に言うのどうかなって」
チエの言葉を否定しながらも、シュンは何故か言いよどむ。それでも続きを促せば、あくまで見たサイトに書いてあった考察だからな? と前置きをして話し始めた。
「水子霊の祟り、って話だ」
何それ、とハルカが聞いた。私も耳馴染みのない言葉だった。でもチエだけが、一瞬眉をしかめる。気付いていたのは私一人だったろうけど、あえて指摘するようなことはしなかった。
シュン曰く、水子とは堕胎したり流産した赤ちゃんの霊のことらしい。ちゃんと供養しないと祟るらしく、I医師はそれに殺されたんじゃないか、とそのサイトには書いてあったという。
「……それで死ぬなら、全国の産婦人科の人みんな死んじゃうんじゃない?」
「そこなんだよ、話のキモは。なんでIは水子に祟られることになったのか。そもそも、いくら名医がいる病院だからって、別に大病院ってわけじゃない。それがどうして警官の立ち入りまで制限できる影響力を持てるようになったのか」
シュンはそこで一旦話を区切った。小癪にもタメを作っている。しかし私はまんまと興味を持ってしまった。同じ疑問を抱いていたからだ。
「お世話になったから、お礼をしてたわけじゃない。弱みを握られてたから、助けざるを得なかったんだ。十河病院のやつらは、お偉いさん相手に違法なビジネスをしてたんだ」
――たとえば、カルテの残らない堕胎手術。
当時、日本には優生保護法があった。遺伝性の疾患を持っていたり、特定の病気に罹患していれば、合法的に中絶や強制不妊手術を行うことができた。しかし、当然行政的な手続きを経るので、患者となった個人の情報が残りやすい。
外聞か、愛情か、身内にその手術を施すことをためらう権力者。当時その制度の運用母体となっていた精神科医への影響力を持たない人間。そういった類のものたちが、顧客となったんじゃないか。そうシュンは諳んじる。
どこかのサイトの丸コピとはいえ、それを語って聞かせられると何とも不快な気分になる。
「Iは十河病院に来る前から「名医」って呼ばれてた。そんなやつが『母子ともに危険な状態だったけど、なんとか母体だけでも助けられた』なんて言ったらみんな信じるだろ? まあ、そもそも妊娠した事実そのものを隠したいやつとかもいただろうけど……。
とにかく、だから創業者一族はIを招いたんだ。その名声を利用するために。そしてIはそれに同意して、多くの胎児を殺してきた。だから病院は水子に祟られて、Iは真っ先に死んだんじゃないか、って話だ」
そこまで語り切って、シュンは一瞬満足げな顔をした。結局のところ誰かに話したかったんだろう。けどすぐに空気を察して情けない表情になった。
まあ、当然だけど車内の空気は最悪である。私たちはもちろん、タカノリも憮然とした態度だ。
「だから話したくないっつったじゃん……」
「いや、ポーズだけだろ。ノリノリだった」
チエがあきれ顔で呟いた。その通りだな、と私も思う。
それと同時に、私は心の中でシュンに感謝もしていた。この空気なら中止を言い出しても不自然ではないだろう。シュンには泥をかぶってもらう形になるけど、仕方ない。
そんなとき、ゆるゆるとミニバンが始めたのを感じる。コウジも苦言を呈そうとしているのかと思ったけど、違った。目的の場所についたのだ。
どうする? とこっちを覗き込みながらコウジが訪ねてくる。車は市道をはなれて、ぞぶぞぶと雑木林の中に入り込んでいる。その雑草だらけの道の先に、例の廃墟がある。
「……行こっか。せっかくここまで来たしね」
言い出すなら今だ。そう決意しかけた私は、しかし寸前で言葉を飲み込まざるを得ない。ハルカの一言によって、だ。
あんなに渋い顔をしてたチエも、しゃーないかと腰を浮かせる。そうしたらタカノリも反対する理由はない。シュンは明らかにほっとしたような表情を浮かべていた。
――余計なこと言わないでよ。
私はそんな言葉を思い浮かべながら、ただ「