晴嵐   作:おいかぜ

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次回で終わりです


七色のきざはし

 私のすべてはだった

 

 世界がの光でできているように

 私の輪郭はく縁取られていた

 

 まぶしい、と誰かが言った

 黄色に笑う人だった

 

 あなたは特別なのね、と誰かが言った

 くたたずむ人だった

 

 おまえは天才だ! と誰かが言った

 にゆれる人だった

 

 どこかへ行ってしまえ、と誰かが言った

 く怒る人だった

 

 友達にはなれない、と誰かが言った

 にそよぐ人だった

 

 あなたは普通じゃないのだ、と誰かが言った

 に柔らかな人だった

 

 あなたの居場所はここには無いのだと思う、と誰かが言った

 水色に揺蕩う人だった

 

 を透かすことにした

 海に溶ける

 夕日に滲む

 花弁に跳ね返る

 

 やがてになる

 割れて尖ったままの黒曜石

 

 思い出せそうで

 辿れない

 

 


 

 夜に噤む、という曲題を付けようとして、つぐみさんに恥ずかしいからと難色を示されてしまった。歌詞に記したのは、私の手を取ってくれたつぐみさんのことではなく、私から見た等身大のつぐみさんのこと。

 

 私の言葉でつぐみさんが救われたように書くつもりはなかった。

 

「私は燈ちゃんの言葉に感謝してるんだけどね。……何度も考えたんだよ? 燈ちゃんの隣でピアノが弾けたなら、私があの曲を弾くならどうするだろうって」

 

 日菜ちゃんが即興で組み上げるメロディーを汲み取って、つぐみさんが数小節だけ鍵盤に指を走らせる。静謐で清麗な音階がほろほろと溢れて、日菜ちゃんが「それ採用!」とギターでリピートする。

 

「でも、つぐちゃんったらかなり渋ったんでしょ?」

「それは……ちょっとしたプライドというか、意地というか」

「ふーん?」

「曲ひとつ、言葉ひとつで揺らぐ決断だったと思いたくなかったんです。ピアノをやめたのも、それ以外のことも」

 

 つぐみさんが加わってくれてから3度目の練習。私たちが今までに練習していた曲をつぐみさんは既にすっかり弾きこなしていて、花音さんが少し自信を無くすという事件から1週間。ようやくひとまずの完成を見せた歌詞に日菜ちゃんがメロディーをつけながら、スタジオでぽつぽつと各々の楽器を奏でていた。

 メトロノームが響く部屋に、花音さんのタムがテンポを刻む。

 

 練習中の小休止、喉を休めるための休憩時間に宿題の続きを進めながら、日菜ちゃん達のやり取りを聴き流す。

 

「そういうものなの? 人生に大きな変化をもたらす最もありふれたものは、誰かの言葉だと思うよ。……身近な人の病気とか生活環境の変化とかは抜きにして、だけど」

「それはそうかもしれませんけど……何度も揺らぎたくはなかったんです。それこそ、波に拐われて揺れているだけじゃないですか」

「乗る波を選べるなら、それでもいいんじゃない? 義務感と強迫観念まじりの決意よりは、よっぽど」

 

 ろくなものじゃないよ、と日菜ちゃん。誰のことを言っているのかは分からなかったけれど、なんとなく想像はつく。

 日菜ちゃんのお姉さんは、結局どんな人なんだろうか。日菜ちゃんと今はどんな関係性を築いているのかも、その人物像すらも私はよく知らない。

 日菜ちゃんのお姉さんなら良い人に違いない、と思ったりもするけれど良い人だから仲良くできるとも限らない。日菜ちゃん想いの人だったとして、日菜ちゃんにおんぶに抱っこ状態の私が胸を張って会えるわけもないのだし。

 

「……それに、誰かの代替を燈ちゃんに求めているようで、それも。……結局、折れてしまいましたけれど」

「おかげであたし達は優秀なピアニストを獲得したワケだ。燈ちゃんグッジョブ!」

「……あの、もしつぐみさんが嫌だと思うのなら──」

「それは言いっこなしだよ、燈ちゃん。私はあの夜、自分の意思で選び直したんだから」

 

 ボブの茶髪を耳に掛けるようにすくい上げて、つぐみさんが笑う。

 ……確かにそうだ。私が誘ったのに、私がそれを翻してしまっては意味が無い。

 

「……うん、ごめんなさい」

「ううん、大丈夫。……それに私もね、やっぱりまだ天秤にかけてるところがあるんだ」

 

 橙の瞳が瞼の裏に隠れる。伏し目に強調されるまつ毛の長さに気を取られたのも束の間、つぐみさんの言葉の意味を消化しようと意識の糸がつぐみさんの方へと向かう。

 

「……後悔、なんだろうね。これから天秤はイマ(燈ちゃん)の方へと傾きを増していくんだろうけど、残光に心惹かれてる」

 

 いつかは燈ちゃんが全部忘れさせてくれるのかも、とつぐみさんが微笑んだのを、否定したくなった。

 忘れちゃいけない感情だと思う。飲み込んで、昇華するべきだ。

 

 口を開こうとしたところで、つぐみさんが苦笑する。

 

「……うん、分かってるよ。だから燈ちゃんの手を取ることにしたんだし」

 

 さらりとつぐみさんが私の手を取った。悩んだままの問題を見るや「後で教えてあげる」と言って、私を立たせる。

 練習再開らしい。マイクを手に取ると、日菜ちゃんがご機嫌そうに笑った。

 

「んふふ、燈ちゃんも大概タラシの素質があるよね。花音ちゃんも、つぐちゃんもすっかり絆されちゃってるもん」

「それを言うなら、日菜ちゃんはどうなの?」

「んー、ナイショ!」

 

 花音さんの反撃をするりと躱して、日菜ちゃんがギターを手に私の隣へ移動する。

 

「だって、とんだラブ・ソングじゃない? 『海月のワルツ』も『アフターレイリー』も」

 

 歌詞もまるでラブレターみたい、と日菜ちゃんが笑って、海月のワルツのイントロを奏でる。特徴的な三拍子にステップを織り交ぜて、暖色のライトに照らされた日菜ちゃんがスカートを翻した。

 

 

 

 そして、練習の終わり際。

 演奏の切れ目、スタジオのドアがノックされた。はーい、と日菜ちゃんが答えると、ドアの隙間からまりなさんが顔を出す。

 

「良かった、まだ居た〜!」

「まりなさん? どしたの? 時間までにちゃんと片付ける予定だけど」

「そこは信頼してるから大丈夫だよ。そうじゃなくてね……あ、一応確認だけど、まだベーシスト探してる?」

「うん。絶賛募集中」

 

 スタジオを借りる時には不在だったまりなさんは、日菜ちゃんの返事を聞くと少し安心したように右手に持った紙をひらりと振った。

 

「アテができたかも、って言ったら、受け取る?」

 

 日菜ちゃんが私の方を見た。まりなさんにも、良いベーシストがいれば紹介して欲しいとお願いしていたのを思い出す。バンドメンバーに合う合わないもあるし、私たちのバンドは気難しい方だと自覚していたから、本当に「できれば」程度のお願いだったのだけれど。

 

「うーん、先に聞いちゃうけど、どんな人?」

「ええと、まずは経緯から説明してもいいかな?」

 

 こくりと頷く。スタジオの中に入ってきたまりなさんが、端っこのスツールに腰掛ける。ガラステーブルの上に紙……便箋のようなピンク色の紙を置いて、悩ましげに口を開く。

 

「2日前に、ベースを持った女の子が来たんだよね。『ランニングライトというバンドに渡して貰えませんか』ってこの手紙を渡されて、そのまま渡すのもなんだかなと思って少しヒアリングしたの」

 

 燈ちゃんに影響されてベース始めたんだって、とまりなさんが微笑む。

 

「話す限りは良い子だったし、ベースもちゃんと弾けてたから、会ってみるくらいはどうかなって」

「……つまり、燈ちゃんの熱心なファン?」

「そうかも」

 

 手紙を受け取った。封蜜で封印を施された封筒を開いてしまうのに少し躊躇する。翼が象られたシールは、素人目に見ても美しい意匠だった。

 

「なんか、破っちゃうのもったいないね」

「……うん」

 

 私と同じ感想を抱いたらしいつぐみさんが呟く。とはいえ、読まないという選択肢はなかった。

 できるだけ丁寧に封を破ったものの、スタンプが崩れてしまう。あーあ、と日菜ちゃんが悪戯っぽく笑った。

 

 中には少し厚みのある便箋が入っていて、紅茶のような仄かな匂いがした。

 

 几帳面な文字だ、というのが第一印象。まるで活字のようにブレのない字体だった。手紙の全体を俯瞰しても、全く乱れがない。ほんの少し偏ったり、傾いたり、字の大きさがバラついたりするような、手書き特有の揺らぎみたいなものが、この手紙からはまるで窺えないのだった。

 

 惜春の侯という言葉から始まる時候の挨拶からなり、私たちランニングライトの歌や演奏について言及し、結びにバンドへ参加したい旨を綴られた手紙を読み終えて目を瞑る。

 平熱の文章なのに、なんだか感情の色豊かな手紙だというチグハグな印象を受けた。

 

「……会ってみたいです」

「ほんとに? ……それなら、連絡しておこうか? 予約してくれてる日時の中で向こうの都合が良い日に来てもらうとか……」

「……いえ、大丈夫です。連絡先も書かれてますから」

 

 個人情報は渡せないから迂遠になるけど、と言うまりなさんの厚意を気持ちだけありがたく受け取って、手紙に書かれた電話番号を眺める。

 

 電話をかける時はいつだって緊張する。私から掛ける機会はほとんどないけれど、家に居る時は時折、セールスによって固定電話が鳴らされ、着信音に肩が跳ねる。

 手紙の送り主──広町七深さんは、あまりそういうのを気にしないタイプなのだろうか。

 

「……かけないの?」

「えっと、うん。かけるよ」

 

 番号を打ち込む。間違い電話をしないように何度か手紙とスマホの画面を見比べて、打ち終わると同時に呼出音が鳴る。

 1コール、2コール目で、通話が繋がった。

 

『はーい、もしもし〜』

「あ、えっと、……もしもし。高松燈、です」

『どうもー、広町七深です。……お手紙、受け取って頂けたんですね〜』

 

 電話越しだからか、テンションが読み取りにくい声だと思った。少しばかり語尾がなだらかでやわらいだ雰囲気の話し言葉が、スピーカー特有のノイズと音割れまじりにスタジオに広がる。

 

「広町さんは……私たちと音楽をやりたい、と思ってくれたんですね」

『はい』

「それは、どうしてですか?」

 

 なんだか、面接みたいだね。うしろで日菜ちゃんが言って、まりなさんが苦笑を零した。

 

『どうして……音楽が、白く聴こえたから。──それと、あなたが私と同じだと思ったから、かな』

 

 私と同じ。

 その言葉が意味するところは、つまり──

 

『──私は()()()()()()()。動機としては不純ですかね〜?』

「ううん、とても──とても、重い言葉だと思います」

 

 両手のひらで包み込むようにスマホを握る。力が入りかけた指先をほぐした。

 

「……一度、会って話してみませんか」

『はい、是非』

 

 顔も見えない状態でこれ以上言葉を交わすのは勿体ないと思ってしまった。言葉を消費してしまう前に、直接会って話したいと提案を投げた。

 いつどこで会うかという話になって、明日会うことになった。日菜ちゃんと花音さんは忙しい日だけれど、遅れて時間を作ってくれるらしい。頻繁には使わないスタジオを慌てて予約して、明日の打ち合わせを済ませる。

 

 合流に手間取りそうだから、とつぐみさんの提案で広町さんの学校まで迎えに行くことになった。

 

 広町さんの手紙には、私が歌に書いた覚えのない本心までもが書き込まれていた。

 喩えるなら、それはパンパンに膨らんだ風船のような空気のことだ。周囲の感情の氾濫を片端から吸い込んで、キリキリと痛む私の心。はち切れそうな心臓に、針のような言葉が投げかけられる──

 

 そんな、痛みのこと。

 広町さんはきっと知っているのだ。

 

 私よりは器用に生きている人なんだろう、というのはなんとなく伝わってきた。それでもどうしても欠けてしまった1ピースを探して、元来た道を歩いてしまう人なのかもしれない。

 それとも、私とすれ違って、肩が触れ合ったから……落し物に気が付いたんだろうか。

 

 ぞわぞわと心が滑った。

 

 人生で初めてホテルに泊まった日のことを思い出す。

 素足で寝そべったベッドのシーツの、つるつるとした感触に鳥肌が立って、慌てて足の指をギュッと縮めたあの感覚。タオル地のシーツしか経験してこなかった私はあの感触にすっかり怯えてしまって、靴下を履いたまま寝ることになった。

 ビジネスホテルではあのシーツが普通らしいから、普通の人は平気なのだろうか。

 

 頭の中で広町さんの虚像を思い浮かべては、行ったり来たりの右往左往。

 

 つぐみさんはこんな私の内心を見てとって、迎えに行こうだなんて提案をしたのかもしれなかった。

 

 ──人間になりたい。

 

 白紙のノートの罫線を跨いで書き込んだ言葉だ。

 広町さんも、同じなのだろうか。

 

 ──普通になりたい。

 

 当たり前を知りたいと、孤独に瞼を閉じた瞬間があったのだろうか。

 

「月ノ森の広町七深、ねぇ」

「お知り合いですか?」

「んーん。名前と……あと、絵を見た事があるなって思っただけ」

 

 少し遠くで、日菜ちゃんの気が抜けたようなため息が聞こえた。

 

「つぐちゃん、監督よろしくね」

「私からも。燈ちゃん、びっくりするほど突っ走ることがあるから……」

「それはわかりますけど……滅多なことはありません、よね?」

「わっかんない! 広町ちゃん次第かなぁ。……きっと、()()()()子だから」

 

 

 

 ・

 

 飛行機雲が青空と茜空の境目を分かつ。制服とスーツのひしめく灰色の海原を抜けて、つぐみさんと広い歩道を歩いていた。目的地から次々と出てくるセーラー服の生徒の流れを逆行する。西日が眩しい。

 

「夜盲症って知ってる? 暗所での視力が著しく落ちる病気で、鳥目とも言うんだけど」

「……うん」

「でも、現実はちょっと残念というか。実際のところ、夜でも鳥の目はそれなりに見えているんだって」

 

 西日から目を逸らして、つぐみさんが訥々と口を開いた。その表情はぼんやりとしか窺えない。自虐の色が含まれているような気がしたのは、私の思い違いだろうか。

 

「目を瞑っても、仕方がないって許されると思ってたんだ。夜には何も見えないからって。でも実際は、月光を導に飛ぶことだってできるらしいの」

「……だから残念なの?」

「そう。大好きな夕陽が沈んでしまえば、失意に()れたって許されると思ったのに」

 

 つぐみさんの言葉は、いつもよりも抽象的だった。少し大きなローファーのくるぶし部分が擦れて痛い。

 鳥目、という言葉そのものには聞き覚えがあった。そういうものかと思って納得していたけれど、フクロウや()()()は月輪に飛ぶわけで。そうでなくとも眠っている間に襲われた場合の生存率を考えると、夜でも少しくらいは見えた方が有利に決まっているから、やっぱり俗説に過ぎないのだろう。

 

「……少し早く着いちゃったね」

 

 月ノ森の学舎は、私の学校よりもずっと大きくて綺麗だ。規模に関しては幼稚舎から高校までの一貫だから当たり前ではあるのだけど。

 

「なんだか、燈ちゃんと出会ってから悩みのピークが訪れた気がする」

「……えっと、ごめんなさい」

「責めてるわけじゃなくて……なんというか、心にゆとりが無いと悩むこともできないんだなって思ったんだ。それはそれとして、悩んでも仕方が無いことで悩んでる自覚もあるけどね」

 

 紺色のセーラーが私たちに好奇の視線を向ける。ぺこりとお辞儀をされるのに同じものを返す。校風の違いを肌で感じた。

 

「私のお父さんが居なくなって、私がお店を継ぐために勉強をするって言い始めたら、きっと誰も止めない。離れていても糸が途切れないようにする方法を探すべきだったんだ」

 

 没頭していれば、悩みも忘れられる。いつか読んだ本にそんなことが書いてあった。

 私にも覚えがある。それこそ、ノートに文字を綴る行為は、自分の悩みを燃料に悩みを忘れるための儀式だった。

 

 振り返ってみると、私にも捨ててしまったものが沢山あるような気がする。つぐみさんがピアノを手放そうとしたように、私にも、何か。

 例えば友達と鬼ごっこをするとか、恋愛話をするとかそういうことかもしれないし、もっと大きな括りで切り捨ててしまったことだってある。

 

 広町さんを待つ傍ら、思考を巡らせる。彼女の顔を知らない私たちは、向こうから声をかけてもらうしかないから、ひたすら待ちの姿勢だった。

 つぐみさんが不意に、何かに気が付いたように門の向こう側へ顔を向ける。視線の先を辿れば、私よりも少し年上に見える二人組が歩いてくるところだった。

 

「……つぐみ?」

「ほんとだ〜、どーしたの?」

「蘭ちゃん、モカちゃん、久しぶり。待ち合わせ中なんだ」

「そうなんだ。月ノ森に知り合いがいるなんて初めて聞いたけど」

 

 後ろ手で、つぐみさんの手が固く握られた。親しげな二人の様子とは対照的な仕草に見えて、心に引っかかる。

 それに、『蘭ちゃん』とつぐみさんが呼んだ名前には聞き覚えがあった。つぐみさんが手を伸ばせなかった人。道を違えてしまった人。わざわざ月ノ森に来ることをつぐみさんが提案したのは、この瞬間のためだったのだろうか。

 

「初めて会う人だよ」

「どーゆーこと〜?」

「バンドのメンバー探し中なの。だから、バンドを組むかもしれない人」

 

 へぇ、とクリーム色の髪の女の子が息を漏らした。黒髪の──蘭さんの視線が私へと向かう。

 

「……じゃあ、そちらは同じバンドメンバー?」

「うん、紹介するね。私をバンドに誘ってくれた高松燈ちゃん。こっちは前に少しだけ話した幼馴染の美竹蘭ちゃんと青葉モカちゃん」

「……は、初めまして」

「初めまして〜。それにしても、つぐがバンドかー。ちょっと意外かも〜?」

「……そうだね。クラシックはもうやらないの?」

「うん。先生も辞めちゃったし、いいかなって」

 

 モカさんがゆるゆると笑いかけてくれる。私が半歩下がったのを見てか、すぐさま話題はつぐみさんのことに戻った。

 

「華、つぐみのコンクールに贈ってみたかったんだけどな」

「んふふ、じゃあいつか、バンドのライブにお願いするね」

「バンドか。……うん、それもいいかも。あんまり想像がつかないけど」

「そう?」

「うん。つぐみのピアノは上手だからどんなジャンルでも弾けそうだけど……つぐみが弾く仔犬のワルツが好きだったからかな」

 

 つぐみさんがロックバンドをやりそうにない、というのには同意する。それを言ってしまえば、私たちの中にいかにもバンドマンらしい人間はいないように思えるけれども。

 

「あたしはカノンのイメージが強いな〜。卒業式で弾いてたよねぇ」

「……そう言ってくれると、ちょっと惜しく感じちゃうな」

 

 言葉に間隙ができる。ひゅるりと梅雨前の風が吹いて、袖口を揺らした。

 

「今更だから言うけど、本当はみんなを誘おうと思ってたんだ。……結局、言えなかったけど」

「あたし達五人で?」

「……うん」

「それは……絶対、最高だっただろうな」

 

 蘭さんが瞼を閉じた。モカさんが同意するように頷く。

 口を挟むこともせずに、つぐみさんの後ろ姿を見守っていた。今からでも、と言い出さないかという僅かな危惧を素知らぬふりで躱して、伸び始めた影に目を落とす。

 

「つぐがピアノで、トモちんがドラム? あと3人は楽器とか触ったことないけど〜」

「蘭ちゃんがボーカルかな。ギターは……モカちゃんがいいと思う」

「ひーちゃんがベース? あたしと逆じゃない〜?」

「あたしがボーカルっていうのも、ヘンじゃない?」

「ううん。私たちが言葉を紡ぐとしたら、絶対に蘭ちゃんの言葉だよ。モカちゃんとひまりちゃんが逆になることも……多分、ないと思う」

 

 蘭さんの視線が明確にこちらへ向いた。

 

「高松さんは、どのパートなの?」

「……えっと、ボーカルです」

「へぇ。……ちょっと興味湧いた」

 

 紫が差した夕暮れのような瞳に惹き込まれる。つぐみさんが私の手を取って、軽く引き寄せた。

 

「蘭ちゃんと燈ちゃんって、少し似てるのかも。……きっと仲良くなれるよ」

「そう? じゃあ……えっと、スマホは持ってる?」

「はい」

 

 連絡先だけでも、ということになって、トークアプリに蘭さんとモカさんの名前が追加される。つぐみさんの勢いに引き摺られるままに事態が進んでいる気がして、私の心はふわふわとさまよった。

 

 私と蘭さんが似ている、というのはどういう意味だろう。私は彼女のことをまるで知らないから、全くピンと来なかった。今後互いを知っていけば、意味が分かったりするんだろうか。

 

「……稽古があるからもう帰らなきゃ」

「あ、引き止めちゃってごめんね」

「ううん、会えてよかった。つぐみにも、高松さんにも。ライブ、行くから誘ってよ」

 

 また話そう、と黄昏色の瞳が向けられる。こくりと頷いて、ひらりと振られた手のひらを見送った。

 

「突然でごめんね?」

「ううん、大丈夫。今のがつぐみさんの──」

「うん。……思ったよりも、何も感じなかったな」

「バンドのこと?」

「うん。私の中では一応、終わったことにはなっているみたい」

 

 つぐみさんの言葉に僅かばかりの安堵を覚える。それが浅ましく感じられて、視線が下を向く。

 

「……びっくりした?」

「……うん。けど、良かった。つぐみさんのことを、また一つ知れたから」

 

 都合よく会えるとは思ってなかった、と言い訳のように言って、つぐみさんの視線がちらと私のスマホに向いた。交換したばかりの連絡先が画面に写っている。

 モカさんから、「よろしくね!」とメッセージが添えられたスタンプが届いていた。クロワッサンに顔と手足がついた一頭身のマスコットが手を振っている。

 

「蘭さんと私……どこが似てるの?」

「蘭ちゃんの作品を見ればきっとわかるよ。……けどまあ、言葉にするなら……アスファルトに根を張ってる感じ、かな。流されてる私とはやっぱり違う。ちゃんと自分があって、それを表現するすべを持ってる。翼があって、(ひれ)があって、流れに逆らって生きていける。風が強くたって、根を張って天を仰げる」

 

 日菜先輩もそうかもだけど、と前置きしてから、つぐみさんが続ける。

 

「他人を惹き付けられるのって、そういう人だと思うんだ。だから私がそうじゃないとわかって……うん、納得した感じ?」

 

 諦めのような台詞を、向き不向きの問題だからと開き直ったように言ったつぐみさんに面食らう。そこに自虐のような色は無くて、むしろどこか楽しそう。

 

 言い終わるか終わらないかのタイミングで、校門から出てくる生徒の一人と目が合った。

 

「あ。……おまたせしちゃったみたい、ですね〜? 初めまして、広町七深です」

「高松燈、です。ライブ、毎回来てくれてますよね。……覚えてます」

 

 パールの髪が風にそよぐ。声の印象と見た目の印象がぴったりと合致した。

 名前と顔が一致してはいなかったけれど、広町七深さんには見覚えがあった。ほとんど毎回、ライブに来てくれている人だ。誰からチケットを買っているのかも知らないし、話したこともなかったけれど、幾度も目が合えば流石に覚える。

 

「はじめまして、羽沢つぐみです。……新入りピアニストです」

「……良かったぁ。もうベース枠、埋まっちゃったかと思いました」

 

 私が入れるかは別の話ですけど、と微笑んで、ベースケースを背負った彼女が私の隣を歩く。

 そっちは絶賛募集中です、とつぐみさんも笑顔を返して、スタジオの方へ。

 

「……ランニングライトがきっかけで楽器を始めた、って本当なんですか?」

「ホントですよー。14年ぽっちの人生ですけど、1,2を争う衝撃だったかもしれません」

 

 敬語じゃなくていいですよ、と広町さんが言って、つぐみさんが曖昧に頷いた。

 

「こほん。それで、燈ちゃん達とバンドやりたいって思ったんだ?」

「はい。たまたま、ランニング・ライトの演奏を聴く機会があって……その音があまりにも白かったから、ああなりたいって思ったんです。ああいう演奏をしたい。私が求めている色はこれだったんだ、って」

「白? ……そういえば、通話でも言ってたね」

「黄色に跳ねるようなボーカルと、青く包み込むようなギターが重なって、──なんて眩しいんだろうって思ったんです」

 

 黄色。そう言われても、あまり実感は湧いてこなかった。

 日菜ちゃんの青は、何となく分かる。ただでさえ日菜ちゃんの水色の髪につられてその印象が強いのに、ギターも声も透き通っているから晴空みたいだ。

 

 けれども黄色……。黄色い声と言えば、そのまま黄色い声援という言葉が浮かんでくるけれど、そうではないだろう。むしろああいった雰囲気から程遠いのが私だ。

 

「……どうして、黄色なんですか?」

「そう見えるから、ですかねー。なんでかはわかんないんですけど……」

 

 分からない、と言われて返す言葉を失う。

 それは「何となく好きだ」と言われるのと同義ではないのか。否定するつもりはないけれど、肩透かしを食らったような気持ちにはなった。

 音楽を通して自己肯定を求めている節がある私は、どうしても他者からの評価に無関心ではいられない。

 

「でも〜、白く見えたのがどうしてなのかは何となく分かります。……白は、太陽の色だから」

 

 隣を歩く広町さんが、太陽に手を翳す。日没が近付く時間帯、太陽は朱を帯びている。

 

「……今は随分と散ってますけど、太陽の白は全てを内包した色だと思うんです。七色に分かれた虹も、束ねれば太陽の白銀に回帰するみたいに。晴れの嵐に吹き晒されて、私も風を受けて飛びたくなっちゃいました」

 

 太陽の白。光の三原色、という言葉を思い出す。絵の具は色を混ぜると黒くなるのに、光は重ねると白くなるのだと習って、今に至るまであまり納得できないでいた。

 そうか、虹か。太陽の光が水滴に反射して虹を作るのなら、虹の色は全て太陽光に内包された色であるはずだ。真昼、私たちのつむじを焦がす日輪の白さを想う。

 

「……そういえば、青と黄色を重ねると白になるんだっけ。花音さんは青っぽいけど、私が入ると濁っちゃいそうだなぁ」

「黒じゃなければ大丈夫だと思いますけど〜」

「どうだろうね? 広町さんの感じ方次第だから」

 

 私の曲は「夜」みたいだし、と仮題のことを根に持っているらしいつぐみさんが私を見た。

 

 電車に乗って、少し離れたスタジオへ。花音さんと日菜ちゃんは既にスタジオに着いているらしかった。

 

「や、初めまして」

 

 日菜ちゃんと花音さん、広町さんとの初会合は至極あっさりとしたものだった。花音さんは大抵の事は受け入れてくれるし、日菜ちゃんは格式ばった挨拶を好まなさそうだ。

 燈ちゃんが認めてるなら、というスタンスを崩さないまま、日菜ちゃんはさっさとギターを持ち出した。ベースケースを指さされた広町さんがベースを取り出してきてアンプに繋ぐ。

 

「何なら弾ける?」

「今までのライブで聞いた曲なら〜」

「それじゃ、いつも通り晴嵐からやろっか。お手並み拝見、ってね」

 

 日菜ちゃんから受け取った水のペットボトルをマイクスタンドの傍に置いた。水面が花音さんのドラムに合わせて揺れる。

 下手くそでも構わないけど、と取ってつけたように言った日菜ちゃんにつぐみさんが苦笑する。

 

 これまでベースラインなんてものが存在していなかった曲に、広町さんのベースが乗る。足元から胸腔までを震わせる花音さんのドラムと、私に翼を授けてくれる日菜ちゃんのギターのあわい、あばら骨を内側から引っ掻くようにベースが鳴った。

 日菜ちゃんの感心したような表情。ゾワゾワとかきむしられるような感触に擽ったさを覚えながら、今度は風に吹かれる木の葉のように踊るピアノに心惹かれる。

 厚みを重ねていく晴嵐の情景に、思わず目を瞑った。

 今でも鮮明に思い出せる、日菜ちゃんにバンドへ誘われた瞬間。勢いを増して背中から吹き付ける嵐に、今日も心を解き放った。

 

 そして、ちらりと冷静さを取り戻す。

 広町さんの演奏はまさに過不足がない。つぐみさんが加わって表情が豊かになった晴嵐の土台を、セメントで塗り固めるみたいに支えてくれる。

 

 あっという間にフライトが終わる。私は熱に浮かされたまま、裏表のある心でそれを認識した。温かい空気が上へ流れるように浮ついて、冷たい流れが海底へ沈み込むように冷静な心が沈殿している。

 

 ──広町さんに心を預けられていないから?

 

 ぽんと飛び出した思考の間隙に、日菜ちゃんが口火を切った。

 

「いいじゃんいいじゃん! あたしが考えてたベースラインよりも面白いかも!」

「んー、ありがとうございます〜」

 

 日菜ちゃんがそこまで褒めるなら、乗り切れていない私がおかしいのだろうか。そう思っていたところに、たまたまつぐみさんが目に付いた。日菜ちゃんに対して曖昧な表情。つぐみさん的には、今の演奏はどうだったのだろう。

 自分の意見を二の次に、二人の顔色を窺ってしまったことに気が付いた。

 

 私の感情を確かめたかった。もう一回やろう、と言いかけた瞬間に、また日菜ちゃんが口を開く。

 

「じゃ、次は本心で弾いてね」

「……え?」

 

 空気がしんと張り詰めた。全く含みを見せない日菜ちゃんの笑顔と、凍りついた広町さんの表情。予想外のところから打ち込まれた楔に、広町さんが深く動揺したのが痛いほどわかった。

 話が進まないと思ったのか、日菜ちゃんが続ける。

 

「広町ちゃんがバンドに入ることに異論はないよ。だけど勿体ないじゃん、此処でも()()()()()の」

「えーっと、私は……」

「私は?」

 

 分からないんです、と広町さんが顔を下げた。日菜ちゃんが困ったように前髪をかきあげて、助けを求めるように花音さんの方を見る。そして首を横に振られていた。

 

()()()()()()()、だっけ。……じゃあ、そうだなー。普通って、なんだと思う?」

「それも、私には分かりません。知った気になっても、すぐに化けの皮が剥がれる」

「そうだよね。だって、普通じゃない自分を隠したまま、他人の普通を知ることなんて無理だもん」

 

 ギターケースにギターを仕舞って、日菜ちゃんは私に目配せをした。

 

「心は、窓だよ。自分の外にある営みを知りたいのなら、窓を開けなきゃいけない。締め切った部屋で息が詰まるからと窓を開ければ、風と共に虫や蒲公英の綿毛が入ってくることもある。窓を開けて隣人に声をかければ、隣人からも多少は家の様子を窺えてしまう」

「風を受けたければ、窓を開けろと〜? それは……」

「勿論、強制はしないけどね。……じゃ、広町ちゃんのスタンスが決まったら呼んで」

 

 弾かないならあたしは帰るから、とギターケースを背負った日菜ちゃんの手を、広町さんが掴んだ。

 

「……私は、どうすればいいと思いますか」

「それこそ自分で考えるべきことなんじゃない? 何か勘違いしてるみたいだけど、あたしは広町ちゃんと同じじゃないよ。……あたしは、白紙に戻りたいなんて思ってない」

「白紙……」

「白いから好きなんでしょ? 何にも吸い込まれていない純粋な白が。あたしのキャンバスには、大きな空色を塗りたくったからね。キャンバスから飛び出すくらいの、あたしの意思でさ」

 

 広町さんの手を振りほどいて、日菜ちゃんが私を見る。

 

「……今日は顔合わせだけのつもりだったし、燈ちゃんの人選だったら文句はないよ。このままにしろ変わるにしろ、広町ちゃんのスタンスが決まったら呼んで」

 

 燈ちゃんはどうしたいの? と問われているような気がした。広町さんを通して、私にも投げかけられた問いだ。

 ドアが閉まるのを見届けて、気まずそうに肩を落とした広町さんの後ろ姿。

 

「……氷川先輩は、私のこと何か知ってたんですかね〜?」

「えーっと、絵を見た事があるって言ってたような……」

「……なるほど」

 

 広町さんもベースを置いて、考え込むように深く目を瞑った。

 花音さんが立ち上がって、七深さんの傍まで歩み寄った。花音さんまでも私の方を見る。日菜ちゃんからの視線が問い掛けだとするなら、花音さんからの視線は信頼、のような気がした。私の思い上がりかもしれないけれど。

 

「あのね、七深ちゃん。もし七深ちゃんが嫌だなって思うのなら、日菜ちゃんの言葉に折れてしまわないで欲しいんだ。日菜ちゃんの言う通り、今のままで七深ちゃんの演奏は素晴らしいものなんだから」

「でも……私はやり過ごそうとしてしまったんです。ここに立つことを、自分で望んだはずなのに」

 

 私にできることとできないことの境界を、日菜ちゃんは私よりも深く理解している。そんな日菜ちゃんが私に問いを投げたのなら、日菜ちゃんはこの状況でも私に出来ることがあると言ってくれているに等しい……のだと思う。

 

 けれども、痛い。

 人の心に踏み込んで言葉を投げる度に、私の心も痛む。

 まだ何者でもない私が、日菜ちゃんの後ろに着いて歩いているだけの私の言葉が、正しさの鎧をまとって他人の心を殴りつける。

 私にその言葉を吐く資格があるのか。自問自答しては自縄自縛の一本道をひた走る。

 

 人が変わるのには、あるいは第一歩を踏み出すのには、恐怖と痛みが伴う。かつての日菜ちゃんの言葉を身をもって理解してきたつもりだ。そして、その痛みを与える役回りの重さも。

 

 我儘を言うだけでいられれば良かった。花音さんを誘ったときも、つぐみさんを乞うたときも、なんにも背負わず駄々を捏ねていられれば、こんなに胸が塞くことはなかったはずだ。

 

 二人を誘った責任を、このバンドを背負う重みを、身に染みて理解しつつある。

 

 ──口を開かなければ。私の歌に心を揺らしてくれた広町さんを、否定したままで終わりたくない。

 

「……このバンドに加わるための条件は、燈ちゃんが許すことだけだよ。私もつぐみちゃんも……日菜ちゃんも、燈ちゃんに少なからず心を預けている部分はあるけど、結果としてそうなっているだけで。……えっと、無理はしないで欲しいの」

「でも私は……そんな皆さんの演奏に惹かれたんです」

「そう。……じゃあ、ゆっくりで構わないから、七深ちゃんが納得できる形にして欲しいな」

「……ありがとうございます。……今日は、お暇させていただきますね。もう一度、やり直させてください」

 

 結局声をかけられないまま、広町さんを見送ってしまった。

 ピタリと閉まった防音仕様の扉に、私の声は阻まれる。

 

 考えると、口が重くなる。思考を回す内に溢れ出た不安や危惧が舌の上に積もって、私を窒息させようとする。思えば、花音さんのときもつぐみさんのときも、何も考えずに場当たり的に発した言葉が私を動かしてくれた。

 

 実態の伴っていない薄っぺらな言葉は苦手だけれど、何も言えずに黙りこくっているよりは幾分マシだと思う。

 言葉一つ見つけられずに立ち竦んでいる今よりは。

 

「あと1時間半くらいあるね。……勿体ないかな」

「ピアノとドラムなら、練習くらいはできると思います」

「そうだね、時間が余ったらそれもありかな。……燈ちゃん、とりあえず一旦座ろう」

「……うん」

 

 キャスター付きの丸椅子を引っ張ってきた花音さんに促されるままに座る。クッションの強い椅子の座面が軽く沈みこんで、程々の所で引っかかる。

 

「……日菜ちゃん、どうしちゃったんだろうね。この状況までは織り込み済みなんだろうけど、ちょっと理不尽だよ」

「広町さんについて何か知ってるんだと思います。『絵』って言ってましたけど……」

 

 スマホで何事か検索して、つぐみさんが画面を閉じた。

 

「今は何でも引っかかるんだね。……何となく、想像ついちゃうなぁ」

「燈ちゃんは、どうしたい? このまま宙ぶらりんで放っておくのもよくないと思う。燈ちゃんが七深ちゃんのことを好く思っているなら、だけど」

「うん」

 

 求められるのではいけない、と思う。そうなれば、私は私に甘えてしまう。

 私自身の意思で選ばなければいけない。選択に課された重みが、私の甘えを押し潰してくれる。

 今日だって、こうやって花音さんに背中を押してもらっている。

 

「本当に大丈夫? 日菜先輩は何も言わなかったけど、燈ちゃん、いつもと歌の感じが違ったよね」

「……少し、浮ついてたかも。広町さんが嫌だったわけじゃなくて……私の問題だと思う」

 

 広町さんの視線を気にして歌ってしまったから、感情を載せきれなかった。私自身が、心を預けることを躊躇してしまった。

 

「明日、また広町さんに会いに行く」

 

 挙句、声をかけることさえしなかった。

 広町さんから声をかけてくれたとはいえ、広町さんと弾いてみたいと思ったのは私自身だ。受け身で見送ってしまったのは私の浅ましさからで、それを日菜ちゃんにも見抜かれていたのだろうと思う。

 

「私も行くよ。フォローしてあげられなかったし……」

「……ううん、一人で行かせて欲しい。一緒にいると、つぐみさんに頼っちゃいそうだから……」

「そ、そう? うーん……じゃあ、燈ちゃんに任せるよ」

 

 つぐみさんが瞳を瞬かせる。

 私に何ができるのか、と考えてみても何も浮かんでこない。

 けれど、1対1の方が話しやすいんじゃないか、とか。私の書いた歌詞に共感を覚えてくれたのなら、私には話しやすいんじゃないか、みたいな思い上がり混じりの思考にベットして、ひた走ることを決める。

 

「それなら私は、日菜先輩と話してこようかな。流石にあのままじゃよくないと思うし……」

「うん、そうしてあげて。私は放課後しか会えないから……日菜ちゃん、捕まえられるかな」

 

 本心で弾いて欲しい、と言った日菜ちゃんの言葉がリフレインする。

 本心で弾けていなかったのは、広町さんだけだろうか。

 

「燈ちゃん、歌える?」

 

 首を横に振った。

 たとえ歌えたとしても、それは広町さんを認めがたい自分の無意識を可視化するようで恐ろしい。

 

「そっか。宿題が残ってるならやっちゃいなよ。分からなかったら教えてあげられるし」

「うん」

 

 あと1時間以上、時間が残っていた。早く出る分には支障がないけれど、さすがに勿体ないという判断だろうか。一人で帰る気にもなれなくて、花音さん達の練習を聴きながら宿題を進めることにした。

 家に帰ればきっと、広町さんのことで心がいっぱいになってしまうから、少しでも助けがあるうちに進めてしまう方が良い。

 

 花音さんのドラムが背中を撫でる。心の余白を音楽が埋めてくれて、思考をテキストに傾けることができた。

 短歌を読む、という国語の単元。最後には短歌を作ってもらいます、という宣告が為されていて、今から気が重い。

 

 日没のうたが鳴るスタジオで、教科書を捲った。

 

 

 

 ♦

 

 

 月ノ森の校門脇、昨日と同じ場所で立ち尽くしている。昨日もここにいたせいか、視線を浴びる頻度が上がったような気がする。

 少し大人びて見える生徒が次々と駅の方へと流れていく。このタイミングだと高校生が大多数なのだろうか。

 

「……貴方、高松燈さんよね」

「え? ……はい」

 

 通りがかった一団から、浅葱の髪の女性がするりと抜け出してきた。

 日菜ちゃんと同じ髪色と瞳だ、と気が付く。私や日菜ちゃんよりも5センチ以上は高い身長と、張り詰めた糸のような雰囲気に息を飲む。

 

「ここの生徒に用でもあるの? 知り合いだったら呼んで来れるけれど」

「……えっと、広町七深さんを待ってて……」

「……ああ、中等部の。流石に連絡先やクラスは知らないわね」

 

 すぐに来ると思うから、手短に。そう言って、ちらりと腕時計に落とされた視線が再び私を射抜く。

 

「もし何か違う、と思ったらすぐに氷川日菜から離れなさい。あの子と接していて心が苦しくなるとか、比較して嫌になるとか、そういうことがあれば──」

「大丈夫です……っ! 日菜ちゃんにそんなことは……」

「ええ。だから、『もし』と言ったのよ。他人ではなく、自分を一番大事にしなさい」

 

 日菜ちゃんには感謝こそすれ、一緒にいて苦しくなることなんてない。そう言い切りたかったのに、何故か昨日の出来事がちらと思い浮かんだ。

 

「あの子が何故バンドなんかやっているのか、理解に苦しむけれど……」

 

 日菜ちゃんによく似たかんばせが、言葉を選ぶ葛藤に歪んだ。今更ながら、この人が日菜ちゃんの『おねーちゃん』なのか、と気が付く。

 

「貴方がバンドメンバーのことを大切に想っているのはわかる。……あの子の事もね。だからこそ、引き摺られないで欲しい。飛び抜けた才能は、歩く速度さえも違えさせてしまうの。転んでしまわないうちに、迷わず手を離してしまいなさい」

 

 それだけ、と背を向けてしまった背中に何も言い返すことが出来ずに立ち尽くす。今更、彼女がギターケースを背負っていたことに気が付いた。

 日菜ちゃんのお姉さんもバンドをやっているんだったっけ、とかつての日菜ちゃんとの会話を思い返す。

 

「大丈夫ですの?」

「あ、えっと、大丈夫、です」

「そう。では、ごきげんよう」

「ご、ごきげんよう……?」

 

 苦しそうな表情を晒してしまっただろうか。あとから歩いてきた生徒の1人に心配されてしまった。

 ぺこりと頭を下げると、安心したようなため息とともに去ってしまった。

 

 月ノ森の雰囲気は、とにかく独特だった。

 私のいる中学校の生徒とは違って、なんというか、群れに価値を感じていないような気さえする。

 自他の輪郭がハッキリしているというか、大人びているように見える。

 

 広町さんを待っている間、案外と退屈ではなかった。運動部の人達が門のすぐ内側を走っているのを見送った頃、ようやく広町さんが視界に映る。

 私が気が付いたのと同時に向こうも気付いてくれたらしく、視線が交差する。無視されてしまうんじゃないか、という僅かな危惧は、幸運にも現実のものとはならなかった。

 

「そんな気はしてました〜。昨日と同じように待ってくれてるんじゃないかって」

 

 広町さんの目の下には薄らと隈ができていた。

 私と同じように眠れなかったんだろうか。

 

「広町さんと、話したくて……」

「うん、私も。今日会えなかったら、電話しようと思ってました〜」

 

 広町さんがへらりと笑って、それからひとつ咳払いをする。

 

「お互い、敬語やめない? その方が話しやすいなって思うんだけど……」

「……うん」

「それから、七深でいいよ。私も燈ちゃんって呼んでいい?」

 

 もう一つ頷いた。七深ちゃん。心の中で唱えてみる。どんな意味が込められているんだろう、とふと気になった。

 七と聞いて連想されるのは、ドレミの七音か虹の七色だ。なんとなく、後者の方が七深ちゃんのイメージに近い気がした。彼女がよく色の話をするからかもしれない。

 

「何処へ向かってるの?」

「私の家……というか、アトリエ。燈ちゃんに見せたいものがあるんだ」

「アトリエ?」

 

 聞きなれない響きだった。意味は分かる。芸術家の工房、というぼんやりとしたイメージがあって、恐らくその認識で間違っていないだろう。

 ただそこに『私の』と付くのを聞いたのは初めてだった。

 

「絵が置いてあるんだ」

 

 絵。そう言われて、私が頭の中から引き出せる知識は多くない。せいぜい学校で写生や水彩画を描いたとか、校外学習で美術館に行ったとか、なにかの映画でモナリザやゴッホのひまわりなんかがモチーフに使われているのを見たとか、その程度。

 

「七深……ちゃんが描いた絵?」

「そう」

 

 七深ちゃんの声が固く緊張の色を帯びた……ような気がした。昨日も、少しだけ絵の話をしていたのを覚えている。私にはなんのことか分からなかったし、家に帰ってから七深ちゃんの名前で調べ物をすることもなかったけれど、『絵』が七深ちゃんにとって重いものであることは疑いようがない。

 

「昨日は帰っちゃってごめんね。私、すごく恥ずかしくなっちゃって」

「恥ずかしい?」

「うん。夏休み明けに宿題を持ってくるのを忘れちゃったみたいな感じがしたの」

 

 もしくは、ドレスコードを間違えちゃったみたいな。

 後者の例えはあまり分からなかったけれど、言いたいことはわかった。私が学校で見当はずれのことを言ってしまったときのような羞恥を、日菜ちゃんは七深ちゃんに与えてしまったということだろう。

 

「七深ちゃんは、日菜ちゃんのこと怒ってないの?」

「私が? まさか。むしろ有難いくらいだよ。普通だったらあんな風に言ってくれないし」

「そう、かな」

「黙って遠巻きにされるか、失笑されるか。間違ってるんだって教えて貰えるだけ、優しいと思う」

 

 よく分からない。私と初めて会った日の日菜ちゃんは、もっとずっと優しかったから。昨日の日菜ちゃんは優しくなかったと思う。

 

「月ノ森にも、そういう人がいるの?」

「どこでも同じだよ。……きっと」

 

 赤信号に引っかかる。自転車通学の学生が隣に停まって少し気まずい。流行りのアイドルかなにかの話をしていたのが耳に届いた。学校でもよくクラスメイトが韓国のアイドルの話をしている。

 

 10分くらい歩いただろうか。ここだよ、と七深ちゃんが立ち止まったのは、とにかく大きな家だった。アトリエはこっち、と門を越えて案内されたのは、小屋と言うよりは別邸みたいな建物だった。

 七深ちゃんが鍵を開けると、独特の香りが風に乗って運ばれてきた。靴を脱いで一歩足を踏み入れると、それが画材の匂いだと分かる。美術室の匂いと少し似ていた。埃っぽいような、油っぽい絵の具の匂いとか、紙の匂いとか。

 

「お父さんが昔使ってたアトリエなんだ。今は使われてないから、私が借りてたの」

 

 見て欲しいのはこっち、と指し示されたのは一枚の絵だった。イーゼルに立て掛けられたままのキャンバスいっぱいに描き込まれた油絵のモチーフが何なのか、すぐにわかったのが自分でも意外だった。

 

「『晴嵐』……?」

「昨日仕上げたんだ。燈ちゃんに最初に見せるなら、これがいいと思って」

 

 青空に視線が吸い込まれる。もしかすると現実の空よりもずっと深い色に練り込まれた青空に縫い付けられた。七深ちゃんの目に映った世界が絵に起こされているのだとすれば、七深ちゃんの視界は私よりもずっと色彩に富んでいるのかもしれない。

 それから、葉桜。花が散ってしまった直後、夏の青葉とも違う、五月の桜。風に揺れる枝が、静止したキャンバスに風の躍動を生み出していた。

 

 晴嵐。正しく、晴嵐だった。私がいつも思い描いている景色だ。日菜ちゃんのギターが、私を導いてくれる光景だ。ぞわりと鳥肌が立った。何層にも塗り込まれた樹皮の質感、枝の曲がり具合、葉のグラデーション、そして、光の射す蒼空。

 

「すごい。……すごいよ、七深ちゃん!」

 

 絵を褒める語彙がないのが悔しいと思ったのは初めてだった。代わりに、思いつく限りの言葉を並べ立てた。理路整然とした感想ですらない、無秩序な思いつきの乱立を七深ちゃんは黙って受け止めてくれた。

 ただ一つ、晴嵐の歌詞に一文字も出てくることの無い葉桜をモチーフに選んだ理由については、「そう聴こえたから」という答えが返ってきた。

 

 他にもあるよ、という言葉につられて、奥の部屋に移動する。廊下ではずらりと並んだトロフィーや表彰状が棚に仕舞われていたけれど、七深ちゃんはそれに視線もくれずに先へ進んでしまった。ちらりと見えただけでも、広町七深と書かれたものが複数あった。

 奥の部屋には、倉庫のように道具や作品が仕舞われていた。いくつかの彫刻と、水彩画や油絵が所狭しと置かれている。

 

「彫刻はお父さんの。そっちの下手なのは私のだけど……。それでこっちが私の絵」

「これは、ライブの絵?」

「うん。私が初めて行ったランニングライトのライブの絵」

 

 暗いのに、白い絵だった。何を言っているのか分からないけれど、とにかくそういう印象を受けた。

 暗いフロア、スポットライトが当たるステージの上に、私と日菜ちゃんが立っている。マイクスタンドが二本、青藍のギターが一本、赤とオレンジと紫のスポットライト。私と日菜ちゃんはそれぞれ黄色と青に縁取られていて、とっちらかってしまいそうな程に多くの色が使われている。

 だと言うのに色が絶妙に調和していて、増して「白」だなんて印象が飛び出す。

 

 非凡な絵だということは、門外漢の私にすら分かってしまった。

 そして、それが今日の主題であることも。

 

「久しぶりに描いたんだ。絵なんか二度と描いてやるものかと思ってたのに、ライブの後、一日中キャンバスに向かってた」

 

 座って、と促されるままに丸椅子に腰掛ける。

 

「才能って、なんだと思う?」

 

 七深ちゃんの問いは、要領を得なかった。以前、日菜ちゃんとも似たような話をしたのを思い出す。

 

「私は不器用だから、凄いなって思う。勉強やスポーツや芸術ができるとか……。でも、日菜ちゃんは孤独だって言ってた」

「孤独?」

「才能は速さだからって。他人よりも速く、遠くまで行けてしまうから独りになるんだって」

 

 日菜ちゃんの言葉を借りるのなら、私はきっと遅いのだと思う。周回遅れで生きているから、他人から置き去りにされて独りになる。独りで歩いてきたから大切なものを取りこぼして、ねじ曲がったままここまで生きてきてしまった。

 

「なるほど。日菜さんにとっては、速度なんだね」

「七深さんにとっては?」

「私にとっては……レンズなんだ」

 

 七深ちゃんが棚の上から持ち出したのは三角形のガラスだった。シャッターを開けて、射し込んだ光にそれを翳すと、透過した光が七色に分散して壁に映し出される。理科の授業で見た事があった。プリズム、とか呼ばれていたはずだ。

 

「他人に見えるものが見えなくて、他人に見えないものが見える。他の人が気付かないものにも気付けるし、その逆も然り」

 

 その絵、と指さされたのはさっきのライブの絵。

 

「私に見えたままを描いたの。……私、音とか感触とか、そういうものが色付いて見えるんだ」

「……じゃあほんとに、私の歌は黄色く聴こえるの?」

「うん。日菜さんのギターは水色だし、花音さんのドラムは紫色。……これが変だって気づいたのは、結構最近のことなんだけどね」

 

 音が色付いて見えるというのはどういう感覚なんだろうか。全く想像がつかなかった。

 

「見えてるものを描いてるだけなのに、独創的だって褒められる。それが嫌で()()()()に描いてみれば、何故かそれも褒められる。私のレンズは絵を描くことに最適化されていて、それ以外にピントを合わせるのが難しいみたいなんだ。……燈ちゃんの言葉は、私の絵と同じなんじゃないかって思ったんだけど……」

「……ううん。七深ちゃんは、日菜ちゃんの方に似てると思う。だけど、考え方はきっと私に似てる」

「……そうかも」

 

 私の言葉は、日菜ちゃんや七深ちゃんみたいな『才能』ではないと思う。他人より優れているわけじゃない。

 けれど、はぐれ者であることを忌避する七深ちゃんの精神性は、日菜ちゃんよりも私に近いはずだ。

 

 七深ちゃんは、他の絵も見せてくれた。コンクールで金賞を取った絵。何かしらの展示会に飾られた絵。幾つかかいつまんで説明してくれるのを聞きながら絵を見ているうち、途端に色遣いが単調になった作品群があることに気が付いた。

 

「そっちは、絵を辞める直前の作品。妬み嫉みとか、苛立ちとか僻みとか、その程度のものだったんだけどね。すっかり色褪せちゃって、世界の全部が灰がかったセピア色に見え始めた」

 

 見たくもない、というように作品を奥の方に仕舞って、七深ちゃんが椅子に座り直す。

 

「絵を描くのは好きだけど、筆さえあれば良いわけじゃなかった。褒められる温かさとか、一緒に描いて悩んでるときの苦しさとか、スケッチブックが風に煽られて悲鳴を上げた思い出とか、私が欲しかったのはそういうものだったんだ」

 

 でも、と一呼吸置いて、七深ちゃんが上体を逸らした。天井を仰ぐように息を吐いて、丸椅子がギィ、と軋む。

 

「描けば描くほど褒められた。褒められたくてまた描いて、そうすると今度は褒められなくなった。描けて当たり前だから。一緒に描いていた仲間はいつの間にか居なくなって、私は独りになった。だから、描けなくていいと思ったんだ。絵なんか描いてたって、独りぼっちになるだけだって思って……それで、なんにもなくなっちゃった」

 

 あ、と気が付いたように七深ちゃんが席を立つ。待っててね、と言われるままに五分ほど待っていると、グラスとペットボトルを持った七深ちゃんが戻ってきた。気が利きませんで、と笑うのに釣られる。

 

「真面目な話をするの、喉が渇くね。緊張する」

「うん。すごく、分かる」

 

 今更ながら、日菜ちゃんが私の話を聞くときに連れて行ってくれるのはいつも喫茶店だったなと気が付いた。あれも日菜ちゃんの気遣いだったのだろうか。

 私には汲み取れなかった無数の優しさが、私の周りにはふわふわと漂っているに違いない。日菜ちゃんからだけではなくて、お母さんやお父さん、花音さんやつぐみさんからのものも。

 

「絵を辞めてからは、もっとヒサンだった。流行りのアイドルとか芸能人も知らないし、浅いコミュニケーションに縋るのがやっとって感じで。小説や映画で観たような、心が触れ合うような感覚はどこにもなかった。みんなには私の知らない共通認識があって、それが見えていない私だけが世界から拒まれてるような感じがして──灰色が濃くなった」

 

 七深ちゃんの瞳が、今度こそ私を射抜く。開けっ放しのシャッターから射す光の中で、パールの瞳が揺れる。

 

「本当に、救われたんだよ。私は独りぼっちじゃないって、教えてくれたんだ。久しぶりに筆をとって、気が狂ったみたいにベースを弾いて。それで、ラブレターまで書いちゃった」

 

 七深ちゃんの言葉をゆっくりと飲み干した。私よりも色んなものを持っていて、けれど私と同じなんだ。世間とズレているような感覚に苛まれて、孤独に喘いでいる。もしかすると日菜ちゃんみたいに振り切れる人なのかもしれないけれど、それを良しとするつもりは無いみたいだ。

 

「白紙の白って言われたときは、ちょっと驚いたなぁ。灰色に染まる前に戻りたいと思ってたのは事実だし〜、日菜さんが眩しく見えてるのも事実だから」

「……嫌じゃなかった?」

「ううん。やっぱり、恥ずかしかったかな。日菜さんには見え見えなんだな〜、と思って」

 

 ペットボトルからお茶を注いで、グラスの半分くらいを一気に飲み干す。七深ちゃんも全く同じことをして、それからシャッターを閉めた。LEDの白い灯りが日光の代わりに部屋を照らす。

 

()()()()()()()。……それは、共感が欲しいから。生まれた瞬間から持っていた才能みたいなものを疎んでいたわけじゃなかったんだ」

 

 ……だから昨日は本当に不誠実だった、と七深ちゃんが瞼を閉じる。

 

「燈ちゃんのことも知りたいな。曲のことは知ってるけど、やっぱり歌詞の分でしかないから」

「……うん」

 

 私たちのファーストライブを描いた絵を正面に置きながら、私も半生を言葉に紡いでみる。普通とか当たり前が分からずに生きてきたこと。そのせいでずっと孤独だったこと。日菜ちゃんと出会って少しづつ変われていること。バンドを始めた日のこと。花音さんと出会った日のこと。つぐみさんを見つけた日のこと。七深ちゃんのベースに心を預けられなかった後悔。そして、今日のこと。

 

「……今日、燈ちゃんに話したことをね。日菜さん達に話すつもりはあんまりないんだ。だけど、昨日みたいに取り繕ったりはしないで弾ける気がする。……日菜さんに再挑戦、お願いしてもいいかな?」

「いいと思う。……私も、昨日よりしっかり歌えると思うし」

 

 よーし、と七深ちゃんが握り拳を作った。再挑戦というかリベンジしに行くような言い草なのがおかしかった。

 バンドのトークルームに明日以降どこかで集まれないかと連絡を送ると、すぐに日菜ちゃんから「明日でいいよ」と返ってくる。元々練習日の予定だったから、花音さんとつぐみさんも予定は入っていないらしい。

 

 CiRCLEでの待ち合わせを約束して、七深ちゃんのアトリエを後にする。門を開けて手を振ってくれる七深ちゃんに手を振り返したあと、見上げた空は曇り空だった。

 

 

 

 ♦

 

 

 翌日は朝から雨模様だった。夕方には止むかもしれない、くらいの予報で、ほとんど一日中降り続く見込みだ。

 憂鬱な気分で通学路を歩いて、教室の自分の席についた。以前よりも雨を好意的に見られるようになったけれど、灰色の天気に良い気はしない。まして、昨日の七深ちゃんの話を聞いた後では。

 

 良いところがあるとすれば、今日は美術の授業があることだろうか。私にセンスがないことはとうに自覚しているから、普段は楽しく感じたりはしないけれど、七深ちゃんの感性に少しでも触れてみたかった。

 

「おはよう、高松さん」

「……おはよう」

「今日の放課後って空いてたりしない?」

「……ごめん。バンドの練習があって……」

「うーん、残念。またカラオケ行こうね。あと、新しくキャップのお店を見つけたんだ。燈ちゃんに似合うんじゃないかなって思うんだけど……」

「キャップ?」

「うん、帽子」

「ちょっと気になる、かも」

 

 帽子……日菜ちゃんにも「被ってみたら?」と言われたことがあったっけ。

 視線を遮れるから、上向きでいられるかも、とか。

 

「興味あるの!? 燈ちゃんはファッションとか気にしなさそうだなーって思ってた」

「……ヘン、かな」

「ううん、いいと思う!」

 

 仲の良いクラスメイトに話しかけられて、心が上向きになる。少し遠い距離が心地好い。彼女の一番の友達は私ではないけれど、狭間に二人で話すことはあるし、遊びにも誘ってくれる。席替えで席が近くなれば嬉しい。

 

 あとでね、と手を振って席に着いた。ホームルームを終えて、クラスの全員が疎らに美術室へ移動する。雨の渡り廊下を渡って、木材と油の臭いがする美術室の席についた。

 

 授業が始まると、レタリングという言葉の説明から始まった。文字デザインの話らしい、と大まかに理解する。それから、絵と文字を組み合わせてレタリングアートを作る、ということになった。好きな漢字を選んで、それにデザイン性を持たせるらしい。例として見せられた去年の生徒の作品では、「凍」の文字の二水の部分が氷のイラストに置き換えられていた。

 

 使う漢字はいくつか思い浮かんだ。「晴」「嵐」「虹」とか。虹なら文字の色を七色のグラデーションにしてみるとか、そんな誰にでも思いつきそうな案が思い浮かぶけれど、晴や嵐となると難しい。日へんを太陽にしてみるとか、山冠を山のイラストにしてみるとか、それくらいだろうか。

 在り来りなものを描くのではもったいないような気がする。たとえ七深ちゃんに出会っていなくても、同じような作品を作っただろうと思うと余計に。

 さりとて凝ったものを作ろうとするなら、文字選びに力を入れなければならないだろう。複雑な成り立ちの感じを探すとか、そういうことだ。

 

 迷った挙句、「晴」の字で進めることに決めた。下書きをして、文字の輪郭を取った所でその日の授業が終わってしまった。絵を描く段階まで至らなかったことに消沈しながら教室へ戻る。

 

 英語、数学、体育、給食を食べてから地理、理科と授業を受けて、あっという間に中学校で過ごす一日が終わる。あっという間と言いつつも、放課後に七深ちゃんと日菜ちゃんが再び顔を合わせるのが待ち遠しいやら恐ろしいやらでずっとそわそわしていた。

 もしまた失敗してしまったらどうしよう。日菜ちゃんはそんなことで怒ったりはしない……と思う。けれど、日菜ちゃんがいつまでも歩様を緩めてくれるとは限らない。日菜ちゃんのお姉さんの言葉が脳裏に過ぎった。

 

 5月も末、16時30分の空は明るい。

 雨はまだしとしとと降り注いでいて、しばらく止みそうな気配はなかった。

 灰色に煤をこぼしたような、青灰色の空をビニール越しに見上げる。車道の脇の水溜まりには虹模様が浮いていた。つい先程まで車が停まっていたのだろうか。虹は虹でも、けばけばしい極彩色だ。

 

「ばいばい、また明日ね!」

「うん……また明日」

 

 駅までの短い道のりを一緒に歩いていたクラスメイトと分かれて、すっかり乗りなれた路線に乗り込む。家とは少し離れた方角、ライブハウスCiRCLEの最寄り駅へ。

 

 CiRCLEのロビーでまりなさんが迎えてくれた。廊下の奥まった方を指さして、3番、と指を3本立てる。すっかり馴染んだその仕草に、まりなさんのスタッフとしての深みというか、馴染み深さみたいなものを感じる。ライブハウスのスタッフ以外の仕事をやっているまりなさんを想像できない、というか。

 

「こんにちは、燈ちゃん。もうみんな来てるよ」

「……お疲れ様です。……七深ちゃんも?」

「うん。結局、一緒に組むことになったの?」

「そのつもりです」

「そっか。……うん、頑張れ! 私はいつも応援してるからね」

「ありがとう、ございます」

 

 お姉さんがいたらこんな感じだろうか、とまりなさんに温かい言葉をかけてもらう度に思う。親戚の集まりで出会う少し年上のはとこや歳の近い叔父、叔母は、少し距離が遠く感じるのに遠慮がなくて恐ろしく感じることがある。だからあの人たちに姉や兄を感じることはないけれど……やっぱりよく分からない。本当の姉だったら、こんなに優しくはないのかもしれない。日菜ちゃんが姉妹関係で蟠りを抱えていることを考えると、そんな気がする。

 

 3番のスタジオに入ると、本当に4人揃っていた。基本的に私が1番か2番目に来ることが多いので、今日は珍しい。

 

「あ、来た来た。全員揃ったね」

 

 七深ちゃんが既にベースを背負っていた。テーブルにお行儀悪く腰を預けた日菜ちゃんがマイクスタンドを指す。心配していた二人の空気は──驚く程に柔らかだった。

 

「……大丈夫みたい」

「うん、よかった」

 

 花音さんの耳打ちに答えて、マイクを手に4人の中心に立つ。こうしてみると、まるで指揮者の立ち位置だ。マエストロ、なんて大層な立場ではないけれど、この4人の中心にいることを許されていることが、どうしようもなく嬉しい。

 

 七深ちゃんと目が合った。──大丈夫。今度は、今度こそは。

 

「……七深ちゃん。この間は、ごめん」

「ううん、私こそ」

「今日は、きっと飛べる、から」

 

 スカートのシワを伸ばす。つま先を折り曲げて、襟を正した。

 晴嵐の一音目をつぐみさんが鳴らしてくれるのに合わせて音程を調整する。

 

「七深ちゃんの色を、私にも教えて」

「……うん」

 

 晴嵐は、青だ。私を照らしてくれる陽の光。吸い込まれそうな青空。背中を押してくれる風。邪魔な枝葉だって吹き飛ばしてしまう嵐。私の心を、たちまちに染めてしまう青!

 

 いつもの演奏に、たちまち存在感を顕にするベース。肋骨を引っ掻く低音……そして、いつもよりもずっと感情が乗せやすいことに気が付く。私の声が独り浮かんでしまわない。より曲に馴染んで、日菜ちゃんやつぐみさんが紡ぐメロディーに寄り沿って歌える。

 

 ──化粧、みたいな。

 

 色が付いたものに別の色を載せるとき、白色を挟むと綺麗に発色するらしい。以前、美術の授業で水彩画を描く機会があって、そのときの講義でそんな話を聞いたような気がする。化粧なんかも同じ原理なのだとか。

 七深ちゃんの白色が彩度を整えて、日菜ちゃん達の晴嵐と私の晴嵐を交ぜてくれる。普段だったら行き過ぎないように互いに抑えるところを、全力で叫び合える。

 

 共感覚(シナスタジア)、という言葉を七深ちゃんから教えてもらった。私のこれがそんなに大したものかは分からないけれど、という前置きの後に語られた七深ちゃんの『世界』。

 

 残酷なまでに全てが見通せてしまう、「極彩色の世界」。好意も悪意も、他人も自分も親しい人も区別せずに全てを染め上げてしまう世界の色。

 

 七深ちゃんにとっては、慣れた景色なのかもしれない。けれど私には想像するだに恐ろしい世界だった。

 

 ……七深ちゃんの目に見えている晴嵐は何色だろう。私の今の歌は、日菜ちゃんのギターは。ランニングライトは白いままなのか、七深ちゃんにとっての別の色に変わり果ててしまったのか。

 

 日菜ちゃんが挑発的にギターのテイストを変えた。すかさず七深ちゃんが追随する。花音さんは動かないまま、つぐみさんが呆れ顔で日菜ちゃんに合わせた。

 追い風から横殴りの強風へ、ただ甘やかしてくれるわけじゃない、奔放で天衣無縫な黒南風へとたちまちに姿を変える。白い衣を靡かせて砂浜を駆け回る日菜ちゃんの姿を幻視した。

 

「あっはは、最っ高! おもしろーい!」

「上げて落とすのはなしですよ〜?」

「そんな事しないって! 広町ちゃん、やればできるじゃんか!」

「燈ちゃんのおかげです……」

「二人ともの勇気の結果だと思うけどな。本心ってそんなに安くないでしょ? 窓を開けるのって、殊のほか難しいものだよ」

 

 ──ほら、目が合った。

 日菜ちゃんが七深ちゃんと向かい合ったまま距離を詰める。額がくっついてしまいそうな距離で、引っ込みがつかなくなったような七深ちゃんが真剣に見つめ返すものだから、日菜ちゃんがくすりと笑って相好を崩した。

 

「素直で真面目ちゃんだね。……意外とウチにいないタイプかも?」

「え〜? 私は真面目だと思うなぁ」

「花音ちゃんもつぐちゃんも頑固ものだからナシ! もちろん、燈ちゃんも」

「……わ、私も?」

「……え、うん。……だよね? 花音ちゃんもつぐちゃんもそう思うでしょ?」

「まぁ……」

「うん……」

 

 少し、ショック。不器用ならせめて真面目でいようと生きているところがあったから、思い上がりを指摘されたようで恥ずかしいような。

 

 素直だけどね、とフォローになっていないようなフォローの言葉のあと、日菜ちゃんが次にいこうと言った。つまり──

 

「いいんですか?」

「もちろん!」

 

 もし、私と七深ちゃんがぎこちない演奏をしたとしても。日菜ちゃんは許してくれただろうと思う。けれども八方好しで事が収まったのは事実。私と七深ちゃんは二人して安堵のため息を零した。

 

「失礼しちゃうわっ」

「こればかりは日菜ちゃんの自業自得だと思うなぁ」

「分かってるって。じょーだんジョーダン」

「そうだといいけど」

「花音ちゃんまで最近あたしに厳しくない? つぐちゃんの影響?」

「どうかなぁ」

「うーん??」

 

 私も別に厳しくないと思います、とつぐみさんが言った。それから、一度七深ちゃんに視線を移して、ふわりと微笑む。

 

「それより、七深ちゃんのことが解決したなら、ライブやりませんか? 私、ずっと楽しみにしてるんですけど……」

「うん、やりたい。この五人で、ライブ」

 

 ライブという言葉に釣られて、すかさず賛成の意を表明した。日菜ちゃんとライブをした日から一ヶ月と少し。あの日に感じた予感が、現実のものとなる瞬間が近付いてきている。

 私と日菜ちゃん、二人だけのライブであそこまで高く飛べたのなら、今の私たち五人でならどこまで行けるのだろう。

 

 練習未満、ただの顔合わせみたいなセッションで、ここまで心が震えるのなら。

 

「んー、じゃあ、来週とか? 明日明後日は厳しいと思うし……どうせなら、4曲目も作っちゃいたい……よね?」

「……うん」

「みんなもそれで大丈夫?」

 

 全員が頷いて、あっさりとライブの日程が決まる。その足で日菜ちゃんがまりなさんにライブの日程について相談に行ってしまったので、日菜ちゃん以外の4人が取り残される形になった。

 つぐみさんはライブの段取りについて花音さんとなにか話していて、意図せず七深ちゃんと二人で話せるタイミングが巡ってきた。私が来る前、日菜ちゃんと何を話したのか少し気になる。決して悪いことはなかったのだろうけれど。

 

「……燈ちゃんが来る前、日菜さんに謝られちゃった。やり方が良くなかった、って」

 

 ぽつりと七深ちゃんが言う。それそのものは良い事だと思う。蟠りが残らなくて良かった。七深ちゃんがいくら気にしていないとは言っても、少しギクシャクしてしまったのは確かだから。

 

「遠くまで見えすぎると、近くが見えなくなる。それでも足元を気にしながらゆっくり歩いている人を、やっぱり私は責められない。……燈ちゃんは、目を離さないであげてね」

「それは──」

「──ライブの予約できたよ!」

 

 どういう意味? と尋ねようとしたところで早々に日菜ちゃんが戻ってくる。空を切った言葉が、ぶらりと心に垂れ下がる。

 

 改めてチケットの話だとかライブの段取りだとか練習のスケジュールだとかを話し合って、周知が済んだところで練習を再開する。

 練習の合間に一曲分の動画を撮って、SNSに告知を投げた。

 日菜ちゃんが管理しているアカウントのフォロワーはなんだか妙に増えていて、告知を投稿してすぐにコメントが付く。

 

 そっと息を吐いた。七深ちゃんは、私には見えない日菜ちゃんの何かを見ることができたんだろうか。何も持ち得ない私では、日菜ちゃんの内側は見通せないけれど……七深ちゃんになら、見えるものはあるのかもしれない。それこそ、才能がある人たち特有のシンパシーだとか。

 

 練習を終えて、五人連れ立ったままスタジオを出る。

 ドアを開けて外の世界に足を踏み入れた瞬間、湿度の高いじめっとした風が身体にまとわりついた。

 

 手放しに幸福な日常が続いてくれるわけじゃない。

 日菜ちゃんと出会ってから今日まで、自分の世界に閉じこもっていた私は絶えず新しい世界に足を踏み入れ続けてきた。初めて会う人の心に触れて、関わったことがない人と関わって、見ず知らずの人たちに心から歌っている。

 新しい1歩を踏み出すことへの不安が常に付きまとっているし、歩く度に自分の無力さを痛感する。

 

 頑張ろうとしなければ気付くことのなかっただろう己の無力さと、背景みたいに見えていた他人の生命力に打ちのめされる。

 

 たとえば、日菜ちゃんと私の本当の距離、とか。

 

「雨止んでるね」

「うん。あ、虹出てるよ」

 

 つぐみさんが東の空を指さした。うっすらと虹が浮かんでいる。東側はまだ雨雲が立ち込めていて、少し早めに夜が訪れているようだった。

 西の空ではレイリー散乱の名残りの僅かな青と、雲の隙間から焼き尽くすような紅が主張している。墨汁をこぼしたような黒々とした雲が、まるで炎に包まれる炭のようだった。

 

 東西でくっきりと分かれた空模様が、空の歌ばかり書いている私たちの歓迎してくれているようで心が軽くなる。

 

 虹。……うん、きっと次の曲は、虹の曲になるだろう。

 

 

 

 

 

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