朝日が昇る。鈍色の空が白く霞んでゆく。
星は雲の裏へと逃げて輝く光を隠す。
欠伸をしながら目を擦り、上半身を少し起こしたまま伸びをする。微かな頭痛に苛まれつつも、それを押し殺して流れる様に近くの“W”と彫られたダガーを手に取る。重い腰を上げて準備運動をする、とは言っても関節が硬化していないかを確かめるだけの事。
此処に来ても、今までの場所だとしても俺が傭兵である限り朝の習慣は変わらない。たとえ俺の生きる場所が変化しようが、この空からすれば些細な変化。まして生き方も変わっていないのだから、尚更。俺からしてみれば何も変わっていない。
…今日は珍しくアイツが早起きをしている。それは隣に誰も居ないおかげですぐ分かった。慣れない大移動に緊張していたのか、昨日のアイツは普段の数時間早く眠りに落ちていた。…だからだろう。早起きは三文の徳と言われているが、慣れないのにそれを身体に強いる事は体内時計に不和を生む。だから早起きは苦手だ。
アイツに悪戯されて無いかの確認をした後に。朝食を作りに行く為、料理用の焚き火の元へと移動した。
「Scar、居るか」
移動しながらも俺の相棒を呼ぶ。返事はない。
やっぱり他の奴らのテリトリーに馳せ参じている訳でも無さそうだ。聴こえるのは野郎共の喧しいいびき。残りは環境が起こす音。
これだけ呼んでも正体を表さない事は初めての経験。理由は単純明快、俺がアイツの事を見張っているからだ。俺がまだアイツに地図を持たせる事には否定的なのもそれが原因。おかげで一人でほっつき回るのは無いに等しい、この拠点の周辺には居るだろう。
…まあ、信じられないが……どうせScarの居場所は———
料理場は此処だったか、この拠点の配置も直ぐに覚えないとな。出来てから1日も経っていない拠点に慣れない俺であるが、今日中には覚えようと頑張るか。
……ああ、本当にいた。予想していたとは言え、これ程的中するとは。
俺が料理場につくとScarが座っていた。背中が壁になって正面は見えないが何やらナイフっぽい物を持っている。腕を動かしながら何かをしている様だ、火花の散る音の中に彼女の舌打ちが聞こえた。
何をしているのか気になる。それに俺は朝食を作りに来たんだ。傭兵の朝は早い、アイツらが起きる頃ぐらいには作っておかないとだろう。
俺は静かに彼女の隣に腰掛けた。
随分と集中している。手を伸ばせば彼女の肩に届く、そんな近い距離に居るのにも関わらず俺に気づいていない。
…結局、忙しそうにナイフを動かしていたコイツは何をしてたんだろうか。そう思い彼女の顔を見ていた視線を下げ、手元の方を見た。
彼女の手元にはじゃがいもがあった。いや、ただ単に握っている訳ではない。一つ一つ丁寧に皮を剥いていた、ペースは余りにも遅いが心を込めて完璧に仕上げようとしている事がよく分かった。
しかし何故、あまり得意とは言えない料理をしているのだろうか。そんな物、俺がやってやるのに。
「Scar?」
「痛っ!」
俺の思った以上に随分と集中していた様で、俺が呼びかけた声で驚き指を誤って切ってしまった。
申し訳ない。
「脅かして悪かった、大丈夫か」
「…かすり傷よ…」
「そうか良かった…それで聞くが、どうしてじゃがいもの皮剥きを?」
「練習よ、ちょっと前にあんたに私の料理を食べさせてあげるって言ったじゃない」
「それで、練習か……」
「それなら一緒に作るか?俺も元から今日の朝食を作る為にここに来たからな」
「…はあ、せっかくのサプライズだったのに残念だわ」
「……まあ、あんたの教えて貰えるならそれも良いかも知れないわね」
「そりゃどうも」
ひょんなことから、WとScarの料理教室が始まった。タイムリミットは誰かが起きるまでだ、それまで根掘り葉掘り料理の極意を教えよう。悪くない時間になる事は確定しているからな。どれだけ長くなろうが俺は構わない、アイツもそう思っているに違いない。
なんの料理を作ろうか……ポタージュで良いか。都合よくじゃがいもの皮剥きをしていたしな。
先ずは皮剥きで良いだろう。皮を剥いて貰った物はボウルに入れておき、後で俺が調理する。
皮剥きは順調に進んでいる様だ、Scarもナイフの使い方はそこらの奴よりも一日の長がある。剥くという動作はした事無いのがネックだが、才能のあるアイツなら上手くやるだろう。任せても良いだろう。
俺はバターと牛乳でも取るか。ああそう言えば、戦力が減って良かったことが一つだけあったな、俺の料理の負担が減るという事。人生前向きに生きてこそ。そうだろう。
「上手く行っているか」
「……それなりには出来ているわ、困ったらすぐ言うから助けなさいよ」
「はいはい」
こう言っているが案外俺が助けに行く場面は少ない模様だ。うちの子は優秀すぎて他の奴らに悪いな。
今思えばScarを加入させたのは英断だったか、ヘドリーの目には尊敬だな。アイツにはどこまで見えているんだか。これがアーツでもなくただの戦略家の目というのが恐ろしい所だ。イネスの目を警戒する者も居るが、真に警戒すべきなのはヘドリーだろう。この大地にはその上が居るんだから、それはまあなんというか。かのカズデルの英雄達の実力は俺の想像の範疇を超えているのだろうな。
十程のボウルの中に溢れ出しそうなほどのじゃがいもがある。それも全てが良い感じの大きさに切られている。指示していない筈なのに…
中々気の利く奴だ。
「これで充分だ。どうだった、手応えはあったか?」
「皮剥きは完全にマスターしたわ、標的の首を切り落とすくらいには身体に染みついた動作よ」
「それは良かった、また機会があったら一緒にやった方が良いか?」
「勿論!」
満足した様子で何よりだ。
「あとは俺がやろう、休んでてくれ」
玉ねぎを切っていると涙が出てくる、源石技術は発展していっているのに未だにこの症状の対策は無いのだろうか。世の科学者達は何をしているんだ。薄く切った玉ねぎも同じくボウルに入れる。
鉄製の鍋の中にバターを入れ熱する。少し遅れて玉ねぎとじゃがいもを入れる。
溶けていくのを見て感じれば牛乳を追加して木べらで諸々を潰す。
空へと見上げれば先程より日が地平線と離れて行っているのが分かる。
暇だな…
いつもなら当てもなくほっつき歩いたり、一人で訓練でもするのだが運が悪い事に今日はそんな体力はなく。
こんな早朝で仕方ないがヘドリー達も起きる気配がない、つまりは新たなスケジュールが組まれる事もない。
俺はただ悪戯に空を見上げていた、何も面白くはない。
全てが灰の雲と黒の空で埋め尽くされている。地上近くは日の光が差しているがそれだけ。
横になって寝ようとするが眠気は都合よく襲ってこない。
アイツは箱の中を漁っている、爆弾でも探しているのか。
「Scar、何か面白い話あったりするか」
何て無茶な話の振り方だろうとは自分でも思う、それでもそれぐらいしか話す事がない。
「面白い話?……そんな物はないわよ、それよりも私はあんたの事が知りたいけど」
「常に一緒に居るんだから大概分かるだろう」
「私達が出会う前の事は、一切知らないわ。クソ女達もそれ以前のあんたを知らないじゃない」
「イネスもヘドリーにも言ったことないな、全部が全部覚えている訳でもないし一々言う事でもない。利用できれば過去は問わないそれが傭兵だろ」
「じゃあ、あんたと私は傭兵仲間?違うわ、相棒でしょ」
「………確かに、俺が間違っていた」
「長くなるが良いんだな」
「日が昇るのはもう少し後よ」
「オーケーって事だな」
『——————』
薄い青のベッド、その部屋にはそれと————
記憶の最奥、最も古くからある記憶は。俺が何処かのベッドの上で眠りから覚めた時の記憶だ。けれども、もう其処が何処にあるからもう分からない。今思えばそこはただのカズデルでは無かったかもしれない、寝床も石の様に硬いなんて事は無かった。
そしてその後の記憶は断片的な物。アーツはその時から使い方を理解していた今でもしている物体の見た目を変える程度の事だ、刀はそうとはいかず少し場数を踏んでから慣れた。摩耗した刀を研ぐなんてそれよりも年数が必要だった…俺はずっと、少し前のお前と同じ様に人から食料なりを奪って生活していた。俗に言う盗賊だな。
『……ッチ、殺す』
『盗人のクズが』
ガタガタの刀とダガーで他人の命を燃料にして、その日その日を生きながらえていた。計画性なんてなくただ今のある命を枯らさないように守るだけで背一杯だった。…毎日を過ごして数年、数十年、俺にはもう記憶はないが空白の期間が続いた。俺が生きているという事は上手くしぶとく生きながらえたのだろう。
そんなただの時、最初の転機が訪れた。……アーツの新たな使い方。
それは俺の姿、その周りに幻影を纏わせて変装紛いの事をするという事だ。そんな使い方は案外思いつかない物でな、その時になるまで考えもしなかった。最初は大して使えない無用の長物、だと思っていた。
確かに自分の命の価値を上げる。その点においては名を上げ沢山の血を浴びた姿を世間に見せつける方が良い、自らの正体を隠す必要なんてない。けれどもだ、この地では人を一人殺しただけで恨みを買われる。
傭兵をずっとやりたいと思っていた気持ちを抑えつけていたのはその所為だ。
ヘドリー、シュラウド、この荒野で名を挙げている奴は全員背中に無尽蔵の恨みを背負っている、影には幾人の死人が、影の裏には死人の復讐を果たす為に生きる引導者が何人も存在する。
ああ分かるぜ、想像しただけで。どれほど怖いだろうな、どれほどの実力があろうと寝込みを襲われたら一発だ。そんな人生、その時の俺は絶対に生きたく無い。そう思っていた。
はあ………俺は元々、生涯自分自身の姿を他人に見せるつもりも無かったし。人生を共にするコードネームも作る気が無かった。そんなリスクは俺の好みじゃない。賭けなんて物は最悪の手段、最狂の奥の手だ。今でもそう思っている。だからその時の俺はアーツを使い姿を忍ばせていた。
そしてだ、やっと俺の傭兵生活が始まった。偽名と幻像を俺に被せて、依頼人の所へ赴き依頼を受けて目標を殺す、そして報酬を貰って…はい終わり。傭兵をするまで盗人をしていたお陰で戦い方はその頃には理解していた、あとはそれを実行するだけ。初めての依頼を受けて時はなんとも感激して感無量だ。そして依頼を完了させ報酬をこの手で握った時は達成感と優越感が滾った。死闘も潜り抜けたし、傭兵をしたのは後悔していない、寧ろ英断だと思っている。変装も敵の仲間の皮を借りて瞬時に首を奪ったり、色々な使い方があってよ。…少し恥ずかしいがアーツに興味を持ってリターニアのアーツ教科書を買うこともあったな。その本実はその箱の中に入ってる、暇だったら勝手に見ても良いぞ。もしお前にリターニアの文字が読めるのならな。
あ?その時に困った事はあったのかって?………何より新しい名前を考える事だな、適当につけても良いがそれっぽくないと怪しまれるかも知んねえだろ。まあ大概の奴は名前なんて気にしないが万全を期してだ。
本当の事を言うと、一番困ったのは“頭痛”だな。当たり前だが………アーツは源石を媒体にして使用する、基本的にはアーツユニットを使うがそんな物より便利なエネルギー源を俺達はこの身に宿してる。”体内の源石”紛い物の源石よりもナチュラルな方が活性化し易くて、効果は絶大。
そして肝心なリスクはこっちの方が圧倒的に大きい。源石を活性化するんだ、症状の進行は早まるし全身を蝕んでゆく。
つまり、俺が言いたいのはおそらく俺の脳は源石に呑まれているかも知れない、そう言う事——
…おいおい、そんな泣きそうな顔をするなよScar。
別に俺はお前を心配させたい訳では無いんだ、悪かったな。次は楽しい話でもするか。
そうだな、俺の経験する最強の敵。Rapidでも教えてやろうか。
そいつは俺がヘドリーと会う直前に戦った奴でよ、正直今戦っても勝てるかどうか怪しい。お前か?……控えめに言って絶対に無理だな。
あのサンクタのツァドクならもしかするかも知んねえが……ああ、ヘドリーとかなら—————
ああ、そろそろ隊長達が起きそうな時刻か。
「悪い、話の続きは後のしよう」
「あんたそうやって、いつも後回しにするけど本当に約束やり切れるのかしら」
「…お前が死なないなら余裕でやり切ってやるよ、約束もそれ以外も」
「…はあお陰で、面倒な生きる目的が増えたわ。責任は取りなさいよ」
「責任を背負うぐらい良いが、最後に身を守るのは俺じゃなくて”自分”だぞ」
「言われなくとも、分かってるわ」
悪天候で湿っぽい、雨でも降るのか。
ポタージュも冷めてるだろうから温め直さないとな。