荒野に抗う   作:ひトリび

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例えば。
俺が違う道を歩んでいたら。そういった事は誰だって考えたことがある。もし最初に拾われたのが殿下ではなく将軍ならば、もし俺が将軍と出会わなかったら。でも過去は不変だ、未来も不変だ。道はもう決まっていたんだ、バベルの一員になった時から。俺はもう自己決定を行う事をやめてしまった。…いや、最後に一つ決めたことがある。———それは……もう乗る船を変えないと言う事だ。

あの船の窓から見える景色は一風変わっていた。灰の大地が遠くあり続け、ただ地面に立つ事を意味ある物として今では感じられる。奇妙な立場に立たされたせいで習慣的であった不可知の凡庸を真に凡庸であると認識してしまった。無意識的な物がそうではなくなったのだ。
彼、或いは彼女は大地に自らの足をつけた事はあるのだろうか。もしそうなら…背筋が肌寒くなっていくのを感じた、俺は確かに今恐怖した。……一体あれの目に自分達はどう映っているんだ。
棋士が盤が踏まないのと同じ様に、あれはただそこから全てを俯瞰しているのだ。盤面は盤上に置かれた物だけで完結すれば良い、プレイヤーは常に盤外に乗ったチップだけを見ている。盤は目的ではなく手段なのだ。彼らが目指すのは勝利による成果である。
いやそれどころか……もし敗北によりチップが上乗せされるのなら、棋士は望んで敗北の道を辿るだろう。それが真実だ、紛れもない。

でも、そんな事感じさせない場所があそこだ。
それは全て彼女の所為だ。彼女のカリスマ性、彼女の説得力、それは本当に必要なのか。バベルにとっては必要であっても、船に乗る者からすれば……
あそこにずっといれば毒されただろう。……ならあそこから離れる事を俺は選択した。
せめてさよならぐらいは言えば良かっただろうか、申し訳ない。俺はまだ彼女に一抹の忠誠を誓っているようだ。魔王という冠から目を逸らすことをサルカズの血は許してはくれない。殿下もこんな俺を許してくれないだろう、だって俺は真に魔族らしい最悪の裏切り者なのだから。
ああ、最後に殿下から聞いた言葉は……もう忘れてしまった。



未来-Traitor, Pawn, Seeker, Egotist, Commander

 

パスタやピザ。

バベルの食事をとってからやっとそれらの本当の姿を知れた、それらの出身であるシラクーザではピザはシンプルな物であり、バカみたくトッピングを乗せるわけじゃない。パスタは種類が本当に多い、今思い出すだけでも10はゆうに超える。

 

この船に来てから、もう二ヶ月以上が経った。長いようで短かった。

そして今日は記念すべき俺の初任務だ。もう足が治ったからな、これも医療部の人たちのおかげだ。本当にありがとうだ。あの時は生まれて初めて痛覚が人より鈍い事に感謝した。もしそうじゃない他の人なら酷いだろうな。いや、そもそもあんな手術を受けるような奴は元から痛覚が壊れているから今まで処置を受けた人は全員大丈夫という説もあるのか。

あれメモしてた紙どっか行ったな。…ああ、中に来てる服の方か。最近こういうの本当に多いな、バベルで集中しなくても良い時間が多すぎた為か。

まあそれも今回で終わる。戦闘のリハビリ兼脳のリハビリだ。

 

「確認だけど、初任務はこれで良いんだよな」

「ぽっと出のあんたがミスしたら目も当てられないわよ」

「ミスをしても見るのはお前と協力者だろ」

「それと、あの女もね」

「ケルシー先生な。バレても共犯にするなよ」

 

目線がこいつの腹から頭になった事で、心が安らぐ。こいつに見下されると碌なことしか起こらない。頭をつんつん触ったりしてきたり、耳元で金属のメロディを聴かせられるからだ、逃れようとも思っても無理だ。こいつが殺す敵はいつもこんな仕打ちを受けているんだろうか、そいつは本当に運が悪いな。こいつが味方で良かったとつくづく思う。

…でもあいつに車椅子を押してもらう生活も中々悪くなかったな。

 

「ならもう一回怪我すれば?」

「するわけねえだろ」

 

持っている懐中時計を見る、任務の開始まではあと5分。

まだこんな時間か、ならまだあの船の中で休んでいても時間に余裕はあっただろう。未だ読み切っていない本がまだ沢山あるのに、悔やまれる。こんな所で待つのは退屈だ。時折風に吹かれる砂が邪魔だ、そう思う俺は、レム・ビリトンからの護衛部隊にならなくて正解だった。

パチパチなる焚き火も今じゃ風情も感じない、感じるのはノルタルジーだけ。環境は人格を変える、とはよく言ったものだ。

イネスはまだ焚き火が好きなんだろうか。

 

「ねえ、まだ来ないの?」

「……今走って向かってきてる、アイツじゃないのか」

 

俺たちが居る場所からギリギリ見えるような距離の場所から大急ぎで土埃を立てながら向かって来ている奴がいる。

背中に銃を担ぎ。顔の殆どが隠されている。だが、顔は見えないが焦っているようだ。

俺は彼女に今回の協力者と顔を合わせた事はあるのかと聞いた。彼女は会った事ないと言っていたが、それに続いてどうせイカれた奴でしょ…とも言っていた。

 

 

 

「なあ、間に合っては居るが……ギリギリアウトじゃないか」

「私達をこんなに待たせたのに、何か弁明はあるかしら」

「……ポーン。そいつは確かに何の変哲もない駒だけど指揮官の能力次第で戦場の手綱を握れる。でも、指揮官には従わなくちゃだろ。逆に言えば、命令にさえ従っていれば何をしても——」

「だから、間に合ってさえいれば何しても良いってわけか」

「オーケー、分かった。今からあんたを殺すわね」

「…冗談だ、悪かったな、だから指を引き金にかけるのはやめてくれ。はあ、俺の仕事がこんなに殺伐としたものになったのはこれが初めてだぜ」

 

あっけらかんとしたこいつは全く反省している気はなさそうだった。

マスク越しに吐かれるため息が余計に神経を逆撫でしてくる。元々怒るつもりはなかったが、今ではこいつの態度に憤慨だ。背負った銃をお前自身の脳天に突きつけてやりたい気分だな。実力は確からしいが……性格に難ありだろうか。

 

 

 

 

ありふれた木材で作られた小さな建物。簡素な作りであり、このような建物は何処にでもある。扉は若干壊れていて、屋根部分には砂埃がかかっている。どうせ中にはどこにでも居るサルカズ傭兵達が蔓延っているに違いない。

……何も知らない奴からしたらそう思うだろう、情報を持たない者が俺だった場合もそう思う筈だ。

 

「あの建物がバベルの施設だなんて知らなかったな」

「当たり前だろ、そう思わせる為にやってんだ。まあ、お前みたいなサルカズ傭兵がそう思うって事は中々に上出来ってわけだな」

「あの中に入れば良いのかしら」

「……うーん……それも良いが……」

「怪しい奴をアンタがスナイプするのは出来ないのか」

「出来る……が、そいつが諜報員じゃなかったらどうする。被害はなるべく必要最低限にしたい」

「……あの施設の人達は戦闘要員じゃないんでしょ。ならすぐ分かるわよ、私が暴れば良いのよ」

「…なるほど。そしたら、そのスパイは必然的に——」

 

 

突入の合図でScarはバベルの診療所の方へ走り出した。窓を蹴破り侵入、中では暴れ出した。爆弾を投げ、アーツで起爆、銃を撃ちナイフを机などに向かって放つ。轟音が鳴り響く。机や椅子は穴だらけになり、中の人達は頭を押さえてうずくまっている。

だが彼女の全ての攻撃は誰にも当たってはいなかった。

 

……うずくまり耳を塞ぐ者が殆どである、しかしその中でも1人だけ異様な奴がいた。轟音の瞬間、瞬時に姿勢を低くして手持ちのナイフを襲撃者であるScarに向かって……。

 

「——炙り出る」

 

その時、Scoutが銃の引き金を引いた。

性格無比な弾道は角を生やしたスパイへと向き、そいつの首を撃ち抜いた。首からは血が流れ続ける。一言も発する事なく、目のハイライトは消えた。

カラン、とただナイフが落ちる音だけがその室内に響いた。

 

 

 

 

 

俺にとっての初任務を終えた俺達は船の、ある部屋に行った後に俺の部屋に帰ってきた。

 

「ねえ、結構良い作戦だったと思わない?」

「だから俺もScoutも協力したんだ」

「でしょ!……はあもう最悪、何であのクソ女にとやかく言われなくちゃいけないの!?」

「俺はクズに銃を撃っただけだから、お前達の片棒は担いでないぞ」

 

Scarは罵詈雑言を言いながら机を叩き散らしている。

…アイツがずっと机を叩いているがここは俺の部屋だ、俺の机が壊れたらどうする。

 

 

 

数分前、本艦中層、ある部屋にて。

 

謎に広い部屋。中にはケルシー先生や俺、Scar、Scoutが居た。

この船は本当に大きい、未だ見ていない部屋がここにもあったんだと感心、驚愕する。けれど納得だ、俺もあの時から前いた病室を見る事もできない、部分が違く為だ。もう一度病室などがある場所まで行くには結構な時間がかかる。それ程この船は広大であり、この船は医療というものを重要視しているのだ。

 

「しかしだ…何故自分達が呼ばれたのか、ちゃんと分かっているのか」

「分かるわけないでしょ、私達何もしてないし」

「そうか、ならあの施設に居た者達からの苦情は一切なかっただろうな。だが実際はその逆だ、皆が口を揃えて苦情を訴えている。原因は君達だ、何が問題なのかは明白だろう」

「君達が悪意を持ったり、考えなしで行動したのならその対価は大きく残酷な物になる。だがそうではない筈だ。君達が任務を遂行させようとし、君たちの中で最良の案がそれだったのは、ScoutやWの普段の態度からある程度推測できる。だからこそ私ないしバベルは君達に相応の報いが必要だと考えた。そもそも今も尚この船を闊歩出来ているだけでも相当な温情だ」

「…バベルにとって。君達が危害を加えかけた彼らの能力と立場の重要性は知っている筈だ」

「でもかすり傷すら与えてないわよ」

 

Scarが悪意なく挑発する気も無く、ただ事実だけを伝えた。結局、何も危害を加えてないから自分達に罰が下るのはおかしいと、彼女はそう言いたげだった。

 

「確かにそうだ、彼らには全くの損傷がなかった。…でももし、彼らの誰かが傷付いたら、これからの医療活動、潜入活動にヒビが入ったら。君たちは責任を取れるのか。少なくとも君達三人の首を禊にしても釣り合いが取らないそういう事だ、ならば万が一を考えるのが我々の絶対ではないか。少なくとも私はそう考えている。君達もそれくらい少し考えれば分かる、そうでないなら既に君達はこの船にいない筈」

「……君達には次の任務があるだろうから、結論は早めに言う。君達の処罰が決まった、始末書を書く事、そして病棟部分への立ち入りをやむを得ない事情がない限り禁ずる」

 

「……もしこれからも危険な判断をする時、それしか方法がなかったのなら。…私に報告しろ、その為に右手に通信機を握っているのだからな」

「…まあ……これは私の考えだが、先に敵のスパイがこちらの目的に勘づいた時の方が被害は甚大だっただろう。したがって、それに比べたら今回の作戦の方がスマートだっただろう。今回の迅速に任務を行った決断力と少ない被害の作戦を考えた戦術能力は高く評価しておく」

「……バベルの為にその能力をより正確に賢く扱える事を期待している」

 

それを最後に俺達に始末書の用紙を渡して、彼女はその部屋から出て行った。

 

 

 

…というのが事の顛末。

俺はあの時、ケルシー先生の言った事を思い出した。

……確かに今の俺達は何もしていないが、ケルシー先生のあの判断は正しかった。あれで俺達にお咎め無しの方が間違っているだろう。自分の部屋の机に肘をつきリラックスする。

それに最後に俺達の能力自体は評価してくれた。問題点はリスクを考えなかった事とケルシー先生に報告しなかった事だ。彼女はそれぞれを別々に思考し、バベルの次に繋がるように考えているんだ。良い点は良かったと、悪い点は改善しろと。

それに加えて彼女はバベルのトップである立場もある、そこからの意見も言わなくちゃいけない。彼女はとても煩雑な立場に居るんだ。

 

「まあでも、ただ書くだけで処罰が終わるのならマシだろ」

「そう、ならあんたが私の分書いてくれる?」

「それじゃあ始末書の意味がないだろ」

「そうかScarは誰かに描いて欲しいのか、なら俺に案がある。そういや、俺の知り合いに口の上手い文字を書くのが得意な奴がいる」

「この船に長く居たらそんな人脈もあるのね、で因みにその人は誰?」

「…Wって奴だ」

 

…ッチ、結局俺じゃねえか。なんて言う気力もなかった、俺は今丁度始末書を書いている途中であり腕も脳も疲れてしまった。

Scarは何も書かずに氏名にScarと書いているだけ、Scoutも同じく何もせずに酒を飲んでいる。こいつに至ってはそれを書く気配すらしない。

 

「Scoutはもう書き終わったのか?」

「俺は寝る前にやる、ギリギリの時間にやる事を終わらせるタイプだからな」

 

そういや、こいつは任務の集合にもギリギリで来ていた。そんな適当な習慣を続けてたらいつか取り返しがつかなくなっても知らねえぞ。少なくとも俺の隣にいる奴は単独任務なら時間に遅れるなんてよくある事だ。まあでも、単独任務なんて滅多にする事が無いのが救いだろうか。

 

…はあ…やっと終わった。枚数や文字の指定はないが後でケルシー先生が見るんだ、誠意がなければもう一回。いや、この船から追い出されるかも知れない。

そうなれば俺たちはまた陳腐な荒野での日常に逆戻りだ、今も変わらず荒野に居るが船の上で居るのと居ないのとでは大違いだ。食事につかえるものも少ない、心を落ち着かせる時間はより少なくなる、加えて依頼の報酬も今の半分以上は減る。

 

「あら、あんたは終わったのね」

「…書かねえぞ」

「残念ね、でもギリギリになったら手伝うでしょ?」

 

彼女の言った事を完全に否定出来ない自分が居た。俺はこいつに対しては案外甘いのだろうか。…そんなつもりは一切ないんだけどな。

 

「…俺も飲むか」

「俺はもう飲んでるけどな。……どれが良い、どれでも良いぞ俺の奢りだ」

 

そう言いScoutは持ってきたバッグから3本ほどの酒を机の上に出した。それぞれはラテラーノやシラクーザ、ウルサスの銘酒であり、どれも上等そうな物ばかりだった。

 

「こんなのどこで手に入れたんだ」

「ラテラーノは戦場で拾った、それ以外はクロージャの購買部から買った」

 

クロージャ……前に見た、壊れた扉と格闘していたブラッドブルードだろうか。テレジア殿下がそう呼んでいた筈だ。

彼女はこの船でそんな事もしているのか、ただの天才エンジニアだと思っていたが商売のセンスもあるらしい。後でどこにあるのかScoutに聞いておこう。

……じゃあこれにしようか。直感を信じて俺はシラクーザの白ワインを手に取った。それに最近は本場のピザやパスタを作ろうとしている途中だ隠し味に入れれば何か起こるかもだ。その為にも香りなどは知っておくべきだろう。

 

「じゃあ私もそれで」

「お前自身の分が書き終わってからな」

「飲んで満足したらやるから、良いでしょ」

「……本当だな」

「じゃあ俺はやらない方に賭ける。当たったら俺の方も書いてくれ」

「お前は自分でやれよ」

 

 

その夜は三人でそのまま俺の部屋で寝過ごした。Scoutが持ってきてくれた物を飲んだり、扉から覗いてきた看護師の人に怒られたりもしたが結構楽しいと感じれた。

…でも次は俺の部屋にこいつらを来させるのはやめておこう、掃除が大変なんだ。酔ったScoutが吐きそうになった時は流石に手が出そうになった。

勿論やる事は全て終わらせた、意外とScarもScoutもやるべき事はやり終えられた様だ。ケルシー先生にビビったか、テレジア殿下に見放されたくないか、のどちらかだろう。ファイルの中に用紙を保存していた為破れたりする事はなかった。偉いぞ俺。

相棒もScoutも俺よりも酔っていた。

……イネス、ヘドリー。アイツらがいれば俺のベッドがぐちゃぐちゃになる事も、机の足が折れる事も壁に凹みができる事も無かっただろう。

 

 

 

 

 

 

 

5:20 a.m.

バベルロドス本艦、下層動力エリア

 

最近は暇が多い、バベルからの任務は高額で無理難題だがすぐに終わるものばかり。成功すれば生きる、失敗すれば死ぬ。その結果は任務を決行して1時間足らずで決まる。

俺達も無駄に任務を受けるつもりは毛頭ない、まあ俺や相棒は殆どこの船で過ごして居るがヘドリー達はこの船にずっと滞在しているわけではない。一応部屋はあるらしいがそこにいた所を見た事がない、イネスも同じくそうだ。常にアイツらは一緒にいるからな。本当、何処に行っても変わらない奴らだ。

そして暇で暇で仕方がない俺はこの船を探索中って訳だ、そしてここに辿り着いた。

そこに着いた途端周囲の空気が燃えているよう思えるほどの暑さを感じた。そこら中から煙が薄く出てくる。この船は複雑だが、動力エリアは特にそれが顕著だ。

 

ぱっと見異常は無さそうに見えるな、一体どこが…ああ、ここが壊れてるのか

「……?ここに客人が来るのは珍しいな」

 

煙に隠れていて見えにくかったがガタイの良いサルカズがここには居た、このエリアの管理をしている者だろうか。

彼は俺の足音に気付き俺へと話しかけた。

 

「偶々来ただけだ、ありがたいとは思うが……こんなとこに居てつまらなくないのか」

「なにも仕事…いや使命だ。俺は殿下に拾ってもらった数多くのサルカズの一人、彼女には多大な恩がある、そんな奴カズデルには少なくない。今を生きるカズデルに居るサルカズの殆どはあの兄弟のどちらか、あるいは両方に恩がある。W…君もそうだろう」

 

何故俺の名を知って居るのか、そう聞こうとしたがバベルに勤めれば協力関係の者なんて当たり前に知っているのだろうか。俺にはその常識が通じない為真偽は分からなかった。

 

「…そうだな。…じゃあ頑張れよ」

「もう行くのか」

「お前の大切な場所を汚すつもりもない、それに俺は面白い話なんて一つもない。バベルに来て最近コミュニケーションが上手くなったぐらいだ」

「別に無理に話さなくても、ここに居てくれるだけで……まあそうだな、お前も自分の任務に励むんだな。俺の戦場はここだ、お前の戦場は違う所にあるんだろう」

 

俺はその場から離れようとした。…ただどこかで見た事がある様な気もするが……気のせいだろう。勇士になる事を使命とするゴリアテがここに居るとは思いもしなかったが。それ程彼に取っては殿下が重要な存在なのだろうか。ボイラーマンは忙しそうでしんどそうな顔をしていたが、ただずっと満足そうな感情を持っている事、それも間違いでは無かった。

…俺は静かにその場を後にした。

 

 

 

 

 

自分の部屋に戻る為に下層動力エリアに向かうまでの廊下を俺は歩いていた。…向かい側から、誰かが歩いてくる。

 

「……ええ、分かったわケルシー。もし見つけたら言っておくわ」

 

真っ白な服に薄桃色の髪の毛、黒いサルカズの角を持つ歩行人。そして聖母の様な慈悲を孕んだ表情、そして何より気配だけで分かる強大さ。魔王の冠に相応しい気品、存在感を放つ彼女は殿下、テレジア殿下その英雄に違いない。

予期せぬ邂逅、俺と彼女が一対一で話すのはこれが初めてであった、

 

「W?奇遇ね、私も今あなたを探してたのよ」

「任務ですか」

「その事はケルシーがあなたに伝えると思うわ。そうじゃなくて、個人的に…」

 

彼女は俺と目を合わせようとした、が俺は何故か目を逸らしてしまった。…彼女の目を見る事、その事に俺は恐怖してしまった。

彼女がこの荒野で最も慈悲深い人物であると俺は知っているのに…全くの話矛盾している。

 

「Wは知ってるかしら。この船の名前はロドスアイランド号って言うの。この荒野に抗う方舟として相応しい名前じゃない。…それで私が言いたいのは、私にあなたの本名を教えてくれない?」

「…教えるも何も、俺には本名なんて……俺にはWという名前しか。それくらい、カズデルのサルカズならよくある事ですよ」

「……そう。それに、彼女と同じ返答だわ、本当にあなた達は仲が良いのね…」

 

「ならもし、あなたが本当の名前を手にした時、改めて私に教えてくれるかしら」

「それは勿論良いですけど…そんな日、いつか訪れるんでしょうか」

 

そもそも本当の名前とは?親から貰った名を言うのなら俺はもう知る機会も手に入れる機会もとうに消えてしまった。

…記憶がない。家族の記憶あった筈の故郷の記憶、その全てが俺には存在しない。俺は今までその事をただ受け入れてその事から目を逸らし続けていたがついにそのツケがやってきたのか。…原因は恐らく俺の脳を蝕む源石だろうか、それぐらいしか見当がつかない。

 

「いつか来るはずよ。だって私は知っているから、絶対に未来は決定していない。そう信じて、願って、それを体験したから。…この船も遥か昔の遺産だけど、今私達はこの船の名を知っている。それは人の名前でも場所の名前でも同じ事なのよ」

 

未来は決まっていない。彼女はそう言った。実際にどうなのかは俺達には知りようがない、だが未来が決まっていないとそう信じた方が生きる意味になる。行いが努力が選択が、全て最初から決まっているなんて…そんな空虚な事実を信じたくはない。

 

「それに…バベルの家、ロドスアイランド号。どちらも違う名前とニュアンスを持つけど、結局二つとも違った温かさを含んでいるの。Wと何か、それらもきっと…あなたに必要な物だから。ほら、私もあなた達が言うテレジア殿下もケルシー達が言うテレジアも、どちらも私は好きで気に入ってるの」

「ねえ、W。安心して、私は魔王だけど私も一人のサルカズであるのは変わらないわ。WもScarもヘドリーもイネスも…この船を訪れた全ての人が、このバベルの、私の大切な仲間よ」

 

無邪気?いや違う、彼女はやはり魔王なのだ。これ程大きな願いを持ちそして尚その願いを完遂させる気でいる、本気で彼女はこの荒野の不条理に抗っているんだ。このテラの悲惨な状況を心の底から変えたいと。

彼女は悪魔だ、そんな無理難題を抱えながら人々にその違和感を感じさせる間も無く、彼女なら大丈夫と思わせるその力に。俺は言葉を失った。

 

やはり彼女は夢想家であり残酷な戦争の統率者である。そして、唯一無二の温もりを持ったサルカズだ。

 

 

 

…最後の一瞬。俺は殿下と目を合わせる事が出来た。

 

きっと彼女にはこの事の重大さが理解できないだろう。

 

 




「……こうなるのか……」
『権限レベル8……認証成功、送信データの閲覧を開始します。』

暗号解読は完了した……軍事委員会の目的も知れた……知ってしまった。そうなのか、そうだったのか。……これから、私はどうすれば良いんだ。
私は誰の味方なんだ、私の味方は誰なんだ。

——思い出した懐かしい記憶、同胞がいつかの日に言ってくれた言葉だったんだ。

「”何かを滅ぼし階段を作る”」

———全てはただ”未来”の為に。

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