「この後に及んでの弁解は、罪悪と知りたまえ!」
ドアを開け放つとともに、りこ先輩が叫んだ。
体育会系のバレー部主将らしい快活な声が、文芸部の部室に響く。
橘部長は一瞬、ビクっとなって箸で掴んでいたタコさんウインナーを弁当箱に落とした。
「タコさんウインナーなんか食べやがって、この外道! 少し分けてください」
別にタコさんウインナーを食べることに罪はなかろう。
だが、地獄姉妹もそれは承知の上である。
りせ先輩は机に近寄って、橘部長の弁当箱からウインナーを指で掴んで勝手に食べた。
自由奔放である。
「え、何? 何で地獄姉妹がここに来るの?」
橘部長はいつもの銀縁眼鏡の奥で、視線をおろおろとさせる。
その視線が一度、僕のところで止まって。
もの凄い気まずそうに、視線をそらした。
全てを悟った表情であった。
「私たちに、ちと関わりのある小僧が一生懸命に新入生の勧誘チラシを配っていたのでな」
「ああ、可哀想にコイツ何も知らないんだと思うと、無性に腹が立って押しかけたわけだ」
ついでにお腹も空きました。
くうくうお腹が空いてるんです、と言いたげに橘部長の弁当箱を地獄姉妹は漁っている。
具体的にはタコさんウインナーの奪い合いをしていた。
お互いを威嚇している。
野良猫の喧嘩か何かか。
「それと私が朝早起きして作ったタコさんウインナーを全滅させたことと、どう関係があるの?」
「私たち地獄姉妹を働かせた代金だ」
代金なら仕方ないな。
実際、ほぼ無関係なのにわざわざ来てくれたわけだし。
とりあえず橘部長の言い分を伺いたいものだが。
「さて、小僧に一から説明してもらおうか。サークルクラッシャー橘」
「その名前で呼ばないで」
本当に嫌そうに、耳を塞ぎながら橘部長が声を上げた。
一応、橘部長は文芸部が起こした過去の事件については無実と聞いているのだが。
それならば、何故サークルクラッシャーなんて酷いあだ名がついたのだろう。
「あのね、説明すべきだとは思ったけど、口にしたら・・・・・・」
「もう同好会で終わりにしようと諦めていた部活に、わざわざ入ってきた小僧に逃げられると思ったか?」
「そうだよ! 強豪のバレー部やバスケ部なんかには、この気持ちわかんないだろうよ! 自分のせいで部活を潰そうとしている私の気持ちなんか!!」
橘部長が立ち上がって叫んだ。
銀縁眼鏡の奥には、些か涙が混じっている。
「・・・・・・声を上げてごめんなさい。とにかく事情を説明する。文芸部はね、去年はそこそこ大きな部活だったの。でも、最終的に私一人になったのは色々わけがあって」
「ちゃんと事情を聞きますから、落ち着いてから喋ってください」
やや早口になっている橘部長を落ち着かせるために、冷静を意図して言葉を発する。
大和さんはお腹が空いたのか、コロッケパンを口にし始めた。
注意したいが、まあでっかいハムスターがなんか頬張ってる姿を見ると、橘部長も落ち着くかも知らん。
放置する。
「その・・・・・・なんだ。複雑なんだけど、分けて話す。まず、君に話した文芸部の事情は全く嘘というわけじゃない。最初に沢山部員が入って、小説を1本書けずに同年代の部員が結構辞めてしまったことも、同じ新人賞の公募に出した子には、橘さんみたいな才能がないって吐き捨てられて部を辞められたことも本当だ」
「つまり、嘘ではないが言っていないこともあるということですね」
「・・・・・・そういうこと。本当に申し訳ない」
橘部長が深々と頭を下げた。
誠意の伝わる行動である。
僕はこれをもって不誠実を許そうと思うが、それ以上に事情が知りたい。
「言っていないことは、まず一つ目に文芸部が色恋沙汰で暴力事件を起こしたこと。その原因は私に――」
「ない」
りこ先輩が、一言で切って捨てた。
それだけは違うとでも言いたげに、だ。
「先輩諸兄の話では、文芸部の男子部員が殴り合いの暴力事件を起こしたのは彼女を。橘を巡っての争いだったらしいが、そのことを橘自身は知らなかった」
「勝手に橘に惚れて、勝手に自己の快楽のみを追い続け、男子部員同士がお互いに競い合って、ついに校内での暴力沙汰に至ったのだが――マジで知らなかったそうだ」
地獄姉妹の言い分を聞く。
僕は橘部長を再び見た。
未だに深々と頭を下げたままである。
「私は全く知らなかったんだ。あれ、男子部員が妙に私に優しいなとか、胸やお尻に視線を感じるなとか、やけに手を握りたがるなとか。そりゃあそういうことはあったけれど。まさか自分に好意があるとは思わなんだよ。男子がお互いに掴み合いをしてるのも見たことあるけど、男子学生にありがちなブロマンスに近い行動だと思っていた」
そんなことあるのか?
暴力事件まで起きているのだぞ?
僕は疑問に思うが。
「まさか身長180cm超えの長身で肉付きも悪い自分を巡って、骨肉の争いが起こるなんて都合の良すぎる痛い妄想小説のレベルじゃないか。貴女たちだって、いや、貴女たちだからこそわかるだろう? 私と同じくらいの身長なんだから」
橘部長が顔を上げて告げた。
地獄姉妹は、うんうんと頷いている。
「わかる。だから先輩諸兄に弁護もした。そんなの妄想のレベルだと。マジで橘は気づいていなかったんだろうと」
「少なくとも男子部員がお前に直接好意を告げてもいないのに暴力事件を起こしたのは、お前のせいじゃないよ」
地獄姉妹はこの辺りについて、公平に裁定したらしい。
コロッケパンの空袋をブレザーのポケットに突っ込みながら、大和さんも弁護する。
「私もよく妄想だけならしますが、まあ好意を囁かれる事はないですよね。胸とお尻と太腿には無茶苦茶視線を感じるんですけど・・・・・・」
そういうものだろうか。
僕には全然理解できない。
高身長女性の自信のなさというものが、さっぱり理解できぬ。
性格や気性には難があるが、大和さんも地獄姉妹も橘部長も随分美人の範囲だぞ?
僕が耳元で好意を囁かれたならば、誰にだってコロっといってしまいそうなくらいだ。
だが、ここでそういう事を口にして、本人達が共通認識としている内容を蹴飛ばしてしまえば、話が詰まってしまう。
仕方ないので、眉を顰めて言葉を濁す。
「橘部長は魅力的で、十二分に美人ですよ。そういうこともあるでしょう」
「有り難う。いや、事実、こういうことがあったんだ。私たちも認識を改めるべきかもしれないが・・・・・・」
橘部長は苦悩するような表情で、現実を認めた。
そして、語り始めた。
「そこから文芸部の崩壊が始まった。まず男子部員が全員辞めた。理由は、私に振られたからだ。いくら私に好意を打ち明けられても、暴力事件を起こすような連中とは付き合えん。これについては許してくれ」
「まあそうですね」
それは仕方ない。
橘部長には選ぶ権利がある。
男子生徒が全員辞めたのも、まあ橘部長のせいじゃない。
「文芸部には女性生徒だけが残った。最初は優しかったんだ。皆優しかったんだ。でも、駄目なんだよ。男子が私を取り合って暴力事件を起こしたという風評被害からは逃れられなかった。よく『あんなの』と仲良くしてるねと言われる子もいたんだろう。櫛の歯が欠けたように、私には小説が書けないからと文芸部の部員は減っていった。それでも私は残ったよ」
・・・・・・その状況でよく残ったな。
僕ならどうしただろうか。
心が折れて、辞めてしまっただろうか。
我が身になって考えつつ、語りを聞き続ける。
「三年の先輩方がいたんだ。優しかったんだ。君には才能があるって言ってくれたんだ。だから、書いて、書きあげたよ。学生にありがちな自己満足の範疇には収まらぬ、女の取り合いなんかで壊れたりしない、最高のブロマンス小説を。最後まで残ってくれた同級生の子と一緒に、新人賞に応募して、そして私だけが受賞して」
その環境で新人賞を取る橘部長は本当に凄いと思う。
その才能を見つけた、今はいない三年の先輩も。
「最後まで残ってくれた同級生の子は憎しみの目で私を見て、私には橘さんみたいな才能がないって吐き捨てて部を辞めていって、優しかった三年生の先輩方も卒業して、二年生の方々もこれから受験があるからと――おそらくは都合の良い言い訳だろうが。そうしてしまって、私だけが残った。残ったんだよ。サークルクラッシャーとしての汚名とともに」
仕方ないだろう。
確かに橘部長は何も悪くないが、サークルクラッシャーとしての風評を受けるのは仕方ない。
橘部長の存在が文芸部の崩壊をもたらしたからだ。
ゆえに、彼女を避ける人も多いだろう。
だが、しかしだ。
じゃあ橘部長が悪行を為したとは決して思わん。
「最初から言ってくださればよかったんです」
「不誠実だと知りつつも言えなかった。いつかバレる嘘だと知りつつも言えなかったよ。もし言ってたら、入部さえしてくれないと思って」
「僕を見くびらないでください。橘部長には悪意がなかったのだとさえ知っていれば、そのようなことはしません」
キッパリと告げる。
もしそのような下郎と思われたならば、それこそ侮辱だ。
だんだん腹が立ってきたぞ。
橘部長の不誠実に対してではない。
その謝罪と説明はすでに受けた。
腹が立つのは、文芸部の現状にだ。
「りこりせ先輩。橘部長を助けようとは思わなかったんですか? おかしいではありませんか。当校部活動一同が協議の上で絶縁に至ったことだけは、どう考えてもおかしい」
「小僧の言うことは正しいよ。道義的にはな」
りこ先輩が返事をした。
少なくとも、彼女は橘部長を憐れみの目で見ている。
「現実問題として、逆にどうすればよかったかわかるか? お前が私たち姉妹の立場ならば、なんとか出来たか?」
りせ先輩が続けた。
考えた。
考えて、どうにもならんなと思った。
誰だって我が身が可愛い。
橘部長の、その存在自体がトラブルメーカーと化してしまったのだ。
たとえ本人が無罪でも、出来るだけ関わりを持たないようにすべきだと周知することは、我が身や周囲を守るために必要であった。
「僕が不見識でした。謝罪します」
それ以上に言える言葉はない。
丁重に頭を下げる。
「・・・・・・小僧は賢い。本当に全くもって、お前のことは嫌いじゃないぞ」
「私もだ」
地獄姉妹が微笑みを浮かべた。
僕はなんだか自分の拙さが恥ずかしくなってしまい、顔を背ける。
「その賢さに免じて、まあ、なんだ。ガンホーだ。小僧」
「協力してやってもいい」
はて。
何を言っているのかと一瞬考えたが、僕よりも先に大和さんが答えを導き出した。
「絶縁を取り消しても良いってことですか?」
なるほど。
だが、そんなに簡単な事なのか?
そりゃ橘部長は何も悪くないが、一度取り決めたことであろう。
「まあ、そもそも先輩諸兄も、学校や教師側も橘には同情的だったんだよ」
「それを無理に絶縁していた私たちが不見識とも言えるだろう。今度の部活合同会議で説明するよ。新年度になったんだから、もう切り替えて許してやれって」
よく考えたら、この高校でも強豪のバレー部とバスケ部の意見に逆らえるわけもない。
主将が二人揃って説得してくれれば絶縁状は解けるだろう。
だが、しかしだ。
「ままならないものですね。それでも、もう同好会落ちは不可避でしょう。大和さんは?」
「私も残りますよ。橘部長は何も悪くないと思いますので。こうして全部を話してくださったことですし」
三人だ。
橘部長、大和さん、僕。
この三人でやっていくしかなかろう。
例え幽霊部員で良いといえ、何処の誰がこんな曰く付きの文芸部に入ってくれるというのだ?
すでに情報は出回っている。
少なくとも、今年は何処にもいやしない。
先輩から譲られた部を潰したくない橘部長には申し訳ないが、これ以上の手助けは僕にもできない。
諦めるしかなかった。
「小僧」
りこ先輩が、急に僕を見据えた。
強烈に射貫くような瞳で、僕を見ていた。
睨んでいるとさえ表現してもよかった。
何故そのような目をするのか理解は出来ないが、僕は視線を重ねて先輩の瞳を見据え返した。
「何か?」
「・・・・・・うーん。ここで平然と見つめ返してくるか。そうだなあ」
りこ先輩は、横にいるりせ先輩を見た。
何か困ったような表情だった。
地獄姉妹は、何故か二人してどうしようかといわんばかりに視線を交錯させている。
何のアイコンタクトだ?
「毒を食らわば皿までか?」
「反対はしないよ」
地獄姉妹は奇妙な会話を口にして、大きくにっこりと笑った。