フェアリーテール   作:やわらかな土

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◇プロローグ

川は流れる。山の胎内をつたって、廃墟の庇から落ちた雫を含んで、棲家をなくした流浪の民の喉を潤し、引き裂かれた家族の涙を拭い、或いは悲しみを塗り潰して、川面に面影をゆらゆらと浮かべたまま、やがて海へと流れ着く。混ざり合い、溶け合い、母なる海とひとつになった川は、命を育み、やがて空に帰る。そして再び山へと。今はまだ庇を伝う一粒であっても。また




#01 ともえとイエイヌ

 少女は目を覚ました。何も思い出せない。

 少女はのちにイエイヌによってともえと名付けられる。新しく生まれた人間はすべてともえと名付けられるのだ。

 繭状の台座のようになっている寝床にはやわらかく光る手のひらサイズのキューブが敷き詰められていて、それが部屋全体をぼんやりと照らしていた。壁には無機質なLEDがまたたいている。息を吸うとひどい埃の臭いがした。

 ともえは台座のような寝床から降りた。足元がふらついている。まるで生まれてはじめて立ったときのようだ。といっても、そんな記憶はないが。

 ともえは数歩あるいてから柱に手をついて体を休めた。柱は銀色の鏡のようになっていて、そこに写る顔は縦にめちゃくちゃに伸びていてよくわからない。毛先が緑色になっているのは珍しい気がする――もちろん何と比べて珍しいのかはわからないが。かわいいのかな、多分かわいいよねきっと。

 

――わたしは今何をするべき?

 

 不安や心細さはあった。大声で泣いて助けを乞う気がまったくないかと問われれば、ないといったら嘘になる。混乱を怒りに変えてとにかく前に進むこともできなくはなかった。

 けれどともえは寝床に戻って所持品の確認をおこなった。このまま留まっていたら何者かに拉致されてしまうような気がしたからだ。前にもそんなことがあったような気がしていた。とにかく何か武器が必要だ。

 肩掛けかばんの中にはおもちゃのようなハサミが一本と色鉛筆が一セット。下手な落書きの描かれたスケッチブックが一冊。何かの役に立つような気がしなかった。特にスケッチブック、これだけは絶対に持っていてはいけないような気がした。その代わり寝床に転がっているキューブを掴んでポケットに放り込んだ。なんだかキラキラして綺麗だったからだ。

 ともえは素早く辺りを見回す。片手で持てるサイズの鉄パイプが落ちている。手によく馴染んで、頼もしい武器になりそうだった。

 

――〜〜〜〜〜〜♪

――アルマーさん、さっきから何を楽しそうに歌っているんですか?

――あれぇ、センちゃん知らないの!? この歌ペパプの新曲だよ!

 扉の向こう側から話し声がした。ともえは鉄パイプを両手で握りしめて扉の影に立つ。扉が開く。緩んだ表情のオオアルマジロ。その頭部めがけてともえは鉄パイプを思い切り振り下ろした。

 ガキンッ!

「わ! びっくりしたぁ」

 鉄パイプは直撃したがあえなく弾かれて、ともえの手に痺れだけを残した。アルマーには傷ひとつない。

「急になにするのさ」

「アルマーさん、そのコが例のヒトかもしれませんよ!」

 アルマーの後からオオセンザンコウのセンちゃんが現れてともえを指さした。二人ともお揃いのハンチング帽をかぶっている。

「なんだって!? ヒトめ、ついに見つけたぞ!」

「おとなしく我々についてくるのです」

――一度でダメならもう一度だ!

 ともえは壁の出っ張りに足をかけて飛び上がり、自分ごとアルマーに突っ込んだ。握り込んだ柄の底でアルマーの頭を思い切り叩く。確かな手応え。だがアルマーは抱きしめるようにともえの背中に腕を回した。

「つかまえた! もう逃さないぞ!」

「お手柄ですよアルマーさん! そのまま連れて行っちゃいましょう」

「ええー、このまま? おもくて無理ー」

 二人が喋っている間じゅう、ともえはアルマーの頭を攻撃していたがまったく効果がなかった。

「重いから動かないで……ふん!」

 アルマーに身体を絞められてともえは息ができなくなった。

 

 建物の外はどんよりとした雲が空を覆っていた。霧雨がともえの肌にまとわりついて体温をゆっくりと奪っていく。

「寒い……」

 ともえがアルマーに担がれてから一時間ほどが過ぎていた。ともえは疲労と寒さから抵抗することをやめ、アルマーの肩にだらんと伸びていた。

「ねえ、どこまで行く気?」

「我々の依頼主のところですよ」

 先を歩くセンちゃんが振り返らずに言った。

「キミのことをずっと待っていたんだって」

 ずっと待っている――前にも会ったことがあるのかな? 覚えてないけど……。

「その依頼主? はどうして私のことを探しているの?」

アルマーは「うーん」と考えてから「さあ?」とにっこり笑った。

「ヒトが珍しいからじゃないですか」

「依頼主ってどんなコなの?」

「怒らせると怖いですよ。鼻もよく利くし、何よりすごく鋭いキバを持っていますからね」

 センちゃんは眉をしかめて歯を剥いた。

「わたし食べられちゃうのかな」

「フレンズはヒトなんか食べませんよ」

 ともえはアルマーの肩の上で後ろ向きに流れていく景色を見ていた。どこまでもずっとサバンナが続いている。ともえの生まれた建物は既に見えなくなっていた。そんな代わり映えのない景色の中でモノレールの線路がひときわ目を引く。線路のはるか遠くに、水晶のような尖った塔が天高くそびえ立っているのが見えた。線路は大地を縦断するようにどこまでも続いていて、センちゃんとアルマーはこの線路に沿って進んでいるのだ。

「ねえ、あのモノレールって乗れないの?」

「ああ、ジャパリラインのことですね。あれは壊れているから無理でしょう」

「壊れている?」

「扉が開かないから乗れないんだよ。それに途中で線路が崩れているからさ、行ったり来たりを繰り返しているんだ」

「線路は巨大な丸い輪になっているので、それが途切れているのがいけないのかもしれません」

「そうなんだ、ふうん」

 それからしばらく、アルマーが鼻歌を歌ったりセンちゃんがハモったりしてのライブをたっぷりと堪能し、やがて行く先に東家が見え始めた。東家の隣ではたき火の煙が揺れている。

「あのフレンズが私たちの依頼主です」

 センちゃんが東家を指さし、アルマーが手を振った。東家の前ではイエイヌが立ったまま一行が到着するのを待っていた。

 

 ともえを地面に降ろしてセンちゃんとアルマーは帰っていった。依頼料としてジャパリスティックを受け取った二人はもう少し着いて行こうかと誘ったが、イエイヌはそれを断った。

「これは新しい依頼なのですが……」

 イエイヌはセンちゃんとアルマーに、二人が縄張りに戻るまでの道すがら、出会うフレンズたちにヒトのフレンズはイエイヌの連れだと伝えて欲しいと依頼して、前払いにジャパリチップスを渡した。

「仕事の依頼ですね!」

「やったー! 新しい仕事だー!」

 二人は目を輝かせ、小躍りして喜んだ。

 アルマーたちは「じゃあまたね、バイバイ」と手を振って去っていった。ともえはそのやり取りを地べたに座り込んだまま眺めていた。

 イエイヌは無言で右手を差し伸べた。ともえはその意図がわからず、イエイヌの手のひらの上に自分の右手を重ねた。

「これじゃあまるで『お手』ですよ」

 イエイヌが手を握って引っ張ると、ともえはようやく意図を察して立ち上がった。

 ともえはイエイヌに促されて椅子に坐り、出されたお茶を一口飲んだ。ハーブのいい香りがともえの心を落ち着かせる。イエイヌは席に座らず立ったままそれを見ていた。

「はじめまして。私はイエイヌといいます。

 この島はジャパリパークといって動物の楽園なのですが、時折なぜかヒトのフレンズが生まれてしまうことがあるんです。わたしはそのコたちをヒトの縄張りに戻してあげています。ヒトの縄張りはパークの外にあるといわれているので、これからあなたをパークの出口まで案内します。

 短い間になるでしょうがよろしくお願いします」

 ともえは曖昧にうなずいた。

「あなた、自分のお名前は覚えてますか?」

「覚えてない。というより知らないの」

「そうですか。この島では名前を忘れてしまったヒトのフレンズをともえと呼ぶことになっているんです。なので本当の名前を思い出すまではあなたをともえさんと呼ばせてもらいますね」

 ともえは釈然としないまま返事をした。

 イエイヌは水筒とカップをかばんにしまい、たき火に土をかけて消火した。そして椅子に敷いたお気に入りのキルトをマントのように身体に巻きつけて、顎でともえに出発を促した。

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