フェアリーテール   作:やわらかな土

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#11 あたらしいあさ

 

 新しい朝が来た。空はようやく晴れ渡り、澄んだ風が吹き抜けていった。

 その朝、イエイヌはともえを先導するように歩いた。カラカルとサーバルは折角ここまで来たんだしと言って、二人から少し距離を空けて歩く。そして、やがてジャパリパークのゲートにたどり着いた。

 ゲートはアーチだけを残して周囲の壁が崩れしまっていたので、出入り口としての用を成してはいなかった。その代わり、壁に沿うようにして通っている細い排水溝がパークの内と外を境界線のように隔てていた。イエイヌはその排水溝をぴょんと跨いでから、ともえの方に向き直った。

「ここでお別れです」

 イエイヌは言った。

「ここに私の居場所はないみたいです。なので私が出て行きます。ですので、ともえさんはここに残ってください」

 イエイヌは微笑んで、けれどもピシャリと言い切った。

「イエイヌはどこに行くの?」

「そうですね。どこかにわたしの居場所があるといいんですけれど」

「ともえさんに会いたいんじゃないの?」

「あなたがもうともえさんですよ」

「そうじゃなくて」

 イエイヌは少し間を開けて、意を決して言った。

「もういないんですよ。本当はそんなこと知っていたはずなんですけど。

 待っていればいつか現れるかもと考えていましたが。でもそれも終わり。私の中のともえさんはいなくなりました」

 イエイヌは寂しそうに笑った。

「大切な人なのに、忘れちゃったの?」

「片時も忘れたことはありませんよ」

 イエイヌは空を仰いで言った。

「ともえさんも今から好きな名前になるといいですよ。なにせあなたはともえさんではありませんし。それでは、お元気で」

 そう言い残してイエイヌはゲートを抜けて出ていった。

「また……会えるよね?」

 ともえはイエイヌの背中に向かって叫んだ。イエイヌはわずかに振り返り、曖昧に笑って再び前を向いて歩き始めた。

 イエイヌが見る間に遠く小さくなっていく。

「これで良かったの?」

 ともえの背後からカラカルが声をかけた。

「私はキュルルと別れてしまったけれど、後悔はないわ。最期まで楽しかったことを覚えている。でもあんたとイエイヌは、こんな別れ方を次に繋いでしまって、それでいいわけ?

 大切だから忘れてしまうけれど、大切だから思い出せる。そのときに、あんたは本当に後悔しない?」

 ともえはカラカルの言葉に黙って耳を傾けていた。気持ちは動いているのに、体がまるで言うことをきかないといった様子だった。

「そんな細い溝、飛び越えて見せなさいよ」

 カラカルは排水溝を指差して言った。その細い排水溝が、ともえには大いなる崖のように感じられていた。

「私に何ができるのかな……?」

「それをこれから確かめるんでしょ」

 ともえは足下に広がる無限のようにも見える細い排水溝の暗闇から目が離せなかった。ひとりぼっちは怖かった。未来が見えないことも怖かった。自分のことを何もわからないことが怖かった。何でもいいから指針を与えてくれる確かなものに縋ってしまいたかった。そうであれば、どれだけ楽だろう。けれど、今のともえにはそれらのものが一切何もなかった。イエイヌもきっと同じ思いのはずだった。根拠はないのに、絶対そうだという自信があった。けれども視線は、排水溝の奥の暗がりに吸い込まれて、どこまでも落ちていくようだった。

「下ばっかり見ないで、顔を上げなさい」

「えっ」

 カラカルは力一杯ともえの背中をひっぱたいた。ばしーんと凄まじい音が響き、その衝撃でともえはたたらを踏んで、勢い余って溝を飛び越えてしまっていた。

「いったーい! なにしてんの!?」

 ともえはたまらずに怒鳴り声を上げた。

「いいジャンプじゃない」

「もう!」

 ともえはじんじんする背中の痛みをさすろうにも手が届かずに悶えた。それを見てカラカルもサーバルも笑っている。「なに笑ってるのよ」と言ってからともえは、自分が溝を飛び越えたことに気が付いた。さっきまでの鬱々とした悩みは痛みによって頭の中から締め出されていた。そんなことよりとにかく背中が痛くて、ともえは思わず笑ってしまった。

「ほら、はやく行きなさい。大丈夫、困ったことがあったらいつでも助けてあげるから」

「わたしたちが付いてるよ」

 そう言ってカラカルとサーバルはともえを送り出した。ともえはほんの一瞬とまどって、それから頷いて、自信あふれる表情を浮かべて、ゲートを抜けて駆け出した。

「いってきます!」

 ともえは思い出したように振り返って叫んだ。

『いってらっしゃい』

 カラカルとサーバルは笑ってそう言った。そして、ともえがどんどん小さくなっていくのを穏やかに見つめていた。

 

 ともえの後ろ姿が完全に見えなくなり、カラカルとサーバルはなんだかお腹がすいていることに気が付いた。

「かえろっか」

 カラカルが言った。

「うん!」

 サーバルが答えた。

「あのさ、わたしサーバルに話さなきゃいけないことがあるんだけど」

「なあに?」

「キュルルって覚えてる?」

「うん。覚えてるよ」

「わたし、ようやく思い出したんだ」

「そっか。良かったね」

 カラカルはキュルルのことを思った。笑ったり喧嘩したり、いいことも悪いこともありありと思い出せた。すると、不思議とこれから自分がどう進んでいけばいいのかも、おのずと見えてくるのであった。

「わたしもカラカルに話さなきゃいけないことがあるんだ」

「なによ」

「あのね、わたしも昔、変わったフレンズと旅をしたことがあってね、かばんちゃんっていうんだけど」

「あ、なんか覚えてるかも。そういえばいつか言ってたわよね、ヘンなフレンズと旅をしたって」

「ヘンとは言ってないよー」

「ヘンとは言ってなかったか」

 サーバルは少しむくれて、それから二人は声を上げて笑った。

「かばんちゃんはすごいんだよ! 聞いて! あのね!」

 長くなりそうだ……、そうカラカルは予感した。

「何か言った?」

「こっちの話」

 サーバルは帰りの道すがら、身振り手振りを交えてかつての友達のことをカラカルに思い切り語った。カラカルは懐かしい友達に再会したような気持ちが湧き起こり、目から涙がひとつぶこぼれ落ちた。

 

 ともえは森の小道を走っていた。やがてイエイヌの後ろ姿が見えた。

 イエイヌはともえの匂いと音に、とっくに気が付いているはずだった。よく見ると、尻尾を振ってしまわないようにピンとまっすぐ伸びている。耳がひらひらと背後の気配を窺っている。それに気が付いて、ともえはほくそ笑んだ。

 ともえはイエイヌと距離を保ったまま着いて行く。時折ぴたりとイエイヌが立ち止まると、ともえも一緒に立ち止まる。イエイヌが振り返らずに再び歩き始めると、ともえも一緒に歩き出す。ぴたり。ぴたり。とことこ。とことこ。

 終わらないだるまさんが転んだ状態に業を煮やしたイエイヌはついに振り向いた。

「いつまで着いてくるつもりですか!」

「うーん……イエイヌの居場所が見つかるまで?」

「ともえさんにはもう居場所があるじゃありませんか!」

「わたしには帰る場所があるけどさ、イエイヌにも見つかって欲しいじゃん?」

 牙を剥いてまくし立てるイエイヌがなんだか嬉しくて、ともえはイエイヌの隣に立った。それから二人は並んで歩きはじめた。

「同情ですか。偉くなったものですね。というか、『ぼく』はもういいんですか?」

「『ぼく』はもうやめた。わたしはわたし。やっとわかったんだ」

 ともえの気持ちはすっきりしていた。名前も過去も切り離せはしない、けれども関係ない。今ここにいるのは自分なのだ。そんな気持ちで未来を見ていた。

「……わたしの居場所なんて見つかるかわかりませんよ。そもそも、あるかどうかも疑わしいんですから」

「居場所はね、なかったら探せないし、探しているんだからきっと見つかるよ」

「なんですかそれ」

「知ーらない。誰かの受け売りー」

 無責任な、といってイエイヌはため息をついた。

「そうだ。イエイヌの言っていたスケッチブックの最後のページなんだけど、思い出したよ!」

 ともえはスケッチブックを広げてパラパラとめくり、最後のページを開いた。

「ここにね、ジャパリパークに来た記念の絵が描いてあったはずなんだ。でも破れてなくなっちゃってるんだけど……」

 てへへ、と笑いながらともえは言った。イエイヌはふたたびため息をついてかばんをまさぐり、そこから皺くちゃにたたまれた一枚の紙を取り出して、スケッチブックに重ねた。

「わ、ぴったり!」

 ともえのスケッチブックとイエイヌの紙の切り口はぴたりと一致した。その紙には子供の絵でイラストが描かれていて「パークのおにいさん、おねえさんへ」とメッセージが添えられていた。

「こういうことです」

 そう言ってイエイヌはそそくさとイラストの描かれた紙をかばんにしまい込んだ。

「どういうこと?」

 ともえはおうむ返しに聞き返す。イエイヌは口角を思い切りつり上げて、

「なーいしょ!」

 と言って笑った。




ふたりは歩いていく。手を繋がずに並んで。ふたりでひとつではなく、ひとりがふたつ。前を見据えたまま彼女たちは歩く。隣に息遣いを感じながら。細長く伸びた影が時折触れ合い、打たれるようにして、深い呼吸とともに彼女たちは見つめ合う。そこにいたのねという顔をして。彼女たちの旅は続いていく。行く手を独り最後に愛されて彼方へ
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