どんよりと曇る空の下、ジャパリラインはゆっくりと走っていた。窓の外には代わり映えのしないサバンナの風景と、その遥か向こうに水晶の塔。ジャパリラインと並走するように流れていた細い川はいつの間にか二つに枝分かれしていて、さらに細くなっていた。
「わたしたちはこれからあの塔へ向かいます」
イエイヌがいきなり言ったので、ぼーっと窓を眺めていたともえは驚いてしまった。
「正確にはあの塔の方角へ、ですが」
「う、うん。わかりました……」
イエイヌは首を進行方向に曲げて前を睨め付けているので、ともえとなかなか目が合わない。やがて、
『アヅアエン、アヅアエン〜!』
とアナウンスが流れるとイエイヌは立ち上がった。
「ここで降りましょう」
「え、塔までまだずいぶんあると思うけど」
そう言いながらともえも立ち上がった。やがてゆっくりとブレーキがかけられ、ジャパリラインは停車した。
「線路が途中で崩れているので塔まで行けないんです。なので、ここから徒歩で向かいます」
イエイヌはそう説明しながら、ともえに扉のパネルに触れるよう促した。ともえはイエイヌの意図がよくわからなかったが、乗ったときと同じように手をかざせと指示しているのだと気付いて、慌ててパネルに手をかざした。手をかざすと扉がシュッと開く。この一連の動作がなんだかかっこよく思えてともえはにんまりと笑った。
駅舎から出ると眼の前には竹林が広がっていた。
「この林を抜けて海に出たいのですが……」
イエイヌは竹を見上げながら困ったような表情を浮かべた。竹が大きく育っているので、中に入ると目印の塔が見えなくなってしまい、迷うおそれがあるからだ。イエイヌはふんふんと匂いを嗅いでなにかいい方法がないか探った。
「ちょうど近くにパンダがいるみたいです。案内してくれるようお願いしてみましょう」
「う、うん」
ともえはイエイヌの真似をして匂いを嗅いでみたが、湿った林の匂いしか嗅ぎ取れなかった。
「ここにパンダがいるの?」
「匂いがしますし、近くにいると思いますよ」
「そうなんだ、楽しみ」
「ともえさんはパンダを知っているんですか?」
「うん!」
大きくてまるっとしていて、白と黒の彩りがチャーミングな動物。寝たりじゃれたりとってもキュート。そんな仕草を思うだけでともえは自然と笑顔になった。
「ほらいましたよ。おーい!」
イエイヌは竹の上の方に向かって声をかけた。そこには黒いマフラーを巻いて大きなシマシマのしっぽを揺らすけものがいた。
「えっ? あれって……」
レッサーパンダだ。レッサーパンダは竹の先を器用に握って枝に腰かけ、ブランコのように揺らしながらくつろいでいた。レッサーパンダはイエイヌに気づくとスルスルスルっと竹を降り、あっという間に地面に着いた。
「こんにちは! なにか御用?」
「あなたがパンダ?」
ともえは頭のてっぺんから足の先まで見ながらたずねた。思っていたパンダとあまりにも違っていたからだ。
「あ、そっか。私じゃなくてパンダちゃんに用があったんですね。そうですよね、地味なわたしなんかに用なんてあるはずないし……」
レッサーパンダは笑顔を浮かべてはいるが、どこか悲しそうだった。
「いや、用っていうのは……」
「任せてください! 私だって役に立つんだってところ、お見せしましょう!」
「う、うん……」
さあこっちです、とレッサーパンダは歩いていく。ともえは戸惑いながらその後をついていく。イエイヌはレッサーパンダの向かう方角とは別の場所からジャイアントパンダの匂いを嗅ぎ取っていたが、目的と関係がないので黙っていた。そして表情を隠すようにマントを口元まで上げ、ともえの後をついていった。
「たぶんこっちのほうだったと思うんですけど……。あれ、おかしいな……」
あれからしばらく、一行は竹林のなかをうろうろとしていた。レッサーパンダはジャイアントパンダのお気に入りの場所――石のベッドやフカフカの葉っぱを敷いた穴ぐらなど――を回ったが、どこにも彼女の姿がなかったのだ。レッサーパンダは不安と焦りから、針でつついたら爆発してしまいそうな顔をしていた。
やがて竹林の切れ間から駅舎が覗いた。竹林をちょうど一周してしまった形だ。
「あ、もしかしてあそこにいるかも」
そう言って駅に向かって走り出そうとしたレッサーパンダだったが、イエイヌはたまらず手で静止した。
「そっちにはいませんよ! ジャイアントパンダはあっちです!」
「えっ?」
レッサーパンダはイエイヌの指さす方向を見た。
「ジャイアントパンダならさっきからずっとあっちのほうにいますよ! ほんと役に立たないコですね!」
「や、役に立たない……うわああああん!」
レッサーパンダは体をのけぞらせて、ついにわんわんと泣き出してしまった。
「ちょっとイエイヌ!」
ともえがイエイヌをたしなめると、イエイヌはキルトで隠した口で舌打ちをした。
「あんたねぇ……。レッサーパンダちゃん、ごめんね! 怖かったね。あのおねえちゃん、凶暴だから誰にでもすぐ牙を剥くの。でも悪気はないの。そういうコなの。だから許してあげてね。それにレッサーパンダちゃんは私のことを助けてくれようとしたんだよね? 大丈夫、ちゃんと助かってる! だから一緒にジャイアントパンダちゃんのところに行こう? ね?」
ともえはレッサーパンダに歩み寄って肩と腕に触れ、優しくあやすようにまくしたてた。
レッサーパンダはこくこくと頷いて歩き出した。ともえはレッサーパンダに寄り添いながら、後ろで鼻を鳴らして笑うイエイヌに「黙れ」の意味のこもった人差し指を思い切り向けた。
レッサーパンダは泣いてはいたが見当はついたようで、迷わずに歩いた。しばらく進むとひらけた場所に出た。そこにはブランコやすべり台などの遊具がたくさん置かれ、中央にはサンドスターがオブジェのように立てられていた。風がさらさらと抜けていく。天気が良ければ木漏れ日が心地良いはずだ。
「ここは?」
「公園です。ジャ……。えっと、パンダちゃんいるかな?」
ともえがたずねて、レッサーパンダが含みのある返事をした。
「ちょっと。あなたもパンダなんでしょ?」
「でもわたしはレッサーパンダですから……」
ほんとはわたしの方が先にパンダだったのにと、顔に影をかけながら口の中でゴニョゴニョとつぶやいた。
「ごめん、ほんとにごめん! もう言わないから!」
「別に私なんて何の役にも立ちませんし……」
ふてくされたレッサーパンダは手ごろな木の枝を掴んで落ち葉をまさぐって「パンダちゃーん」と呼びかけた。
ジャイアントパンダは広場の縁に置かれた平たい岩のベンチで、大の字になって気持ちよさそうに眠っていた。
「あ、ジャイアントパンダちゃんがいた!」
レッサーパンダは表情をぱあっと明るくして駆け出した。
「このフレンズがジャイアントパンダちゃんです。かわいいでしょ?」
ジャイアントパンダはだらしなく口を開けていびきをかいている。
「え。う、うん。かわいいねえ〜……」
見ている間にもジャイアントパンダの口元からよだれがタラリと垂れてきていた。ぼりぼりとお腹を掻いたり、黙ったかと思ったらビクッと急に体を震わせて、それからまた大いびき。
「でも起こしちゃダメですよ! ジャイアントパンダちゃんは無理に起こすとすごくこわいんです!」
「そんなことより聞きたいことがあるんですけど」
イエイヌが口を挟んだ。
「そんなこと……?」
機嫌を直しかけていたレッサーパンダの顔に再び影がかかった。
「わたし、お役に立ちませんでしたか……?」
「別にパンダに用はありま……」
「レッサーパンダちゃん、わたしとあっちでブランコしよう!」
ありませんから、とイエイヌが言い切る前にともえが割り込んで、レッサーパンダの手を取ってブランコに連れて行った。
「わたし、役に立……」
「はい座って! じゃあ漕ぐからね! 捕まっててよ!」
ともえはレッサーパンダのお尻の脇に足を挟んで、体を弾ませて勢いよくブランコを立ち漕ぎした。ブランコは大きく揺れてみるみる高く振れだした。
「ヤッホー! 気持ちいいね!」
「は、は、はい!」
風をびゅうびゅうと切り裂いて、ブランコは前に後ろに大きく揺れる。はじめは緊張していたレッサーパンダも段々と笑顔になり、ブランコの頂点で足を突き出してわーっと雄叫びを上げた。
イエイヌは少し離れたところから他人事のように二人を眺めていた。その瞳には寂しさも嫉妬も浮かんではいなかった。
「ブランコ楽しかったね!」
あやす目的で乗ったブランコだったが、ともえはつい本気で遊んでしまい満足していた。
「はい、あんなに高いところまで漕いだのははじめてです!」
レッサーパンダも満足そうに笑って答えた。
「それにしてもこのブランコ、しっかり作られてるのね。あんなに漕いでもビクともしないし」
ともえはブランコを繋ぐ縄を引っ張りながら言った。
「あ、それ私が結んだんですよ。あっちのタイヤブランコはジャイアントパンダちゃんのお気に入りなんです」
そう言ってレッサーパンダは隣のタイヤブランコを指さした。
ともえは「これだ!」とひらめいた。
「すごい! レッサーパンダちゃんすごいよ! 指先がとっても器用!」
「えっ……?」
「だってそうでしょ。ブランコを結ぶだけでもすごいのに、こんなに丈夫に作れるなんて本当にすごい!」
「そ、そうかな……?」
レッサーパンダは困惑しながらも、満更ではない顔を浮かべた。
「こんなの大したことないですよ」
ともえはここで決めるべくたたみかけた。
「大したことある。これはすごい才能よ。レッサーパンダちゃんは才能があるの、指先が器用っていう才能がね。これはあなただけの価値で、ジャイアントパンダちゃんにも負けない才能なの。この才能は役に立つ。信じて、あなたには価値があるの」
ともえはレッサーパンダの両手を握りしめて熱弁した。
「はあ」レッサーパンダはぽかんとしている。「でもジャイアントパンダちゃんはかわいいですよ?」
「それはもちろんそうね。でもあなたもかわいいし、指先が器用っていうジャイアントパンダちゃんにはない才能がある。自分を信じて!」
ともえは力強く言い切ったが、レッサーパンダは目をぱちくりとさせていた。
「そうそう、私たちここを出て海の方に行きたいんだけど、どっちに行けばいいかわかる?」
「それならあっちの出口をまっすぐ進んでください。林を抜けたらタワーが見えますから」
レッサーパンダは広場の出口を指さした。
「ありがとう。レッサーパンダちゃんはどうするの?」
「わたしはここでジャイアントパンダちゃんが起きるのを待ちます」
「そっか。じゃあ行くね。バイバイ」
ともえはレッサーパンダに手を振った。レッサーパンダは丁寧にお辞儀で返した。イエイヌはレッサーパンダに小さく会釈してから小走りでともえを追いかけた。
ともえたちが見えなくなると、レッサーパンダはジャイアントパンダの寝ているベンチのそばに歩み寄った。
ジャイアントパンダがいればただのベンチも宝物をのせる台座みたいだと、レッサーパンダはそんなふうに感じた。
「ジャイアントパンダちゃん、はやく起きないかな。わたし、指先が器用なんだって。だから、こんなわたしでもジャイアントパンダちゃんと友達でいてもいいんだよ。だからはやく起きてよジャイアントパンダちゃん……」
ジャイアントパンダは目覚めない。