カラカルとサーバルは相変わらず重苦しく広がる空の下、ともえたちの足跡を追って歩いていた。視界を遮るものはなにもなかった。
「なーんかわたしたちの行く先っていっつも曇ってるわね」
サーバルはペパプの鼻歌に独自のフリを付けてひらひらと踊りながら軽やかにステップを踏む。カラカルはそんなサーバルをよそに、屈んで土に残る足跡に触れ、次に慎重に匂いを嗅いだ。まだ湿っている地面には足跡がくっきりと刻まれていた。時折、湿気をはらんだ重い風が吹き抜けていく。カラカルは耳を風上に向けて注意深く観察した。サーバルも鼻歌を止め、カラカルと同じように風上を観察する。風の中にゴオゴオと川の流れる音が混じっている。風にはともえとイエイヌの痕跡はなかった。
「ちょっと遠いわね。でも」
カラカルは足跡の続く先を見た。行く先の空には黒い雨雲がどんよりと陣取っていて、かなりの雨が降っていることが見てとれた。
「雨で足止めされてるかも。急ぎましょ。でも、その前に」
カラカルがサーバルを振り返ると、サーバルも目を合わせて頷いた。
風には獣の匂いが混ざっていた。そのほかにもうひとつ、血の匂いも乗っていた。
獣と血の匂いは足跡の続く先から漂ってきていた。やがてカラカルとサーバルの二人は絶命できずに苦しんでいるタヌキの下に辿り着いた。タヌキはともえたちが見たそのままの姿で地面に倒れ、うめき苦しんでいた。そのタヌキの近くには一粒のサンドスターが転がっていた。二人はタヌキのそばに跪いて頭や足や傷口に触れた。言葉はなかった。サーバルはタヌキの鼻と口吻を塞ぐようにぴったりと口づけて呼吸を遮った。タヌキの体がぴくりと痙攣した。カラカルはタヌキの前足を優しく握り込んで、背や腹を慈しむように撫でた。タヌキの前足から少しずつ力が失われていき、やがてカラカルの手の中で力なくだらんと伸びた。二人はタヌキを地面に優しく寝かせた。二人は立ち上がり、カラカルは転がっていたサンドスターを掴んで遠くへ投げ捨てた。
そして二人は足跡の追跡を再開した。
「さっきの子、サンドスターが切れたフレンズじゃないわよね」
「うん。たぶん」
「じゃあ、あの子たちが置いたのよね」
「そうかもね」
「なんでそんなことをしたのかしら」
「わからないけど、でも、悪気があったわけじゃないと思うな」
「それは同感。自分のしたことの意味がよくわかっていなかったのかしらね」
二人はうーんと唸ったが、答えは出てこなかった。
「あのね、サーバル」
「うん、なあに」
「わたし、思い出したというほどではないんだけど、さっきの子と似たようなことがあったような気がするのよね」
「うん」
「わたしはとにかく眠くって、周りはさっきのサンドスターみたいにキラキラと光ってて、誰かが私のことを撫でてくれてるの。よく頑張ったね、偉いねって」
「そっか」
「その誰かさんも、こんな気持ちだったのかしらね」
カラカルは胸に手を当てて、名前も知らない死者にあてた弔いの気持ちをサーバルに打ち明けた。カラカルはサーバルもきっと同じ気持ちだろうからと思っていた。
「うーん。それだけじゃなかったかもね」
「そう?」
「うん。きっとそうだよ」
「そうね。あんたがそう言うなら、そうなのかもね」
「きっとそう、きっとそう〜♪」
サーバルは歌いながら弾むように行進しはじめた。一陣の風がカラカルの髪をかき乱すように吹き抜けていった。カラカルがブルっと頭を振ると、乱れた髪はあっという間に元通りに戻った。
やがて遠くの方に鐘楼が建っているのが見えてきた。足跡もそこを目指して進んでいた。
鐘楼の周りはぬかるんでいて、ひどい雨に見舞われて間もないことを物語っていた。ぴちょん、ぴちょんと雫が土を叩く音が響いている。
「ねえ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
カラカルは鐘楼の二階の手すりに腰掛けて足をブラブラとさせているカタカケフウチョウに声をかけた。カタカケフウチョウはどこかすっきりとしたような澄ました表情をしている。
「いいだろう。今日は気分がいいのでなんでも答えるぞ」
そう言ってカタカケフウチョウはひらりと手すりから飛び降りて、カラカルの目の前に音もなく着地した。
「ここにいるのって、あんた一人だけ?」
カラカルは周りに残っている夥しい足跡を見回しながら尋ねた。
「難しい質問だ。私は一人でもあるし、独りではないともいえよう」
「はぁ?」
「私は思い出したのだ。そして知ったのだ。
私ははじめから一人ではなかった。それを知るために忘れていたのだと。一人ではないと知るためには一人であることを知るしかないのだ。そして一人であることを知るには一人であることを忘れなければならなかった。そのことを友人に先程教えられた。大切な友人によってね」
カタカケフウチョウは足跡の行く先を、眩しそうに眺めながら語った。
「コントラストが大事なんだよね」
そうサーバルが相槌を打つ。
「サーバル?」
「引き裂かれる痛みが強いほどそれは大事だったと知ることができるのだ。だからカラカル、答えはこうだ。カンザシフウチョウは常に私と共にある。だから私は一人ではない」
カタカケフウチョウは胸に手を当て、真剣な面持ちでカラカルを真っ直ぐに見た。
「あ……うん、わかったわ。じゃあ今ここにそれを教えてくれた友人って子はいないのね?」
「いや、いる。この胸の中にちゃんと」
そう言ってカタカケフウチョウは自分の胸をビシッと指差して誇らしげに天を仰いだ。そんなカタカケフウチョウにサーバルはうんうんと頷く。共鳴する二人の間に立つカラカルはツッコミたい気持ちを抑えつつも、その頭上にモジャモジャとした漫符を浮かべていた。
「まあいいわ。じゃあわたしたちは行くわね」
「まあ待て。お前たちに渡して欲しいと預かっているものがある」
カタカケフウチョウは身を翻そうとしたカラカルを呼び止めて、これだ、と言ってマントの中から一冊のスケッチブックを取り出した。
「あ、これ!」
カラカルはカタカケフウチョウの手からスケッチブックを奪い取ってパラパラと中身を確認した。
「これ、私のやつじゃない! なんであんたが持ってるのよ」
「忘れ物だからとパンダに託されたのだ」
「うっかりしてたね、カラカル」
「うーん、言われてみたら忘れてた気もするわね。でも渡されるまで忘れてることも知らなかったわ。ところでパンダってどっちの?」
「パンダにどっちなどない。パンダはパンダだ」
頭を掻きながら質問するカラカルにカタカケフウチョウはそっけなく答える。
「いやまあそうなんだけど。じゃあ泣いてるのと寝てるののどっちよ」
「起きてるパンダだ」
「そりゃそうでしょうよ……。じゃあ花冠は? してるほう? してないほう?」
「質問の多いけものだ。二人とも花冠をしていたぞ。これでいいか?」
「まあいいわ。とにかくありがと、助かった。わたしたちはこのスケッチブックをあなたの言う友人に返すためにここまでやってきたのよ」
「ほう、そうだったのか」
「ほんとはあんたが返しておいてくれれば一番良かったんだけどね」
「無理を言うな」
「わかってる。言ってみただけ」
「つまり、今はまだ返すときではなかったということだ。だからこうしてスケッチブックはお前の手元に戻ってきた。機が熟すまで大切に持っておけ。それと」
カタカケフウチョウは手をカラカルに差し出して言った。
「感謝の気持ちがあるなら礼として私と踊ってくれないか?」
「嫌よ。だってわたし踊ったことなんかないもの」
「サーバル、きみはあそこのハンドルを回して鐘を鳴らしてくれないか」
カタカケフウチョウは嫌がるカラカルを無視して手を握り、サーバルに指示を出すと、カラカルを巻き込んで軽やかに舞い始めた。カラカルはダイナミックに回転するカタカケフウチョウの足を踏まないように、身体がぶつからないように、転んでしまわないようにと、色々気にしすぎて辿々しいステップを踏む。その様はカタカケフウチョウにぶんぶんと振り回されているようで、まるで息があっていない。サーバルがハンドルを回したので鐘楼の鐘がカンコンカンと鳴り渡る。けれど、鐘を叩く歯車がひとつ欠けてしまっているせいで、鐘はメロディーにならずにリズムも外れてしまっている。
「どうした、しっかり踊れ」
「うるさいわね。音が外れてるせいでタイミングが狂うのよ!」
「感謝の気持ちが足りないのでは?」
「ひどいわね。それならさっきのありがとうを返してよ」
カラカルは毒づきながらも、ステップは少しずつ合うようになりはじめている。
「ところで、私と踊っても良かったの?」
「どういうことだ」
「だから、あんたにはカンザシフウチョウがいるんじゃないの」
そういうことか、とカタカケフウチョウは答えて、まるで何でもないかのようにくるりと身を翻した。
「もちろん大切だが、所詮は記憶の中の存在に過ぎない。真実はいまここにいる私だ、貴様と踊ったところで過去はなかったことにはならない。私が覚えているからな」
「難しいわね」
「たとえばサーバルを残してお前がいなくなったとしよう。そこで、お前に悪いからとサーバルが一人きりでいることを決めたとしたら、お前はどう思う?」
「そんなの絶対イヤよ」
「つまり?」
「私が足枷になっているなら、私のことなんか忘れなさいって言ってやりたいわ」
カラカルは強く足を一歩踏み出した。そのステップがカタカケフウチョウのステップとぴったり重なって、二人の息は初めて一致した。二人はそのままくるくると回って、やがてぴたりと静止した。そしてカタカケフウチョウは片膝をついて仰々しく跪礼の姿勢を取った。
「次はわたしー!」
サーバルは駆け寄りながらそう叫び、カタカケフウチョウの手を掴んで強引に踊り出した。カタカケフウチョウはサーバルの自分勝手な動きを難なく受け入れて、二人はまるではじめからひとつのものだったかのようにくるくると踊る。そんな二人の踊りは鐘の音も外れたリズムも、地面を叩く雫の音さえも関係なく、世界を巻き込む渦のようにくるくると回る。踊る二人の身体からは汗が湯気となって立ち上った。
カラカルは欠けた歯車がどうしても気になってしまい、鐘楼に登って鳴らない鐘を叩いて音を出した。はじめは合わなかったが、何度か叩くうちにコツを掴んで気持ちのいいグルーブを奏でることができるようになった。