008
「……それで、阿良々木さん。私に話したいことって何ですか?」
その翌日、5月11日、木曜日の放課後。僕は再び
「まあ確かに、今日もここに来るつもりではありましたけど。阿良々木さんだって忙しいんじゃないんですか?」
「いや、忙しいと言えば忙しいけどよ。今日はちょっと、どうしてもお前に直接聞きたかったんだ」
「?聞きたいって、何をですか?」
きょとん、と。
あくまで何も知らないといった風の七五三掛に、僕は昨日
「……お前、この前のゴールデンウィークに羽川を見たのか?」
今どき絶滅危惧種と言ってもいいほどの、真面目で正しい模範的な委員長━━━━━━━━━そして、ゴールデンウィークに猫に魅入られた少女。諸々あってそれは解決したものの、代わりに羽川からはその期間の記憶がすっぽりと抜け落ちてしまった。とは言っても、「何かがあって忍野に助けてもらった」程度の記憶は残っているらしいが。
それはともかく、今回問題なのは前半だけだ。
ゴールデンウィークの羽川は猫に魅入られ、
そして忍野曰く、その被害者の内の一人が七五三掛であったという。
「……なんで、そう思うんです?」
「いや、僕が推理したってわけじゃないぜ。これは単に忍野から聞いた話だからな」
とは言っても、まあ。僕も、薄々そうじゃないかとは感じていた。
七五三掛のような『普通』の女子高生が、忍野のような『異常』なおっさんと知り合う機会などそうそうないだろう━━━━それこそ、怪異絡みの事件でもなければ。
初めは、
忍に血を与えるため定期的に学習塾跡を訪れていたから、忍野が何か怪異絡みの新たな案件を抱えていれば何か話していたはず━━━━そうでなくとも僕は吸血鬼の元眷属なのだから、そうした怪異には引かれるはずだ。
だが、春休みの後、そうしたものは羽川と戦場ヶ原の件を除いて他に起こらなかった。となると、他人の介在する余地があったのは前者、羽川の猫であると考えられる。
「驚きました。まさかそこまで気付かれていたとは」
「まあ、確信を持ったのは忍野の話を聞いてからだけどな」
「……それで、じゃあ阿良々木さんはそれを聞いてどうするつもりだったんですか?私が羽川さんの件を知ってるって事と今回の私の問題に、何か関係があるとは思えないんですけど」
「いや。関係ならある。大ありだ」
「そうなんですか……それよりも、それ。阿良々木さん、その服どうしたんですか?何かすごいボロボロですけど」
「ああ。これはまあ昨日、ちょっと色々あってな」
昨日家に帰った後、でっかい方の妹からそれはもう本当に口煩く傷だらけの服について質問された。自転車で転んだと言って適当に流そうとしたけれど中々納得せず、「兄ちゃんをこんな目にあわせた奴をとっちめてやる!」といきり立っていた。普段は喧嘩ばかりしている……というか、最近になってからはその喧嘩すら少なくなってきたような兄妹ではあるが、どうやらその程度には思ってくれているらしい。
ちなみに、ちっちゃい方の妹は翌朝、僕が服を
「へえ、妹さんとは仲がいいんですね」
「仲がいいって訳じゃあ無いと思うけどな。あいつらは単に、あいつらがやりたいように動いてるだけだよ。……まあ、それはともかくとして、だ」
話しながら金網に触れ、学習塾跡の壊れたフェンスを潜り抜けてボロボロの玄関口に立つ。
「それじゃあ七五三掛、聞かせてもらうぞ」
自転車を止め、真正面から問う。
「━━━━鎌鼬の正体は、お前だな?」
七五三掛は一瞬驚いた顔をして、そして柔らかく微笑んで、答えた。
「はい、そうです。よく気付きましたね」
009
そう。
結局は、全てが嘘だったのだ。
鎌鼬という怪異も、それに襲われた誰かも。
忍野曰く、
「もしも鎌鼬に襲われたのが本当なら、体に切り傷があるのはもちろんだけど━━━━服が破けてないのはおかしいと思わないかい?」
言われてみれば、確かにそうだ。
かつて見た七五三掛の体にはそれこそ腕や脚、胸に至るまであちらこちらに数多くの切り傷があったが、彼女の服には切り裂かれた跡など、どこにもなかった。帰り道に繰り返し襲われたと言うには、彼女の制服はあまりにも綺麗で、穴はもちろんのこと縫った跡すら付いていなかった。
でも、それだけで嘘だと決めつけるのはまだ早いんじゃないか?だって━━━━
「それは……制服を新しくしたってだけじゃないのか?」
「はっはー、全くこれだから阿良々木くんは。もっとよく考えてみなよ」
やれやれ、と首を振る忍野。なんだってコイツにここまで言われなきゃいけないんだよ。
「服だけだったら確かにその線も考えられたね。でも、阿良々木くん。君はあの時、長身ちゃんの裸を見たんだろう?」
「そこだけ切り抜くとまるで僕が変態か犯罪者のように聞こえて嫌なんだが、まあそうだな」
「自覚があるのはいいことだねぇ。その調子で更生頑張っていこう」
「ホントに変態みたいに言うな!」
僕だって裸を見たくて見ている訳ではないのだ。もっとも、それを言ったら何か色々と危険な予感がしたので言わなかったが。
それはそれとして、どうやら七五三掛のあだ名は長身ちゃんに決まったらしい。わざわざ僕の前でそれを連呼するあたり、やはりこのおっさんは性格が悪い。
「はっはー、急にそんな大声を出さないでくれよ。元気いいなあ、何かいい事でもあったのかい?……さて、今回のノルマ回収完了っと」
「その口癖ってノルマだったのか!?」
「大人の世界は成果に厳しいのさ。一定のノルマを熟さないと物語からリストラされちゃう」
「また訳の分からない事を……とにかく、七五三掛の体を見たから何なんだよ」
「だってさあ。阿良々木くんは、彼女の体の
じゃあ、背面は━━背中側はどうなっていたんだい?
「背中側はそう簡単に自傷できないだろうし、多分そっちは傷一つ無い綺麗な肌なんじゃないかな?」
「……」
「長身ちゃんは背中側を見せなかったんだろう?わざわざ壁のすぐそばに立って、後ろに回りこめないようにしてまで」
ちょっと考えれば分かってしまう程度の、あまりにもお粗末な嘘。
ならば、七五三掛はどうしてそんな嘘を吐いたのか。
「そうだねえ。君らぐらいの歳だと、あれだろう、自己顕示欲みたいなのがまだまだ大きい頃だろう?」
だからじゃないの?と、
「…………それは、つまりどういう事だよ」
「じゃあ、こう言ってみるよ━━━━特別な存在になりたいって思ったから、とかはどうだい?」
特別な存在になりたい。
人から注目されたい。
それは誰にだって、どこにだってある、ありきたりで無邪気な願望で。本来ならばこのような形で発露することの無い願いだった筈だ。
それがどうしてこうなったかは、もはや言うまでもないだろう。
だって彼女は、羽川の
怪異の存在を知り、羽川という具体例を知り、僕という吸血鬼を知り。そのようにして、空っぽな自分を特別にする方法を知った。
確かに、忍野からすれば嫌いなタイプである。『自分は被害者である』という事にして、怪異のせいにして、それでいて加害者は自分であったのだから。まさに被害者ヅラである。
「じゃあ、どうすればいいって言うんだよ。どうすれば……」
どうすれば、七五三掛の自傷を止められるのか。
どうすれば、『鎌鼬』を退治できるのか。
どうすれば、彼女を助けられるのか。
「そこは僕の専門じゃあないよ。僕はあくまで怪異の専門家ってだけで、そういう心のケア的な事には通じてないからね」
━━━━━それに、誰かを助けるなんてできないしね。
忍野は付け加えるようにそんな事を言った。
「そんなこと言ったって……!」
「うるさいなぁ。阿良々木くんにはもう言った事があるだろう?『被害者ヅラは気に食わない』ってさ」
なおも食い下がる僕に、忍野はそう冷たく言い放った。
「その理由がどうであれ、長身ちゃんは被害者ぶろうとして鎌鼬を騙り始めた。それが今どうなってしまったとしても、それは自業自得ってもんじゃないかい?」
「自業自得って、お前……!」
「そもそも、長身ちゃんと阿良々木くんはつい最近知り合ったばかりなんだろう?なんでそこまで必死になるんだい?」
「なんでって……」
「なんで、何の関わりもない子を助けようとするんだい?委員長ちゃんの時は、春休みの恩があるからで納得出来る。でもこの前のツンデレちゃんや、今回の長身ちゃんの場合はわけが違うだろう?」
君は誰彼構わず助けるのかい?
忍野はいつもの薄笑いと共にまるで僕を揶揄うように、試すように言った。
一瞬の逡巡の後、僕は答える。
「━━━━そんなの、決まってるだろ」
僕が助けるのは、裸を見た女の子だけだぜ。
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「……そう、ですか。全部お見通しでしたか。さすがは忍野さんですね」
俯いてしみじみと言う七五三掛。
その様子を見て、僕は言わずにはいられなかった。
「七五三掛は何で、どうしてこんな事をしてるんだ?自傷なんてそんなの、痛いだけじゃないのかよ?」
「……ええ。痛いですよ。痛いし、辛いです」
「なら何で……」
言いかけた僕の言葉を遮るようにして上げた七五三掛の顔を見て、思わず言葉を飲み込んだ。
「…………お前。その顔、何だよ」
そして、つい聞いてしまった。だってそれは、ゴールデンウィーク初めの羽川を思い出させるものであり━━━━━━━━━━
「お前、その顔の傷、どうしたんだよ?」
七五三掛の着けていた大きなマスクの下、右の頬には僅かに大きなガーゼが当てられていた。
━━━━━━そして、それは離れていても分かるくらいにはっきりと、鮮やかな赤色を滲ませていた。
「……今朝起きたら、こうなってました。これまでの傷は、ええ、阿良々木さんの言う通り私が私の意思で付けたものです。……でも、
その言葉に背筋が寒くなる。
何も切っていないという七五三掛の言葉を信じるならば、昨日僕を切ったのも、顔に傷をつけたのも七五三掛本人の意思とは関係ないものであるということになる。それはつまり、『鎌鼬』の怪異としての実在性が高まってきたと表している事に他ならない。
「信じてください。私、今まで自分以外は切ってなかったんです……なのに、こんな事になってるだなんて、どうすればいいんですか?」
想定よりもずっと、事態は深刻だった。
「…………私、怖いんです。最近、自分が自分じゃなくなるみたいな事がよくあるんです」
言われて、昨日の会話を思い出す。
そういえば別れる直前の七五三掛は、まるで
「お願いです、阿良々木さん。虫のいい願いだって分かってます。自分勝手な考えだって分かってます。見捨てられても仕方ないと思ってます。……でも、それでも」
「…………お願いします。
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