「やあ、フジ。どうだい、ケガの治り具合は」
「……良くは、ないですよ」
「そうくよくよするなよ、麗しいお顔が台無しだ」
角部屋の病室に一人。足を投げ出し、変わることのない窓の外の景色をぼうっと見つめていると、病室の扉が引かれた。まだご飯の時間じゃないのにと一瞬思ったが、声ですぐに誰か分かった。同じトレーナーに見てもらっていたウマ娘どうし、分かることもある。覚えている限りだと、彼女が訪ねてくるのは初めてだ。
「今の私が、麗しく見えますか?」
「フジはいつでも麗しいよ。レースはもちろん、学園生活でだってそうさ」
「ウィズさんの方が、よっぽど麗しく見えますよ」
ウィズさん――ヤシロウィズダムは、すでにトレセン学園を卒業している。もう社会人になって長いというのに、「同じトレーナーに見てもらっていたよしみ」という理由だけで、こうしてお見舞いに来てくれる。恵まれているとは、思う。きっと境遇が同じだというのもあるのだろうけれど。
「ほら、シャキッとしな。リハビリ頑張るって、お医者様にも言ったんだろ?」
「それは、ほら、方便って言うんです」
「なんだ、レースに復帰する気はない?」
「……できないでしょ、こんなケガじゃ」
弥生賞の後、いよいよ三冠路線本番というところでのケガ。歩くことはできるし、皐月賞にダービーは諦めることになっても、菊の舞台には立てると踏んでいた。それが叶わない、それどころか競走生活を続けることも難しいケガだと診断された時は、さすがに目の前が真っ暗になった。私の走りを見て、自分もトゥインクルシリーズで勝ちたいと思ってくれた未来のヒロインや、私をずっと応援しようと心に決めてくれた人だっていたはずなのに。その人たちに、報いることができなかった。
「まだ絶対に復帰できないって決まったわけじゃないだろうに」
「ウィズさんだってそう言って、結局復帰できずに卒業したんでしょ」
「そんな悲しいこと言わないでよ、あたしは吹っ切れて、次行こうって思ったんだからさ」
「……そんなふうに、思えるものなんですか」
レースに出られなくなったからと言って、何もかも終わりなわけではない。それでも、「走って勝つ」ことを本能に刻み込まれたウマ娘にとって、走れないというのはすごく苦しいことで。自分の立つ舞台で、ある時突然自分にだけスポットライトが当たらなくなったら、そんなに悲しいことが他にあるだろうか。
「そりゃ、ケガしたばっかりの頃は塞ぎ込んでたけどさ。もう、迷ってはいないよ」
「いまだに、テーピングをしてるのに」
「テーピングでちょっとしたオシャレができるくらいにはね。心の余裕があるってもんさ」
「それなら。……私は、何をすればいいですか」
「まずはリハビリだね。何事もなく歩けるようになって、この箱から抜け出さなきゃいけない。ここを檻の中だと思ってるうちは、いつまで経ってもそのまんまだよ」
「そうじゃない」
ちょっと語気が強くなってしまった。一瞬だけウィズさんをぎょっとさせてしまった。ほんの少しだけ、距離が開いた気がした。
「こんなところじゃ、輝こうにも輝けない。……そんなことは、分かってます。でも学園に戻ったとして、私は後輩たちに、後からデビューする子たちに、どう向き合えばいいんですか? 私に、何ができるんですか?」
「フジ」
今度はウィズさんが私をびっくりさせる番だった。いつも飄々として、なるようになるさと本気で思って生きている彼女だからこそ、一段低い声で呼びかけてきたのに素直に驚いてしまった。
「フジの思い描く、『憧れの先輩』ってのはどんなのだ」
「……憧れの、先輩」
「『見本になる』先輩だっていい。レースで他の追随を許さない、強いウマ娘であることだけが価値じゃない。逆にそれだけじゃ、本当に慕ってもらえるウマ娘にはなれない」
「慕ってもらえる……ウマ娘」
勝負服を身にまとって、走る自分が好きだった。一番着飾った自分でいると自信が持てて、誰よりも輝いてみせるんだという決意を持てた。でもそれは偽り、虚勢だったのだと気づいた。あの服がなければ、私はこんなに自信がなくなってしまう。学園に戻れるかどうかすらあやふやになってしまうなんて。
「あたしが『その後』、どうなったか。フジなら知ってるだろ」
「栗東寮の、寮長……」
「そう。正直、いっつも足に包帯巻いて痛がってるようなウマ娘が寮長なんかやって何になるんだって、あたしも思ってたよ。なったばかりの頃はね……でも、寮長って肩書きがあるだけで、十分だった。あの時、みんなにオカンみたいだって言われてたの、いまだに気にしてるけどさ。でも寮長だったからこそできた交流の輪もあったし、逆にその肩書きがなけりゃどうにもならなかっただろうって場面もあった。あたしは、みんなのまとめ役って仕事をもらえて、本当によかったって思ってる」
フジ、栗東寮の寮長になりな。
そんな話をされれば、その後に続きそうだとすぐに分かる言葉を、ウィズさんに投げられた。なりたくてなれるものではないかもしれないのに。
「……そう、なりますよね」
「理事長やたづなさんにはあたしから上手く言っとくさ。お尻叩かれちゃ、いよいよ早く退院しなくちゃいけなくなるだろ?」
「……お節介だなぁ」
「世話焼きって言いな」
「お節介、ですよ」
***
「へえ……フジさんにもそんな時、あったんすね?」
「カッコ悪いよね? ポッケは、私のレースに憧れてくれてるんだから」
「そんなことないっすよ、フジさんが手の届きそうな憧れだってこと、分かったんで!」
「言ってくれたね、ポッケ?」
確かに、寮長になってみて分かったことはたくさんあった。自分のレースを見てトレセン学園に入ってきた子と出会えたのは、あの時私が決断をしたから。弥生賞までの短い間だったけれど、間違いなく、誰かにとっての憧れになっていたと、気づくことができた。
「お、併走っすか?」
「いいね、まだ私もやれるってところ、見せてあげるよ」
「そう来なくっちゃ。やっぱ自分の走り思い出せんのは、フジさんと走ってこそなんで!」
寮長になったばかりの頃ですら、もう使わないだろうと思っていた勝負服も、こうして大活躍しているのだから。やっぱり麗しくあれと自分を奮い立たせられる今の私の方が、ずっといい。