「……で、なんだったんだこのザマの原因は」
「えっと……タキオンちゃんが入れ替わりの薬を学園中にばら撒いた、らしくて」
「……
ブライアンちゃんがあからさまに大きなため息をつく。けれど、見た目は私の体。対する私はブライアンちゃんの体で走り回り、何とか元凶を突き止めた。一人で黙々とお昼を食べるブライアンちゃんの横に行って、私は野菜をもらってブライアンちゃんにお肉をあげて、食べ終わったら少しだけお昼寝をして。起きてみたら体が入れ替わっていたのだから、それはもうてんやわんやだ。
「クソ……食堂の飯に薬が盛られてるなんて、気づけるわけがないだろうが……」
「ブライアンちゃん、私の口でそんな言葉言わないで」
「……ッ!」
「と、とにかく、明日の朝には元に戻るらしいから、何とかみんなにバレないように……」
「おい」
「はいっ」
「……まさかアンタが仕組んだんじゃないだろうな?」
「しないよそんなこと、私はサクラローレルとしてブライアンちゃんに勝ちたいもの。そんなズルはしないよ」
「本質からズレてる気もするが……」
何かしゃべるたびに、ブライアンちゃんのちょっと低めな声で自分の思っていることが出てきてびっくりしてしまう。いつもより気持ちぶっきらぼうに振る舞えば、ブライアンちゃんっぽくなるだろうか。問題はブライアンちゃんの方で、私の見た目でブライアンちゃんがあれこれすると、私に対するイメージが変わったりしないか。そこが心配だ。
「……とにかく、明日朝起きれば治ってるんだな? それはアイツに確認したのか」
「うん、間違いないみたい。もう一回薬を飲むともっと入れ替わる時間が延びるって言ってたし、大人しく待った方がいいと思う」
「アイツの処遇はルドルフたちに任せるとして……クソ、せっかく姉貴とアマさんが晩に肉料理を振る舞ってくれる手筈だったのに」
「今夜はお肉だったの? ん? いつものことかな」
「いいか、野菜は食うなよ。私は野菜を食うと腹を壊すんだ」
「嘘だよね?」
「……」
「うーん……なるべく気をつけるけど」
午後の授業が始まってしまうからと、ブライアンちゃんがくるっと踵を返して教室に戻ろうとした。が、もう一度こちらを振り向いた。
「私はアンタの体で何に気をつければいい?」
「気にしてくれるんだ」
「アンタの評価をむやみに落とすのは、私も本望じゃない。それにアンタの取り巻きには騒がしい連中も多いだろ。入れ替わったと知られれば、物凄く面倒なことになる」
「うーん、誰のことを言ってるのかは聞かないでおくけど……それじゃ、一つだけ。ブライアンちゃんと私とじゃ、『お腹が空いた』時の食べられる量が違うから、気をつけて。いつもの調子で食べると、急に入らなくなるかも」
「……野菜を食えとは言わないんだな」
「言ってほしかったの?」
「……そんなわけがないだろ。まあ、分かった。一食くらいなら、食事制限と思って我慢する」
「ありがとう、助かります」
「私からももう一つ注文をつけていいか」
「え、うん」
「あまりはしゃぎすぎるなよ。アンタの体より幾分か丈夫な自信はあるが」
「……じゃあ、へとへとになるまで走っちゃおうかなあ」
「話を聞け」
「冗談だよ、でもちょっとなら、この体で走ってもいいってことだよね?」
「……構わん。その方が、私がアンタに追いつけないほど強いってことがよく分かるだろう」
「それは、ないよ。いつか絶対、ブライアンちゃんに勝つ。それは変わらないから」
「……ふん、好きに言うといい。すぐに思い知ることになるだろうからな」
捨て台詞のようなことを言って、ブライアンちゃんは今度こそ去っていった。
それから午後の授業が終わるまでの間、私はずっとそわそわしていた。さりげなくブライアンちゃんの体によくついたあちこちの筋肉を触って、ライバルの研究。どこをどのように鍛えれば、あの怪物の走りができるのか。試してみたいトレーニングメニューを考えるのに必死で、授業なんてそっちのけだった。いつも気にしたことのない午後の授業の長さが、とてつもないものに感じられた。
「……よしっ」
変におしゃべりになるとボロが出そうだったので、せいぜい独り言をつぶやくのにとどめつつ、お待ちかねのトレーニングへ。
「(すごい……重心が私より下にあるのに、こんなに軽やかで鋭くて、迫力のある走りができるなんて……!)」
まずグラウンドで軽く一周しただけでも、違いははっきりと分かった。その違いは、私とブライアンちゃんのこれまで積み上げてきた実績の違いに直結する。私の積み重ねてきたものが間違っていたとは思わないけれど、同じウマ娘であっても横で見ているだけでは分からなかったことが次々と、手に取るように分かる。まるで、初めて習ったことがすらすらと頭に入り、理解できた小学生のように。
「(もっとお肉……タンパク質を、摂った方がいいのかな)」
この脚なら、三冠ウマ娘になったのもうなずける。タンパク質を摂るのは、体づくりの基本中の基本。でもすぐに思い直した。偏った食生活はよくない。
体が元に戻った後に見返せるよう、今後のトレーニングに活かせそうなことをメモして、ブライアンちゃんに事前に言われていた時間に三女神像前に向かった。ヒシアマちゃんとハヤヒデさんがすでに待ってくれていた。
「来たね、ブライアン。今日はお祝いだ、たんと食べな」
「普段はついつい栄養バランスを考慮して、野菜をとることを強制してしまうが。今日くらいは目をつぶらねばな」
ブライアンちゃんがそこまでお祝いされる理由って何だろうか。そう考えた時にふと、今日がブライアンちゃんの誕生日だということを思い出した。どうりで、ブライアンちゃんがあれだけ感情を出して悔しがるわけだ。ブライアンちゃんは何もせず、出された肉料理をひたすら食べる役回りだったようで、貸し切りにされたキッチンに案内され入ると、たちまちいろんなお肉料理の匂いが鼻をくすぐってきた。
「(す、すごい……こんなに)」
もちろんこの程度であれば、ブライアンちゃんなら「フン、さすがは姉貴だ」「アマさんの料理も美味そうだ」くらいに落ち着き払って言いそうだったから、「こんなの食べきれるかな」とは口が裂けても言えなかった。たとえ体がブライアンちゃんそのものでも、意識が私なら、お腹に入れることはできても苦しさや満腹感は私の基準で感じてしまうらしい。入れ替わったばかりの時、ブライアンちゃんの食べたお昼ご飯の量で胃もたれを感じてしまったから、ブライアンちゃんならこれくらい食べるだろうと無理して食べるのはよくない。そして実際、最初に出されたステーキや焼豚チャーハンは美味しく食べられたものの、バンバンジーやフライドチキン、肉野菜炒めの野菜抜きにトンポーローが出てきたあたりで、だんだん大皿に目線を合わせられなくなってしまった。
「どうしたんだい、ブライアン。もしかしてトンポーローはお気に召さなかったかい」
「いや……そういうわけじゃない」
「ま、最初からペロッと平らげられるつもりじゃなかったからね。今日は宴だ、のんびり食べるといいさ」
「……恩に着る」
この場をどう切り抜けようかと考えあぐねて、いったん助けを呼ぶためにトイレに立つ。本当にトイレに行くわけではなく、目的地は生徒会室。扉を開けると、会長用の椅子に腰かけ、超高速で書類に目を通しハンコを押すルドルフ会長と、ソファでトレーナーと簡易ミーティングをするエアグルーヴ副会長がいた。
「どうした、ブライアン。君が自分から生徒会室にやってくるとは珍しい……と、思ったが」
「……今お前の中身はローレルだったな。どうした、そんなに深刻な顔をして」
「あ、あの……」
私は正直に、とても一人で食べきれる量ではないので手伝ってほしい、と頭を下げた。その場の全員が一瞬面食らった後、沈黙を打ち破ったのはルドルフ会長の抑えきれない笑い声だった。
「ふふふ……あはは……」
「ど……どうしたんですか」
「あぁ、いや、その。ブライアンの格好で丁寧に頭を下げ懇願する様子が少し、滑稽でね。……いやもちろん、君たちにとっては相当深刻な事情であることは、理解しているつもりなんだが……ふふ」
「かっ会長、全部言葉で説明しないでください、私まで……ふふっ」
「ちょ……ちょっと!」
「分かっている、すまなかった。私たちも手伝わせてもらうとしよう。ちょうど夕食にしようと思っていたところだったし……エアグルーヴも、同意見じゃないか?」
「……ええ、まあ。大方ミーティングも終わったし、私も参加できる。だが……明日には元に戻るのだろう? ブライアンのことだから、肉料理にありつけず、今頃お前の体でふて寝でもしているやもしれん。タッパーを私からも用意するから、いくらか料理を持ち帰ってやれ」
「あ……ありがとうございます!」
トイレに立ったはずの私が戻ってきて生徒会メンバーを連れてきた。特にヒシアマちゃんは目を丸くしていた。
「なんだい、アンタが肉料理パーティーで独り占めせずに他を呼んでくるなんて珍しいね。嵐でも来るのかな」
「……き、今日はルドルフたちにも祝ってもらいたい気分なんだ」
「ふふっ」
「会長……!」
「まあ、いいや。それならそうと、もっと作ってやるだけさ。生徒会には普段から、よくよく世話んなってるからね!」
私もお腹と相談しながら少し料理をつまみつつ、隙を見てタッパーにお弁当を作る要領で詰めてゆく。私だったらいったい何食分になるんだ、と考えてしまうほどの量だが、ブライアンちゃんならきっとあっという間に平らげてしまうのだろう。たくさんトレーニングして鍛えるためには、まず食事量を増やすこと。急にはできないことだけれど、やるしかない。お弁当にした分を除いて何とか完食し、無事にブライアンちゃんの誕生日会は終わった。
「すまなかったね、私たちまで食事にありついてしまって」
「いえいえ、こちらこそありがとうございます」
「アグネスタキオンにはよくよく厳重注意をしておいたが……それはそれとして、どうだった? 同じウマ娘とはいえ、他人と身体が入れ替わるなんてまず経験できないことだ。もし何か気づいたことがあれば、遠慮なく言ってほしい。今後の学園運営に役立つことがあるかもしれない」
「そうですね……」
ブライアンちゃんと入れ替わってみて、案外楽しかったというのはきっと個人的な意見だから置いておいて。ルドルフ会長には無難に、時々でいいから寮の同室を入れ替えてみて、普段関わりの薄い子との交流を取り入れるといいかもしれない、という提案をしておいた。
部屋に帰って、冷蔵庫にタッパーの山を詰め込み、メモ書きを残して就寝。次の日の朝目覚めると、きちんと違う部屋で私は寝転んでいた。寝相はかなり悪かったけれど。
「おい」
「あ、おはようブライアンちゃん」
「その……なんだ。あれは私が全部もらっていいのか」
「あぁ、うん。大丈夫。私が独り占めしちゃうのは悪いなあって思ったし、ブライアンちゃんもブライアンちゃんの体で食べて?」
「そうか」
「それに、私はブライアンちゃんと入れ替わってみて、あのお肉の山じゃ恩返ししきれないくらい、いろんなことを勉強させてもらったし」
「ちょっと待て、それはどういう意味だ」
「どういう意味もこういう意味も。そのままだよ? じゃあね♪」
「おい待て……!」
教室の前でばったり出会うと、ばつが悪そうにしながらブライアンちゃんの方から話しかけてくれた。同期の三冠ウマ娘と入れ替わっていなければ、知らずにトゥインクルシリーズを終えていただろうことをたくさん学べたのは、事実だ。ちょっと思わせぶりな言い方をした自覚はあるけれど。
早速私は自分のロッカーに置いていたノートを見返して、自分の体の感覚を確かめながら、今日のトレーニングのイメージを始めたのだった。