秋のシニア級最強を決める大レース、天皇賞(秋)が行われ、いまだ興奮冷めやらぬ火曜日の朝。栗東寮のあちこちの部屋から、悲鳴が響いた。
「ウソでしょ……」
「なんやこの針金みたいな髪の毛ェー!!」
「どうなってるのよー!」
「こんなにセットが楽な日が来るなんて……!」
「わけわかんないよー!!」
「まぁ♪ これは、マックイーンさまのような髪型、ですわ〜」
全員が全員困り果てた、というわけではなさそうだが、とにかくいつもの髪のセットがままならないと寝ぼけ眼の寮長、フジキセキに苦情が押し寄せ、生徒会まで報告が行ったことで、騒ぎはより大きくなった。
「というわけで、十中八九犯人であろうお前を呼び出し、説教しようというわけだ。分かったか、アグネスタキオン」
「君がフルネームで私を呼ぶということは……相当怒っていると、捉えた方がいいのかな?」
「当たり前だ! どれだけ被害が広まったか、分かっているのか」
「しかし、むしろ喜んでいるウマ娘もいるようじゃないか。悩める少女たちの朝の支度を少し楽にしたと思えば……」
「被害を被ったウマ娘の方が圧倒的に多いんだ、たわけ」
朝起きたら髪がどストレートになってしまった。そんな不可思議な現象を引き起こすのはアグネスタキオンの薬くらいしかいないということで呼び出され、しっかり詰められたわけだが、当のタキオンはどこか余裕そうであった。
「しかし疑問だねえ。私は髪色を自在に変える薬の開発中、偶然にできた『髪を一直線にする薬』を旧理科準備室に置いていただけなんだが……」
「……」
「目に疑いしかないねえ……しかしその薬を使ってどうにかしようと、具体的な行動に移していないのは本当さ。こればかりは信じてもらわないと困るよ」
「では誰がその薬を持ち出した」
「髪をどストレートにする、といえば……一人思い当たるウマ娘がいるんじゃないのかい?」
タキオンの証言により、今度は別のウマ娘が引っ張り出された。タキオンの同期、カルストンライトオである。といっても、活躍する距離が全く異なるし、同じレースに出たこともない。実際のところ、デビュー年が一緒なだけではある。
「ああ。確かに私はタキオンの薬を使った」
「貴様か……!」
「デュランダルと直進のみのグリコゲームで勝負していて校舎内で迷子になり、旧理科準備室?とやらに迷い込んだ。直線とだけ書かれた付箋が貼ってあったので、朝の支度に使おうと思って、ポケットにあったこの、うなぎ蒲焼のタレの空瓶に詰めて持って帰った」
ライトオがプラスチックのタレボトルにしては珍しい、ほとんど曲線のない容器を得意げに取り出した。中身はすでに空になっていた。
「なぜそんなものが制服のポケットに入っていたのかはこの際深掘りしないが……」
「なぜだ。こんなに直線美を追求したデザインだというのに」
「面倒だな……それでだ。お前がその薬をばら撒いたということか?」
「ばら撒く? なぜばら撒く必要がある?」
「なに?」
「朝の支度に使おうと部屋に置いていたが……使おうとした時にはこの空の容器だけ置いてあった。誰が使ったのかは分からない」
「そんなわけがあるか。そもそもアグネスタキオンの薬を無造作に放っておくな」
「うなぎのタレの匂いがする謎の液体を洗面所に置いておいて、持って行く方も持って行く方だと思うが」
「それはそうだな……いや、なぜ私は説得されているんだ……」
エアグルーヴが頭を抱え始めたところで、生徒会室のそばを通りかかったデュランダルが呼び込まれた。職員室に宿題の提出をしに行った帰りという、完全なとばっちりだ。一応、ライトオの同室で事情を知っているかもしれないというもっともらしい理由はある。
「かくかくしかじか、ということがあってだな」
「それ……うなぎのタレだったの?」
「話を聞いていたか?」
「確か、保湿とテールオイルの間に置いてあったわよね」
「そうなのか?」
「確かそうだ。鏡の前に立てば目に入るように置いたはずだ」
「それなら……我が君が目がショボショボして仕事にならないとおっしゃるので、目薬として献上したはず……」
「うなぎのタレの匂いがする、得体の知れない液体を、お前は自分のトレーナーに目薬として提供したのか?」
いよいよエアグルーヴの頭痛がひどくなってくる。もう会長の理屈の分からないダジャレを五つくらい聞く方がマシなほどに。なぜこうも意味の分からないことが次々と、連鎖して起こるというのか。頼むから少しは疑うということを知ってほしい。
「……で? 目薬として提供した後の行方は?」
「いえ、両目に差してすっかりシャキッとしたと、たくさんお褒めいただき、頭を撫でていただいた後はすっかり記憶がなく……我が君の匂いが手のひらにかすかに残っていたことは覚えていますが」
「誰も惚気ろとは言っていない……!」
ぽっと顔を赤くするデュランダルを尻目に、エアグルーヴはつかつかとデュランダルのトレーナーの居室へ向かう。ライトオとデュランダルは一旦釈放となり、デュランダルはライトオに引きずられながら教室に戻っていった。
「……と、いうことがあったのですが」
「あれ、そんなヤバい薬だったのか……」
「そんなにスッキリしましたか?」
「そうだな……今日も髪がセットしやすかった気がするし」
「それは薬の効果なんですよ……で、残りはどうされたんですか」
「確か、デュランダルに返したよ。本人が覚えてるかどうかは分からないけど」
「……あの、お言葉ですが。彼女をあまり褒めちぎるのはやめてあげてください」
「……? そんなに褒めてるかな」
「……えっと、小さいことでいちいち褒めていると、本人のためにもならないので。いいですか」
「は、はあ……」
こいつは何を言っているんだという顔をされたエアグルーヴは、そっちこそ何言ってるんだという顔をし返して、トレーナー室を去る。例の薬がデュランダルのもとに返ってきたということは、実質ライトオの手に戻ったということだが。そこからどうすれば、栗東寮の面々に被害が広がるなんてことになるのか。
「……で、連れ戻して事情聴取というわけだが。聞くが、自分で全部使い切ったのか」
「いや、翌日の髪のセットを楽にしたくて、大浴場に持ち込んだ。いくらかはコンディショナー代わりに使った記憶がある」
「目薬にしたりコンディショナーにしたり……トレセン学園にはタキオンの薬に対する危機感があるやつはいないのか……」
「しかしそれでは足りないと思ったので、サウナの石に数滴かけた」
「……なに?」
「そういえば、私がサウナを出る前に水をかけて、効果を薄めるのを忘れていたかもしれない。ととのっていたら危うく『うちの自慢のネコちゃん3時間SP』を見逃しそうになったので、余裕がなかった」
「……結局お前のせいじゃないか!!」
巡り巡って、テロを起こしたのはライトオだった。このあとたっぷり油をしぼられ、タキオンも引きずり出されたっぷりと叱られたのだった。