意気消沈の中、久々の地元の土を踏む俺。しかし思わぬ目まぐるしい展開が、その後待っていた――。
「唐突な話になって、すまん。実は、……トレーナーやめて、実家に戻ることになった。家の手伝いをするっていうか、家を継ぐって話になって……」
「おう。そうか」
「……」
世間は卒業シーズン真っただ中。トレセン学園も上級生を送り出し、また期待に胸を膨らませる新入生を迎える時期が近いということで、みなどこか浮足立っているところがあった。そんな中で、中央トレセンのトレーナーから卒業しようとする男が、一人。
「……なんか、こう。なんかないのか」
「なんかってなんだよ。だって、もう決まったことなんだろ? 宝の山だったオメーの机がこんなに片付いてんだし、アタシも察してたぜ」
「さすがに、か」
「ま、ちょうどいいんじゃね? アタシがしっかり、アタシなしじゃ生きてけねートレーナーに育ててやったからな。アタシが卒業してもトレーナー続けてるようじゃ、ただのハジケリストになっちまうぜ」
「それはまあ、そうか……」
担当のゴールドシップもこの三月で卒業する。進路は知らない。トレーナーなんだから担当の進路くらい知る権利があるとてっきり思っていたのだが、ゴルシは頑なに教えてくれなかった。ゴルシの周りの子たちにもそれとなく聞いていたが、誰も知らなかった。
かと言って、人に見せたくないような進路をゴルシが書くとは思えない。そもそも学園に提出するわけだし、「トレーナーのお嫁さん♡」とか書いたって弾かれるに決まっている。意味のない悪ふざけを散々やってきたゴルシだから、何か深入りしてはならない事情があるのだろうと思うしかなかった。
「(そういや、ゴルシの家族の話、聞いたことないんだよな……)」
親きょうだいを紹介してくれるウマ娘はいるが、トレーナーの方から担当の家族事情に首を突っ込むことはない。とはいえ、ゴルシには謎が多すぎる。仮にも数年間、並んで走ってきたのだからもう少しお互いのことを知っていてもいいはずなのだが。
「んで? 実家帰んのはいつなんだ?」
「今日明日中には」
「それまでに片付くのかよ?」
「頑張るしかねえよ」
「……アタシに手伝えとは言わねーのな」
「ん?」
「いんや、なんでもねー」
俺とやり取りしている間もずっと、ゴルシはちょっとバネのへたったソファに腰かけて新聞を読んでいた。目線をこちらに向けることもない。マグカップのコーヒーをお供に新聞を読む親父のようだが、読んでいるのが普通の全国紙でなく化学工業日報なあたりがゴルシらしさを醸し出している。こんな頓珍漢なシーンに立ち会えるのも、たぶん今日が最後だ。
「さ、片付けしなきゃだし、そろそろどいてくれ」
「えー、やだよ。今いいとこだっつーの」
「新聞にいいとこも何もあるか」
「ちぇーっ、つまんねーの」
「こんなとこでサボってないで、お前も寄せ書き書いてもらうとか、いろいろあるだろ」
「卒アルはネオユニに預けてあっからいんだよ。イツメンより宇宙人やら異世界人に書いてもらった方が、見直した時ワクワクすんだろ」
「卒アルって人に預けるもんだったっけ……?」
引っかかるところはいろいろあったが、何とかゴルシをトレーナー室から出すことに成功した俺は、掃除を始めようとしてちょっと諦めて、さっきまでゴルシが座っていたソファにすとんと腰かけた。脱力したついでに、深いため息も出る。
実は、実家に帰りたくて帰るわけではない。これまで早く結婚したらどうだという、両親からの小言を聞き流してきたツケがここで回ってきた。お前をもらってくれる女が見つかったという父親からの手紙とともに、片道切符まで送りつけられたのだ。いや、それだけならまだ帰らなかった。加えて、俺の妻になるらしい人からの手紙も入っていた。帰ってこなければ、彼女にまで迷惑がかかるぞ、という圧力に他ならなかった。
「……トレーナーやめさせてまで、かよ」
地元にそれとなく漂う空気感が嫌だった。嫁探しをしないのか、孫はまだか、という圧力を感じることが苦痛だった。俺は生涯一人で生きていくことを覚悟して、トレーナーになるための勉強を重ねたのだ。地元に残れと言って猛反対してきた両親をトレーナー免許で黙らせて、上京してきた。多忙な日々だったが、充実していてすごく楽しかった。
「もうちょっと……早く、高飛びしとくべきだったか」
いや、きっと結末は変わらなかっただろう。こんな無茶な方法で俺を連れ戻す手段があるとは、さすがに想定していなかった。もうすぐで契約してもらえそうという子もいただけに、申し訳なさでいっぱいだった。これだけ思い出を残してくれたゴルシを最後まで担当できただけ、まだよかったと考えるべきなのかもしれない。
理事長とたづなさんには、あいさつを済ませてきた。やり残したことはもうない。ゴルシの進路はまあ、心配と言えば心配だが、俺が不安に思うこともないのではと思い直した。バカばっかりやっているが地頭は間違いなくいいし、大学に行こうが社会人アスリートとしてやっていこうが、大抵のことはそつなくこなせるだろう。そんなことより、俺がこれからどうなるかという方を気にしないといけない。
「結婚、とか突然言われてもなあ……」
実家に帰ったら即結婚なのか、それとも結婚を前提に付き合う期間があるのか。どちらにしても不安しかないが、感じ方は違ってくる。実家方面の新幹線に乗っておいてなお、俺は未練たらたらだった。それでもあいさつ回りをしてしまった以上引き返すことはできず、新幹線から降りることもできなかった。
「ん……?」
せめて、普段の出張では意識して見ることのない車窓でも眺めて気を紛らわせようとしたその時。二列後ろに、やけに目立つ女性が座っているのが視界の端に入った。いや、ただの総白髪の女性ではない。あれは芦毛のウマ娘だ。
「いや、まさかな」
彼女はいかにもセレブのような格好で、優雅に自由席の窓側に座っていた。そしてサングラスをかけながら、雑誌に目を通していた。そのアンバランスさが、ゴールドシップという女そのものを体現していた。そしてそんな彼女に、俺は声をかけずにはいられなかった。
「……なにしてんだ、こんなとこで」
「そっちこそなにしてんだ? アタシの一人旅についてきやがって」
「……一人旅とか、するんだな」
「おうおう、傷つくぜそれは。ゴルシちゃんだって傷心旅行に出ることあんだよ」
「傷心旅行……?」
「オメーがトレーナーやめるって言うもんだから、ゴルシちゃん悲しくなってよ。滝にでも打たれに行くかって思って」
「……ははっ」
こんな時でも、ゴルシは通常運転だ。いや、その方がよかったかもしれない。俺はもう東京には戻れないかもしれないが、ゴルシには元気にやっていてほしい。そういえば連絡先は消してないよな、とスマホを確かめようとしたところで、ゴルシが読んでいる雑誌のタイトルが視界に飛び込んできた。
「……お前、なんでゼ○シィなんか読んでんだ」
「失礼な、アタシだって乙女なんだよ」
「ただの乙女が読む雑誌じゃねえから聞いてんだよ」
「実はな、アタシも結婚式に出るんだよ。前にオホーツク海で一緒にカニ漁やった知り合いが結婚するんだと」
「いつそんなのやってたんだ……」
「そうだ、オメーもご祝儀でいくら包むのが一番おもしれーか、一緒に考えてくれよ。な?」
「……遠慮しとく」
「ちぇ、つれねーの」
とてもそんな気分にはなれなくて断って、自分の席に戻った後やっぱり後悔する。これでゴルシと話すのは最後かもしれない。それなのにそっけない返事で会話を終わらせて本当によかったのか。また悩み事が増えてしまった。
そうこうしているうちに新幹線は終点に着いて、乗り換えを二回ほどした後、実家の最寄り駅にいつの間にか立っていた。振り返っても、ゴルシの姿はない。どこに行ったのか気にする余裕もなかった。
「懐かしいな……」
改めて、言いたいことをいろいろ飲み込んだ状態で、実家を飛び出して列車を乗り継いだあの日のことを思い出す。トレーナーとして名を上げれば親父も認めてくれる、という俺の考えがいかに甘かったか。中央のトレーナーだとか、知名度を上げるとか実績を作るとか、親父にとっては全部どうでもいいことだった。俺が嫁を迎えて孫を見せること、ただそのことにしか興味がなかったのだ。俺は操り人形じゃないと言っても、もうあまりにも今更すぎるか。
「…………ただいま」
玄関を開けての自分の第一声は、自分でも驚くほどに低く暗かった。まず迎えてくれたのが母親だっただけ、まだマシと考えるべきか。顔も見たことのない妻が来るから待っててと言われ、居間と隣にある和室でしばし待たされる。
「待たせたな」
「…………えっ」
部屋に入ってくる足音と同時に、妙に聴き慣れた声。しばしフリーズしてから顔を上げると。
「よっ。手ぇかじかんでるとこ悪りいけど、ここに名前書いてハンコだ。いいな?」
「え、ちょ」
「レディを待たせんじゃねえ、サイン終わったら東京にとんぼ返りで提出だ、急げ急げ」
「いや、そうじゃなく、事情を」
「オメーが結婚すんのはアタシだ、以上! 文句あっか?」
「そ、それにしても」
途中でいつの間にかどこかへ行っていたはずのゴルシが、今目の前にいた。さっきと同じイカした衣装は変わらないが、いつもと雰囲気が違う気がする。相変わらず口から出てくる言葉の数々はいつも通りだが。
「ごちゃごちゃうっせーぞ、そんなにアタシと結婚してーのか? だったら最初から言えよな」
「いや、でもトレーナーをやめるって話は……」
「んなこと誰も言ってねーよ。オメーに待ち受けてるのは東京でアタシとのラブラブ新婚生活、そんなのトレーナーやめなくても何とでもなるだろ」
「そ、そうか……」
「全員に根回しは済んでる、あとは……お前に『やる気』があるかどうか、それだけだぜ。あ、トレーナー寮出る手続きは済んでねえな、あと新居も決まってねえ」
「そんなめちゃくちゃな」
つまり俺がもう少しで契約できそうだった将来有望なウマ娘も、神妙な面持ちでお別れのあいさつをした理事長とたづなさんも、みんな事情を分かっていたということか。ゴルシができるやつだと再認識すると同時に、戻った時どういう顔であいさつ回りをすればいいかと考えて、複雑な気持ちになってしまう。
考えれば考えるほど、ゴルシと結婚する、というのが最善の策に思えてきた。が、それを実際にやってのける彼女は、最高に頭がおかしい。そもそもついさっきまで担当だったのに、いったいどういう気持ちで――
「アタシがオメーに惚れた。子供は二人だ。どっちも最後尾から最高速でブチ抜けるウマ娘。頼むぜ……それで理由は十分だろ」
「なっ……」
ゴルシの圧が強い視線に耐えかねて婚姻届にサインすると、それをさっと三つ折りにして封筒にしまい、そのまま俺の手を引いて家を出る。
「えっ、まさか、今から本当に戻るのか」
「ったりめーだろ、でもその前にどうしても行かなきゃならねえところがある。そこに行かねえとアタシは死んじまうんだ。本能が告げてる」
「……一緒にカニ漁やった知り合いの、結婚式」
「ちげーよ、そりゃオメーのことだ。オホーツク海のカニ漁なんて隠語に決まってんだろ。アタシが行きたいのは、日本最西端のブロン○ビリーだ」
「どういう隠語だよ……!」
これからもトレーナーを続けられる。両親の圧を感じることがない状態で。そして、これからもゴルシと一緒にいられる。それを考えれば、ブ○ンコビリーでゴルシにドカ食いされ、それを全部おごらされるくらい、なんてことはなかった。
「……ありがとう」
「ん? なんだ?」
「いや、……なんでもない」
「ちなみに式はグリーンランドで挙げるぜ。オーロラの下でハッピーウエディングだ」
たらふく食べた後は、本当に新幹線でとんぼ返りすることになった。帰りの新幹線はしっかり、二人並びのグリーン席を取らされたのだった。