「ちょっと貴方。これではトレーニング量が足りない。もっと負荷を増やしてちょうだい」「ごめん、今忙しいからちょっと待って」
「……? ええ」
私のトレーナーが今までそんなふうに断ってくることなどなかった。私を最強たらしめるためには何が必要か。その全てを理解し、自らの鍛錬も怠らぬできたひとだと思っていたが、最近必ずしもそうではないのではと考えてしまうシーンが増えた。例えば、トレーニングメニューにもう一工夫入れてほしいといった頼みも、二、三時間で答えが返ってこなかったり。
「……さて、そろそろできたかしら」
「ごめん、ちょっと……」
「……ふうん。最近一体何にうつつを抜かしているのかと思えば」
「あ……」
トレーナーがスマホから目を離せない様子だったので、すっと覗いてみると。何やら二枚目な男性の写真が映っている。私はあらかた事情を察した。
「貴方にそんな時間はないはずでは?」
「えっと、その、これはいろいろと事情があって」
「おっしゃってみなさいな」
「私も、ほら、いい年というか。そろそろ身を固めないととか言われてて……もちろん、ジェンティルのことが一番なんだけどね」
「その様子では、とても私が一番であるようには思えないですわね」
「それは……」
「ここまで来て、私に全て尽くせと申し上げているわけではありません。すでに貴方は私に十分指導をしてきた。だから、私が最優先でなくとも構わない」
「……?」
「私が何に苛立っているか、お分かり?」
「……」
「貴方が私に嘘をついたから。トレーナーたるもの、担当ウマ娘とは常に本音をぶつけ合い、切磋琢磨してゆくべきでしょう。その中に噓が混じっているかもしれないと考えた瞬間、その強固な信頼関係は崩壊する。まさしく、音を立ててあっけなく、ね」
おかしい。私はこれまで通り、本当のこと、事実を彼女に伝えたまで。私が責められるいわれなどないはず。しかしトレーナーはいつもと違い、こちらをにらみつけていた。
「ここまで申し上げても、まだ不満があるようね」
「……ジェンティルは、婚約者候補がいっぱいいるんだよね」
「……? ええ、家柄だけを見てそうおっしゃる方は、ごまんといらっしゃいますわね」
「でも私は違う。そもそもトレーナーって忙しすぎて結婚とか敬遠されがちな職業だし……」
「私と一緒にいればよろしいじゃない。生活面や仕事とのバランスを心配なさるのであれば、貴方の面倒を見るくらい、造作もありませんわよ」
「そういうことじゃないの……もうちょっと、自由にさせてほしい、というか」
「十分、自由にしていただいているつもりですわ。今やあなたは私のみに時間を割けるような無名のトレーナーではありませんもの。私と一緒にいない時間は、全て自由と捉えていただけるようにしているはず」
「分かんないんだよ、ジェンティルには。常に自己鍛錬を怠るなっていう、自分が発してる言葉の重みが」
「私が出鱈目にそう申し上げているとでも?」
「そういうわけじゃなくて……」
「貴方にはトレーナーとしての覚悟を期待してついていただいたつもりですのに。ここに来てそんなことをおっしゃるなど、思いもよりませんでした。変わってしまったのね、貴方」
「……人間はウマ娘みたいに、力が必ずしも一番ってわけじゃない。力の強さばかりを追い求めるあなたみたいなおもしろお姉さんには、なれない」
「……どうやら私も貴方も、お互い頭を冷やす必要があるようね。ちょうどこれからの契約について話し合いをしなければならないと思っていたし、ちょうどいいわ。明日の同じ時間、またここに来ますわ」
トレーナーは追ってこなかった。私はぴしゃりとトレーナー室の扉を閉め、そっと考える。
「(おもしろお姉さん……?)」
お姉さんは理解できる。ただの高等部にしては大人びているということだろう。私の頭の片隅には常に、家を継ぐ者としての自覚がある。ともすれば、他人目線では厳しすぎることを言っているかもしれない。
「(おもしろお姉さん……)」
寮の自室に戻ってからも妙に記憶にこびりついて離れなかった。私が傍から見て、そんなに面白いウマ娘に見えるのだろうか?ずいぶん物思いにふけるような顔をしていたようで、ブエナさんを困らせてしまって申し訳ないと思ったものの、その日はよく寝付けなかった。
***
「ちょうどよかったわ。ゴルシさん、少し付き合ってくださる?」
「ジェン子……目がこえーぞ、なんだ、怒ってんのか?」
「怒る? 何かされたのかしら」
「い、いや何も? で、付き合うってどう付き合うんだ」
「正直に答えてくださるかしら。……私って、”おもしろお姉さん”なの?」
「……………………」
偶然学園内で出会ったゴルシさんに声をかけてみる。するとものすごく長い沈黙を返されてしまった。そんなに変なことを言ってしまったかと振り返る。
「……まあ、おもしれーとは思うぜ?」
「その心は?」
「なんつーか……一緒にいて飽きねえのは間違いねえな。あとは……」
「無理はなさらなくてもよろしいわよ」
「……すまねえな」
普段突拍子もない言動ばかりのゴルシさんに気まずい反応をされ、ますますトレーナーと周りの評価が同じなのではと考えてしまう。面白いと一口に言ってもいろいろあるわけで、どうにも悪口寄りで言われたように感じたので、その正体を知っておきたかったのだが。
用事を思い出したというゴルシさんと別れて中庭を突っ切るように歩いていると、今度はオルフェさんが前から歩いてくる。ちょうど先ほど通りがかったベンチで昼寝でもするのだろうか。せっかくなので、同じことを聞いてみることにした。
「私が”おもしろお姉さん”……とは、どのような意図であの方がおっしゃったのか、お心当たりは……」
「ふッ」
「……今笑いましたわね?」
「笑ってなどおらん。単なる深呼吸だ」
「それは無理がありましてよ」
「……貴様が面白い女であることなど、自明であろう」
「ほう、それはいったいどのような意味で?」
「いかにウマ娘と言えど、自身の強さをそこまで周囲に誇示する者はおらん。僅差であってもいざ負けた時、示しがつかなくなるだろう」
「それは貴方にも言えることなのでは……?」
「余は完全であるから、そのような行いも許される。貴様はそうではない。それが差だ」
「なるほど……これは今度、力の差を示して差し上げなければならない、ということですわね」
「ふん……好きにしろ」
昼寝を邪魔されたのが気に食わんとばばかりに会話を打ち切り、オルフェさんはベンチの方へ向かっていった。日当たりのちょうどよい、昼寝に適した場所ならもっとありそうなものだが、また遠征支援委員会の部屋に邪魔でも入っているのだろうか。
普段から私に対抗心を見せているオルフェさんであれば何か分かるかと思ったが、さして進展はなかった。結局もやもやしたものが消えない。あの人の面白いという言葉を素直に受け取れていないだけなのかもしれないが、素直に受け取ってはいけない意図が何か隠れているような気もする。
「……それで、私を捕まえたと」
「ええ。ヴィルシーナさんが私をどう評価なさるのか、ぜひとも聞いておきたくて。正直におっしゃってくださる?」
「そうですね……」
考えているうちに、相手を間違えているのではという気がしてきた。二人とも私と近い関係にあるというだけで、レースでそれほど多く競い合ったことはない。ならば、もっとしのぎを削ってきた、本当に私のことを面白いと思っていそうなひとに聞いてみるべきではないか。そこで思い当たったのが、ヴィルシーナさんだった。
「……私からすれば、貴方ほど”面白い”壁は、存在しません。そう言い切れます」
「なるほど。続きをおっしゃってくださる?」
「ジェンティルさんご自身がおっしゃる通り、貴方は強い。私と貴方で、力の差は歴然……それでも、貴方を目指し、貴方という壁を超えたいと思わせてくれるものが、貴方にはあるのです。たとえ、今は遠く及ばなかったとしても」
「……」
「普通なら、ここまで他を圧倒する力があれば驕り、態度も高慢になるもの。しかし貴方は時に私に寄り添いさえしてくれる。早くこちら側へ来いと言わんばかりに……。その期待に応えられないのは悔しくて仕方ないけれど、それでも、負け続けるにはいかない。そう思わせてくれるから、貴方はとても面白いと思います」
「そう。……そこまで熱く語ってくださるとは、光栄ですわね」
「え、あっ、これは貴方を立てようとかそういう意図はなくって、ただ事実を述べたまでで……」
「分かっておりますわよ。私も、貴方ほど面白い”ライバル”は他にいないと、断言できますから。殊勝に。これからも、努力を続けていただきたいですわね」
ヴィルシーナさんに話を聞いてみて、よかったと思う。同じ苦しみや境遇を何度も経験しているからこそ、私のことを深く理解している。そしてなお、追いつけ追い越せと迫ってきてくれる。そんな存在のいることが、どれだけ貴重か。私が彼女の目標、超えるべき高い壁として立ちはだかれている限り、私は面白く、力のあるウマ娘として座することができる。トレーナーもきっと、そういう意味で私に言ったのだろう。
今度こそはとヴィルシーナさんが模擬レースでの勝負を申し込んできたので、快諾する。それからトレーナーもそろそろ頭が冷えて、見直したトレーニングメニューを提示してくれるだろうと考えて、トレーナールームへ戻ったのだった。