「うぅ……ラクスに……ラクスに会いたい……」
「……」
双眸に涙を滲ませて嗚咽を漏らすキラ・ヤマトをオルフェ・ラム・タオは冷たい視線で見つめる。それは愚劣な旧人類を見下す新人類のような絶対零度の眼差し。
「なんでこんな事に……」
「それは──」
なおも泣き言を吐くキラに対してオルフェは罪人に罰を宣告する裁判官のような厳かな雰囲気で口を開く。
「君が面倒臭がって仕事を溜め込んだからだろ」
プラントに帰港中のコンパスの主力ミレニアムの執務室。そこでキラは書類の山に埋もれていた。*1
通信士のアビー・ウインザーが差し入れてくれたコーヒーを啜りながらオルフェはデスクを睥睨。
「コンパスの方は終了しているが、オーブ軍が寄越してきた方はほぼ手付かずか……よくここまで溜め込んだものだ」
口では厳しい事を言いつつ内心では同情していた。だからこうして愛するイングリットとの時間を削ってまで手伝っている。
士官教育を受けていないキラにとって事務仕事は戦場とは別種の難敵。専門知識が欠如しているので書類の内容を読み取るだけでも困難な作業なのだ。
更に言えばオーブ軍とコンパスでは様式が異なるので覚える量も二倍。コンパス唯一の将官であるキラはスポンサーであるプラントや大西洋連邦からもたびたび書類提出を求められる。
オーブ軍もその大変さを理解しているから緊急なもの以外は可能な限り猶予を設けたが、逆にそれがキラの生来持つ怠け心を刺激してしまった。
「駄目かな? これ家に持って帰っちゃ……」
「頭の固い人間はここでの作業ですら快く思わないレベルの機密情報も混じっている。諦めるべきだ」
嘆願をにべもなく切り捨てられてがっくりと項垂れるキラ。
「どうして僕が准将なんだろう……カガリの兄だから?」
オルフェがラクスの兄を自称するようにキラもカガリの兄を自称していた。
「君の功績を知ればオーブ軍人は誰もが望むだろう。君の上官にはなりたくないと。君の上官は畏れ多いと」
「そんなに……?」
「アストレイやムラサメが実戦配備出来たのもマスドライバーが再建出来たのも連合やザフトの侵攻による被害が抑えられたのも全部キラ様がいてくれたお陰だからね」
「ええ……」
キラは軍内での自身の評価に無頓着だった。
かつてオーブの経済や軍事を一人で支えた立役者がいた──キラの事である──という話を人伝に聞いた際の感想も「そんなに凄い人がいたんだ。会ってみたいな」というもの。
「そういえばモルゲンレーテでキャバリアーアイフリッドの調整をしていたら軍人達が「キラ様はハウメアが遣わしたオーブの救世主である事は知っているな?」「ああ」という会話をしていたっけ」
「やめてよね」
「退役してもオーブでは駐車係の仕事だってやらせてもらえないだろうね」
共に優れた空間認識能力を持つキラとオルフェはマルチタスクにも長けており、その才能を無駄遣いした二人は書類を処理しながら駄弁る。
「いずれヤマト神社でも建立されるんじゃないのか?」
「それは恥ずかしいな……でもこの前ムウさんの名前のホテルなら見たよ」
「へぇ。エンデュミオンの鷹の勇名はオーブにも轟いていたか。今度イングリットと一緒に行ってみようかな」
「その時シンがこう言ったんだ。「無我夢中で操縦してたらエクスカリバーのビームが伸びたんです」って。おかしいよね」
「それで生きてる方も生きてる方だが。君なら核爆発に巻き込まれても平気そうだ。おっと、そこはアラビア数字ではなく漢数字だ」
「あ、本当だ。いくらなんでも核は死んじゃうよ」
「結婚式場にMSで乱入して花嫁を拐うシチュエーションに興味があってね。もしもの時は君に間男役を頼みたい」
「そんな事したらラクスがなんて言うか……」
「彼女も世界征服を企む悪のアコード星人と無理矢理結婚させられそうになった所をフリーダムに拐われる花嫁役をやりたいと言っていたが?」
「ラクス!?」
「アコード星ってどこ?」
「メンデルじゃないか?」
そんな事を続け、普段より三時間遅れで帰路につく。
一緒の夕食に間に合う事をラクスに連絡すると、実は家が近いオルフェも招待された。同居のイングリットも既に呼んでいるという。
二組の恋人が近隣に住んでいるのは別段示し合わせ訳ではない。コンパスの本部があるアプリリウス市でトップクラスのセキュリティーを誇り、もしテロが発生しても民間人を巻き込みにくい区画を選んだ結果偶然被ったのだ。
「お帰りなさい、キラ」
「うん、ただいまラクス」
それぞれ喜色と安堵が籠ったやり取りを交わす二人の間には余人が割り込み辛い雰囲気が形成される。その空気を壊さないよう、ラクスの後ろにいたイングリットに無言の会釈で挨拶。
その間も甘ったるい雰囲気を醸し出していたキラとラクスだが、不意にラクスが伏し目がちになる。
「ラクス、ちょっと疲れてる?」
「それは……」
ダイニングに向かいながらラクスがポツポツと語る所によると、不透明な資金の流れを追及されて国防委員長を辞職したハリ・ジャガンナートの後任から随分嫌味を言われたらしい。
ターミナルのアスラン・ザラがハリウッド映画──映画の古典的ジャンルの一種──ばりの活躍でブルーコスモス構成員をちぎっては投げちぎっては投げ、輸送中のデストロイを爆破してミケール大佐を捕らえた事でテロ集団としてのブルーコスモスの活動は小康状態。地球各国もロゴス壊滅による経済の混乱、正規軍人や兵器の多数喪失により物理的に軍事行動が起こせる状態ではなく、コンパスはしばらく出撃の機会がなかった。
軍人とは仕事をしても人殺しと批難され、しなくても税金泥棒と陰口を叩かれる因果な職業である。
本当はプラントの守備隊に配備したかったスーパーミネルバ級を供出したにも関わらず遊ばせているように見える現状に新任の国防委員長は不満を露わにしたとか。
実際の所、大西洋連邦やオーブとの友好関係は戦艦一隻よりプラントに益をもたらすだろうし、国防委員長が声高にラクスを批判するのも過激派のガス抜きと「あのラクス・クラインに強く物申した」という実績を欲しての事だろう。
言うなればパフォーマンスであり、表向きの態度とは別にそこまで敵意はない筈だが、糾弾される側にとっては堪ったものではない。
しかし……
明確にコンパスに落ち度があるならいざ知らず、オルフェが知るラクス・クラインはその程度で参るほど軟弱ではない。オルフェはちらりと横にいるイングリットに視線を送る。
──果たしてラクスは自分達が帰る前も疲れを見せていたのか。
すると彼女は無言で首を振る。
最近はアコードの感応能力を使わなくてもアイコンタクトである程度なら意思疎通が出来るようになってきた。
そういうちょっとした瞬間にイングリットと心が通じ合っている事を実感してオルフェは喜びを覚える。
閑話休題。
イングリットから伝えられた事実を踏まえ、キラから仕事の労をねぎらってもらい笑顔を浮かべるラクスを横目で眺める。
我らが女王はパワハラ親父をダシにして恋人に甘える強かさを身に付けているらしかった(気疲れしたのも丸っきり嘘ではないだろうが)
ダイニングの卓上に所狭しと並べられているのはローストビーフに揚げ物、スープにサラダ。他にも豪華なメニューの数々。コンパス総裁として忙しかっただろうに随分と手の込んだ料理である。
それなのに何時間も待たせてしまったのだからラクスは機嫌を損ねていないかオルフェは危惧したが、彼女はキラが仕事を怠けたと知ってむしろ喜んでいる節があった。
オルフェとイングリット、キラとラクスが向かい合いながら着席して食事を開始。
溶いた卵を焼いたと思われる料理を口に運ぶと柔らかな歯応えと淡いコクが広がる。
「あまり馴染みのない料理だがオーブのものかな?」
「ええ。カリダさん──キラのお母様に習いました」
「なるほど」
優しい味だった。キラの養母の料理も同様だろう。
必ずしも料理の味と人格が比例する訳ではないが、キラの人となりを知ればとても恵まれた家庭環境であった事は容易に想像がつく。
ちらりと沸き起こる嫉妬心に気付かない振りをして二口目を頬張る。
隣ではキラとイングリットが話に花を咲かせていた。
「アスランは母さんの作ったロールキャベツが好きでさ」
「二人は確か月の幼年学校で一緒だったそうね」
「うん。オルフェに手伝ってもらってる時にアスランにも宿題を手伝ってもらったなって懐かしくなったんだ」
「……やっぱりあなた、弟じゃないかしら」
「上に兄や姉が五万人ほどいるからね」というメンデルジョークが喉元まで出かかったが、唐揚げを咀嚼して口を塞ぐ。
──それにしても……
イングリットは変わった。ファウンデーションにいた頃の彼女は常に肩肘を張っている印象で、政務以外の場で他人と積極的に会話をしていた記憶がない(もっともオルフェはこれまで他人のプライベートを気にした事など皆無だったが)
ひょっとしたらラクスはイングリットの境遇を悟った上でこのような場を用意したのかもしれない。だとすれば感謝しかないが、馬鹿正直に尋ねても彼女はとぼけそうな予感がある。
その後も、オルフェとキラにミリタリーメーカーからモデルの依頼が来た、トリィとブルーがコンパスの女性隊員に人気、コノエ艦長の教師時代の教え子が結婚した、アーサー・トラインがウィリアム・グラディスから誕生日プレゼントを貰って感激した、という話を数ヶ月経っても続けている……等々、人類を統べるアコードや最高のコーディネイターという特異な出自を持つ四人にしては平和で他愛ない日常的な話題が続く。
もう遅いので泊まっていってはどうかと提案されるも、そこまで世話になるのは気が咎めたので辞退。オルフェとイングリットは二人連れ立って夜の道を歩く。
環境が調整されているプラントだから夜風も心地好い。歩調を合わせ、どちらからともなく手を繋ぐ。
「キラ・ヤマトやラクス・クラインとああして気軽に話せる日が来るとは思わなかった」
「私も。ファウンデーションにいたままだったら二人の表面的な事しか知らずにいた」
狭い世界しか知らなかった。いずれ踏み躙るのだから知ろうとするのは有害とさえ思っていた。
しかしいざ箱庭を飛び出してみるとそこには未知の喜びや驚きに溢れていて、それらに触れる事で心が豊かになる感覚がある。
時には生々しい負の激情と相対して落胆する事もあった。オルフェは未だにナチュラルもコーディネイターもアコードも等しく愚かだと感じる瞬間が存在する。
だが、それでも失わせるのが惜しくなるくらいにはこの世界に愛着を抱くようになっていた。
そしてそのきっかけとなった相手、傍らで寄り添ってくれるイングリットへの恋情もより深くなる。
周囲にあるのは自分を追い詰めるものばかりだと疎んでいた。弱者が弱さを盾に強者に責任を押し付けて才能を搾取する世界の構造を呪った。
けれど握った手から伝わる温かさは過去の偏見を解きほぐす。
こんな日々をいつまでも続ける為なら苦労も悪くない。ようやく掴んだ幸福を零さないようにオルフェはイングリットの手を離さないまま二人の家へと続く道を進む。