昼下がり、高官との面談を終えて用意されたホテルの一室に戻るなりラクスは溜め息を漏らす。
そんな彼女の為に同行していたイングリットはリラックス効果のあるハーブティーを淹れる。
戦災犠牲者を弔う慰霊式の事前調整の為にディセンベル市を訪れていたラクス達だが順調とは言い難かった。
かつてパトリック・ザラが代表を務めていたプラント群であり、レクイエムの被害を受けた場所だけに強い反ナチュラル感情が燻っている。
ラクスに対してあからさまに敵意を持つ者はいないが、敬意を示しつつ不満を溢されるのもやり辛い。
夜にも食事を交えての会談が待っているが、心を読まずともラクスがストレスを溜め込んでいるのが分かる。普段の彼女ならキラの為に料理をしてストレスを解消するのだが今の状況でそれは叶わない。
次善策、という訳ではないがイングリットは外出を提案してラクスも受け入れた。
護衛役を仰せつかったイングリットであったが、現在のプラントにラクスを害するほど急進的な勢力はいない。
また生身での荒事に関してはナチュラルへの憎しみ渦巻くプラントで敢然と反戦運動を展開していたラクスはよく弁えていて、襲撃に適した場所は指示がなくとも自分から避けてくれる。
なのでこの滞在中はメンタル面でのフォローをメインにやっていこうとイングリットは自身に課していた
世界的な有名人であるラクスはちょっとした外出でも混乱を避ける為に変装の必要がある。
総裁の制服からパンツスーツに着替えて伊達眼鏡をかけ、長い髪を束ねてキャスケット帽子の中にしまうだけでも印象はかなり変わってくる。
それでも気付く人間は気付くだろうが、それはもう仕方ない。あまり正体を隠す事を意識しすぎては気分転換どころではない。
何気なく向かった自然公園ではアマチュアのアーティストによるライブやダンスパフォーマンスが行われていた。
元々歌手をやっていたからか、ベンチに座ってそれらを眺めるラクスの表情は晴れやかだ。
日々総裁の重圧を背負う彼女が少しでも安らげるならイングリットにとっても喜ばしい。
ラクスは視線をあちらこちらに移動させつつ、膝の上に乗せた赤いハロを慈しむように撫でる。
何個もハロを持っているのにこの赤いハロにだけ特別な執着のようなものを抱いていると最近になってイングリットは気付いた。
その理由までは分からない。けれど安易に踏み込んではいけない気がした。
そんな時、近くで喧騒が起きた。
そちらに目をやると一人の少女に三人の男児が詰め寄っている。年齢は全員六歳頃だろうか。
「バーカ! アイドルってのはもっと可愛くて歌が綺麗でダンスも上手じゃなきゃダメなんだよ!」
「お前みたいなトロくて音痴には無理だよ!」
「ってかクラスで一番頭良いのにアイドルになってどうすんだよ」
心ない言葉を浴びせられた少女は両手で上着の裾を握り締める。
「なれるもん! 私だってラクス様みたいなアイドルに!」
声を張り上げる少女の目元にはうっすら涙が浮かんでいた。
後々のフォローが出来ない、たまたま居合わせただけの身で割って入ると拗れる危険もあったが見て見ぬ振りは気が咎める。
ラクスとアイコンタクトをして立ち上がろうとして──
「here we go!」
ラクスが持っていた赤いハロが彼女の手を離れて子供達の方へと跳ねていき、耳のような開閉部から煙を噴き出す。
「うわ!」
「なんだこれ!?」
慌てふためき逃げ出す少年達。
相当驚いただろうがそれはイングリットも同じだった。なんなのだろう、今の機能は。
周囲の注目を集めてしまったのでイングリットは大道芸の一種だと誤魔化す。
その間にラクスは少女の前にしゃがんでハンカチで目元を拭っていた。
「大丈夫ですか?」
「ありがと……お姉さ……」
言葉が途中で途切れる。何かに気付いたように目を見開き、ラクスの全身を頭頂部から爪先まで凝視する。
「ラク……」
開かれた少女の唇にラクスが人差し指を当てる。
細くてたおやかな指だなと、イングリットは場違いな感想を抱いた。
最初は目をぱちくりとさせた少女だったがラクスの意図を察したのか口を閉じる。
聡い子だ。それともコーディネイターならこんなものなのだろうか。
子供と接した経験が皆無に近いイングリットには判断がつかない。自身に当て嵌めても幼少期に周囲にいたのは意思疎通に困らない同じアコードだけなので参考にはならなかった。
イングリットが対人経験のなさを痛感している間にラクスは少女の口に当てていた手を優しく頭に乗せる。
「アイドルになりたいのですか?」
「……うん。でもみんなが言うみたいに歌もダンスも下手で……やっぱり無駄なのかな……」
「けれど、好きなのでしょう?」
「うん……」
肯定しながらもその声は弱々しい。
夢を否定されるのはあれが初めてではないのだろう。好きな事をはっきり好きと言う為にどれだけ勇気が必要か、イングリットも身に染みていた。
そんな不安や恐れを丸ごと包んで解きほぐすようにラクスは少女を抱き締める。
「"向いている"ではなく"好き"に対して頑張れるのはそれだけで価値ある事なのです」
少女の体がぴくりと震える。
「誰かの思惑を振り切って自分の人生を自分で決められるのはかけがえのない事よ」
ラクスに続いてイングリットもつい口を挟んでいた。
昔の自分が怖気づいて進めなかった道を歩もうとする少女が挫ける姿を見たくなかったから。
年の離れた大人二人にいきなりこんな事を言われて萎縮してしまわないか危惧したが、少女はしきりに頷いて再び目が潤む。けれどそれが先程のものとは別種だという事は明らかだった。
ふと目線を下ろす。彼女が履いた靴のすり減り方はただ歩いたり走ったりしたものではない。必死にダンスの練習をしたのだろう。
その努力を立派だと思う反面、イングリットの中で一つの疑念が浮かび上がる。
かつてのラクスは歌手のイメージが強く、ダンスをしていた印象は薄い。人の目を惹きつける派手なダンスをしていたのはむしろ──
《ラクス……》
イングリットの呼びかけにラクスは応えず、少女と連絡先を交換していた。
表情は明るいのに寂寥感が漂うのはイングリットの気のせいだろうか。
「人々に希望を届けるのがアイドルならあなたは既にアイドルです。私、あなたのファンになってしまいました」
「ラク……お姉さんが私のファン?」
「ええ。私がファン2号でイングリットさんが3号ですね」
「1号は?」
「……今はちょっと遠くにいるので会えないですが、あなたの事を知れば間違いなく応援したでしょう」
「? じゃあその人にも応援してくれてありがとうって伝えてください」
「……はい。必ず伝えます」
微かに憂いが漏れるがそれも束の間。ラクスは少女の両肩に手を置いて真正面から見据える。
表情は真剣そのもので、横にいるだけのイングリットも息を呑む。
「大人になって『ラクス・クライン』を嫌いになる時が来ても、夢を見たかつてのあなた自身の事は否定しないでください」
願うように、祈るように告げる。
少女はこくりと頷いたが、どこまで伝わったのだろう。
上手く咀嚼出来ていないようにも見えるが、それは少女の理解力の問題ではない。問題があるとすれば核心となる部分を隠しているラクスの方だ。
《……本当にいいの?》
《今"彼女"の事を話しても混乱させるだけでしょうから。それでも、成長して真実を知りたいと望んだ時は私が知る全てを話します》
《そう……》
元よりイングリットは部外者でしかない。ラクスに確たる考えがあるのならとやかく言える立場ではない。
そもそも何が正解なのか分からないのに少女に肩入れして口出しをしてしまった事に自分自身で驚いてしまう。
らしくない。意識を切り替えるべく深呼吸すると遠巻きにこちらを眺める人々がラクスを指差しながらあれこれと囁いている事に気付く。どうやら時間切れのようだ。
ラクスもそれを感じ取ったのか名残惜しそうに立ち上がる。
「いずれまた。あなたがライブをする時が来たら最前列で応援します」
「……っうん!」
少女がずっと手を振っているのを背中に感じながら二人は公園を後にした。
ホテルに戻り、帽子と眼鏡を外したラクスがベッドに飛び込むと長い髪の毛がぶわっと広がる。
多少疲労の色が見えたがむしろ彼女はそれを心地好いものと感じているようだった。
「イングリットさん」
クローゼットのハンガーに上着をかけていたイングリットが振り返ると真面目な面持ちのラクスが目に映る。
「あの少女とのやり取りの最中にデュランダル議長を討った事を正当化しようとしていたと言ったら酷い女だと思いますか?」
「……いえ。私も自由に夢を見られる世界の方が良いと思うわ」
ファウンデーションにおいて「戦乱で荒廃した祖国を復興させる為」という同調圧力で施行されたデスティニープランを思い出す。
知らなかった適性を見出だされ高いモチベーションを維持して仕事に従事した人間もいない訳ではなかったが、やはり夢を奪われて無気力、無感情にルーチンワークとしてこなす人間も多かった。
昔のイングリットはそれを正しい事だと信じていた。人の自由意思に任せた結果が今の混迷する世界なのだから、と。いや、信じ込もうとした。
生まれた時から与えられた役割に背く事を恐れていただけなのに。そうやって人の夢を潰してきたからあの少女の世話を焼きたくなったのかもしれない。
「オルフェならなんと言ったでしょう」
不意にラクスがぽつりと呟く。
近年のC.E.は為政者が道を誤って民衆に大きな被害が出る事の繰り返しだった。
図らずも世界に対して大きな影響力を持ってしまったラクスは根っこは厭世的で
ならばと、オルフェが先程のラクスの述懐について反応しそうな事を想像する。
彼は世間で思われているほどデュランダル議長に好意的ではない。デュランダル少年の理想を最も貶めたのはデュランダル議長とさえ言っていたのでラクスにとやかく言わないかもしれないが、それとは別方面の感想を抱きそうだ。
「『根拠もないのに人を扇動するのは感心しないな』かしら」
イングリットが告げるとラクスはこれでもかと眉を寄せて表情を強張らせる。
「言いそうですわね、オルフェは」
嘆息したラクスはベッドから体を起こす。
「……私も万人の夢が叶うとは思っておりません。ですから、誰かの夢が破れても新たな夢や幸せを見つける事が出来る世界を築くのが私の仕事なのでしょうね」
ふっと微笑を浮かべるラクス。
そこにあったのは現実を知らないが故に美辞麗句を唱える夢想家ではなく、過酷な世界にあってなお信じる事をやめない理想家の姿。
「お手伝いしていただけますか?」
「喜んで」
オルフェとラクス以外のアコードは二人を支えるのが生まれる前からの役目。
けれどイングリットはそんな宿命を無視して自分だけの意思で差し出された手を取った。
入れるタイミングがなかった台詞。
「この子は最初から分かっていたようですわね。彼女が誰のファンだったのか」
そう言ってラクスは水でもすくうように赤いハロを両手に乗せた。