愛の逃避行 長距離、重バ場(メジロアルダン)   作:激辛党

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全ては愛のおかげなのです

 夜、案内された小部屋で身体を休めているとスマホに通知があった。

壁に掛けられたアンティーク時計は二十時ちょうどを指している。夕食は一時間前に取ったばかりで、その際は源蔵氏も同席していた。するとスマホの画面を見ずとも、掛けてきた相手は自ずと知れる。……その目的も。

 木製の安楽椅子から立って、外出用のショールを羽織った。薄々覚悟はしていた……来たるべき三人目が現れたということだ。

廊下へと出て、部屋から最も近い屋敷の勝手口に向かう。押し開いた扉の向こうに広がる薄闇の空。浜辺に繋がる遊歩道を望み、そこでようやく立ち止まってメッセージを読んだ。

『アルダンさん、大事な話があります。今から島の船着き場で会えますか』

 質問の体裁を取ってはいたが、そこには有無を言わさない迫力が宿っていた。

 

 私を呼び出した三人目のメジロ。ドーベルは島の船着き場の入り口近くに佇んでいた。

 彼女は私を見つけるなり駆け寄ってくる。暗がりの中、その目はらんらんと闘志に燃えて見えた。

思わず身構える私だったが、

「何してるんです? 早く行きましょ?」

 と、いきなり肩透かしにあってしまう。ドーベルの視線が向かう先は船着き場の中ではなく、反対側の延々と続く砂浜。なるほど確かに、レース勝負をするなら、そちらの方がずっと相応しい。あくまでここを指定したのは、待ち合わせに過ぎなかったようだ。

 柔らかな砂を踏み込んで、先に歩き出したドーベルの背中を追った。

 

「あなた、いつからこの島に来ていたのですか? 私はてっきり、学園に戻ったものかと思っていました」

「夕方くらい。パーマーから負けちゃったって連絡があって、それで港の船に乗ったんです」

 私の前をのしのしと歩きながら、ドーベルは答えた。着ている普段着のワンピースが潮風にはためいて、陶磁器のような素肌が露わになる。あまりに寒そうで見ていられなくなって、ショールを貸そうと申し出たが、すげなく断られた。

「ドーベル……。あなたの怒りはもっともです。私の行動は説明不足でしたし、配慮にも欠けていました。ですが今日のところは許していただけませんか? もう陽も落ちてしまいましたし、それに海岸沿いを走るのは危ないです」

「あの……何のこと? こんな真っ暗な中でレースなんて、できるわけないでしょ」

「え? 違うのですか?」

 私が驚いて声を上げると、彼女の方も心外そうに足を止めた。どうも本当に話をするために誘っただけで、勝負をするつもりなんて毛ほども無かったらしい。

 ドーベルはやれやれとため息交じりに、浜辺の外れにあったベンチで腰を下ろした。私もそのすぐ隣に座る。宵の海が正面に見えて、街の明かりが彼方にきらめいていた。ドーベルは真っ暗と表現したが、お屋敷の存在もあって、辺りは仄かな明るみに満ちていた。

 秋の夜空、これで月が頂上に登っていればさぞ風流な景色となっていただろう。しかし残念なことに、そういったムードを楽しむ余裕はドーベルには無いようだった。しばらく項垂れるようにベンチの真下の地面を見つめた後、彼女はぼつぼつと喋り出した。

「あれから結構考えました。……なんであなたがこんな無茶なことを始めたのか。いったい何を目指しているのか。ライアン、パーマーにも話を聞いて、トレーナーさんにだってもちろん相談しました」

「そうですか……」

 相槌を打ちながらも、私はそっと藍色の空を仰いだ。市街で、海で。彼女達との勝負の最中にトレーナーが現れたのは、完全に作戦通りだったということだ。何とも手の込んだ仕掛けだが、その点を抗議する資格は私に無いだろう。そもそも私が無茶を通そうとしなければ、彼女達だってこのような真似はせずとも済んだ。

「それらを踏まえた上で、改めて訊きます。アルダンさんって、トレーナーさんのことが好きですよね」

「いいえ」

 即答した。

「本当に?」

「本当です。メジロに二言はありません」

「そんな格言、聞いたこと無い……。まぁいいですけど。水掛け論になりそうだし、今の質問はもうしません。アルダンがそう言い切るなら、そういうことにしときます」

「助かります」

「代わりに確認しますけど、トレーナーさんには感謝してます? その……これまでの三年間で」

「ええ、もちろん。病弱だった私が、ガラスの脚と大勢に揶揄された私が三年間を走り抜けたのはあの方の力があったからに他なりません。感謝なんて言葉では言い表せない、それほどの恩義を感じています」

「じゃあ、今朝アルダンさんがトレーナーさんにしたことはなんですか? 契約を一方的に解除し、二度と自分とは会わないように通告した。……恩人に対してする最後のお別れが、それで良いと心の底から思っていますか?」

「いいえ全く」

 これも即答した。

「下の下ですね。およそ人として最低最悪の行為です。吐き気を催すと言ってもいい」

「やっぱりそんな風に答えるんですね」

 ドーベルは軽く伸びをするように身体を起こすと、横に座る私の顔を覗き込んだ。真剣なその眼差しが、痛いほどの鋭さを発している。

「そしておそらく、それほどの悪事を働いた理由を次に聞いたら、あなたはメジロのためですと言うのでしょう?」

「良くお分かりですね」

 私が取りも直さず答えを返すと、彼女は「バカにするのもいい加減にして」と低く唸るように呟いた。

「メジロの名を穢しているのはアルダンさん、あなたの方です。高祖様から頂いた大切な家名をそんな嘘八百のために使うのは、それこそ一族に対する裏切りに近しい。おばあ様の顔に泥を塗り、あなた自身の栄光に唾を吐きかけている。そしてもちろん、あたし達に対しても」

「申し訳ないとは思います」

「謝る態度には見えないけど」

 私はベンチから降りて、ゆっくりと身を地面に屈めた。膝を地面に擦らせようとしたところで、「正気!?」とドーベルが叫ぶ。

「何するの!? そんなことひとっつも頼んでない!」

 両肩を力いっぱい掴まれて無理やり立たされた。

「ではどうすれば許してくれるのです?」と私が問うと、彼女はいっそう語気を激しくする。

「だからそういう話じゃないんだってば! あなたがやってる事はメジロのためになんて一つもならないって言いたいんです! 見当違いも甚だしい! 何もかも滅茶苦茶よ!」

「しかしおばあ様は私の考えを認めて下さりました。両家を結び、より良い未来を導くには私が犠牲になるしかないと」

「おばあ様は……あなたのその覚悟を尊重しているだけ。けれど裏に隠れた真意を知ったなら、絶対に受け入れはしないでしょう」

「裏に隠れた真意? 奇抜な表現を使うのですね」

 言い回しが純粋に興味深かったのでそう答えたが、ドーベルはこれを挑発と受け取ったようだ。

「そっちがその気なら……いいですよ、アルダンさん。はっきり言いましょう。あなたが婚約に踏み切ったのはメジロの未来のためじゃない。……それはトレーナーさんから離れるため。違う?」

 今回は即座に答えることはできなかった。耐え切れず視線を逸らそうとするも、頬を両側から掴まれて無理やり元に戻される。

「思えば最初からあなたの態度はおかしかった。寮のベランダからジャンプしたり、マンホールにそのまま飛び込んだり。極めつけはあれ、この季節に遠泳はないでしょ。切り出したパーマーもバカだけど、反論もせず受けたあなたはもっと変。……でも、そうまでして急ぐ理由があなたにはあった。でなければトレーナーさんに追いつかれる。ずっとそれに怯えていたんです」

 言おうとした声は言葉にならず、私は力なく首を振った。しかしドーベルは詰問を止めない。

「あなたは徹頭徹尾、トレーナーさんの説得を無視した。おばあ様との晩餐会の時点で、あなたの覚悟は既に決まっていたから。そうとも知らず、駆け落ちなんて提案した私は我ながら滑稽ですね。あなたにとって、目黒との婚姻は目的を果たすための手段でしかなかった。あの男と結ばれれば、専属契約の解除もスムーズにいく。……好きっていう気持ちだって、結婚さえすればもう告げずに済むんですから!」

「違うと言ったでしょう、ドーベル。私はトレーナーさんのことなんて何とも思っていません」

「感謝してるってさっき言いましたよね」

「それはそれです。……あなたこそ何か勘違いしていませんか? トレーナーさんは職務上、私に付き合ってくれていただけです。そこに男女間の感情を持ち出すことは、あの方にとっても失礼です」

「ええ、そうかもしれません。でもそれは社会的なマナーであって、法律でもなければ物理法則でもない。仮にそうであったとしても、一度覚えた感情を消し去る力なんて、どんなルールも持たないよ」

 ドーベルはそこまで喋り終えると、私からふっと身を離して空の方を向いた。彼女の長い黒髪が冷ややかな風にたなびく。彼女なりの推理はどうやらそこで終わりらしかった。……当たり前だ、前提の条件を私が決して認めないのだから、それ以上先には進まない。台風の目のような一過性の空白が私達の間にしばらく流れる。焦れて先に沈黙を破ったのは、私の方だった。

「……仕方、ないでしょう」

 振り返らないドーベルの背中に、言わなくて良いはずの――言うべきでないことを呟いた。

「あんなの……卑怯です。あんな方とずっと一緒にいたら、誰だって無理です。いわば不可抗力です」

「……だろうね。今日一日話しだけでも、あの人の凄さは伝わってきた」

「トレーナーさんだけだったんです。壊れかけの脆いガラス細工を拾って、あまつさえそれを磨こうとなんてしてくれたのは。いいえそれだけではありません。世の中にはたくさんの数奇な方がいらっしゃる。中にはそういったものを好む人もいるでしょう、観賞用の宝石として! ……けれどあの方は何もかも違った! 私を……粉々に壊す覚悟があると……おっしゃった。これが……! どれだけ奇跡的で、どれだけ理不尽なことか分かりますか? 深窓育ちで幼く少ない私の情緒を彼は三年間で収集しきった。後はもう一片だって残ってない、私の全部はとっくに彼に捧げられているのです」

 ドーベルはくるりとようやく身体を返すと「なのにどうして?」と静かに問うた。

「離れる理由は微塵も無かったはずです。トレーナーさんだって離そうとはしなかった。こんな阿呆のような婚約騒動、あなたが関わり合いになる必要なんて無かったでしょうに」

「いいえドーベル、それはあります。遅ればせながら分かったのです。私は確かにあの日、この耳で聞きました」

 

 今年の春、三月の終わり。長かったトゥインクルシリーズも一区切りつき、次の目標に向けて休養を取っていた期間のこと。初めてお邪魔した彼の部屋で、ちゃぶ台でテレビを見ながら彼は不意に言った。

『こういうの、憧れるよな』

 見ていた番組は長編のドラマだった。戦後の混乱時を舞台にしたその内容は、三世代からなる大家族が、貧困に喘ぎながらもたくましく生きていくというもの。アクション映画などと違って派手な映像美こそ無かったが、子役の迫真の演技もあって私も引き込まれたものだった。

シーンは確か、それまで一家を率いてきた祖父が、息子に家業の全権限を委ねるところ。妻と一緒に涙ぐむ息子に、これからはお前達の時代だ――と祖父が吐くお決まり台詞。トレーナーはいたく感動していた。

『どれだけ凄い人でも、いずれは積み重ねてきたものを次に託す時が来る。子がいて、孫がいて、そうして家族ができて、今が繋がっていく……。永遠ってこういうことかもしれない』

 直後、トレーナーは恥ずかしいことを言ったと笑った。破顔した彼を見て、私も愛想笑いをした。内心、今すぐにでも泣き喚いて部屋から飛び出したかったけれど。

 彼が何を真に望んでいて、そのために私は何をすべきか、しないべきか。答えを見つけるのに時間は一秒だって掛からなかった。

 

「ですから私はトレーナーさんと結ばれません。結婚なんてもってのほかです」

「どういうこと……?」

 ドーベルはまだ不思議そうにしている。意外と察しの悪い彼女に、私は優しく言って聞かせた。

「なぜなら私の方が先に死ぬからです。彼が望んだような、暖かい家庭を築くことはできません」

「はっ……?」

「メジロの主治医も、市の病院の先生も、海外から呼んだ名医も口を揃えて言いました。長生きのできる身体ではない。レースを止めないなら、それすら更に縮むだろうと」

「そんな……でも、そうだとしても」

「ええ。単純に時間の問題だけなら、私も彼も耐え忍ぶことはできたでしょう。でも違う、私は次世代に今を託すことすらできない。彼が一番に望むだろう、赤ちゃんもまともに産めるか分からない。有り体に言うなら、私は女として不良品です。こんな代物を彼に押し付けることなど絶対にあってはなりません」

「っ!」

 瞬間、天地が入れ替わって私は砂に両手をついた。凄まじい痛みが頬を中心にじんじんと走る。殴られたのだと遅れて理解した。見上げたドーベルは平手とかではなくて、右拳を全力で握りしめていた。

「しんっじらんない……! っざけんな! あんた自分が今なに言ったか分かってんの!? おじさん、おばさんが聞いたらなんておっしゃるか……!」

「両親への不敬は承知の上です。もちろん、私というウマ娘を生んでくれたこには無限の感謝を覚えています。しかしそれとこれとは話は別。――私は彼が望む女ではない。それが事実です」

「うっさい! もう喋んな! 聞きたくもない!」

 ドーベルは彼女らしからぬ罵声を口にした。血が出そうなほど固く噛みしめた唇から、どれだけ怒っているかが良く伝わってきた。そのことに私はどうしようもなく嬉しくなった。

「ドーベル……。あなたから他のメジロにも言ってください。もうこんな不毛な勝負は止めましょう。ライアン、パーマーとのやり取りで分かりました。きっとトレーナーさんと私を会わせることで、心が折れるのを狙ったのでしょうけど……無意味です。彼に愛情を覚えるほどに、私には負けられない理由ができます。彼を愛しているから結ばれたくないのです。どうか引き下がってください」

「っ! アルダンっ……!」

 覚えた憤激は大いにあったようだが、それらは何も単語にならなかった。彼女は呻くように私の名前を繰り返した後、やがて拳を下ろした。ぽたぽたと砂に黒い染みが広がっていくのが暗がりにも見えた。普段は冷静な彼女が、こんなに泣き虫とは知らなかった。

 私もそれ以上は言葉をかけず、どうしようか少し迷った上でドーベルを抱きしめようと両腕を広げた。しかし、それより先に彼女は踵を返した。

「どこに……?」

 答えることなく、彼女はてくてくと砂浜を歩いていく。追いかけるべきかと思ったが、止めた。今は一人にしてあげた方が良さそうだ。

 黒い波打ち際に沿って、ずっと向こうまで駆けていく白いワンピース。僅かな人工の光に照らされて、それはとても幻想的な光景だった。ベンチの傍に立ったままの私は、その後ろを眺めて「ごめんなさい」と聞こえるわけもないのに謝った。とにかく酷いことをしたのは間違いなかった。

 やがて白点の軌跡も見失いかけた頃、夜風にのって少女の声が微かに聞こえた。

「絶対、勝つから」

 ――明日まで、待ってて。そう言っていた、ような気がした。

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