愛の逃避行 長距離、重バ場(メジロアルダン)   作:激辛党

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vsドーベル 芝2200m 中距離(右•内) 真っ向勝負

 島の敷地内には、邸宅の他に本格的なトレーニング施設があった。ジムやプールといった基本に始まり、ウマ娘が走るための芝のコースまで完備している。トレセン以外の練習場は大抵、ウッドチップだけで済ませるのが常なので、ある種異様なこだわりと言える。

 そもそも目黒家自体、このような育成に携わる家柄では無いと源蔵氏自身が語っていた。ではこの至れり尽くせりは何かと訊くと、彼は「将来的な連携を見据えて」だと言う。

「メジロ家の名を継ぐのなら、コースの一つや二つは持っていなくてどうしますか。今回のような不可思議な運びまでは予期してはいませんでしたが、重要性は以前から重々承知していました」

 不可思議な運び、と源蔵氏が奥歯に物が挟まった言い方で指したのは、私がドーベルと二人きりで行うレースのこと。これまでは成り行き上、路上やら海上やらでその都度開かれてきたメジロ同士の戦いは、ようやくターフを戦場に選んだ。

 言い換えるなら、ついに両者ともに本気で戦う気になった。トレーナーをダシに使った番外仙術を試みるのではなく、脚で正々堂々決着をつける。これこそまさしく決闘のあるべき姿、一方的に申し込まれた側ではあったが、私としては全く異存など無かった。

 むしろ問題があったとすれば……。

「納得いきませんわ! 万難を排してやっと島まで辿り着いたと思ったら、もう最終決戦ですって!? そもそもレースというのなら、むしろ多人数が参加するべきでしょう! ここにいるメジロ家全員同時出走でよろしいのでは?」

「そうですわ~。みんな一緒に走った方が絶対に楽しいと思いますの。ね、ドーベル?」

 翌日の朝になってゆったりやってきた二人のメジロの方である。いざ出走しようと芝コースに来たら、そのスタンド前で彼女らに取り囲まれた。

 おばあ様の説得に明け暮れていたというマックイーンは、そのルートを断念するまで一日いっぱいを費やしたらしい。得られた成果は彼女いわく『おばあ様でも無理なものは無理』という至極当たり前の情報だけ。かくなる上は『メジロの勇士となる人物はアルダンさんでなく自分にこそ相応しい』と名乗りを上げに来たのだそう。ちなみにここで彼女の言う勇士とは、すなわち目黒源蔵氏と婚姻を結ぶということを意味する。

 呆れた私は彼女の可愛らしいおでこを小突いた。

「マックイーン……。あなたの気持ちは良く分かるけど、まだそういう話をするには早いです。せめて担当のトレーナーさんを見つけてからにしなさい」

「は、はぁ!? それとこれと一体何の関係がありますの!」

 頬を膨らませる彼女、冷静になってみたら直接的にはあまり関係ないかもしれない。しかしとても大事なことだ。一緒に走ってくれる唯一のトレーナーの存在を知らずして、一生を添い遂げる相手を決めるのは早計にもほどがある……と私は思ってしまう。しかしそれを言葉で説明するのは難しいというか、色々とはばかられる。

 どう説き伏せたものか困っていると、コース内で準備運動していたドーベルがスタンドまで舞い戻って来た。

「なにしてるの二人とも。アルダンさんも、走るなら一対一でって決めたでしょう?」

「そうしたいのはやまやまですが……二人が離してくれなくって」

「ああもう……マックイーン、ブライト、いい加減分かって。相手はアルダンさんだけなんだから、三人がかりで走ったらズルじゃない」

「ですから! 私が思うにこのレースは勝った勇士こそがメジロの名を継ぐ、いわば栄光を賭けたバトルロワイアル形式にすべきであって――」

「いやそれだとあたしが一着を取ったら、あの男と結婚する羽目になる。それは絶対に嫌」

「え、あっそう言えばそうですわね……」

 急にしゅんとなって黙り込むマックイーン。どうやら他の人がその勇士とやらになる場合は想定していなかったようだ。走りさえすれば、自分が勝つと信じて疑っていないのか? 現メジロ家最年少ながら、恐ろしい才能と自負心の持ち主だ。

 マックイーンが大人しくなったのを良い事に、横合いからブライトがのったりと現れて私の腕にしがみついてくる。

「アルダン姉さま~、でしたらチーム戦にいたしましょう。わたくしが姉さまの方につきますから、それ対ドーベル、マックイーン組にすれば公平ですわ」

「まぁ! 素晴らしい名案ですわブライト。ぜひそれにしましょう!」

 すぐさま飛びつくマックイーン、よっぽど参加したくてたまらないらしい。ライアンから聞いた話によれば、昨日のイベント全てで爪弾きにされたことを恨んでいたそうだから、その仕返しなのかもしれない。

しかし彼女には申し訳ないが、このレースは遊びでもなければ栄光をつかみ取るための舞台でもない。私とドーベル、二人の意地のぶつかり合いだ。

 割と洒落にならない力でかじりついてくる二人を、それを上回る強引さで私は引き剥がした。コース外側にある簡易的なスタンド席を指さして、そこで待っているように言う。マックイーンはなおも不満げだったが、そこにいるトレーナーの姿を見とめてようやく折れた。

 学園関係者を前にして、駄々をこね続ける羞恥心に耐えかねたのだろう。……彼がレースを見学に来ることには個人的に大反対だったのだが、こればかりは聞き入れて正解だった。

 とぼとぼと不承不承な態度で去っていく二人を見ていると、ドーベルが小声で「本当にいいの?」と訊いてきた。

「何がです? あの子達のことでしたら、巻き込みたくないという点であなたと同じと思っていましたが」

「そっちじゃなくて、このレースをやること自体。昨夜はその……自分でも訳わかんなくなっちゃってて。アルダンさんに酷いことしたし……」

「ストップ、もう謝るのはお互いによしましょう。仲直りだってしましたよね?」

「う、うん……そうだけど」

 昨夜、源蔵氏と共にお屋敷に戻った後、私はドーベルのいる部屋に直行した。両者の間にわだかまりは数えきれないほどあったが、ひとまず水に流すという合意に至った。しかし同時に、一番肝心な部分はやはりどちらも譲れないという結論に達した。後は力で雌雄を決する他ない。

「でしたら、もう迷うのは止めなさい。私もメジロ、負けた時の覚悟は決まっています。あなたの言う通り、目黒家との婚姻は諦めましょう。ドーベル、あなたは今その望みだけを考えれば良いのです」

「……分かりました。ありがとうございます、アルダンさん」

 ドーベルは小さくお礼を口にすると、たったと軽い足取りでゲートへ向かっていく。振り向きざまに右手を挙げて、「勝ちますから!」と彼女は言った。

「絶対に勝ちます。こんなのやっぱり間違ってます。私がアルダンさんを止めてみせます」

 後はもう前だけを向いて、ドーベルは練習用ゲートの内へ入った。その後を追いながら、また少し罪悪感が蘇ってきて私は胸を押さえた。

「ごめんなさい……」

 あなたが私に勝てるわけがない。なぜならこのレース、走る前から結果は決まっているのだから。

 スタンド席の一番前。いつものように、いつもと同じ表情でそこに座っている彼。落ち着いた表情で、信じてその時を待っている。私が一着でゴールを通り抜ける瞬間を。

 勝負の意味だとか、その先に待っている未来だなんて一切関係なく、私が走るなら彼は勝利しか信じない。そういう人だからこそ、私はこの脚を託すことができた。

 ごめんなさい、ドーベル。今までで一番卑怯なルールで、あなたにレースを挑みます。

 

――――――

 

 ゲートは開き、導く芝2200mのコース。

杭打つ勢いで振り下ろされた両者の脚が、地を抉って空気を揺らした。

出走者二人という特異なレースでは初速が勝利に直結する。そしてそれはドーベルも重々承知していた。だからこそスタートダッシュの一瞬に全力を賭す。

 だが無意味だ。

 ハナを奪ったのはもちろん私。付け焼刃の先行策など、この決意には及ばない。続く景色は無人の芝、前はもちろん横にすら並ばせるものか。初めのコーナーへと至る直線は525m。ここで着いた差そのままに、ゴールラインまで突っ切って勝つ。

 離れ行くドーベルの足音、その驚く顔が目に浮かぶ。なぜって当たり前。私のペースはもはや逃げのそれに近い――というより上回っている。かつて見た宝塚記念の舞台が過ぎる。新時代の大逃げで観客を沸かせたサイレンススズカ。メジロ一同を唸らせたあの走りを、私はこの土壇場で再現する。

 速く、まだ速く。スタミナ配分など考えない。どこでスパートを掛けるか、どこで抜き去るか――そういった戦術は初めから捨てている。これは徹頭徹尾、私とドーベルだけのレースであり世界。ゆえに他ウマの存在を前提とした技巧は役に立たない。要は意地と根性のぶつかり合い、それをライアンとパーマーが教えてくれた。

 一つ目のコーナーを曲がりかかったところで、やっとドーベルもその気になった。いつもはラストで見せるあの閃きを、残り1500m以上はあろうという段階で見せてくる。じわじわと詰められていく互いの間合い。惚れ惚れするような加速、態勢維持の難しいコーナーでよくぞここまでやれる。

 早くも右脚が痛みを訴えた。違和感はとうの昔からあったが、ここにきて本格化した。関節は針山でも仕込まれたよう、一つ踏み込む度に激烈な感覚が襲ってくる。でも、こういうのには慣れている。

 結局、直線に戻った頃には穏やかな無痛が訪れた。それは悪化による麻痺だったかもしれないが、気に留めない。なにせこれは最後のレース、脚が砕け散ろうと失う物は無いからだ。

 源蔵氏と交わした契約……彼と入籍すれば、私の出走バとしての登録は抹消される。その後に訪れる人生は、メジロの名を利用されるだけの操り人形。車椅子生活になったって、彼は文句一つ言わないだろう。むしろ扱いやすくなったと喜ぶか? いずれにせよこの脚が必要無いことに変わりはない。

 二つ目のコーナー、スタンド側の直線へと帰る大回り。迫りくるドーベルは、今や斜め後ろの好位置へ着いた。いつでも追い抜けるという強い意思、空気を伝って肌に覚える。スタートから相当の差を開いたはずなのに、状況は接戦の様相を呈している。

 正直予想外だった。

 無茶なレース進行をすれば、ドーベルはいずれかの段階で折れると見越していた。一旦速度を控え、ゴール手前で直線一気。垂れウマが存在し得ないこのレースは、追い込みにおいても有利に働く。聡い彼女ならば必ずこの手を選ぶ。……その油断をつこうと考えていたのに。

 けれどドーベル、その奇策が勝利に繋がるかはまた別だ。間際まで食らいつかれたが、そこからは決して譲らない。一バ身にも満たない絶妙な間隔を保ったまま、私達はコーナーをハイペースで回っていく。追い抜きにかかっていた分、ドーベルの方が僅かだが余計に長く走ることになる。これはさすがに予定外だったのか、苦しい呼吸がすぐ後ろに聞き取れた。

 たぶん……いや確実に、ドーベルも私と同じかそれ以上の無理をしている。

 普段のレース出走では、大舞台に向けて入念なトレーニングを積む。コーナーの角度や坂の箇所、出走人数に応じて、適切な走りができるように身体に覚え込ませる。

 それらを一つも行わないまま、このように全力で走り続けることが、どれだけ負担となるかは明白だ。脆い私の身体でなくとも、厳しい戦いとなる。それこそ宿る覚悟を試されるような。

 どうしてだろうか? 今更になって、純粋な疑問が湧いた。ドーベルがそこまで本気になる理由が果たしてあるか? むしろ彼女にとっては、私が源蔵氏と結ばれた方が良いはずだ。メジロ家は復興し、政略結婚も今後一切行われなくなる。これまでと変わらずメジロのウマはレースに出られるし、彼女の好きなマンガだって心行くまで整った環境で楽しめる。どれだけ考えたって、私を押し留めるメリットが思い浮かばない。

 長い長いコーナーから、354mの最終直線。

 背後のドーベルから一種の期待を込めた視線を感じた。

 柄にもない大逃げを押し通した。そのツケがそろそろやってくるはず。そこに全力をぶつければ勝機はまだある……。あなたを必ず追い抜いてみせる!

 

 可愛らしいこと。

 ゲートに入る直前、去り行くあなたにやっぱり教えてあげれば良かった。痛みに耐えて意地を張って、無理に勝とうとしなくたっていい。どうやったって私は負けない。ここで負けるわけが無い。

 駆け抜けるライン、傍らに見えるスタンド席。一番前の変わらない位置で、一心不乱に私の姿を追うトレーナー。ハイテンポで脈打ち続ける心臓、その鼓動にもう一つの意味が加わる。

 私はこの瞬間が一番好き。

 結局のところ、一着のトロフィーだとかファンの獲得だとか、名家として果たすべき栄光だとか、そういったものは押しなべて後付けの付属品。本当に必要で、最も大事なものは常に私の内側に存在している。

 先頭でゴールを駆け抜ける。それを見つめる彼の瞳、その輝きこそが私にとって唯一の王冠。ほんの一時、コンマ一秒にだって満たないこの刹那。今だけが私の求める全てであり、そのためなら何もかもを投げ出せた。

 だからこの先どれだけ時間を延ばしたって、それを失うなら意味は無い。

「ドーベル。これで諦めはつきましたか?」

 いつもの脚癖でクールダウンを済ませた後、呆然と立ち尽くしている彼女の元へ向かう。汗だくで息を切らしながらも、その表情は『信じられない』の一点だけを示している。

 私の問いかけに応えようとしているようでもあったが、いつまで経ってもそれは声にならない。じっと傍で待っていたが、残念ながらそれより彼がやって来る方が早かった。

「素晴らしい! お嬢様方、大変エキサイティングな模擬レースでした。職業柄、観戦にはよく赴くのですが、これほど盛り上がりのある勝負は初めてです」

 ぱちぱちとうっとうしいくらいの拍手が響く。異様に体格の良い黒スーツの使用人を何人も引き連れた源蔵氏はにこやかに続けた。

「さて余興も済みましたところで、そろそろお屋敷に戻っていただかねば。天気は今日も快晴で、昼夜の気温差も厳しくなるでしょう。体調を崩されては大事です。それに――」

 私の周囲を黒スーツの集団がぐるりと取り囲む。

「記入していただくべき契約書類が多数ありますゆえ」

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