愛の逃避行 長距離、重バ場(メジロアルダン)   作:激辛党

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不適切なルール

 ブライトはいつものゆったりとした歩調で前へと進み出る。その姿を見とめた源蔵氏は、軽く会釈をして応えた。

「失礼、私としたことが頭に少々血が上っていたようです」

 当主の声を聞いて、トレーナーを追い詰めていた部下達は即座に立ち退いた。その場にしゃがみ込んで、大きく息を吐くトレーナー。ひとまず転落の危険はこれで無くなった。……だがそれと同時に大きな問題が持ち上がってしまった。

「いつからですか?」

 ブライトを見据えて問いかける。真っ向からその視線を受け止めて、なおも彼女はゆるく微笑んだ。

「さぁ? それはお姉さまの方でお考えください。ただ一つ申し上げるなら、源蔵さまがお姉さまの動きをこうも正確に追ってこられたのは、メジロ側の内通者あってのことだった……というくらいですわ」

 考えてみれば当然だったのか……?

 そもそも私がメジロを追われたということだって、ほんの半日前に起こった出来事だ。いくら源蔵氏とはいえ、それこそスパイでも使わねばその情報を収集するのは不可能だろう。すると逆説的に、ブライトは疑う余地なく目黒側の勢力についていることになる。だが、どうしてだ?

 常にゆったり大らかに構え、何事にも動じない、ある種図太いとも言える性格。警戒していないわけではなかったが、まさか彼女がメジロを裏切るなんて。にわかには信じがたい……というより、現実に目にしている今だって、少しも信じる気にならない。

 呆然としている私を置いて、ブライトは源蔵氏に話を向けた。

「さて、もうそろそろ始めてよろしいでしょうか。わたくし、この時をずっとずっと楽しみに待っていたのです。それはそれは長いこと……。しかしようやくこの大謀の実る時が訪れました」

「さすがメジロの秘蔵っ子と呼ばれるだけはありますね、ブライト様。ええよろしいですとも、思う存分遣り合っていただければ。メジロバトルと申されましたか。何とも面妖な儀礼です」

 源蔵氏は訳知り顔でそう言うと、ブライトに先を譲って自分は甲板後方に退いた。ブライトも彼に一礼し、私の目の前へとゆっくり歩いてやってくる。

「アルダンお姉さま。もはや多くを語る必要はありませんわよね。わたくしが勝ったなら、お姉さまにはメジロに戻っていただきます。無論、その場合拒否権は一切ありませんわ。たとえどのような事情があろうと、メジロとしての誇りに掛けて従っていただきます」

 間近で聞いてやっと分かった。普段と同じと思ったが、今のブライトの口調は若干それと異なる。いつもなら語尾がもう少しだけ伸びるところ、妙にはきはきと歯切れがいい。そしてもう一つ相違点、ゆるくカーブした唇の端はぷるぷると僅かに痙攣していた。

 知らぬ人なら絶対に気付かないような、ほんの些細な違いだったが、私にはそれで十分だった。凄まじい覚悟をもってして、自分の感情を押し殺している。あの男に付き従うことなど本当は嫌で嫌で仕方が無いのだろう。加えて私に争いを挑むことも。だがその無理を貫徹し、ブライトはこの甲板の上で立ち塞がっている。……他でもない私が、そうさせた。

「いいでしょう。その勝負、受けます。ですが私が勝った場合、目黒との婚姻は取り消し、かつトレーナーさんを貰い受けるというのが条件です。……目黒源蔵氏も、それで構いませんね?」

「よろしいですとも」

 遠巻きに立つ源蔵氏は意外にもためらいなく了承した。てっきり拒絶されると思ったが、どういう風の吹き回しなのか。嫌な予感が割れ鐘となって鳴り響く。

 その直感を裏付けるよう、源蔵氏は早口に付け足した。

「ただ普通に勝負したのではドーベル様の焼き直しで面白くありませんからね。こちらで少々、ルールを追加させていただきます」

「おい待て! そんなの通す訳が無いだろ!」

 震える脚で立ち上がったトレーナーが叫んだ。

「一方的に不利なルールを押し付けるに決まってる。アルダン! こんな奴との勝負は受けちゃいけない!」

「いいえトレーナーさん、私が相手するのはブライト……。愛するメジロの一員です」

 きっぱり言い切ると、トレーナーは愕然として固まった。その彼を再び男達が取り囲む。抵抗を試みるも叶わず、あっという間に彼は押さえつけられた。

「余計な手出しはしないで貰おうか、トレーナー君。おっとアルダン様もです。……そろそろ理解して欲しいですな。私達は最大限の譲歩をしていることを」

 男の一人がトレーナーの顔をざらついた床に無理やり擦りつける。到底、彼のものとは思えないような苦悶が聞こえた。

 今にも飛び掛かろうとする脚を血の滲む思いで自制した。代わりに尋ねる。

「ルールとやらを早く説明してください」

「いいでしょう。……ではあちらをご覧いただけますか」

 源蔵氏は甲板の縁へと歩いていくと、そこから港内の――埠頭の先端を指さした。今乗っているフェリーが接岸している部分から見て、その突き当たりとなる箇所だ。

「あれをゴールとします」

 そこには灯台を模したモニュメントが一本設置されている。頭頂部から煌々とした光を放つそれは、なるほどゴールラインとして分かりやすい。

 だが、どう考えてもスタートからの距離が短すぎる。埠頭の端にあると言っても、その全長は100mにも満たない。ウマ娘のレースに適さないことは明らかだった。

 そんな私の疑念を見て取ったかのように、源蔵氏は「しかし」と話を継いだ。

「あそこに行くまでには、どなたも一度船を降りていただく必要がある。この意味がお分かりですか?」

 もったいぶって私に答えを求めてくるが、一言たりとも返してやらない。源蔵氏は特に気にすることも無く、親指と人差し指で輪っかを作ってみせた。……金銭を表す、品の悪い仕草。

「これですよ。下船の際は当然、船賃を払ってもらわねば」

「……いくらですか」

 なぜ出発してもないのに船賃がいるのか。それもなぜレースに絡めて来るのか。百はあろうという疑問を呑み込んで、それだけ確認した。どんな抗議をしてもこの男は聞かないだろうし時間の無駄だ。

 源蔵氏は性懲りもなく長い溜めを置いた後、ぴんと一本指を立てた。

「1000万円です」

「は!? あんたふざけてんのか!?」

 なおも拘束されたままのトレーナーが怒声を発した。その様子をたいそう嬉しそうに笑う源蔵氏。

「いいえ冗談などではありません。なにせこの船は私の個人所有。ですから料金はいくらに設定しようが、私の勝手です」

「そんなわけあるか! 海上運送法だか何だかでちゃんと決められてるんじゃないのか!? そうでなくても公序良俗に明らかに反してる!」

「ご高説どうも。ですがこの船上でいかに法が無力かは、今あなたが身をもって証明中では? ……さておき、一般市民には少々払い難い金額であることは私も分かっております。上流階級の方であっても、キャッシュの持ち合わせが無い場合もあるでしょう」

 そこでちらりとこちらを見やる。メジロ家を勘当された私への当てつけだろう。実際のところ、現状では1000万はおろかその100分の1も自由にできるか怪しい。

「そこで! 僭越ながらこちらで特大サービスをご用意いたしました」

 源蔵氏がぱちんと指を鳴らすと、甲板中に散らばっていた部下の男達が整列した。一列に揃った彼らは示し合わせたように、カードを一枚懐から取り出した。ライトの光を鋭く反射するそれは……クレジットカードのようだ。

「もうお判りでしょう。人数は10人、全員がそれぞれ200万円を保有しています。彼らを捕らえれば、船を降りるまでの間、その所有権は捕獲者に譲渡されます。このサービスを利用すれば、どなたでも簡単に船賃を払うことができます」

 いったい何が楽しいのか、終始満面の笑みで源蔵氏は説明を終えた。悪趣味もここまで極まれば賞賛に値する。おそらくこの男にとって、貨幣は他人を操るための道具でしかないのだろう。

 だが口惜しいことに今の私はそれに縋る他、勝つ術がない。男達の持つクレジットカードは、言わばゴールに繋がる門を開くための鍵……。そう受け止めて「分かりました」と了承した。

「その内容で勝負しましょう。……ブライトもよろしいですか」

「問題ありませんわ、お姉さま」

 こっくり頷く彼女を見て、武者震いが走った。普段の柔和な雰囲気は欠片も無い、刃の如く研ぎ澄まされた意思が、その瞳には宿っている。決して負けるわけにはいきません――脳内に直接、何度も語りかけられているようだ。

「ではさっそく……」

 源蔵氏がそう呟くのを皮切りに、並んでいた男達は三々五々に船内へ散らばって行った。駆ける速度は成人男性としては目を見張るほど。皆一様に立派な体格をしていたし、特殊な訓練でも積んでいるのかもしれない。……だが言うまでも無く、ウマ娘の相手にはならない。

 その点はブライトも同様の考えらしく、去っていく男達には一瞥もくれない。スタートの合図を待ちながら、こちらをじっと見つめている。

「どうしてだよブライト……! こんなのおかしいだろう!?」

 諦め悪く声を張るトレーナー。律義に甲板に残った男が押さえ込むのも構わず、必死に首を上げて言う。

「なんで君達メジロが争う必要があるんだ! むしろ協力してこの場を脱する方法を考えよう! そうだ、近くにマックイーンやライアンが来ている可能性だってある」

「トレーナーさま」

 対するブライトは彼へ首を振り向けた。船上にあるライトの加減で、彼女の表情はちょうど窺えなくなる。

「メジロ家を追われれば……アルダンお姉さまがどうなるか、本当に分かっていらっしゃる?」

「それは……大変かもしれないけど、今はそんな場合じゃ――」

 トレーナーの言葉は途中で止んだ。床にうつ伏せになっているその眼前に、ブライトの靴が着地したから。

 ひとっ跳びで数mの間合いを詰めた彼女は、ぐっと膝を曲げて彼を覗き込む。呟いた囁き声は、しかし離れた場所の私の耳にもしっかり届いた。

「きっと誰よりもあなたはアルダンお姉さまを知っていらっしゃる。なら、お姉さまのご容体だってお聞きになっているはず。メジロ家の庇護……最先端の医療技術が、どれほど助けになってきたかも。その全てをお姉さまは捨て去ろうとしているのに、あなたは『大変かもしれない』なのですか?」

 ハッと何かに気付くトレーナー。しかしブライトの勢いは留まらず、不気味なほど淡々と続ける。

「アルダンお姉さまは決して行かせませんわ。メジロに……わたくし達のお屋敷に必ず戻っていただきます。……あなたのような無責任なお方には似つかわしくない」

「止めなさいブライト!」

 我に返って、すぐさま止めに入った。後ろから肩を掴んで、無理やりこちらを向かせる。その表情は全くの無に見えて、頬に伝った一滴の雫はしかし如実に思いのたけを表していた。

 初めから分かっていたことだ――戦うしかない。

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