愛の逃避行 長距離、重バ場(メジロアルダン)   作:激辛党

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vsブライト 身命(あなた)を賭して打ち破る奸計

「そろそろ開始しても? 時間が押しているのですよ」

 こつこつと靴の爪先を源蔵氏が鳴らす。その仕草に苛立ちこそ覚えたが、場の空気を切り替えてくれたことには感謝した。私はブライトから離れ、源蔵氏を目で促した。

「結構。それでは……スタート!」

 船上に爆発的な音が鳴った。私とブライト、二人の脚が甲板の床を抉った音。寸分遅れることなくそれらは同時に重なって、一つの音波として辺りに響き渡っていく。その残響がまだ消えないうちに、私は船内に入る扉へ突っ込んだ。

 白色系の照明が照らす、一階部分に当たる廊下。右に曲がったところにまず一人を見つける。男は私の出現に反応し、逃げ出す動きを見せたが遅い、遅すぎる。右腕を掴み、走って来た勢いと合わせて壁に釘付けにすると「分かった、出すから!」と悲鳴を上げてカードを落とした。一枚目。

「痛かったのでしたらごめんなさい」せめてもの謝罪を残してその場から退去。廊下から繋がる階段を視界に探す。このフェリーの階層は三階まで、十人の男達がどう逃げたかは判然としないが、ひとまず上から探していくのが良いだろう。視点が高ければ下層の者も見つけやすい。 

 二呼吸のうちに階段まで辿り着く。五段飛ばしに上がる中途に男の後ろ姿が。気付いてすらいない彼をそのまま抱き上げ、踊り場まで連れ込んだ。「くそっ!」二枚目。

「ありがとうございます」謝るよりは感謝した方が良いと考え直しつつ、取って返して二階の廊下に。急激なコーナー、一息に身を屈めて床に手をつき強引に曲がる。当たり前のことだが、船内は時速数十km以上で走れるような構造にはなっていない。レースで用いるような最高速度は出さない方が賢明だ。最悪、廊下の窓を突き破って海へ落下することになる。

 三階に至る階段は逆側に備わっているようだ。そこを目指して駆ける道すがら、開きっぱなしの扉の影に動くもの。すぐさま体当たりで押し開けてその内に。部屋のクローゼットに身を隠そうとしていた男をベッドに押し倒す。「ぬわっ!」三枚目。

 挨拶もそこそこに部屋を後ろに跳び退って廊下へ反転。壁を蹴って再加速し、今度こそ階段に戻る。屋内で大暴れするばかりか、他の人を力任せに捕まえる……。私の大嫌いな争いごとそのもの、段を駆け上る今も自分に対する嫌悪感が溢れて止まらない。それでも脚の回転は緩むことなくものの数秒でついに最上階へ踏み込んだ。

 真っ先にあった部屋の扉を叩く。中に飛び込めばそこは管制室と思しき場所で、数々の機材と共に隅の方に立つ男。逃げだす隙も与えず前に立ちはだかった。四枚目、と思いきや彼はばつの悪そうな笑みを浮かべて両手をぶらぶらと振った。「悪いな、もうやっちまった」先を越されたらしい。

 すぐに切り替えた。男の脇を抜けてもう一方の出入り口に跳び、三階廊下に。ここからは階層ごとに隈なく探していく必要がある。船内の構造を踏まえた上で見極めた速度限界、ときおり服の裾を角に擦るようになりながらも部屋から部屋へ飛び移っていく。

 見つからない……。順調に手に入れたせいで浮かれていた。十という限られたカードの奪い合いでは、同じ標的を狙ってしまうことも当然ある。また、その確率はゲームの進行に合わせて高まっていく。

ブライトが私と同数のカードを持っているとしたら、残るは四枚のみ。そう広いとは言えないこのフェリーでも、見つけ出すには手間のかかる数だ。徐々に高まってくる焦りに押され、私は廊下の窓に視線をやった。覗いた下層に、スーツの男が見えることを願って。

 だがそこで飛び込んで来たのはおよそ信じがたい光景だった。甲板の上、埠頭へと繋がる船からの架け橋に立っているのは源蔵氏と……ブライト。彼女は持っていた数枚のカードを手渡して、船を降りようとしているではないか。

「そんなまさか! 早すぎます……!」

 思わず声が漏れた。正直なところ、このルールはブライトにとって不利だと思っていた。彼女がもっぱら得意とするのは長距離レース、長持ちする脚とここぞという時の粘り強さが持ち味だ。言い換えれば、このような短距離系統の勝負、瞬発力を競うような展開には向いていない。だから、なぜこのような勝負内容で仕掛けてきたのか疑問だったのだが……。目の前に広がっているこの光景はなんだ? 

 押し寄せる疑問符に突き動かされるようにして、私は窓を開け放って甲板を見下ろした。「ブライト! いったいどうやって!?」情けなく叫ぶ私には目もくれず、ブライトはゆうゆうと船から降りていく。その脚はもはや歩くような速度。もはや約束された勝利――埠頭の先の灯台に向かって、一歩一歩着実に進んでいく。

「くっ!」

 負けるわけにはいかない、でもどうすれば? 今からさらに二人捕まえる? 間に合うわけが無い。それにブライトが既に五枚を手にしているのだから残るも二枚。それは今や絶望的な数値に思えた。足元から寒気に似た敗北感が登って来るようで、とりあえず私は走り出した。ダメだ、立ち止まったらそれで終わりだ。もう二度と走れなくなってしまう気がする。

「罠だ!」

 その時、下方からトレーナーの叫び声が聞こえた。私は進路を変更し、より甲板部に近い窓へと向かう。その間も彼は喉を枯らさんばかりの勢いで叫び続ける。

「初めからまともな勝負なんてする気は無かったんだ! あいつ、ブライトの自前のカードで電子決済させた。400万円分! それで船賃になるんだって――」

「あ……」

 それを聞いた途端、手足の力が萎えた。あれだけ止まりたくないと思っていたのに、ギアが勝手に勢いを緩める。私は崩れ落ちるようにして廊下の端に転がった。ついさっき覚えた敗北感が急速に膨らんで思考の全てを塗り潰していく。

 やられた、その手があったか。源蔵氏の出した船を降りる条件は、1000万円を払うという一点のみ。その源泉は必ずしも、男達の持つクレジットカードに限定されない。ブライトは自分が所有している資産から、その内の400万円分を支払ったわけだ。勝負が終わった後、源蔵氏がそのお金を返してくれるという保証も無いのに!

「そこまで……! そこまでするのですか、ブライト!」

ブライトは絶対に負けないという信念の元、私に挑んできた。源蔵氏と手を組み、確実に勝てる条件を設定した。だからこれは必然の結果。私は負けるべくして負ける。

 ライアン、パーマー、ドーベルにマックイーン……曲がりなりにも皆と戦い、ぎりぎりでそれに競り勝った。その果てに私はなにか勘違いしていた。皆、結局はメジロの子。私の覚悟を試すための勝負なのだから、最終的には道を開けてくれるのだと。

「そんなはず……なかったのですね。ブライト……あなたは遊び半分などではなくて、本気で私を止めようとしていたのですから」

 勝負が始まる直前、見えた涙のしずく。あれで彼女を分かった気でいた自分が恥ずかしい。私は妹分の気持ちを何一つ察してなんていなかった。

「アルダン……!」

 トレーナーの悔しげな声が聞こえる。私の惨めなすすり泣きがそれに被さって、無力感がいっそう広がっていく。白く染まり行く視界の中に、源蔵氏の高笑いが映り込んだ。

 結局は彼の計画通り。おばあ様の妙手空しく、私はメジロ家に戻されて望まぬ結婚をさせられる。いやそれ以前に、トレーナーがこのまま無事で済むとも思えない。法に触れる寸前のことを散々やってきた男だ。今更一人の口封じ程度、何をためらうことがあろう?

「嫌……嫌です、ああ……こんなことって」

 祈るように合わせた両手。けれど奇跡なんて起きるはずも無く。私にできる事と言えば、ブライトが一着を取るその時を待つばかり。いっそ全てを放り出そうと目を瞑ろうと……したが。

「やっぱり……嫌」

 ――できなかった。なぜなら気付いてしまったから、最後に残った、その可能性に。

 私はとりあえず三階の窓から脱出し、甲板に着地した。目指すのはもちろんトレーナーの元、いまだに男達に押さえ込まれている彼へと駆け寄る。

「すみません、退いてください。話をしたいだけです」

 いかにも職務に忠実な彼らだったが、意外にもここは素直に横に下がってくれる。あるいは単純に何も出来はしまいと高をくくっているのか。実際もう後少しも経てばブライトはゴールし、私の未来は決まる。

「トレーナーさん、時間がありません。どうか良く聞いてください」

 彼は神妙な顔で頷く。その頬にはいくつもの生傷が目立ち、垂れた血が床に滴った。途方も無い罪悪感。私のためにここまで傷ついた彼に、今から最低最悪のお願いをしようとしている。

「トレーナーさん……。あなたの……あなたの全てを私にください」

「えっ……?」

「見ました、あなたの預金通帳。以前、見せてくれましたよね……。だから知っているのです。432万5千746円。あなたが五年以上トレセン学園に勤め、これまで稼ぎ溜めてきた貯蓄。……そのうちから400万円を拝借させていただけませんか」

 トレーナーの表情は目まぐるしく変わる。驚き、怒り、失望、呆れ……もはや私からその内面を察することは不可能だ。

「もちろん返します。必ずやお返しします、何をしてでも……。そして今後人生の一切をあなたに捧げると誓います。髪の一本から足の爪の先に至るまで、全てあなたに隷属すると宣言します。……ですからどうか、この勝負に打ち勝つための400万円を私に託してください」

 喋っている間に、舌はだんだんと麻痺していった。最後には口を動かしているのが本当に自分かすら不確かになった。上り詰めた罪悪感は背徳を通り越し、最終的には虚無と果てた。

「もう私はこうするしかありません。不快に思うならいくらでも罵ってもらって構いません。私はどうしてもどうしてもあなたが欲しい。あなたを私のものにしたい……! あなたのものになりたいのです! お願いします、トレーナーさん」

 トレーナーは口を開きはしなかった。ただゆっくりと、首を縦に振った。私にはそれだけで十分だった。

「聞いていましたよね、目黒の当主。まさか私達の送金には応じないと言うことは無いでしょう?」

 振り返った先で、源蔵氏は余裕ぶった笑みを凍り付かせた。構わず私は彼の前へ行き「早く出しなさい」と急かす。すると近くに立っていた黒スーツの女性が、持っていた鞄からそれ用と思しきノートパソコンを取りだした。女性の顔をよく見てみれば、マックイーンに放り投げられた例の彼女。元気そうで何よりだ。

「き、気は確かか……!?」

 遅れてやってきたトレーナーが、素早くパソコンを操作して必要事項を入力していく。名義、口座番号、そして振込金額……。\4,000,000というとんでもない額が画面に打ち込まれるのを横目に見て、自分の血の気が今更引くのがはっきり分かった。中央トレーナーの年収は安くは無いが、世間一般で言う富豪ほどでは決してない。この貯金は将来を見据え、彼が心血注いで溜めてきたもののはずだ。

「分かっているのか……!? 船を降りてもびた一文返してやるものか、後から取り消してくれとせがんだって無駄だぞ!」

「納得したならさっさと退いたらどうだ」

 勝負の行く末を考えるなら、間違いなく源蔵氏はトレーナーの操作を止めるべきだった。だがこの男にはその勇気が無かった。目の前で自分の口座に振り込まれようとしている400万円を、自ら投げ捨てるという覚悟に欠けていた。

「必ず勝ちます!」

 トレーナーと源蔵氏、二人の間を突き抜けて私は甲板から飛び立った。コンクリートの地面に転がり着地し、その先にある灯台を睨む。ブライトはまだ着いていない、ゆらゆらと虚ろな足取りであと半分ほどの距離を進んでいる。その姿を見てどこか安心した。――やはり彼女はこういう騙し討ちには向いていない。おおかた勝ちを確信した途端、卑怯な手を使った後悔で走れなくなってしまったのだろう。

「ブライト! あなたの覚悟はその程度ですか!?」

 彼女の背を追って走り出しながら叫んだ。直前まで気付かせない方が良いのは間違いなかったが、言わずにはいられなかった。

「私はどのような手を使ってでも勝つ! 私の今までと……トレーナーさんのこれからを砕いてでも!」

 横から抜いた刹那、ブライトの驚愕の表情が見えた。そのすぐ後に、ようやく本気で走り出した彼女の足音が続く。だがもう遅い、この超短距離では、彼女の特性はまるで発揮されない。加速は間に合うはずも無く、私の手が灯台に触れる方が早かった。

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