愛の逃避行 長距離、重バ場(メジロアルダン)   作:激辛党

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彼方に目指す永遠の国

「ふざけるな!」

 港中にこだますような大声がした。

「こんな結果が認められるものか! なにがメジロバトルだ、バカバカしい! こんなものには何の法的根拠も無い!」

 甲板の縁で両手を振り上げる源蔵氏。彼の狂乱に呼応して、船内に留まっていたらしい部下がぞくぞくと現れる。

「何を使ってもいい! とっととあの小娘を捕らえろ! そうだ……! 人質を」

 自分のすぐ傍にいるトレーナーの存在に、そこでやっと思い至ったらしい。捕まえようと腕を伸ばしたが、屈強な部下達ならいざ知れず、ただの金の亡者が日々ウマ娘と共に励むトレーナーに敵うはずも無かった。

「じゃあな!」

 トレーナーは軽く源蔵氏の腕を弾くと、私と同様にコンクリートの地面へ身を躍らせた。ただし受け身までは上手くいかず、やや態勢を崩してしまう。

「トレーナーさん! 今行きます!」

 私は灯台から取って返し、彼へと向かって全力で走った。敗北を喫し、その場にうずくまったブライト……傍を取り抜ける瞬間、彼女が私に向かって手を伸ばしてくる。

「お姉さま……これを」

 彼女の指先に握られていたのは、卵ほどのサイズの小物。反射的に受け取って見てみれば、それは源蔵氏から貰ったあのロケットペンダントだった。学園の倉庫に置いてきたはずだが……。マックイーンが回収していたようだ。

「地下に入ったらすぐに捨ててください! 出る際はボタンで――」

 途中までしか聞き取れなかったが、意図はすぐさま理解できた。発信機が仕込まれていようが、マンホールの開扉ができればそれで十分だ。地下に潜りさえすれば、人の脚ではどうやってもウマ娘にはどうやっても追いつけない。

「ありがとうございます、ブライト! あなたも無事で!」

 トレーナーを拾い上げつつそう言って見送った。数秒振り返った視界の中で、いつもと同じのんびりした彼女の笑顔が見えた……気がした。

「追え! 逃がすな!」

 かたや、離れ行くフェリーは騒がしくなる一方だ。エンジンの駆動音が轟いたと思ったら、数台のバイクが港内にある倉庫の影から飛び出してくる。逃走を警戒して、あらかじめ配備していたらしい。何とも用心深いことだ。

「アルダン、どうする!?」

「浜辺のマンホールに向かいます! 砂地ならバイクだって上手く走れないはず」

 回り込もうとしてくるバイクの群れを掻い潜って、港から浜の方へと出る。しかし振り切るどころか、追手の数は増していくばかり。かなりの数の部下をこの地に結集させていたらしい。だがそれは裏を返せば、他の区画には人員をあまり配置していないということ。この窮地を脱することができたなら、目黒の手から完全に逃れられるかもしれない。

 波打ち際にまで迫るとさすがにバイクは追って来なくなった。代わりにオフロードタイヤを装備した車が迫ってくる。視界もほとんど無い夜中だというのによくやるものだ。上司である源蔵氏に、私を捕らえなければクビだとでも脅されているのだろうか。

 地下道に潜るマンホールがあるのは浜辺の入り口付近。しかし車にぴったりと横につけられて、そちら側へ抜けることができない。直進する他ない私達へ、じりじりと車は幅寄せしてくる。

「こいつら命知らずか? 海に突っ込むのが怖くないのかよ」

 トレーナーのぼやきは、しかしどこか余裕を持った響きだった。それもそのはず、だって彼を抱いて走っているのは私なのだから。三年間一緒に駆け抜けた誰よりも深い絆、そしてついに同じ借金を背負って身も心もまさしく一心同体になった。恐れるものなんてこの世にもはや存在しない。

「そうですね……とんでもない不心得者達です!」

 こんなピンチで笑うなんて、きっと以前の自分では考えられなかった。でも可笑しくて可笑しくてたまらない。打ち寄せる小波を撥ね、ダートより重たい砂を弾き飛ばして加速する。見上げた都会の夜空にはさん然と輝く一等星。人生最悪の出来事が重なりに重なった今日なのに、気分はまるでおとぎ話のクライマックス。それこそ戦車が乗り込んで来たって、負ける気なんて全くしない。

「トレーナーさん、ちょっとだけ我慢してください」

 さらに間合いを詰めてくる車の運転手は思い違いをしている。彼らが相手取っているのは鈍重な四輪車でもなんでもなくて、身軽で強靭なウマ娘――それも過去に重賞を取った、歴戦の強者。

 深く身を屈めてバネを溜め、それを一気に解放。間近に迫った車のルーフに飛び乗った。がんっ、という鈍い音がして二人分の体重を受け取った車体が大きくへこんだ。……失礼な、私もトレーナーもそこまで重くないはずだ。

「おわっひゅう!」

 トレーナーの奇声を耳に受けつつ、再度跳躍。今度は向かい側の砂地へと着地する。相対速度の差で多少の衝撃を受けることになったが、砂の柔らかさが幸いした。若干減速しつつも立て直す。

 一方、車体上部からの激突という未知の事故に見舞われた運転手の焦燥はひとしおだった。ハンドル操作は目に見えて荒れ、最後にはトレーナーも危惧した波の最中へと自ら突っ込んでいった。クラッシュ音こそ起きなかったが、あれではもう二度と車検は通らないだろう。

「やったな、アルダン!」

「ええ、私の手に――脚にかかればこんなものです!」

 気楽に応えながら周りを見渡せば、海沿いの公道に何台ものバイクと車が連なっているのが見えた。砂浜にまで突入してきたのは今の一台だけのようだったが、それも時間の問題だろう。早く地下道へと向かわなければ。

 私はいっそう強く砂をかきあげ、記憶の中にあるマンホールを求めて走った。昨日も含めればあそこに向かうのは三回目、僅かも迷うことなく、ついに丸いそれへと辿り着く。胸にかけたロケットペンダントを操作すると、歯車が回って瞬時に蓋がスライドした。遠隔操作で機能を妨害される危険性も考えられなくはなかったが、そこまでの細工はできなかったようだ。

「トレーナーさん! 先に!」

「分かった!」

 彼を先に潜らせて、続けて私。地下に身体がすっぽり入ると同時に、閉扉させた。これで多少は時間を稼げるだろう。

蓋が閉じ切ったのを確認してから、私はロケットを力いっぱい下へと放り捨てた。それは金色の軌跡を描いて、真っ直ぐ穴底へと落ちて行った。遅れて聞こえてくる破砕音。胸がじくりと痛んだ。発信機の存在や作り手の悪意はともかくとして、あのロケット自体は良い装飾品だった。仕方が無い事と分かっていても、残念極まりない。

「行こう、アルダン」

 トレーナーが私を促す。もうその事を考えるのは止めて、手足を動かすのに集中した。

 

―――――――

 

 オレンジ色の光が降り注ぐ地下道はもはや見慣れた光景となった。固いアスファルトに脚が着くと、どこか安堵感すら覚えてしまう。なにせここには車もバイクも容易には持ち込めない。

 ただし、懸念すべきは地上側で先回りされる危険性だ。侵入口はここ以外にも当然あるのだから、そこまで自動車で移動し、待ち伏せすることは十分可能である。――私達の行く先が予見できればの話だが。

「アルダン、学園方面には向かわない方がいい」

「分かっています。……メジロのお屋敷の方もダメでしょう。ひとまず市街地から離れる方角に向かいます」

 地下道内を持久用のペースでひた走る。前方にいくつか迎える分岐を、地名を参考にして街の中心部を離れるように曲がっていく。その間、警戒していた目黒の追手は一向に現れなかった。やはり私の見立て通り、港に戦力を集中させ過ぎたようだ。

三つ目の案内表示を通り過ぎたところで、改めてこの地下道の広大さに感動を覚えた。主要施設に限らず、この街の全域をカバーするほどの複雑さだ。出入口のマンホールへと繋がる足場も無数に見かけた。中には目黒に発見される確率のごく低い、林の奥深くに出られるようなものもあっただろう。

 だが、私は脚を止めることなくトレーナーを抱いたままトンネルを走り続けた。待ち伏せこそされてはいなかったが、源蔵氏の執念深さを考えると安易な手は取れなかった。よしんば見つからず地上に出たところで、そこでずっと隠れ続けられるわけもない。必然的に移動や休憩もすることになるだろう。その間に追手に嗅ぎ付けられれば一巻の終わりだ。なぜなら、もう地下道に身を潜めることはできないのだから。

 地下道に入れる唯一の切符、ロケットペンダントは既に壊した。つまりこれは一度きりのチャンス。出来る限り遠くまで、体力の保つ限り走り続ける。どれだけの距離を稼げるかに、私とトレーナーの未来が掛かっている。

 速度をレース単位からはかなり落とし、自転車を漕ぐ程度で緩く走っていく。静寂のトンネル内に延々とこだまする、足音と二人分の呼吸音。時間の感覚もとっくに失せて、世界にはまるきり私と彼しかいないよう。

「なぁアルダン……。応えなくていいから、少し話を聞いてくれないか。この地下道についてなんだが」

 私が頷き返すと、トレーナーは軽く咳払いして話し始めた。

「単身であのフェリーに乗り込んで、あえなく俺は目黒源蔵に捕まった。ただ、その間に奴はぺらぺらと自分語りをしだしてな。それとなく誘導して、この地下道計画について探ってみたんだ――」

 トレーナーが聞いたところによると、やはりこの地下道はウマ娘を主軸に据えた設備では無いらしい。むしろメインは人間の方、それも政治界の重要人物に対して、強力に売り込みを行っていたようだ。

島で私と対談を行った際もぽろりと零していたが、あちらの方が本音だったということか。

「しかし当然のことながら、ただ街に地下道があるだけでは押しが弱い。いくら安全とはいっても、一都市の中を行き来できるだけじゃ活用方法にも限りがある。そこで源蔵氏が考えた……というか初めから計画に盛り込んでいたのが――あれだ」

 その先はもう言わずとも分かった。街の中心からごく離れた箇所。数多の分岐の行き着く先に、その空間は口を開けていた。

 せいぜい高さ3m、横にしても同じほどしか無かった地下道からうって変わって、数倍にも及ぶ広大さ。具体的に例えるなら、ちょうど列車の通るトンネルほど。天井部には申し訳程度の非常灯がいくつか点いているものの、全域を照らすには光量が全く足りておらず、辺りはどこまでも薄暗い。そんな道筋が果てしなく延々と続いている。

「都市間を繋ぐ地下トンネルと、その区間を高速で移動するリニアモーターカー。そんな夢みたいな計画が大真面目に立案されて、ここで実行に移されていた。完成した暁には、今の公共交通機関など目じゃないくらいの収入を見込んでいたんだと。まぁ実際には中途で工事はストップし、こうして放置されているわけだが」

 とん挫した原因はスポンサーの経営不振や、国規模での経済成長の鈍化などなど、多岐に渡る。だが一番の要因は、目黒がURAを始めとするウマ娘関連団体と提携を申し出たことだろう。

素直に新時代の交通手段としてプロデュースすれば良かったものを、無駄にウマ娘のセキュリティなど持ち出したせいで、かえってうさん臭さが増す結果になったわけだ。

 ゆくゆくはリニアのレールが敷かれる予定だったはずの道へと移り、なおも走る。視界こそ一気に悪くなったものの、道幅が広まった分で相殺されている。むしろ四方の壁や天井へ向かう意識が薄れるお陰で、こちらの方が走りやすい。

「なぜ目黒源蔵氏はメジロにあれほどこだわったのでしょう?」

呼吸が乱れるのも忘れて、私はトレーナーに尋ねた。

「私達など放っておいて、勝手に開発を進めれば良かったのです。そうすれば両者共に幸せでいられたはずなのに」

「さぁ……。奴は自分の内面まで打ち明けようとはしなかった。俺もそこまで聞こうとは思わなかったし。ただ一つ分かったのは、例のメジロ養成施設……。あれがやっぱり一枚噛んでたよ。いずれは駅として利用する予定だったらしい。施設は土地を確保するための、いわばダミーということだな」

 源蔵氏は徹頭徹尾、メジロを騙していいように使う気しか無かった。婚姻にしてもどこまで本気だったか分からない。名家としての地位を存分に吸収出来れば、用済みになった私などあっさり放り出したに違いない。

 私がそういった趣旨のことを呟くと、トレーナーは「いやどうかな」と意外にも否定した。

「あの男……。ああ見えて純真なところもあったような気がする。俺が言うのもなんだけど、割と真面目に君に入れ込んでたんじゃないのかな? じゃなかったら、あんなに必死に追ってくること無いだろ。もしかしたら奴の企ては全て、君を手に入れるという一つの目的に基づいたものだったかもしれない。……まぁしょせんは推測だけどさ」

「それは……」

 目黒の島で迎えたあの夜。ロケットペンダントを取り出した源蔵氏の表情がふと脳裏に過った。今にして振り返ってみれば……あれは確かに欲望に塗れたものだったかもしれない。

 そう思ったら、ほんの少しだけ同情心――というより共感が湧いた。欲しいものを手に入いれるために方法を選ばない。そういう意味においては、私と源蔵氏は同種の存在だったことになる。

「アルダン? どうして急に笑うんだ?」

 彼の不思議そうな声が聞こえて、やっと自分が笑い声を上げている事に気が付いた。

「ごめんなさい、ついおかしくなって」

 でも決定的に異なる点が一つ。それはお互いを想いあう気持ちの有無。

 私とトレーナーとの間にある信頼は硝子玉のように一片の曇りもなく、しかし何があっても欠けはしない。それでいて相手を傷つけ、しまいには砕く覚悟も持っている。

 脆い私の脚を知ってなお、三年間に渡って指導し続けたトレーナー。

 彼の努力の結晶である給与の大半を、一瞬にして無に帰した私。

 並べて論ずるべき内容ではないかもしれないが、方向性としては等しいと私は思う……思いたい。この極致に至ってやっと、私は彼と真の意味で結ばれたのだ。

「トレーナーさん……このトンネルの終着点はいったいどこでしょうね」

「どこだろうな。地下整備がどの段階まで進んでいるか、あの男は言わなかった」

「ならそうですね……。きっと地の果てまで続いています。貪欲に夢を追い求めた彼ですから。誰も知らない、行ったことの無い地に繋がっているかもしれません」

 するとトレーナーは「そうだといいな」と愉快げに頷いてくれた。そんな訳無いと互いに分かり切っているけれど、それで分かり合えた気がして二人して笑った。

「そこには誰も見たことの無い花がたくさん咲いていて、どんな研究者も知らない宝石がたくさんあるのです。見渡す山々にはどれ一つとして名前がついておらず、その美しい展望はいまだ一人も目にしていない。それはつまり、私とあなただけの世界。ずっと走り続けたご褒美なのですから、それくらい貰ってもいいでしょう」

「ああ、違いない」

 浜辺のマンホールから降りて、これで計何十分走っただろう。いや、朝方から通算すれば途轍もない距離を私は移動している。途中、職員寮で休みはしたが、それでも身体は限界をとっくに通り越えていた。もし普通の精神状態だったなら、今この瞬間にでも地面に倒れ伏すことだろう。だが幸運なことに、私はそんな気分では全く無かった。

「そこで私とあなたはずっとずうっと一緒に暮らすのです。そう……永遠に。時間なんて要らない、そのような尺度の話ではなく。いずれ身体が朽ちたって、この心はあなたの元にあり……あなたの心もまた、私の内にあるのですから」

 腕の中のトレーナーはいつしか全く喋らなくなっていた。気になって視線を落としたら、彼はすやすやと寝息を立てて眠っていた。少しだけムッとしたけれど、すぐに苛立ちは失せて、その何倍もの多幸感に襲われた。

 どうか安らかに。約束の地にはもうすぐ着くことでしょう。

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