愛の逃避行 長距離、重バ場(メジロアルダン)   作:激辛党

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アクロバティックご挨拶(不法)

 衝撃の晩餐会から明けて、翌日の早朝。私は皆にばれないようこっそりとお屋敷を出た。向かう先はトレセン学園。ただしここからは結構な距離があるため、どうしても車は使う必要がある。私は執事の一人を呼んで、彼にリムジンを運転してくれないかと、一か八かで頼んでみた。

 あんな話を聞かされた後とあっては、どうなるかと不安要素も大きかったのだがそこはプロ。「契約の満了までは無論働かせていただきます」ときっぱりで、慇懃に折る腰の角度もいつもと全く変わらない。満了を迎えたところで、契約分の給料が支払えるかは大変申し訳ないことに不透明なのだが……。本人が職務と言い切るなら、変に気遣うのも失礼だろう。

 黙々とハンドルをたぐる彼の背広を眺めながら、それでも覚える罪悪感を無理やり飲み下す。なにぶんこちらは急がなければならない身、利用できるものはこの際何でも使おう。

徐々に白みゆく秋の朝焼けを仰ぎつつ、車両に揺られることしばらく。見慣れた学園正面ゲートが見えたところで、路肩にリムジンを停めてもらう。

「よろしかったのですか? 校舎前までご案内いたしますが……」

「良いのです。少し散歩して……なんと言いましょうか、調子を整えておきたい気分なので」

「さようでございますか」

 執事はそれ以上聞いてこようとせず、一歩下がって見送りの態勢をとった。そのまま歩き去ろうとした私だったが、ふとあることに思い至った。振り返って彼に訊いてみる。

「その……ついでに一つ、お願いしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか」

「もちろんです、何でもお申し付けください」

「では――」

 私がそのお願いを口にすると、執事は「はっ?」と思い切り眉を寄せた。それまでのきめ細やかな振る舞いが台無しの仕草に、私は思わず吹き出しかける。何とか堪えて、もう一度念押ししておいた。

「他のメジロの子がもしも学園に来たら、決して私の後を追わせないようにしてください。足止めしろとは言いません。とにかく行先だけは特定されないように、適当に誤魔化していただければ」

「は、はぁ……」

 彼の表情から、『なぜ』という疑問が喉元まで出かかっているのが良く分かる。しかし説明している猶予は無い。私は今度こそ踵を返すと、正面ゲートへ向かった。敷地中央に高くそびえ立つ学園校舎――に至る道から右に逸れて、私が目指すはの寮。もちろんそれは栗東寮でも美浦寮でもなく、学園に勤務する人が住んでいる職員寮。教員や事務員、さらに一部のトレーナーもそこで生活している。

 一般的に見て、高給取りな中央トレーナーが、狭苦しい職員寮に住む理由は実のところあまり無い。学園一帯の地域は確かに都市部から離れてはいるが、広々としたワンルームマンションくらいは探せばいくらでもある。その上で駅が近かったり、展望が良かったりだとかいった好条件の物件も選りすぐれる。実際、学園トレーナーの九割方がそうしていたはずだ。

 ――にもかかわらず、私のトレーナーは学園寮で暮らしている。六畳しかない一室にぎゅうぎゅうと家具を押し込んで、壁いっぱいにレースデータや練習記録を貼り付ける。以前、少々無理を言って押しかけたことがあるから知っている。

 その時に見た赤、黄色、白……色鮮やかな彼の空間は今でも目を閉じれば克明に思い出せるくらい印象的で、大切な私の一部だ。あれは昨年のクリスマスの後だったから、一年近くが経つことになる。彼の部屋に訪れるのはあれが初めてで、これが二度目……そして最後だ。

 

 職員寮が見えてきたので、私は歩調を緩めた。一歩一歩踏みしめるようにして道を進む。肺に吸い込む朝方の冷たい空気。今をたっぷり味わって、この一瞬、この刹那の感傷を脳の海馬に焼き付ける。全身の肌が粟立っているのが自分でもはっきり感じ取れた。あの執事には平然とした顔で学園に行くと告げたけれど、本当はそんな訳がない。怖いに決まってる……が、もう自分で覚悟したことだ。

 ちなみに職員寮は当然ながら生徒の出入りは硬く禁止されている。そのため私はいったん裏手へ回ると、軽く助走をつけてから跳んだ。建物の構造上、開放されている二階のベランダを足掛かりにして、さらに三階、四階へと連続ジャンプ。

 そこまで上がると続けて横っ飛びに跳ね、非常階段の踊り場に到着する。別に二階の時点で階段に降り立っても良かったのだが、時間短縮するに越した事はない。万が一、他の職員に見つかっても面倒だ。

 軽く埃を払った後、四階非常口の扉に手を掛けてみると、なぜか開かない。どうやら避難時にのみ電子ロックが解放される仕組みになっているようだ。前回来た時はトレーナーの案内もあって、このような泥棒じみた侵入経路は取らなかったため無警戒だった。よくよく考えれば、ウマ娘の常駐する施設ならこれくらいのセキュリティで当然である。

 ノブに手を掛けたまま、どうすべきかしばらく思案した。一番いいのは無論、トレーナーに電話なり、メッセージなりで要件を伝える事。だがそれには少々のリスクが伴う。恐らく今頃、お屋敷の方では『アルダンがいない』と多少の騒ぎになっているはず。

 万が一、トレーナーにその連絡がいっていれば、私が電話した時点で彼女達に嗅ぎ付けられることになる。……それは不味い。

 一度深呼吸をして、先ほど飛び移ってきたベランダ方面に身体を寄せた。トレーナーの部屋は……非常口のある側の角から数えて三つ目。大丈夫、やれる。反対側の角にまで行くならともかく、二部屋分を飛ぶだけなら絶対にばれない。

「はっ!」

 裂ぱくの気合で蹴りだすコンクリート。気分は出走のゲートから飛び立つあの瞬間だ。二つの部屋を高速で横切って、目当てのベランダの内へと飛び込む。着地と同時に膝と足首をしなやかに曲げて衝撃を吸収。しかしそれにも限界はあって、どすんと普通は聞き逃さない程度の物音が鳴った。

 思わずそのままの姿勢で固まる。幸いなことに、十秒ほど経っても反応は無い。ふっと息を吐きだしてから、忍び足で部屋の窓に近づいた。この内側にはもちろんトレーナーがいる……わけだけれど。

「……さて、どう説明いたしましょうか」

 いきなり話しかけたら驚かせてしまうに違いない。なにせ今の私はまるきり不法侵入者だ。最悪通報されたっておかしくない。何よりトレーナーにこんなはしたないところを見られたくない……。そもそも本当の計画では玄関から堂々とチャイムを鳴らして訪問する予定だったのだ。こんなアクロバティックな進入を試みるつもりなんて毛頭なかった、誓って! だが現実は非情だ、もう取返しはつかない。したがって私は彼に身の潔白を釈明する必要がある。

 近くの木立から小鳥のさえずる声がふと耳に入って、我に返った。腕時計を見てみると、ベランダに降り立ってからなんと十分も経っている。それだけぼうっとしていた私も私だが、気付かない彼もよっぽどだ。……というか、もしかしてまだ起きてない?

 おっかなびっくり張り付くほど窓に接近してみる。カーテンの閉め切られた向こう側は見通せないが、少なくとも人の動きは感じられない。ほっとするのと一緒に不安を覚えた。彼が目覚めない限り、私はベランダで立ち往生だ。無論、踊り場に跳んで戻ること自体は可能だが、それでは当初の目的が達成できない。つまり、何としても彼には窓を開けてもらわねばならない。

 ぐっすりと眠っている彼を、私の手前勝手な理由で起こして良いだろうか? とりわけ今の時期は期待のG1レースが目白通しで、トレーナー業は輪をかけて忙しい。おそらく彼にしても、休める時は一分一秒でも長く休んでいたいはず。病弱で伏せがちの身ながらも、その合間を縫って鍛錬を重ねてきた私だからこそ理解できる。トレーナーの休息を中断させるなんて有り得ない。

「では私はどうするべきなのでしょう……?」

 ガラスにぺったり密着したまま、思考の袋小路にさ迷う私。ああでもないこうでもないと考えていたところ、窓のクレセント錠にふと目がいった。どこか違和感のあるような……数秒遅れてその正体に気付いた。思わず独り言が零れ出る。

「トレーナーさん……! 鍵が開いたままですよ……! 不用心です……!」

 しっかり者で有名な彼がどうして? と思ってベランダを見渡して、その理由に察しがついた。鉢植えに入れられた観葉植物が何輪か隅に置いてある。あれらの世話を普段からしているため、きっと鍵をかけ忘れるのだろう。あまりに微笑まし過ぎて、口元がついほころんでしまう。

 可憐な花々の色を少々楽しんだ後、私はかぶりを振って部屋に意識を戻した。それはさておきこれは絶好のチャンスだ。努めて慎重に、じわじわと窓ガラスに横向きの力を加えていく。私の手の動きに応じて、何ら抵抗なくそれはスライドしていき、すぐにも部屋への経路は開いた。「お邪魔します……」一応、なるたけ小さく呟いてから靴を脱いで中に上がった。

 その途端、あれだけ我慢しようと思っていたのにやっぱり声を出しそうになって、慌てて両手で抑え込んだ。部屋のベッドで布団にくるまって寝ているトレーナー。

その横顔がいきなり飛び込んで来たから。意味不明に心臓がどきどきと盛大に高鳴って、ある種の恐怖すら湧いた。緊張のあまりここで貧血でも起こしたら、それこそ洒落にならない。必死に呼吸を整えて、彼の寝顔から無理やり視線を外す。

……ダメだ、これが最後だと思ったら、感情が次から次へと溢れ出して止まらなくなる。ともかく今は目的を達成する事に集中しよう。

 彼の匂いが立ち込める部屋の中を、抜き足差し足のつま先立ちで、ゆっくりと玄関へ向けて移動していく。そう……ベランダで十分以上かけて編み出した私の答えは極めて単純なもの。部屋の中を通り抜けて玄関から廊下へと出る。

 後はトレーナーさんが起き出すのを待って、外からインターフォンを鳴らせばいい。これなら不法侵入にはならないし、トレーナーさんの眠りを邪魔する事も無い。まさしく完璧な計画だ。問題点と言えば窓の鍵くらいだったが、図らずしてそれも解決された。

 綺麗に整頓された部屋の中を進み、私は首尾よく玄関口に辿り着く。幸運なことに扉の鍵はオートロック、妙な細工を仕掛ける必要も無さそうだ。さっそくノブに手を掛けたその瞬間、出し抜けにぴんぽんという甲高い音が鳴り響いた。

 

 インターフォンの音……! 

 反射的に部屋へと戻る。真っ先に確認するのはベッドの上のトレーナー。彼は依然として布団にくるまっていて「うむぅ」とぼやきながら寝返りを打つ。何の奇跡か、まだ彼は夢の中らしい。『自前の目覚ましじゃないとトレーナーは起きない』という噂は本当だったのか。

 安堵したのもつかの間、再びインターフォンが鳴らされる。顔をしかめるトレーナー。まずい、早く止めないと……と思った私はとっさに室内機の通話ボタンを押した。すると当然のことながら、そこから扉前にいる人物の声が流れ始める。

「おはようございます~。あの~トレーナーさん? ただいまお時間よろしいでしょうか~?」

 物凄く聞き覚えのあるおっとりした声。私はできる限り通話口に顔を近づけたうえで小さく返す。

「いえ、トレーナーさんは今、眠ってらっしゃいます。ご用件でしたら、後でお願いできますでしょうか」

「あららぁ……そうでしたか。お休みのところをお邪魔して申し訳ありません。しばらくしてから、また来ますね~」

 ブライトがぺこりとお辞儀する姿が目に浮かぶようだ。しかしその後、数十秒ほどして、再びインターフォンが鳴る。これまた即座に通話ボタンを押した。

「あのぉ……トレーナーさん、よろしいでしょうか~」

「どうされましたか? まだ全く時間は経っていませんが……あなたにしてはお早いですね」

「ごめんなさい。でもそのぉ~。私の声を聞いている方がいらっしゃるのでしたら、その方に伝言を頼めば良いかなぁと考えまして~。お願いしてもよろしいですか?」

「私でよければ構いませんよ」

「ありがとうございます~。えっと私、メジロアルダンお姉さまを探しているのです。もしかしたらなのですが、トレーナーさんのところにいらしてるのではないかと思いまして。そのことをトレーナーさんが起きましたら、お伝えしていただけますか~?」

「はい、分かりました。メジロアルダンを探している……と伝えればいいのですね」

「その通りです~。ありがとうございます。あ、そう言えば」

「まだ何か?」

「ご親切なお方、あなたのお名前を聞いていませんでした~。わたくし、メジロブライトと申します。あなたはどちらの方でしょうか?」

「……名乗るほどの者ではありません。トレーナーさんのご学友のようなものです」

「そうですか~。では、失礼いたしま……ほわぁ……?」

 ブライトの声が途中で止まった。……さすがに無理があったかもしれない。通話口を前にしたまま私が固まっていると、ブライトのほわほわした声が再開する。

「なんだか聞き覚えのある声のような気もするのですが~。もしかしてですが、以前わたくしとお話したことがあったりしませんか?」

「いえ、記憶にありませんね。あなたの勘違いでは?」

「ですが先ほど、あなたにしてはお早いですね~などと仰られていたような?」

 ……しまった、これでは身内とバレて当然だ。

私が何も答えられないでいると、いきなりブライトが口に手を当てて笑い出した。

「ごめんなさい~。ちょっとした冗談です。今、話してるのがアルダン姉さまだったら大変愉快だな~なんて思ってしまいまして。そんな訳ありませんよね~」

「え……えぇ」

 最後にぺこりとお辞儀をして、ブライトの姿はモニターから消えた。のんびりした子だとは思っていたが、よもやここまでとは……。それともこれは演技で、私を引っ掛けようとしているのか? ともかく、猶予はもはや一分たりとも残っていないとみるべきだ。いざ通話口から離れようとしたところ。

「アルダンさん! 中にいるんですよね!?」

 がんがんと扉を叩く音とともに、聞こえてくるドーベルの声。やはり間に合わなかったか。

「ドーベル~、落ち着いてください。ここにいるのはトレーナーさんのご友人です。アルダン姉さまではありません」

「んなわけないでしょうが! 冷静に考えてよ!」

 どっちが冷静なのかよく分からないが、発言的にはドーベルの方が正しい。しばらく迷った後、私は扉向こうの彼女に話しかけてみることにした。

「ドーベル、とりあえず静かにしてくださいませんか。ご近所迷惑です」

「ほらやっぱりアルダンさんの声! ブライトったらしっかりしてよ」

「え~? おかしいですわね? 姉さまですかとお聞きしたら、違いますとおっしゃいましたのに」

「あのね……。今がどれほど危機的状況か分かって……あぁもういいや。とにかくアルダンさん! お話があります!」

 静かになりそうもないので、仕方なくすると扉を開けた。すると即座にドーベルとブライトは部屋へとなだれ込んでくる。狭いくつ脱ぎの空間は、私と彼女達でぎゅうぎゅうになった。

「やっと会えましたねアルダンさん。どこに行くにしても、一言くらい書置きとかしてもらえません? すごくびっくりしたんですから」

 昨夜は怒涛の展開で呆然自失だったドーベルだったが、今は完全におかんむりらしい。真っ赤に上気した頬からして、この部屋まで全力疾走してきたのだろう。執事をゲート前でわざわざ待機させたことは、ほぼ何の効果も無かったようだ。

「その点については謝ります。ですが、どうしてもトレーナーさんと二人きりになりたかったのです。分かってはくれませんか?」

誠心誠意、頭を下げるとドーベルは大きくため息を吐いた。

「それならそうとちゃんと言ってくれれば……。アルダンさんがどういう気持ちかは、あたし達だって良く分かってます」

「ではどうして追ってきたのです?」

 放っておいてくれれば、それで良かったのに……。不思議に思って訊くと、ドーベルはなぜかにっこりと微笑んだ。

「もちろん協力するためです。……その、つまるところ今からトレーナーさんと逃げるんでしょ? ほら準備とかさ、手伝いますし。ブライトも手伝ってくれるって」

 同意を求められたブライトは「そうです~」とへにゃへにゃな顔で頷いた。

「ですから、まずはお茶などどうでしょうか? アルダン姉さま、まだ朝ご飯も食べられていなかったと聞いています。わたくし、パンを持ってきましたのよ~」

 と言いながら、やおら靴を脱いで玄関から上がろうとする。その手には山のように膨らんだバケットが。本気でこの場で朝食の準備をする気らしい。

「いけない、忘れてた。ブライト、まずはトレーナーさんに挨拶してからじゃないと」

「まぁ~そうですわね。わたくしとしましたことが。ではでは~トレーナーさま~いらっしゃいま――」

 彼を呼ぼうとしたブライトの口を、私は慌てて塞いだ。

「トレーナーさんはまだぐっすり眠っていると言ったではありませんか。無理に起こしてはいけません」

「あらら、そうでしたわ。失礼いたしました」

 それを聞いたドーベルが怪訝な顔でこちらを見つめてくる。

「え? じゃあアルダンさんはどうやって入ったんです? トレーナーさんに入れてもらったんじゃ?」

 ……その点については黙秘するしかない。まさか窓から忍び込んだなどと言えるはずも無い。しかし、その沈黙がなによりの答えになってしまったようで、徐々にドーベルの表情の険しさが増していく。

「アルダンさんまさか……! 思い余ってトレーナーの寝込みを」

「ち、違います! 断じてそのような破廉恥なことは考えておりません!」

「いや破廉恥なことって逆に何!?」

 私達が言い争っている隙をついて、ブライトがすっと部屋に上がる。彼女はベッドで寝転んだままのトレーナーに向かって、「お邪魔しております~」と蚊の鳴くような小声でぺこりと頭を下げた。

「あ、どうも」

 ひょいと上体を起こして、トレーナーがそれに応えた。

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