愛の逃避行 長距離、重バ場(メジロアルダン)   作:激辛党

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この辺りからだんだんとアルダンの様子がおかしくなっていきます。(当社比


試される覚悟

「ドーベル! ドーベル、あなた何をやっているのですか!?」

「そっ……れは! こっちの……台詞!」

 スマホのスピーカーから聞こえてきたのは、荒々しい呼吸音と掠れた彼女の声。我ながら白々しいにもほどがある……何をやっているかなど明らかだ。ヘリで逃げ出した私を追って……公道を全力疾走しているに決まっている!

「今すぐ止まってください。ヘリに追いつくなんて不可能です」

「んなのっ……分かんない……でしょ! んぐっ!」

 会話によって呼吸のペースが乱れたか、嗚咽するような苦しい吐息が耳元で響く。私はシートの中で精一杯に身を屈めて、走り続けているだろう彼女の姿を探した。しかし遥かな高みにあって、地上の景色はぼやけて遠い。どれだけ血眼になっても、見えてくるのはのどかな田園風景だけ。一方、スマホから聞こえてくる苦悶は次第に深まっていく。途端、身を焦がすような衝動に襲われた私は、とっさに口走っていた。

「降ろしてください」

「アルダン様? それでは――」

「いいから、ここで降ろしてください。会って直接話をつけます」

 源蔵氏は呆れた顔になったが、最終的には頷いてくれた。

 

 ヘリは開けた空き地の一角に着陸した。その場で待つこと数分、息を切らせたドーベルがあぜ道を通って駆けてくる。怪我などしていないか不安になったが、幸いにも無事のようだ。ただし慣れない長距離走は堪えたらしく、私の前まで来ると両膝に手をついて屈みこんだ。ぽたぽたと地面に滴り落ちる大量の汗。着替える余裕なども当然無かったのだろう、部屋に訪れた際と同じ普段着は、悲惨な状態になっていた。

 喉まで出かかった「ごめんなさい」の言葉を必死に押し殺す。ここで素直に謝ってしまったら全てが水の泡だ。……しかし、ぜぇはぁという不規則な呼吸を聞いているうちに、そういった意地は儚く瓦解した。とりあえず持っていたハンカチ類を全部出して、その滝のような汗を拭ってあげる。

「ああドーベル……。ごめんなさい、私が不甲斐無いばかりに……。水筒は持っていないのですか?」

 ふるふるとドーベルが首を振るので、私は源蔵氏の方を仰ぎ見る。彼は何とも言えない表情をした後、ヘリに戻るとシートの下からペットボトルを取り出した。おそらく非常用なのだろう、簡素なラベルのスポーツドリンクをドーベルは一気に飲み干した。

「ぶはぁ……っ! あ、ありがとうございます」

「いえ、お気になさらないでください。もう一本ありますが、いりますか?」

 軽く頭を下げてそれを受け取ろうとしたドーベルだったが、直前で腕が止まる。不思議そうにしている源蔵氏を穴が開くほど見つめた後、ぷいっと思い切りそっぽを向いた。

「手なずけようったってそうはいかないから。そんなことより――アルダンさん!」

「はい?」

 そこでやっと私はびちゃびちゃになったハンカチを絞り終えた。軽く振ってからポケットに戻そうとすると、顔を真っ赤に染めたドーベルが迫ってくる。

「今度こそ理由を聞かせてください。どうしてこんな茶番に付き合うんです。それにトレーナーさんにあんな言い方までして……。契約解除ってなんですか!」

「ドーベル……どうしても分かってはくれませんか?」

 しかしその怒りはもっともだ。同じトゥインクルシリーズを戦ってきただけに、専属契約の重さは彼女だって良く知っているはず。一心同体だったトレーナーを突き放すことは、まさしく半身を切り落とすに等しい。ドーベルの目には、今の私は嬉々として自傷に走る異常者にしか見えないだろう。

「その点については、私から補足させていただけますか」

 私が答えあぐねていると、横から源蔵氏が割って入って来た。受け取って貰えなかったペットボトル片手に、了承も待たずに喋り出す。

「メジロと目黒の両家が悲願の合流を果たすにあたって、私達の側からある条件を提示しました。『ウマ娘はその専属トレーナーを解約し、シリーズへの出走登録も取り消すこと』。アルダン様がその条件を呑んだがために、私は今日こうしてお迎えに上がったのです」

「はぁっ……!? ふざけないで! そんなのおばあ様から聞いてない!」

 いきり立っていたドーベルだったが、何も言わないでいる私を見て、ついに察しがついたようだ。興奮で赤くなっていた顔が、さぁっと面白いくらいに青ざめる。

 実際は彼女の想像通り。昨晩のメジロ全員での晩餐が終わると、私は一人おばあ様の元へ向かった。食事中は誰もが一笑に付した『目黒の当主との婚姻』。冗談でも笑えないその申し出を、私は自ら進んで受けに行った。その上で、おばあ様は過酷な条件を強いてきたが、それでも私は頷いた。

 だからこれは結局のところ、当主に決められた勝手な結納などではない。純粋に両者の合意によってのみ形成された――円満そのものの結婚だ。

「だからって……アルダンさんからレースを奪う必要があるの?」

 そう呟くドーベルに対して、源蔵氏が実にわざとらしくため息を吐く。

「私としても苦渋の選択なのですよ。ですが、こればかりは受け入れてもらわねば。アルダン様は生まれつきお身体が弱いことは、私も重々承知するところ。今後、両家の未来を背負う立場となるアルダン様が、これ以上のリスクを背負うことは看過できかねます。目黒家の当主としても……夫としてもね」

 苦虫を百匹同時に噛み潰したような顔で、ドーベルは彼の説明を聞き終えた。そして最後に「本気……?」と、私に向かって言う。

「朝から何度言ったか分かんないけど、この男もおばあ様も……アルダンだってどうかしてます。今までの全部を投げ出す気? これまでの三年間は? あたしにも聞かせてくれたじゃないですか、トレーナーさんと走った毎日のこと! 病院と学園を行き来するだけだった私が、大舞台で走れるなんて夢みたいってあんなに嬉しそうに……!」

 ぽろぽろと滴り落ちたのは、汗ではなくて大粒の涙。ついさっき呑んだ水分が、全部出ていくんじゃないかという勢いで溢れ出て止まらない。だけど無事なハンカチはもう残っていなかったので、仕方なく私はその濡れた頬を指で拭った。

「メジロのためです」

「え……?」

「メジロの名を残すためにはこれしかないのです。私一人が犠牲になるだけで、皆の夢が生き長らえるなら、喜んでこの身を捧げます。トレーナーと引き裂かれようが、レースに二度と出走できなくなろうが、下卑た男に身を弄ばれようが……そんなものはさしたる問題ではありません。個人の感傷と全体の有益、天秤は常に一方に傾くのです」

 ドーベルは何度かぱちぱちと瞬きをした。私もまたその間に流れ出た涙を何度でも拭った。最後にはついに我慢できなくなって、棒立ちになったままの彼女の身体を抱きしめた。自然と湧き上がってくる嗚咽に耐えていると、ドーベルが囁くように言った。

「しょう……ぶです」

「ドーベル?」

「勝負しましょう、アルダンさん」

 ドーベルの両手が出し抜けに跳ね上がって、物凄い力で突き飛ばされた。そのまま地面に打ち倒されそうになるも、左手をついてぎりぎりで踏みとどまる。滑った足が散らした砂利が、ざぁっと乾いた音を発した。

「あ、危ないではないですか!」

 訳も分からず抗議する私に、ドーベルがびしっと人差し指を掲げて見せる

「アルダンさんの覚悟は伝わりました。もう説得しようだなんて思いません。……頑固なのは昔からですし。……ですが、それならこっちにだって考えがあります」

「は、はい?」

 打って変わって凛とした顔つきになったドーベル。彼女はスマホを取り出すと、素早く誰かにメッセージを打ち込む。いったい誰に――なんて確かめるまでもない。朝方、一緒に寮にいながらも姿の見えないブライト、そしてトレーナー。いやもしかしたら、マックイーンにライアンにパーマー? この場にいない関係者全員に、ドーベルは呼びかけを行った。

「あたし達メジロ家の未来を懸けて、今から勝負してもらいます。嫌とは言わせません。一人だけで犠牲になろうだなんて、あたし達が許すと思ってるんですか?」

「おい待て、そんな滅茶苦茶な――」

「部外者はすっこんでて!」

 源蔵氏を一喝で黙らせると、ドーベルは私の手を引いてどこかへ連れて行こうとする。その手のひらがまだじっと汗ばんでいるのに気づいて私は慌てた。

「いけません、ドーベル。あんな闇雲に走った後で、レース勝負だなんて――」

「あたし達……そう言いましたよね」

 奇しくも彼女がそう否定するのと同じタイミングで、あぜ道の向こうから見慣れたリムジンが飛び出てくるのが見えた。繊細な車体でありながら、オフロードを凄まじい速度で駆けってくる。やがて開かれる横のウィンドウ、そこからにゅっと顔を覗かせたのは笑顔の眩しいライアンだった。

「おーい! ごめんね、遅れちゃって! ブライトの話を纏めるのに時間がかかって」

 それに元気よく手を振り返すドーベルを横目に見ながら、私は空いている手をぎゅっと握った。

 

 私以外のメジロは五人。言うまでも無く、全員ともに折り紙付きの実力者だ。まともにレースで走ったなら、一人に勝てるかも怪しいほどのメンバーが揃うことになる。果たしてそれに全勝できるか? 

――愚問だ。

 自分の問いに、自分で答えた。最大の試練――トレーナーを切り捨てるという難関は既に終えている。ならば後のことは全て消化試合に等しい。

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