「ひょっとして、あれがピエリデスセクターだわサ? 結構近いのね」
まだ12時を過ぎていないころ、目前に建物の集まりが見えた。他のロッサムやキュクロプスセクターあたりと比べると、何段階も建物は小さいし、セクター面積も小さめだ。
「だって、オアシスから一番近いセクターだからね」
どこかの富豪が所有していた、いわゆるプライベートセクターというものだ。芸術作品を保存したり、作ったりする場所だったと聞いている。
「せっかく弁当も持ってきたのに、こんなに近いんじゃ拍子抜けサ」
弁当、そんな言葉に思わず反応してしまい振り向いた。そういえば、結局何も食べられていないのだった。ひもじい思いがむしかえしてくる。
「パズル、もしかして何も知らないのか。まあ、わたしが知ってることなら話せるけど」
何か言葉を発しないと食べ物に反応した情けない人だと気づかれそうで、思っていたことを適当に口にした。
「ギャラリーに籠りっきりだったからね~。オアシス以外のことはよく知らないのサ」
芸術家らしいパズルが芸術専門のセクターのことを知らないのは驚きだ。といっても、パズルは楽しめるとは思うけれど。
「パズル、ここ凄いよ! 芸術の保存が目的とは聞いていたけれど、まさかここまで本格的だとは! 東洋から西洋と、全ての芸術学を網羅しているよ!」
ピエリデスセクターは、セクター全体が大きな博物館のようだ。時代、地域、人物と様々な区分がされたエリアごとに、書物やら代表作やらが展示されている。このセクターを管理していたのは一個人だったはずだが、ここまで深く広い見聞を持っていたとは驚きだ。
ただ、唯一残念なのが、おそらくエントロピーのせいでセクター全体が荒らされていたことだろう。大体の作品には欠けた部分があるし、書物も一部が破かれていて読めない。
といっても、わたしにとって情報がないとか、欠けているとかいったことは日常茶飯事だったわけで、それほど困ってはいない。
むしろ、昔を思い出すようで、わたしの興奮はますます増える一方だった。
「はあ、それは良かっただわサね。まあ、満足したら言ってくれサ」
わたしの興奮に反して、パズルはこの上なく退屈そうにしていた。ぼすっと雑に寝そべって、辺りをごろごろと転がっている。
「パズル……あなたも芸術家なんだし、もっと見た方が良いんじゃない。アイデアが湧いて、スランプから抜け出せるかもよ」
明らかに不満げなパズルを引っ張って奥に進むのも疲れる。そう思って、色々鼓舞してみるが、パズルの様子は変わらなかった。
「こんなもの見ても、なんも出てくるわけないサ!」
わたしの言葉をうるさく感じたのか、パズルは大声をあげて対抗する。
「どれもこれも誰かの模倣品ばかりだし、本もなんたら主義だとか型にはまったものばっかりでつまらないだわサ」
「でも、オリジナルの作品もちゃんとあるよ。ええと、これとかあれも」
わたしが近くにあった彫像を指さす。パズルは彫像を専門としているようだし、好きな物を見ればやる気もでるだろうと思ってのことだった。
「それもどっかの芸術論を元にしたやつだわサ。作った人の意志をこれっぽちも感じない、説明書通りに作ったものでしかないサ」
パズルは一通り話し終えると、今度は起き上がってその彫像に近づいた。ただし、その手には顔料が握られている。
「待った! パズル、一体何を――」
「当然、あちきの手でこれをアートにしてやるのサ!」
パズルは筆に顔料を浸し終えており、今にも作品を汚してしまうだろう。今から走っても間に合わない。
ただし、私ならだが。
「そこまでだよ、パズル。少し落ち着くことだ」
突然、わたしの傍に生き物が現れる。いや、それには骨組みしかなく、とても生き物には思えない。例えるなら、動く骨格標本だ。姿は翼竜そのものであり、それは大きく羽を羽ばたかせると素早くパズルに近づいた。
「うっきゃあ!? なんだ、なんだわサ!?」
化石竜は大きなくちばしでパズルを捕らえると、バサバサと翼を揺らして空へ飛び上がった。
「ちょ、ちょっと待つサ! せめて安全バーとか無いの!?」
もちろん化石竜にシートベルトがあるわけがなく、パズルはぶらぶらと体全体を揺らしている。しばらくすると化石竜は上昇を止めたようで、水平にセクターの奥へと進んでいく。その動作はゆっくりとしたものだったが、まるでジェットコースターの頂点にちょうど達しているときのような、どこか不穏な空気が漂っていた。
「ほら! あちき今バケツ持ってるし、落ちたりなんてしたら体中がべとべとになるって! お弁当だってぐじゅぐじゅになって――」
化石竜は首を揺らし、辺りを見まわしている。広い場所を探しているのだ。わたしはあの紙を取り出して、描かれたあった絵地図を眺める。それによると、花園という大きなエリアが存在しているらしい。幸運なことに、バツ印も花園を指しているようだ。
「うにゃーー!!」
叫び声と一緒に、七色のインクが宙にまき散らされる。インクは円を描き、皮肉にもそれはパラシュートをかたどっているように見えたのだった。
「ごめん、パズル。とっさに召喚したものだから、曖昧な命令しかできなくて……」
結局のところ、パズルが怪我することはなかった。仮にも人形であるから、素体は頑丈なのだ。ただ、服のあちこちにインクが張り付いているし、二手に分かれていた髪は解かれてしまっている。
「やり過ぎだわサ! 確かにスランプ解消には衝撃も大事だけど、フリーフォールなんかされたらアイデアもぶっ飛ぶサ!」
パズルは髪を結びなおしたり、持ち物を確認したりしながら、わたしをにらむ。
パズルが話し終えたころ、鞄から何かを取り出した。それは小柄で角が丸い箱だ。勢いよく蓋を開ける。
「やっぱり、おかずがばらばらになって――いや、案外悪くないような……」
破天荒なパズルらしく、お弁当の中身はとにかく明るくて、一つのアート作品といっても良いほどだ。ただ、先ほどの出来事で大きく揺れたからか、具材同士が混ざりあい、まず好んで食べようとは思えない見た目になっていた。
「……ってあんた、ひょっとして食べたいの? 度胸あるね~」
だけど、どんなに見た目が悪かろうと、おかずはおかずであり、食べ物だ。近頃貧しい暮らしばかりをしてきたわたしにとっては、なかなかのごちそうに見えた。弁当から目を離すことができずに、よだれすら垂らしてしまう。人形だというのに、こういった部分は人に忠実だ。
「まあ、毒見役が欲しいところだったし、分けてやってもいいサ。ただし、あちきに感謝することだよ。あちきの作品を鑑賞するならまだしも、食べるだなんてそうできることじゃ――って、手で食べるんじゃないサ!」
わたしは次から次へと口に入れていく。その様子を見て、パズルも手を付け始めた。ただし、パズルは終始苦い顔をしていたが。