ブルーリフレクション短編関連   作:やわらかな土

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ご飯を作る勇希とそれを食べる伶那の話です。
ブルリフT二次創作。


おなかすいたね

 その日の晩ご飯は炊き込みご飯で、おかずは野菜炒めと肉じゃがだった。

 炊き込みご飯は混ぜ込む具を変えれば応用が利くし、肉じゃがだってルーを変えればカレーにでもシチューにでもなる。

 野菜炒めには目についた野菜を片っ端から放り込んだけど、入れる野菜と和えるタレの組み合わせが無限にある万能オカズだ。

(食べる人数が増えたから、一度にたくさん作れる料理になっちゃうのも仕方ないよね)

 金城勇希はそう自分に言い聞かせ、みんなの食事を配膳し終えた足で、シンクに山盛りになっている調理器具の洗浄に取り掛かった。

 

「今日はすっかり詩帆に助けられちゃったね」

「詩帆さんすごかったよね! 右手に大太刀、左手に快癒の光。まさに戦いの女神ってカンジだったよ」

「よしてください……。私は自分のできることをしただけですから……」

 

 フライパンにこびりついた焦げをタワシでごしごし擦っている勇希の背後から、みんなの『異世界冒険譚』が漏れ聞こえてくる。

 

「ピンチだった私の前に颯爽と現れて、敵を一撃で倒しちゃった詩帆さん、かっこよかったなあ……」

「しかも愛央、そのまま詩帆に回復してもらってたもんね」

「そうそう! あのときの詩帆さんは強くてやさしくて……このまま抱かれてもいいって思っちゃった」

「もう、からかわないでください!」

 

 みんな異世界冒険譚に夢中だった。

 その冒険譚の登場人物にもちろん勇希は出てこない。だって冒険になんか出ていないから。

 勇希は冒険譚の英雄になれない。

 

「あ、そうだ! 前に詩帆さんが作ってくれたお魚の煮付けあったじゃん。あれまた食べたいなあ。あれからなんだかあの味が忘れられないんだよ」

「いいですよ。じゃあまた仕込んでおきます」

「やったね! 甘辛いタレの味がたまらなくクセになるんだよ〜。いつ食べられるんだろう。楽しみだなあ!」

 

 ご飯を食べながら、次のご飯の話に花を咲かせるだなんていい気なものだ。

 みんなのためにと思ってわざわざ薬缶で落として冷やしておいた麦茶なのに、みんな当たり前にごくごく飲んでる。

 きっと勇希の作ったご飯の味なんかもう誰も覚えていない。

 勇希は思わず奥歯を噛み締めた。

 フライパンを擦る手に力を込め、一生懸命洗っているから噛み締めているんだと自分に言い訳する。それに、みんなには背中を向けているんだから、勇希のそんな顔なんてきっと誰にも見られていないはずだ。

 

「あの――金城さん」

 

 そんな勇希の隣に詩帆がやってきて勇希に声を掛けた。不意のことだったから、思わず体がビクッと震えてしまう。

 

「うあっ! なんだ詩帆かあ。おどかさないでよ。で、どしたの?」

「いえ、大変そうなので、お手伝いしようかと思って」

 

 そう言いながら詩帆は隣に並んでタワシに手を伸ばした。

 テーブルを見ると、詩帆のご飯が手つかずで残っている。きっと勇希が来るまで待っていたのだ。

 

(みんなと同じようにご飯食べてればいいじゃん。あたしのことなんかほっといてさ)

 

 そんな嫌味が喉まで出かかった。

 けれどすんでのところで思いとどまった。

 実は以前にもこのたぐいの嫌味を詩帆に叩きつけたことがあったが、詩帆は返す言葉もなく悲しそうに笑うばかりだった。そのときの自己嫌悪の苦味は忘れることができない。

 結局のところ、詩帆はいい奴なのだ。

 その事実が、勇希の心をいっそうささくれ立たせてしまうのだった。

 

 

 

 雫世界にまだ人が少なかった頃は勇希も異世界冒険に参加していた。

 はじまりの頃は猫の手も借りたいほどやることが山積みだったからだ。

 けれど、それも学校が人の住める拠点へと作り変わるまでの間だけだった。

 学校が暮らしの拠点となると、次の課題は生活だった。学校で暮らす人数も増え、自然と役割分担ができていく。勇希は変身能力がなかったから戦闘に参加できなかったし、問答無用で留守番係だ。

 

 変身できない奴はお荷物だと言われているようで癪だったけれど、そんなことで腐る勇希サマではない。

 戦いの舞台が異世界の秘境から雫世界の学校に変わっただけ。やることはいつだって山積みだ。

 人数分のご飯を作るだけで大仕事だったし、掃除も洗濯も山盛りだ。

 片付けるより散らかす方が得意な勇希だったけど、ゴミをそのまま放置するのは不潔だし、トイレやお風呂だって清潔なほうがいい。

 出しっぱなしにしておいてもいいものは、ゲームや漫画やクッションに限る。だってその方が便利だし。

 

 勇希は家事の中でも特にご飯作りを頑張った。

 決して得意なわけではなかったけれど、おいしくてお腹にたまって栄養があるレシピを調べて、なんとか文句がでないくらいのものを作れるようにまでなった。

 

 そんな中、あるとき詩帆がやってきた。

 詩帆のポテンシャルは半端じゃなかった。

 戦いになれば主砲クラスの火力を叩き出すし、サポートだって傷ついた仲間の回復だってお手のもの。

 なのに趣味は家事に料理ときてる。掃除洗濯なんでもこなすし仕事も丁寧。ご飯だっておいしいし、色んなレシピが頭に入ってた。

 食後のコーヒーだってめちゃ美味しい。

 実家が喫茶店だったこともあって、美味しい淹れ方を子供の頃から叩き込まれていたそうだ。

 デザートだってもちろん喫茶店仕込み。プリンにクッキーにパンケーキ。パウンドケーキにブラウニーにドーナツにアイスクリーム。なんでもござれだ。ドラえもんかよっつうの。

 そうして勇希の立ち位置はあっという間に奪われた。

 

 ナンバーワンでオンリーワンな詩帆は、あっという間にスーパースターに成り上がった。

 それに引き換え、勇希のことなんてみんなもう当たり前みたいに思ってる。

 たとえるなら、お出かけ用のおしゃれ着と履き古したスニーカー。ホテルのパリッとしたシーツと実家のタオルケット。レストランのカツレツとお肉屋さんのハムカツ。

 なんとなく疎外感。

 ヤなカンジ。

 

 けれど勇希は曲がりなりにも雫世界の先輩だったし、いま勇希の取るべき態度は〈新人の詩帆を歓迎し、仲間に入れてあげる〉ことなのだ。

 もちろんそれは勇希にだってわかってる。

 でも、みんなが詩帆に「ありがとう」ってお礼を言うたび、勇希の心はささくれが剥がされるみたいに痛むのだ。

 

 

 

 調理器具は詩帆が手伝ってくれたおかげで、あっという間に片付いた。

「終わりましたね金城さん。さあ、一緒にご飯にしましょう」

 そう言って屈託なく笑う詩帆の顔がまぶしい。悪意も他意も感じない。

 二人で洗ったから早く終わっただけなのに――。

 詩帆は効率よく動いただけなのに――。

 詩帆はただご飯を一緒に食べたかっただけなのに――。

 そんなことは全部わかっているのに――勇希はなんだか卑屈な気持ちになってしまう。

(ありがとう、詩帆。助かったよ♪)

 なんて素直に言えるわけがない。

 だからつい、本当につい口走ってしまう。

 

「詩帆はいいよねー。来たばっかりだからみんなに優しくしてもらえてさ。あたしなんかもう誰からも褒めてもらえないよ。あーあ、詩帆が羨ましい」

 

 冗談めかして言ったつもりだった。

 全部が嘘というわけではなかったけれど、みんなに優しくしてもらってるんだから、このくらいの嫌味は許して欲しかった。

 けれど、言った瞬間にその場の空気がピリッとひび割れるのを感じて、勇希はすぐに後悔した。

 

(やっぱり言うべきじゃなかった……)

 

 でも、そんな空気ですら、勇希よりも詩帆が優先されているみたいで悲しくなる。

 

「言いすぎた。ごめん、忘れて――」

「ちょっと、勇希。その言い方はあんまりじゃない?」

 すぐに撤回しようとしたけれど、嫌味を聞きつけた伶那から鋭い指摘が入る。

「春日さんは実際に活躍したんだよ。私たちだって別に新入りだから優しくしてるんじゃない、実力を評価してるの。勇希の今の言い方は春日さんにも私たちにも失礼じゃない」

 

 伶那は食事を中断して立ち上がり、腕を組んで徹底的にやる構えだ。

 

「だから謝ろうとしたんだって!」

「でも勇希はさ、普段からそういうふうに思ってるってことだよね」

「だって、いつも詩帆のご飯はおいしいって言うじゃん!」

「春日さんのご飯が美味しいのは事実でしょ」

「じゃああたしのは?」

 

 勇希が聞き返すと、伶那は思わず口ごもった。勇希のご飯が決して悪いというわけではない。比較対象が悪いのだ。それくらい詩帆のご飯はおいしかった。

 

「勇希のご飯は……勇希の味って感じ」

「……」

 

 見ないようにしていた現実を突きつけられた気がして、勇希は言葉を失った。伶那の言い方では、まずいと言ってるのと同じことだ。

 けれど伶那は、勇希のそんな心の内に気付くことができなかった。

 

「そんな顔しないでよ、事実なんだから。なによ、春日さんに妬いてるわけ?」

「そんなんじゃない」

「もう。勇希のご飯もちゃんと美味しいってば」

「同情はいらないって……」

「違う、これは同情じゃなくて――」

「ほんといいから」

 

 勇希は伶那に情けをかけられているようにしか感じなかったし、傷口に塩を塗り込まれたみたいに心が痛かった。

 ふと周りを見回すと、丸く線を引いたみたいに、みんなが少し離れたところに立っていた。

 いじけた気分になりかけていたけど、騒動の中心に自分がいるとわかると急に心が冷静になっていく。

 

(こういうのやだなあ)

 

 勇希の胸に、そんな思いが持ち上がる。

(そういえば、なんであたし怒ってるんだっけ? ああそうか、あたしにお礼がないからだ)

 勇希はそう思い至り、その場の空気を変えるために思い切って詩帆に打ち明けることにした。

 

「ごめんね詩帆。さっきは言いすぎたよ。なんか誰にもお礼とか言ってもらえないからさあ、あたしだけノケモノみたいでスネちゃってた。ほんとごめん」

「いえ全然。大丈夫ですから。それより今度一緒に――」

「ちょっとまってよ。なによそれ。勇希はお礼言われたくてやってるの?」

 

 喋っている詩帆を伶那が遮った。

 

「そういうわけじゃないけど……。だってさあ、今日だって誰からもお礼言われてないし、ねぎらいの言葉もないし、何ならいただきますだってなかったじゃん」

 勇希は唇を尖らせて、今日感じていた不満を口にした。

「あのねえ。私だって料理くらいできるんですけど! 勇希は戦えないんだから料理くらいしてくれてもいいじゃない!」

「ちょっと伶那さん、言い方きついって……」

 

 ヒートアップしてきた伶那を落ち着けようと愛央が口を挟んだ。けれど逆効果で、伶那はいっそう語気を強めた。

「だって事実じゃない。そういう勇希こそ私たちが異世界から戻ってきたときにお礼言ってる? 労ってくれてる? してないよね! 自分のことを棚に上げて好き勝手言わないでよ」

「もういい!」

 

 勇希が大声で叫んで伶那の詰問するような言葉を遮った。

 もううんざりだった。こんなところに一秒だって居たくない。

 勇希が歩き始めると、詩帆と目が合った。

 勇希は小さく「ごめんね」と耳打ちするように言って、部屋を出ていった。

 その後ろ姿を、伶那がなす術なく見送った。

 

「伶那ちゃん。勇希ちゃんはいっつもおかえり、お疲れ様って言ってくれてるよ」

 こころが笑ったまま諭すように言った。

 

「ああ……うん。そう……だね……」

 

 こころの言う通りだった。

 返事をする伶那の脳裏に、異世界から戻ってきた自分たちを出迎える勇希の笑顔が次々と浮かんでは消えていった。

 それが当たり前すぎて、いつの間にか出迎えてくれることに何も感じなくなっていたのかもしれなかった。

 伶那の背中を冷たい汗が伝い落ちた。

――間違っていたのは自分かもしれない。

――甘えていたのは自分の方かもしれない。

 けれど、それを伝えるべき相手は、もうこの部屋からいなくなってしまったのだ。

 

 ◆

 

 その日の晩御飯の担当は勇希と詩帆で、メニューはカレーライスとアジフライだった。小皿にピクルスが添えてある。

 カレーは勇希が担当で、肉と玉ねぎと人参を煮てルーを溶かしただけの、誰もが思いつく家庭の味のそれだった。

 いっぽうアジフライは詩帆の手によるもので、肉厚のアジが衣の中でふっくらとふんわりと仕上がっている極上の逸品だった。

 

 次の日のメニューはシチューと惣菜パンで、シチューは勇希、惣菜パンは詩帆だった。小皿にはザワークラウトが盛り付けてある。

 シチューはもちろん勇希が担当で、肉と玉ねぎと人参を煮てルーを溶かしただけの以下省略。

 いっぽう惣菜パンはパン生地を一から作ったもので、惣菜も明太ポテト、卵チーズ、ハムチーズ、ウインナーの四種類もある。お店で出してもおかしくないくらい美味しいパンだった。

 

 その次の日の晩御飯は肉じゃがと炊き込みご飯で、肉じゃがは勇希が担当、炊き込みご飯は詩帆の担当だ。小皿にはきゅうりと人参の浅漬けが添えてある。

 肉じゃがのレシピは言うまでもなく、肉と玉ねぎとにんじんを出汁で煮たものだ。

 いっぽう炊き込みご飯は基本に忠実な五目で、きのことごぼうの香り高い逸品だった。

 

 この三日ほど、伶那と勇希の間は冷戦状態みたいになっていた。

 直接的な口喧嘩はなかったし、簡単な言葉くらいは交わすけれども、会話らしい会話はまったくなかった。

 目だってほとんど合わなかった。

 でも伶那は我慢していた。どうせすぐに勇希の機嫌は直るだろうって思っていたからだ。

 けれど、その次の日の晩御飯にカレーが出されて、伶那の我慢は限界を迎えた。

 

「あのさ、勇希! ちょっといい!? 毎日毎日カレーにシチューに肉じゃが! 似たようなものばっかり、いい加減にしてよね! こんなふうに遠回しに嫌がらせしてないで、言いたいことがあるならはっきり言えばいいじゃない!」

 

 伶那は言わずにはいられなかった。ルーを変えただけの同じようなメニューを毎日作って出されるのは、料理をないがしろにしたことに対する意趣返しだとしか思えない。お前らなんてどうせ何食べても同じだろと言われているようだ。

 

「少しは栄養のことも考えてよね。毎日カレーばっかりじゃ栄養偏るし、何よりみんな飽きちゃうって。少しは春日さんのことを見習ってよね」

「詩帆の料理が美味しいなら別にいいじゃん」

「なによそれ」

 加熱気味の伶那とは対照的に、勇希は突き放すような冷たい態度で応戦する。

「伶那はさ、どうせあたしの料理なんて美味しくないなと思ってるんでしょ。できれば詩帆が作ってくれればいいのにな、でも戦闘させてるのに料理までさせるのも悪いなって思ってる。でもそんなこと詩帆に言えないから、あたしに不満をぶつけてるんでしょ」

「そこまでは言ってない!」

「そうだね、言ってないね。言ってないだけで、態度で示してるもんね」

「あのさあ!」

 いい加減にしろ、もう許せない、そんな思いで伶那が怒鳴り声を上げようとした瞬間、

「ねえ、もうこの話やめない?」

 と、勇希が強い眼差しを向けた。

「そうだね、やめよう。でも少しは詩帆の気持ちも考えてあげてよね」

「あたしが悪いんだね。わかったよ。詩帆ごめん。あたしが子供だった。みんなもごめんね」

 勇希は詩帆に向けて素直に謝った。意地を張っているような言い方ではないが、どこか諦めたような雰囲気があった。

「あ……いえ……」

 いっぽう、謝られた詩帆は歯切れが悪い。そんな詩帆の横を通って、勇希は部屋から出て行った。

 勇希のいなくなった作業部屋に気まずい沈黙が訪れた。

 詩帆は席に着くこともできずもじもじしているし、愛央は仲間内での揉め事の経験が乏しいからあわあわしている。こころだけは美味しそうにご飯を頬張っていて、我関せずという態度にも見える。

 伶那は立ったまま、興奮収まらぬ胸の内をどうすることもできず、組んだ腕に爪を立てた。

 

「あのさあ、伶那さん。さすがにあれは言いすぎだってば。あとで勇希に謝ったほうがいいよ……」

 愛央がおそるおそる言うと、

「私が間違ってるっていうの?」

 と、伶那は強い口調で言い返した。今の伶那では、何を言われても売り言葉に買い言葉となってしまう。

「だって事実じゃない。事実なんだから、料理が上手くなりたいんだったら努力するしかないでしょ。春日さんに八つ当たりするほうがどうかしてる」

「ううん……そう、だね……」

「元を辿れば春日さんに嫉妬した勇希が悪いんだから。私、間違ったこと言ってる?」

「うーん……」

 すっかり興奮して声を荒らげる伶那に、愛央はどうしていいものかわからず、曖昧に頷くことしかできなかった。

 そこにご飯を食べ終えたこころがやってきた。きちんと「ごちそうさまでした」と言ったこころの食器は洗ったみたいにピカピカだった。

「伶那ちゃん、私もちょっといいかな?」

「なによ」

「いま和を乱してるのって伶那ちゃんなんだよ」

「それがなによ。私は間違ってない」

「間違ってない、かあ。じゃあ伶那ちゃんはどうしたいの? 勇希ちゃんを言葉で屈服させて、詩帆ちゃんよりまずいご飯しか作れないって思い知らせて、惨めな気持ちで伶那ちゃんの命令に従って欲しいのかな?」

「そんなこと言ってない」

 こころの羅列した言葉は、伶那には衝撃が強く残酷なものばかりだった。いくらなんでもそこまで追い詰めるつもりはなかったし、伶那は焦って否定した。

「言ってるよね」

「言ってない!」

「言ってる」

「絶対に言ってない!」

「言ってる。伶那ちゃん、言ってるんだよ。あのさ、勇希ちゃんのご飯すごくおいしいのに、なんで詩帆ちゃんよりまずいなんて言ったの?」

 こころの声がわずかに怒気をはらみはじめる。それでも崩れないこころの笑顔は、まるで壁のように伶那の前に立ちはだかった。

「だ……だから言ってないって!」

「本当にそうかなあ? 勇希ちゃんのご飯今日もおいしいねって、伶那ちゃんが言うところ聞いたことないよ?」

「そんなことないよ。いつも……感謝してるし……」

「ふうん」

 伶那は頭をフル回転させて、勇希に述べた感謝の言葉を思い出そうとした。急には思い出せないけれど、きっと言っていたはずだ。言わないなんてこと、あるはずがない。それに、ごちそうさまはいつも言ってるし、それって感謝の言葉でしょ?

 伶那は心の中で武装したけれど、言葉は裏腹に小さくなっていってしまう。それは、こころの圧力に怯んだのとは違う焦りからだった。

 

「あの、いいですか?」

 詩帆が小さく手を挙げた。

「宮内さん、今日のお漬物どうでしたか?」

 お漬物と言われて、そんなものあったっけと伶那は少し考えて、そういえばあったなと思い出した。付け合わせの小皿のことをほとんど意識していなかったのは、あるのが当たり前だったからだ。

「あのピクルス? 普通においしかったけど」

「ですよね。あれ、金城さんの手作りなんですよ」

「うそでしょ」

「いえ、本当に。実は金城さんにお願いされてここのところ一緒に料理してまして。そこで金城さんも何かチャレンジしたいと言っていたので、私が提案したんですよ。ピクルスだけじゃなく、ザワークラウトと浅漬けも金城さんが作ってくれたんですよ」

「そんなこと……言ってくれないとわかんないって。だって、毎日カレーとかシチューとか、手抜きみたいなご飯ばっかりだったんだから」

「あの、それなんですけど……。どちらかというと私のわがままなんです……。アジフライを作ろうと思った日は金城さんがカレーにしようと言ってくださって。美味しいですよね、カレーにアジフライ。私が惣菜パンを作りたいと言ったときなどは、金城さんはクリームシチューを提案してくれたんですよ。パンとシチューも合いますよね」

「そうだったの……」

「はい。私と金城さんとで相談して決めていたので、言ってくだされば違うメニューにしていたと思います」

 詩帆は困ったような、気まずいような顔で伶那に打ち明けた。

 

――これは、やらかしたかもしれない……。

 

 伶那の胸の内に暗雲が垂れ込める。

 焦ってみんなの顔を見回すと、愛央も詩帆も苦笑いを浮かべてる。こころは笑っているけれど、きちんとけじめをつけるまで許しはしない厳しさが滲み出ていた。

 

「ああもう。わかった! わかったから! 私が間違ってた! 明日ちゃんと謝るから!」

 伶那はたまらず悲鳴を上げた。そんな伶那の目の前に、こころの小指が突き出された。

 

 ◆

 

 次の日の朝、伶那はアラームよりも早く目が覚めた。目覚めがいいのは、勇希のことを考えすぎてよく眠れなかったからだ。だから目覚めはスッキリしていても心は重苦しい。

 

「おはよう、伶那」

「あ……おはよう勇希」

 

 勇希にいつもみたいに挨拶されて、伶那の心がにわかにざわめいてしまう。上っ面を取り繕うのも一苦労だ。

 一緒に洗面所に行って顔でも洗いながら昨夜のことを――なんて虫の良いことを考えてしまう。そんなに簡単に謝れたらどれだけ楽だろう。

 ちゃんと謝らなくちゃいけないと思ったし、それだけに気まずくて、勇希と並んで顔を洗うだなんてできそうもない。

 そうこうしているうちに朝は過ぎて行き、異世界へ採集に向かう時間になってしまう。

 それから伶那は沖に向かって伸びるレールの先にある異世界へと赴き、メモに書かれた材料を採集し終えて雫世界に帰ってきた。

 異世界にいる間じゅう、気もそぞろで、伶那は勇希に謝ることばかりを考えていた。

 どうすれば許してもらえるのか。

 それをされたのが自分だったら、どうすれば許してあげられるのか。

 けれど、導き出される答えはどれも相手の度量の大きさに頼ったものばかりで、どんなに謝っても結局喧嘩になってしまうような気がしていた。

 許してもらうためではなく、自分の非を認めて反省したことを勇希に伝え、たとえ勇希が許してくれなくても仕方ないんだと思い至るまでに、結構な時間がかかった。

 けれども伶那はようやく腹を決めることができたのだった。

 

 伶那は勇希を探して校内をさまよった。

 図書室にも更衣室にも見当たらないので作業室に向かうと、何かを作って散らかしたままの状態で放置されていた。

 スパナやハンマー、ペンチや金切りバサミなどが出しっぱなしになっていて、円柱状に加工された金属板や配線ケーブルの切れ端が残されていた。それに、饐えたような煙の残り香が換気扇でも吸いきれずに漂っていた。

 不穏な残留物の数々に嫌な予感が止まらない。

 伶那はすばやく廊下に出て、窓から校庭を確認するが、勇希の姿はどこにも見当たらない。

(だとすれば、屋上しかない!)

 伶那は祈るような気持ちで階段を駆け上がっていった。

 

 伶那が階段を一段飛ばしで駆け上がっていくと、屋上に近づくにつれ勇希と愛央の笑い声が反響して聞こえてくる。

 屋上に出る扉を開け放つと、想像通りの光景が広がっていた。

「あなたたち、何やってるの!」

 

 勇希は一メートルほどの柄のついた万能熊手を握り締め、それを試し切り用の藁人形に突き立てているところだった。

 まずいところを見られたとでもいうような苦笑いを浮かべた愛央と対照的に、勇希は落ち着き払った声で言った。

 

「なんだ伶那か。ちょうどいいところに来たね。私も採集に参加しようと思ってさ。今はその練習中」

「はあ? 何言ってるの。そんな危険なことやめなさいよ」

 伶那が咎めると、勇希はさも面倒くさそうにため息をついた。

「うるさいなあ」

「勇希に戦われると迷惑なの。勇希を守りながら戦うと、こっちにまで被害が及ぶのがわからないの?」

「別に守って欲しいなんて頼んでませんけど。あ、そういえば料理だって別に誰にも頼まれてなかったよね。私が勝手に作ってたんだっけ、あはは」

 勇希は嫌味っぽく言い捨てて、口先だけで笑った。それから柄に付いているスイッチを入れると、刃先が鋭く光りを放ち、同時にバチンと音を立てて藁が弾け飛んだ。

「もう、いい加減にして!」

「なにを?」

「そうやっていつまでも子供みたいに拗ねないでよね」

 伶那にはもう言葉を選んでいる余裕なんてなかった。勇希が今どれだけ馬鹿げたことをしようとしているのか、それをなんとかわかって欲しいだけだった。

「勇希のその武器が意味ないってこと、私がいますぐに教えてあげるから」

 そう言って伶那はすばやく変身した。

 そして、大きなフープ状のチャクラムを勇希に突きつけて、かかってこいと手で合図を出す。

 それを受けて勇希は伶那に向き直った。

 勇希は別に本気で戦うつもりはない。戦うという意志が伶那に伝わればいいと思っていた。

 勇希が伶那に向けて熊手を突き出すと、伶那はその切先をチャクラムで弾いて軌道を変えさせ、すばやく懐に入り込んで勇希の首筋に手刀を突きつけた。

 勝負の決着は一瞬だった。

「わかる、勇希? これがその武器の弱点。たぶんその武器って一撃必殺じゃないよね。つまり私は刺されたままでも攻撃できる。勇希にとっては危険な距離で、しかも武器が使えない状態で私と向き合うことになる。勇希にはチャンスが一度しかないけど、私にはいくらでもある。これで勇希のしようとしてることがどれだけ危険なことかわかった?」

 伶那はそう言って、手刀を下げて変身を解いた。

 けれど勇希は、

「なるほどね。アドバイスありがとう、伶那。まだまだ改善の余地があるってわかったし助かったよ」

 と言って、やめる気などないことを伶那に伝えた。

 

「はあ? どうしてそうなるのよ。私はやめてって言ってるし、勇希の武器は使い物にならないっていま証明したじゃない」

「あのさ、伶那」

 昂ぶる伶那を諭すように勇希が言った。

「考えたんだけどさ、伶那、ちょっと邪魔かも」

「なによその言い草」

「別にさ、あの時も『いつもありがとう』って一言いってくれるだけで良かったんだよ。私だってみんなに対してそう思ってたし。それにこの武器だってさ、手ぶらでいるより絶対に持ってた方がいい。でも伶那は作っちゃダメだって言ってきかない。それって、私みたいな雑魚が戦っても足手まといだから何もするなって言ってるんだよね。はっきり言って最悪だよ。伶那は私には自分より下でいて欲しいし、私が何をやってもダメなやつなんだって思い込ませたいんだ。だから伶那は私を『守ってくれてる』。でも、もういいから。伶那は伶那のことだけ考えててよ。私は私でちゃんとやるからさ」

 

 喋っている間じゅう、勇希はずっと落ち着いていた。怒っているのではなく、最後通牒の響きがあった。

「勇希……」

「これを拗ねてるっていうなら、そうなんじゃないかな。伶那の考えは尊重するよ。でも、もう決めたから」

「なによそれ……」

 勇希は藁人形を脇に抱え、熊手を持って伶那の横を通り過ぎる。伶那は勇希の肩に手を伸ばしかけたけれど、引き留めることができなかった。勇希が屋上から出て行くと、愛央も勇希と伶那の顔を見比べながら、小走りで勇希の後に着いて行った。

 最後に一人屋上に取り残された伶那は、伸ばしたまま行き場のなくなった手を静かに下ろした。

 

 伶那ががっくりと項垂れながら二階の教室に戻ると、こころと詩帆がお茶を飲んでいるところだった。

「おかえり、伶那ちゃん。勇希ちゃんと仲直りできた?」

 尋ねるこころに伶那は首を振ることで返事に代えた。

「だよねえ。すっかりこじれちゃったね」

 こころは驚く様子もなくそう言ってマグカップに口をつけた。

「私のこと必要じゃないのかな」

 伶那は机に突っ伏したまま、うわ言のように呟いた。

「先に勇希ちゃんを必要じゃないって追い詰めたの伶那ちゃんだよ」

「そうかあ〜。そうなるかあ〜。そうだよねえ〜」

 伶那は突っ伏したまま頭を抱えて、苦悶の声を上げた。

「詩帆ちゃんも何か言ってあげてよ」

「私は元凶みたいなものですし……」

「そんなぁ……」

 伶那は少しだけ顔を上げ、垂れた髪の隙間から片目だけで詩帆に訴えかけるような目を向けた。

「あ、でも、金城さんとはよく料理のことでお喋りしてますよ」

「そういえば教えてあげてるんだっけ」

「いえ。意見交換です。宮内さんは誤解してるかもですけど、金城さんは勉強熱心ですし、私が教わることも多いんですよ」

「ううううう〜!」

 伶那は言葉を失い、再び机に突っ伏した。

「それで、伶那ちゃんは結局どうしたいの?」

 こころが尋ねた。

 伶那はすっかり迷子になった気分だった。もうどうすればいいのか全然わからない。

 でも、たったひとつだけ確かなことがある――勇希を戦わせてはいけない。

「わかんない」

 だから、伶那にはそう言うのがやっとだった。

 

 ◆

 

 明くる日のことだった。

 伶那は作業室で朝の仕込みにいそしんでいる勇希の下を訪れた。

 伶那は拳を握り、勇気を出して扉をノックした。

「おはよう、勇希。伶那だけど、入っていい?」

「……どうぞー」

 中から作業の音が一瞬止んで、少し間を開けてから勇希の声がした。私への返事すら躊躇わせてしまっているのだと、伶那は少しだけ悲しい気持ちになりながら扉を開けた。

 作業室は朝食の準備の真っ最中だったらしく、シンクには生野菜のサラダがボウルの中で水にさらされていて、調理台の上には仕込んであった鶏ハムと卵液に浸かった食パンが並んでいる。勇希はコンロの前に立ち、フレンチトーストと絶賛格闘中だった。

「手伝ってもいい?」

 伶那が尋ねる。

「……うん」

 勇希は顔をコンロに向けたまま答えた。

 伶那はまず、水に浸かったサラダをザルにあけて水を切った。

「このハムってサラダに使うの?」

「そうだよ」

「じゃあ細かくちぎればいい?」

「うん。よろしくー」

 勇希の返事は軽い調子だったけれど、相変わらず伶那とは目が合わない。

 伶那は大きいサイズのボウルを取り出して、ハムの入った袋を開け、ハムを少しづつちぎってボウルの中に放り込んでいく。

「あのさあ、勇希」

「……なに?」

「あのね……戦うのをやめてって言ったら聞いてくれる?」

「聞くわけないないじゃん」

「そっか」

「今日はあたしも採集に行くからね」

「うん、わかった」

 伶那は頷きながら、細長く伸びたハムの繊維を引き裂いた。

 

 今日の採集当番は伶那とこころで、勇希もそこに加わった。

 はじめは伶那と詩帆が採集当番の予定だったが、それでは昼ご飯の担当がいなくなってしまうからという理由で、急遽こころに変更になったのだった。

 朝の仕込みでは昼の分も作ってあったような気がしたが、伶那はそんな疑問よりも目の前の問題に心を奪われていた。

 採集用の大きなリュックは小さな勇希の体に合っていなかったが、

「これはあたしが背負っていく。前だってあたしが背負ってたんだから、今回だって背負ってもいいよね」

 と言って、採集用リュックを掴んで放さなかった。

 苦虫を噛み潰したような伶那を背に、こころは「勇希ちゃん、今日はよろしくねー」と、緩く挨拶した。

 

 異世界に到着すると、日本の山の麓に似た風景の中に、パンの実のなっている植物が点在していた。

 だいたいの場合、異世界の出入り口付近に敵の気配はないので、その辺りの採集は帰りがけに行うのが通例になっている。

 もう少し奥に踏み込むと、掛け合わせることでさまざまな食物の素になる実が群生している。由来のわからない赤や黄色の原色の実は、掛け合わせることでなぜか鶏肉や白身魚、生野菜や小麦粉といった食べ物に変化するのだ。なぜかはわからないが、事実そうなるのだから仕方ない。

 それに、この異世界には米の実や火薬の実のようなものもある。調合の配分を研究するのも伶那たちにとって大事な仕事のひとつだった。

 

 薮を踏み固めて獣道のようになった通りを一行は歩いていく。

 やがて、背の高い薮の影に一匹の獣が見えた。

 獣は黒い犬のような姿をしているが、体全体から炎のようなゆらめきを立ち上らせていて、俗にいう「犬」とは明確に違っていた。

 勇希が熊手を握り締め、その切先を犬に向けていた。

 何も言わず伶那がいきなり飛び出して、手に持ったチャクラムではじめから必殺技を繰り出した。チャクラムからサメの背びれのような刃を無数に生やし、犬を一撃のもとに両断する。

 いつもの伶那なら取らないような行動だった。慎重な伶那はいきなり先手を取るようなことはしない。避けられる戦いなら避けて通るのが伶那だった。

 だから、犬は一匹ではなく、群れで行動していたことに気付くのが遅れた。

 伶那の背後の茂みから数匹の犬が躍り出た。伶那、勇希、こころという隊列から、伶那が分断された形だ。

 犬のうち一匹が伶那に威嚇行動を取りつつ、他の数匹が勇希に牙を剥いた。勇希に飛びかかろうと身構えた一匹をこころの銃弾が捉えた。こころが次弾を装填するまでの短い時間に、他の犬が勇希へとにじり寄る。勇希も腰を落として熊手を構えた。

 その瞬間、伶那が駆け出した。伶那の目の前の犬が逃すまいと腕に噛み付いた。けれど伶那はそんなことおかまいなしで走り続け、勇希に牙を剥く一匹の脳天にチャクラムを落とした。発砲音が響き渡り、伶那の腕に噛みついていた一匹がこころの銃弾によって撃ち落とされる。不意に薮から飛び出してきた伏兵の一匹が勇希の腹に体当たりを仕掛けた。勇希と犬は揉み合いながら転がって、犬が勇希に覆い被さる態勢になった。犬が牙を剥き、勇希の首筋目掛けて大きく口を開けた。勇希はその口の中めがけて、持っていた熊手を深々と突き刺さした。

 

「勇希! 大丈夫!? いま治すからね」

 伶那は転がるように勇希の下に駆け寄って、出血している勇希の腕に両手を重ねて治療の光を灯らせた。

 伶那も詩帆ほどではないけれど、回復の技を使うことができる。勇希の出血はたちどころに止まったが、傷口を塞ぐまでには至らなかった。

 伶那はほっと安堵の息を漏らしたが、伶那だって右腕を負傷していて、そこから出血していた。

「ねえ伶那。私のことより自分のことを心配しなよ」

 勇希にそう指摘され、伶那はようやく自分がなかなかひどい怪我を負っていることに気がついた。

「私は平気だよ。なにせ変身できるし、防御力だって勇希とは違うんだから」

 伶那はそう得意げに言いながら、自分の傷口に治療の光を当てた。

「あのさあ、伶那。そういうのほんとやめたほうがいいって。あたしのことより、もっと全体のことを考えようよ」

「うるさい。勇希が戦うと私が傷付くんだって、絶対わからせてやるから」

「うーざーいー!」

「うざくてもいい」

 伶那はきっぱりと言い切った。

 けれど、勇希に怪我をさせてしまった事実が伶那を責め立てる。

 

 もし、伶那の攻撃が間に合っていなかったら――。

 もし、こころの攻撃が外れていたら――。

 もし、伶那が倒されてしまっていたら――。

 もし、勇希の喉に食らいつく獣を止めることができなかったら――。

 もし、勇希が死んでしまったら――。

 

 そんな悪い想像が、消えることなく伶那を苛んだ。

 

 ◆

 

 その夜、伶那は悪夢にうなされていた。

 夢の中では勇希が傷ついて倒れていた。服がズタズタに引き裂かれ、傷が骨まで達していた。胸の肉がめくれ上がり、血が止めどなく溢れ出していた。勇希は気道を逆流する血のせいでゴホゴホと絶えずむせっていた。まだ微かに光のある瞳を空に向けたまま、防御創だらけの腕を力無くだらんと垂らしていた。

 伶那が勇希のそばに膝をついて顔を覗き込むと、勇希の目が伶那に向いた。

「ねえ、勇希。私だって回復の技が使えるんだよ。ねえ、勇希。私にお願いしてよ。『回復ちょうだい』って、お願いしてよ」

 伶那が訴える。けれど、勇希の目は伶那から離れ、再び空に向いた。

「しゃべれないなら私の手に触って。ほら、勇希。手だよ、手。わかるでしょ。私の手、ここだよ」

 伶那は勇希に見えるよう目の前に自分の手をかざし、それから、勇希が指を一本でも動かせば触れてしまうくらい近くまで手を寄せた。もし勇希が指を動かせなくても、動かそうとしている様子があればすぐに技を発動するつもりだった。けれど、勇希の瞳は空に向いたまま、もう伶那を見ようとはしない。

 やがて勇希の瞳が黒く濁り、上下していた胸が動きを止めた。

 伶那がどんなに呼びかけても、勇希が返事をすることはなかった。

 

 伶那の目が開いた。ひどい動悸がしていて、まだ夢の中にいるようだ。なんで勇希がそんなことになっているのかわからずに混乱した。

(助けてって言ってくれればすぐに助けたのに!)

 伶那の胸に、勇希を責める言葉が浮かんだ。なのに、どうして助けを求めてくれなかったの、と。

 そして伶那は、はたと理由に気が付いた。

(そうか。私、勇希に嫌われてるんだっけ――)

 伶那は身を起こした。頭も体も鉛のように重たかった。目を擦ると、涙の跡が粉になってぽろぽろとベッドに落ちた。

 顔を洗おうと立ち上がると、いつもと景色が違っていることに気が付いた。

 昨夜は、気まずさのあまり屋上部屋にこもって一人で眠ったのだった。

(どうしてこんなことになったのかな?)

(こんなのは嫌だ……)

 伶那の頭の中で言葉がぐるぐると回り続けていて、扉の外に出ることをためらってしまう。

(そういえば、私はなんで怒ってたんだっけ――?)

(たしか、詩帆の料理が上手なことに勇希が嫉妬してるのをみて、なんかすごくムカついた)

(勇希の料理も美味しいよって褒めたのに、嘘だって言われた)

 伶那に向けられた勇希の態度を思い出すと、悲しくて涙が溢れてくる。

(もっといつも言わなきゃダメだったんだ)

 今からでも間に合うだろうか――そう思った伶那は、涙を拭いながら扉を開けた。

 

 伶那は校舎に入り、まっすぐ作業室へ向かった。足取りは重かった。

 作業室からはご飯の炊ける匂いがしていた。

 詩帆の作るご飯はいつでもおいしそうで、お店で嗅ぐような香りが立ち込める。けれど勇希のご飯は家庭の味だから、匂いだって特筆されることのないものだった。だから、作業室に勇希がいることが、扉の外からでもわかった。

 伶那は扉に駆け寄って、ノックをすることも忘れて扉を開けた。

 中では踏み台に乗った勇希が、コンロに掛かった鍋をかき混ぜているところだった。

 

「ねえ、勇希」

 伶那は声を出してはじめて、自分の声がガサガサなことに気付いた。勇希が振り返り、亡霊でも見たかのように大きな目をもっと大きく見開いて言った。

「うわ……ひっどい顔。どうしたの」

「いなくなっちゃうの?」

「なんのこと」

「だから、勇希はいなくなっちゃうの?」

「意味わからん」

 勇希は首を傾げて、再び鍋をかき混ぜ始めた。

「あのね、私、すごい怖い夢を見たの」

「へえ。どんな夢?」

「勇希が死んじゃう夢。私の目の前で傷つけられて死んじゃうの。怖くて怖くて仕方なかった」

「でも夢でしょ」

 伶那が打ち明けても、勇希には取り付く島もない。勇希は鍋の底をへらで混ぜ、それから火を止めた。

「ねえ勇希!」

 伶那が手を伸ばすが、勇希は、

「触らないで!」

 と言ってその手を叩き落とした。その瞬間、伶那のなかで何かが弾けた。

「勇希!」

 伶那が叫んで、体ごとぶつかり、そのまま勇希の細い体に腕を回して両手でホールドした。

「ちょ、やめろ!」

 その拍子に勇希が踏み台から足を滑らせて、伶那と揉み合いながら床に尻餅をついた。それでも伶那は手を離すことなく、膝立ちのまま勇希のお腹に頭を擦り付けるようにしがみついた。勇希が伶那の肩に手を置いて、それを軸に体を引き抜こうとするが、伶那は勇希の足首を自分の両足で巻き込んで逃すまいと抵抗する。

「伶那、いま朝ごはん作ってるんだから。遊んでる場合じゃないんだよ。はやく離れてよ」

「やだ!」

 伶那の叫びは涙声になっていた。

「伶那、泣いてるの?」

 勇希が尋ねると、伶那は首をぶんぶん振って否定した。けれどそれは誰が聞いても明らかに嘘だ。

「なんで伶那が泣いてるの」

 勇希は抵抗をやめて伶那の肩から手を離し、後ろの床に着いた。

「私だって料理できるもん!」

「知ってる」

「じゃあなんで私には妬いてくれないの!」

「はあ?」

「勇希が料理を自慢に思ってたなんて知らなかったもん! 私のほうが付き合い長いのに、私のことは妬んでくれなかったじゃん!」

 伶那がまくし立てた。同時に腕にも力がこもる。

 いっぽう勇希は苦しいのとわけがわからないのとで混乱していた。眉間に深い皺が寄る。

「ちょっと待って。意味わからない。はじめから話そう。だから一回離して?」

「もう逃げない?」

「逃げないから」

「やっぱりやだ!」

「あのさあ……」

 どうにもなんねーなと、勇希はため息をついた。

「勇希はさ、詩帆に嫉妬してたから、私が美味しいって褒めたのを同情だって思ったんだよね」

「あー、あのときの話ね。まあ、だいたい合ってる」

「でも本当に同情なんかじゃなかったの。私はいつも思ってるんだもん。言わないだけで」

「言えよ!」

「言えないよ!」

「なんでだよ」

「……なんか恥ずかしくて」

 伶那は急にしおらしく言った。

「はあ? 意味わかんないんですけど。まあいいや。わかったから一回離れてよ」

「やだ!」

 勇希が伶那の肩に手を置いた瞬間、爆発したみたいに伶那は勇希の体を締め付ける。

「うぐー。この……」

「まだ全部言い終わってないもん! 私は春日さんの料理も勇希の料理も好きなの! どっちが上なんてない」

「いや、さすがに詩帆のほうがうまいって」

「同じだもん!」

「わかったわかった。わかったからさ。で?」

「だから、いつも美味しかったって言うようにする」

「なんかそれはそれで微妙にキモいんですけど……」

「言うようにするから!」

「わかったってぇ……」

 根負けした勇希は、つい伶那の提案を受け入れた。それに気を良くした伶那は、体を掴んだまま次の提案に移った。

「じゃあ戦うのはやめてくれる?」

「うーん……」

「勇希!」

「あのね、伶那。守ってくれようとする気持ちは嬉しいんだけどさ、ただ守られるだけっていうのも惨めなもんなんだよ」

「そんなこと言ったって、勇希は変身できないんだから仕方ないでしょ」

「じゃあさ、伶那はもしあたしが襲われたら、抵抗できずに死んじゃったほうがいいって言うの?」

「そうは言ってない」

「むー。じゃあこうしようよ。武器は護身用。武器研究はみんなのため。私は積極的には戦わない。これでどうだ!」

 勇希がいいことを思いついたというように、明るい調子で言った。ぱあっと花が咲いたみたいな雰囲気になった。それは前までの勇希の雰囲気そのものだった。

「ほんとに?」

 伶那が尋ねた。

「ほんとに」

「それならヨシ」

「へへへー」

「あ、ほんとに戦っちゃダメだからね! 約束!」

 調子に乗りかけた様子の勇希に、伶那は思わず釘を刺す。

「大丈夫だって。信じてよ。それよりさあ、伶那ってあたしのこと……」

 勇希が言いかけたその瞬間、伶那が顔を上げて、ばちっと目が合った。目が合うのは久しぶりだった。いまの伶那は化粧もしていないし目だって充血している、髪も寝癖だらけだったし、顔じゅう涙でぐしゃぐしゃだった。どんだけ余裕ないんだよ――浮かんできたそんな言葉を勇希は飲み込んだ。

「なによ?」

「なんでもない。別にいいや。それより顔洗ってきなよ。いまの伶那、やばい顔になってるよ」

「えっ、ヤダ!」

 伶那は自分の顔がひどい有様なことにようやく思い至り、慌てて両手と髪で顔を隠した。

「もう、なにやってんのよ私。ああ恥ずかしい」

 立ち上がった伶那は、さらに自分が寝巻きのままだったことにも気付いて、耳まで赤く染まり上がった。

「じゃ、じゃあ、私、もどるね」

 口元を隠したまま伶那が言った。

「あいよー。また後でね」

 そう言って勇希も同じように立ち上がり、食事の準備に取り掛かった。

 

(また後でねって言われた。また会ってもいいんだ――)

 伶那は勇希の言葉を反すうし、嬉しさから階段をスキップするように駆け上がって行く。

 作業室で勇希は炊き上がったご飯をほぐしながら、小気味よく遠ざかっていく伶那の足音を聞いていた。

(伶那ってたぶんあたしのことめっちゃ好きなんだろうな)

 本人に直接聞いてもきっと認めないだろうけど、あの態度はどう考えてもそうなのだ。

 関係が変にこじれるのは面倒だったけど、誰かに好かれること自体は気分のいいものだ。

 それに、いつもは凛とした伶那が、勇希のことであんなに取り乱すなんて――と、さっきの伶那のひどい顔を思い出して口元を綻ばせる。

 この日、勇希は自分でも気付かないうち、久しぶりに鼻唄をうたっていた。

 

 ◆

 

 採集から戻った伶那が屋上部屋で休憩していると、校庭から爆音が響き渡った。床下から突き上げるような衝撃があり、壁はまるで雷が落ちたみたいにビリビリと震えている。

 伶那が慌てて飛び出すと、校庭の真ん中で勇希と愛央が万歳三唱している姿が目に飛び込んできた。少し離れたところにはクレーターができていて、黒い煙をもうもうと立ち上らせている。

「あいつら!」

 伶那は駆け出した。階段を一つ飛ばしで駆け降りていく。昇降口の扉を勢いよく開け放つと、異変に勘付いた勇希と愛央が体をすくめ、怯えた顔で伶那を見た。

「ちょっと、あんたたち! いますごい音がしたけど、今度は一体なにをしたわけ!?」

「あ……れ、伶那さ〜ん。いや違うんだよ、これはね、実験なんだよ実験〜」

 言いながら愛央はちょこちょこと足首だけ小刻みに動かして、小動物のように勇希の背後に身を隠した。

「伶那、おどかしちゃってごめん。実はさ、あの熊手を使って一度、最大出力で試してみようって話になって、ついでに投擲も試してみたんだよ。そしたらすごい威力でさ!」

 勇希は興奮冷めやらぬ様子でまくし立てた。そんな勇希にどうお説教すればいいものか、考えただけで頭痛がする。

「あのねえ。こんなもの手に持って戦うつもり? 爆弾なんて作られても使い道ないんだから」

「でもいつか役に立つかも」

「最後にひとり残された勇希が、爆弾を抱えて敵もろとも自爆する――そんなラストシーンが浮かんだよ〜」

 愛央が勇希の背後から嬉しそうに口を挟んだ。

「星崎さんは黙ってて。縁起でもない……」

「でもさ、伶那の言う通り、爆発するようじゃいけないし、攻撃チャンスは多い方がいいっていうのもその通りだと思ったんだよね」

「そうなんだ」

「うん。だから盾を研究してみようかなって」

「へえ。いいじゃない」

「お。伶那のお墨付き?」

「うん。盾なら身を守れるし、有利な攻撃チャンスも作れると思う」

 それに、勇希が少しでも安全になってくれるなら――という伶那の心のうちは言わずにおいた。

「えへへ。やったぁ」

 そう言って笑った勇希の顔は天使というより小悪魔みたいだ。黒い盾と三又の熊手を手に持って舌を出す勇希の姿を想像すると、とりとめもない気持ちになって、なんだか顔がニヤけてしまうのだった。

 

 その日の晩御飯はビーフシチューだった――厳密には牛肉ではないので『ビーフ』ではなく謎肉シチューなのだが。

 つまりここ数日のメニューはカレー、シチュー、肉じゃが、カレーときてビーフシチューなのだ。

(あいつめ。またわざとメニューを合わせて嫌がらせしてるんじゃないでしょうね!?)

 怒った伶那は勇希にビシッと人差し指を向けて言い放った。

「勇希! また煮込み!? 絶対わざとやってるでしょ!」

 勇希も伶那に向き直り、負けじと大声で言い返す。

「伶那! これはビーフシチューだからね! 絶対おいしいのに、それを嫌味だって思うなんてちょっと自意識過剰なんじゃないの!?」

「なんですって! どう見ても同じ煮込みじゃない! カレーとどう違うっていうのよ!」

「ビーフシチューとカレーじゃ全然違うよ!」

「同じでしょ!」

「違う!」

「同じ!」

 二人の言い合いが、もはや売り言葉に買い言葉を超えて水掛け論の様相を呈しはじめたとき、こころが立ち上がって静かに伶那の肩に手を置いた。

「伶那ちゃん。違うよ、全然違う。ビーフシチューはカレーじゃないよ。今の言葉、撤回して」

「えっ……?」

 にこやかに笑うこころの指が伶那の肩にギリリと食い込んでいく。

「ですね。ビーフシチューとカレーは違うと思います」

 と、詩帆もこころに続き、

「うん。ビーフシチューとカレーは違う」

 と、愛央も賛同の意を示した。

 多数決で負けを悟った伶那は、

「み……みんながそう言うなら……そうね……私が……間違ってました……」

 と、がっくり項垂れた。

 こころが優しく伶那の頭を撫で、勇希に向けて「どうする?」と尋ねるように顎をしゃくると、

「よろしい」

 勇希は笑って手を叩き、言い合いの終焉を宣言した。

 ドヤドヤと席に戻って行くみんなにビーフシチューを配膳し、それが終わると勇希は自分の分を手に、伶那の隣に座った。

 伶那は頬杖でため息をついていて、配られたビーフシチューどころではない様子だった。

「私、またやっちゃったんだね……」

 伶那は天を仰いで、自省の言葉と一緒にため息をついた。

 そんな伶那の横顔を見ているうち、勇希の中にある伶那の印象のピースがひとつづつはまっていくのを感じた。

 勇希が詩帆に向けたささやかな悪意を鋭く指摘した伶那と、泣きながら勇希を掴んで離そうとしなかった伶那が、頭の中でぴたりと一致する。

 伶那は色々と誤解しやすい人だけれど、勇希は伶那のことをもう誤解しないだろう――そんな気がした。

 

「おなかすいたね」

 勇希が言った。

「え、うん」

 伶那が思い出したように顔を上げた。周りを見れば、もうみんな食べ始めていて、笑い声が飛び交っていた。 

「いただきます」

 勇希が、伶那を促すようにスプーンを持った。

「いただきます……」

 伶那も浮かぬ顔ではあったが、流されるようにしてスプーンを手に取った。そしてスプーンでシチューをすくい、口元に運ぶ。

「伶那、おいしい?」

「うん、おいしい」

「でしょ〜」

 そう言って、勇希も一口頬張った。

 

(了)

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