ブルリフR二次創作。
以前pixivに投稿したもの(https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=17760451)を新たに書き直しました。
まるで絵画の中の鶴みたいだ。白樺都は雑貨屋の窓越しに立つ羽成瑠夏をそんなふうに思った。小ぶりで形のいい頭部からつるりと艶のある黒髪が肩に垂れて滑らかなカーブを描く。細い体に無駄なくフィットした白いブラウスは銀色の羽根のよう。ブラウスの裾から伸びる黒いスキニーも鶴の足のように細長い。
そんなふうに思うのは、都が瑠夏の美しさに目を奪われていたから――なんかじゃなかった。
都が雑貨屋の窓枠を額縁に見立てて絵画鑑賞ごっこをしているのには理由がある。瑠夏が絵画の鶴と同じくらい動かなかったからだ。
誇張ではなく、本当にまったく動かない。絵画の鶴と同じくらい動かない。瑠夏は選んでいるポーチをどちらにするか決めかねていて、そこからたっぷり十分間、両手のポーチを見つめたまま石化していた。
そもそも瑠夏が雑貨屋を訪れた目的は、壊れたポーチを買い替えるためのはずなのだ。瑠夏のポーチはお母さんの手作りで、それはそれは大切に使われていたらしい。大切に使われすぎてボロボロだった。ボタンなんか今にも取れちゃいそうで、都は瑠夏がポーチから何かを出し入れするたびに気を揉んでいた。
その取れかけのボタンがついに取れてしまったのは、先日、瑠夏が都の部屋を訪れていたときのことだった。
月ノ宮女子寮では二人に一部屋が割り当てられる決まりがあって、瑠夏のルームメイトは平原陽桜莉だった。その日は寮外から山田仁菜が遊びに来ていて、狭い部屋に三人も詰めているから当然暑かったのに、扇風機派の陽桜莉と仁菜に猛反対されエアコンは却下。負けた瑠夏はおとなしくエアコンの効いている都の部屋へと避難して来たのだった。
せっかく友達と遊んでいるのに、そこから離れて〝涼むため〟に都の部屋へと避難して来てしまうあたりが、瑠夏の友達作りの未熟なところだ。せっかく友達と遊ぶ機会なのにそれでは本末転倒だ。なのに瑠夏は何も感じていないような顔で、しれっと空き机に着き、読みかけの雑誌を開いたのだった。
エアコンのほうが友達より優先されるのなら、瑠夏の中の都はきっとエアコンとイコールで結ばれている。
(あたしゃエアコンかい〜!)
そんなことを言ったところできっと瑠夏には理解されないだろう。都は心の叫びを歯軋りでなんとか抑え込み、無理やり飲み込んで、ため息にして吐き出した。もちろん瑠夏は都の歯軋りやため息のことなんて気付きもしなかった。
都が瑠夏と背中合わせのまま特に気まずくもない沈黙の時間を過ごしていると、瑠夏がなんの前触れもなく立ち上がって部屋から出て行った。急なことだったので都は声をかけそびれてしまったが、尋ねたところで「ちょっと……」と返されるのが関の山だ。机の上には雑誌が残されていたし、瑠夏は手にポーチを持って出て行ったから、どうせトイレだろうしすぐに戻ってくるはずだ。そう思ってはいたが、それから十分、十五分と時間が過ぎていくうち、ひょっとして何かが起きたんじゃないかと心配になってくる。もちろん雑誌を置きっぱなしにしたことを忘れて、トイレを出た足で陽桜莉の部屋に向かった可能性はある。廊下で誰かに呼び止められて、そのままどこかに行った可能性だってある。もしかして購買におやつを買いに行ったのかもしれない。黙って部屋を出て行った人間の取る行動なんて予想したって仕方がない。だって子供じゃないんだから。けれど、相手はあの瑠夏なのだ。なんとなく思いつきで行動して、その結果ちょっと困ったことになるなんて日常茶飯事で、都はその現場に幾度となく出くわしたし、そのたび助け舟を出してやってもいた。たとえばいつもと違うルートで商店街に向かったせいで迷子になったり、一着しかない制服の汚れが気になるからって後先考えず洗濯しちゃったり――迷子の瑠夏を迎えに行ったのも都だったし、乾ききっていない制服を着ようとした瑠夏を止めて予備の制服を貸してやったのも都だ――こんな事例は挙げ出したらキリがない。というよりも、心配しすぎだった事例のほうが少ないように思えてくる。都の心配はたいてい当たっていた。都は不安に駆られて立ち上がった。ただ自分が心配性なだけで、いざトイレに行ってみたら個室から出て来た瑠夏とばったり鉢合わせするかもしれない。けれど、それならそれでいい。何より、そんな不安を抱えたまま黙って座っていることのほうが都の性格に合わないのだ。
そんな思いでトイレに向かうと、やはり瑠夏はそこにいた。鏡の前に立ったまま、洗面台の縁に手をついていた。傍らにくたくたのポーチが置いてあり、床の上にはリップクリームが転がっていた。鏡の中に焦点の合わない目をした瑠夏が映っていた。茫然自失という言葉がぴったりだった。都は落ちているリップクリームを拾って、ポーチのそばに置いた。
「羽成さん……大丈夫?」
都は声をかけてみたものの、瑠夏のあまりの憔悴ぶりに伸ばしかけた手を思わず下げてしまった。
「あ……。白樺さん……」
瑠夏の弱々しい声がトイレに細長く反響した。都がトイレに入って来ていたことをたった今認識したような微弱な反応だ。
「あんまり戻ってこないから気になって来てみたんだけど。どうしたの?」
「あ、うん……」
瑠夏はそう言って、台の上に置かれたポーチに目を落とした。
「そのポーチがどうかしたの?」
「母が作ってくれたものなんだけど、さっき壊れちゃって……」
と、瑠夏は喋りながら力尽きたようにため息をついた。
そのポーチは何枚かのキルトを縫い合わせたいかにも手作りといった風情があって、相当使い込んでいるらしく、縫い目はほつれているし全体的にくたくただった。口をボタンで留める作りになっているが、ポーチの口は開いたままぐったりと横たわっていて、なんとなく死んだ魚を思わせた。
「そうなんだ。残念だったね。ところで口のボタンは?」
都が尋ねると、瑠夏は無言で洗面台の排水溝を見つめた。
「ああ……。流れていっちゃったのね。それは御愁傷様……」
御愁傷様、という言葉に反応して、瑠夏が再びため息をひとつついた。
入寮する子はそれぞれに事情があるが、瑠夏の場合は両親が海外に赴任することになったからだった。それまでも両親の仕事の都合で転校することが多かった瑠夏だったから、友達だってそんなに多くはない。
都から見ると瑠夏の言動は自分から孤立に向かっていってるとしか思えないものだったが、本人から友達を作りたいのだと聞いた時は驚いた。瑠夏はよく言えば控えめ、悪く言えばポンコツだ。それが元来の性格なのか、転校の多い環境に適応した結果なのかはわからないが、瑠夏は友達作りに向いているとは思えなかった。そんな瑠夏の性格を都は「積極的な引っ込み思案」と評した。
だからこそ、母親の手作りポーチは遠く離れた家族の存在を確かめることができる大事な物なのだろう。
「まあ、壊れちゃったものにくよくよしてても仕方ないじゃない。一旦戻りましょうよ」
「でも……」
「でももへちまもないの。壊れたんだから新しいものを買いに行けばいいじゃない。違う?」
都が問うと、瑠夏の顔が悲しげに歪んだ。いつものドライな表情とは違う、なんだか頼りない顔だ。
「……そうねえ。私の部屋に確か余ったボタンがいくつか残ってた気がするのよね。よかったら補修してあげましょうか?」
「ほしゅう……?」
「直してあげるっていってるの」
「直るの?」
「元通りとはいかないけど、口くらいなら閉じれるわよ」
都が言うと、瑠夏はにわかに瞳に生気を取り戻し、首をぶんぶんと縦に振った。
それから部屋に戻るまで、廊下を大股で歩く都の後を、瑠夏はちょこちょこと小走り気味に着いてくる。そんな瑠夏の姿に都は少しだけ庇護欲を覚えてしまい、それがなんだか居心地わるい。
部屋に戻ると、都はクローゼットを開けて、使わなくなった物を雑に放り込む用の箱をあさった。
「ああ、あった。これこれ」
都が取り出したのは、大小様々なボタンが入っているフリーザーバッグだ。洋服を買ったときにオマケで付いてきたものを、いつか使うかもしれないと溜め込んでおいたのだ。
それを瑠夏に差し出して、
「この中から好きなのを選んで」
「どれでもいいの?」
「別に使わない物だし」
「うーん。どれでもいい」
「どれでもいいって、あんたねえ」
はあまったくと言って、都はボタンの中からキルト地に合いそうなひとつを取り出した。
「これでいい?」
「どっちでもいい」
「あのねえ。こだわりの逸品なんじゃないの?」
「でも、もう壊れちゃったし……」
「あっそう。じゃあこれで決まりね」
ドライなんだかウェットなんだかわからないわね――とボヤきつつ、裁縫箱も取り出して机に向かった。
補修といっても、ボタンを縫い付けるだけだ。位置を合わせてボタンを縫い付け、ついでにほつれた縫い目も気になったので、糸を選んで簡単にかがり縫いしておく。まあこのくらいのアレンジは許されるだろう。都が何気なく振り返ると、瑠夏が補修作業を凝視している。
「白樺さん、すごいね」
「ま、まあね」
「そういえば、こういう手芸とか得意だったよね。ほら、写真立てとか」
そう言って瑠夏がベッドのヘッドボードに立ててある写真立てを指さした。
この写真立ては都が自分で作ったもので、子供の頃から地道に集めていた色とりどりの綺麗な天然石を縁にあしらったものだ。かつては家族の写真が飾られていたが、母親に無用だと一度は捨てられてしまった。しかし、それをゴミ捨て場から救出し、今は瑠夏や陽桜莉や仁菜たちとの集合写真が飾られていた。
「こんなの、何の役にも立たないけどね」
気恥ずかしさから、つい自分を卑下するような言葉が口をつく。
「いま役に立ってるよ」
「もう。人のことを使えるモノみたいに言わないでよね」
都はやはり気恥ずかしさから憎まれ口を叩いてしまう。けれど瑠夏にはそんなことを気にする様子も見られなかった。
ポーチはボロボロのくたくただったけれど、大切に使われているためかキズやシミなどほとんど見られない。大切に作った写真立てを捨てられた都と、母親手作りのポーチを大切に使う瑠夏。親元から離れた環境は同じなのに、内実はずいぶん違うんだなと、都はしみじみ思った。
そうこうするうちに補修が終わった。出来映えを確認するが、使い込まれた布地に新品のボタンではやはりチグハグな印象が否めない。それに生地とボタンの趣味もずいぶん違う。縁を縫い付けたかがり縫いだって、なんだかピカピカで主張が強く思えてならない。
「はい、終わったわよ。お粗末な出来だけど」
と、ポーチを瑠夏に手渡した。
「補修といっても即席のものなんだから、早いうちに新しいのを買いに行きなさいよ」
「え、これでいいよ。かわいいし」
「かわいい?」
瑠夏の反応は意外だった。もう一度よく見てみるが、やはりチグハグで、都にとって満足のいく出来ではない。かといって、瑠夏はお世辞が言えるようなタイプではないことを、都はよく知っている。
「これのどこがかわいいわけ?」
「えっとね、なんだっけ。最近みたんだけど――そうだ、鵺」
「ぬえ?」
「鵺。知らない?」
「さあ?」
都が覚束ない顔で答えると、瑠夏はスマホを使って何事かを調べ始めた。そして、
「これ!」
と叫んで、画面を都に向けた。そこには爪をむき出しにした虎の手足に怒り狂った猿の顔と、蛇の尻尾を不気味に垂らすキメラのような化け物がでかでかと表示されていた。
「怪獣じゃない! なによこれ!」
「違う、鵺。かわいい」
「なに言ってんのよ、怪物よ怪物! モンスターじゃないの!」
「うん。そうだね」
「……あんた、ほんとにかわいいと思って言ってる?」
「うん」
瑠夏はさも当然というような顔で頷く。都には信じられないが、瑠夏はここでジョークを放つようなタイプでもない。だから、この怪物をかわいいと本気で思っているのだ。
「はあ……。まあセンスは人それぞれでしょうけど……」
褒め言葉じゃないんだよなあ……と言いかけて、それをぐっと飲み込んだ。本人は褒めているわけだし、補修の出来が微妙なこともまた事実なのだ。
「鵺はね、鳴き声もかわいいんだよ!」
「鳴き声!? 怪獣の鳴き声なんてあるわけないじゃない」
「あるの! ちょっと待っててね」
「だー! もう、わかったわかった。聞かせようとしなくていいから! とにかく、近いうちに新しいのを買いなさいよね」
「これでいいのに」
「だめ。絶対すぐに壊れちゃうんだから。だいたい、ポーチなんかいくらあってもいいの」
「いくらでも……。そうなの?」
「当たり前でしょ。今回みたいに壊れることだってあるし、予備なんかあればあるほどいいのよ」
「そうなんだ。ふーん」
都は両手を広げて大袈裟な身振りで力説するが、瑠夏は納得したのか曖昧な返事を残し、おとなしく後ろの席に戻って行ったのだった。
都はそれからしばらく瑠夏の様子を見ていたが、瑠夏はどこかに外出する様子もなかったし、もちろん補修したポーチもしっかり使っていた。都はいつか壊れてしまうのではとやきもきする日々を送っていたが、この日ようやく瑠夏が外出することを知り、不安やら心配やら怒りやらがない混ぜになった気持ちから、瑠夏の後をつけたのだった。
雑貨屋の中で鶴のように立っている瑠夏の両手には、七色の構造色に輝くゲーミングポーチと、紫色のモコモコ生地から芋虫みたいなモールが四方八方に飛び出した気色の悪いポーチが握られている。都の予感が的中した形だ。間違いが起きる前に必ず止めてみせる――と、心の中でクラウチングスタートの姿勢を取っていた都だったが、それからたっぷり十分間、瑠夏は熟考の時間に入ってしまったのだった。介入するタイミングを逃し、過保護はいけない、本人の自主性が大事なんだからと、心の中でクラウチングスタートを取っている自分を説得して、再び草葉の陰へと戻っていく。
それにしても――と都は思う。瑠夏の手にしているポーチはわざわざ探さなければ見つからないようなゲテモノで、まるで映画の小道具か罰ゲームだ。ハロウィンでもいいかもしれない。あの子、そんな趣味だったっけ?
ポーチ売り場の棚にはもっといいものが並んでいる。スタンダードなスクエアタイプ、シックながま口タイプ、和風の巾着、アジアンテイスト、一点もの風などなど。色々並んでいるというのに、それらをあえて避けているとしか思えなかった。
そうこうしているうちに、ついに瑠夏が動き出した。
両手に持っていたポーチを棚に戻し、別のポーチに手を伸ばす。都は思わず拳を握った。
(そうよ! もっとまともなやつを選びなさい――!)
だが瑠夏の手は、幾多の普通のポーチをあっけなく通り過ぎ、あるひとつのポーチへと伸びた。そして掴んだポーチは、艶のある黒い生地にスカジャンのような刺繍が縫い取られたものだった。刺繍のモチーフには、
爪をむき出しにした虎の手足に怒り狂った猿の顔、蛇の尻尾を不気味に垂らした化け物
例のヤツがでかでかと縫い取られていて、ご丁寧に稲妻まではしっていた。
それを掴んだ瑠夏は力強く頷いてレジへと踵を返した。
(はあ? ふざけんな!)
都が心で叫んだときには、体は既にスタートダッシュを切っていた。
自分の友達が大衆の面前でそんなものをおもむろに取り出す姿を想像するだけでおぞましい。慣れ親しんだ挙動からゆっくりと取り出される化け物ポーチ。しかも使い込まれてる。たとえば瑠夏に誰か親しくなった子ができて、その子と遊びに行ったときにそんなものが取り出されたら、
(ああこの子こういう子なんだ)
って思われちゃうかもしれない。それじゃ友達どころか厄介者だ。
それに、化け物ポーチはたくさん持っている中の変わりダネなんかじゃない。瑠夏はひとつのものを大事に使うタイプだから、あれしか持たないのだ。それも今後数年ないし数十年単位でだ。それひとつしか持たないなら、化け物は個性の振り幅ではなく、化け物そのものみたいになっちゃうじゃないか。
絶対に阻止しなくちゃダメだ――!
都は雑貨屋の自動ドアが開き切るのも待ちきれず、駆け込み乗車のように店内に飛び込んだ。そしてレジの前に立つ瑠夏の袖を掴んだ。
「ちょっとまったー!!」
「えっ。白樺さん? なんでここに」
「そんなことは別にいいじゃない。そんなことよりちょっと来なさいよ」
「えっ、えっ?」
そう言って都はレジに並びたがる瑠夏をぐいぐいと引きずっていく。
「いらっしゃいませー」
「あ、すいません。私。お客さんじゃないんで」
挨拶をする店員にもぶっきらぼうに返事をかえす。都が店外から瑠夏を監視している最中、この店員と何度か目があっていて、実は少し気まずいのだった。
「あんたねえ。そんなもの選んで、なに考えてるのよ。もっといいものが他にあるじゃない」
都は瑠夏をポーチ売り場まで連れ戻し、お説教のテンションで言った。
「そうなんだ。たとえばどれ?」
「たとえば……そうねえ。こっちのキルトのとか、これなんか丈夫そうだし。あ、これみたいにマチがあってたくさん入るやつとかいいんじゃない?」
都は棚から次々と取り出しては、ひとつひとつ丁寧に確認していく。
「あのね、わたし、白樺さんはもっときらきらしたのがいいのかと思ってた」
「人をなんだと思ってるのよ……」
「カバちゃん」
「あんたねえ……。まあいいわ、たとえばこれとかいいんじゃない?」
都は手始めに、リボンの縫い付けられたシンプルなポーチを手渡した。
「うん。じゃあそれにする」
「えっ、即決!? もっとちゃんと選びなさいよ」
「ううん。それでいい」
と、瑠夏はそのポーチを握ってレジへと向かっていく。都はなんとなく納得いかなかったが、それでも化け物ポーチよりは……と思い直した。
すると、レジの前に立つ瑠夏がこちらを振り返って、まるで呼びつけるような視線を投げかけてきた。
なにかしら、と都が近付くと、
「ラッピング。どれがいいかな?」
「ラッピング? なんで?」
「してくれるって言うから」
「ああそう。じゃあこれでいいんじゃない?」
都が台に置かれたパンフレットからひとつを指して言った。
「リボンも付けられますけど、どうなさいますか?」
と店員が瑠夏に尋ねる。瑠夏はそれを都に目配せで流す。
「そうねえ。どうしようかな……?」
「お値段が少し高くなりますけど、こういうのもありますよ」
と言って店員がパンフレットをめくって、やや高めのリボンが掲載されているページを開いた。瑠夏は相変わらず都を見つめていて、うんうんと頷いてすらいる。
「別にどれだっていいじゃない」
と、投げやりに言う都に対して瑠夏は、
「大事なことだから」
きっぱりと言った。
「うーん、そうねえ……って、ちょっと待って!? なんで私が選んでるわけ!?」
都がリボンを決めかけたところで我に返った。
「そもそもラッピング自体いらないじゃない。なんでこんなことしてるのよ!?」
「だってあなたにあげるものだから」
ダッテアナタニアゲルモノダカラ――。
都は瑠夏の言葉の意味をすぐには理解できなかった。誰が、誰に、何をあげるって?
(あなたにあげるものだからって、この子いまそう言ったの!?)
「羽成さん、あのねえ! 私が貰うものを私が選んでどーするのよ! ていうか、自分のポーチを買いに来たんじゃないの!?」
「私にはこれがあるから」
瑠夏は都の動揺なんてどこ吹く風で、ポシェットから都の縫ったポーチを自慢げに取り出して見せた。
「だー! もう! そんなのいいから! なし、なし! 今までの全部なし! 店員さん、すみませんけどキャンセルで!」
「えっ、やめちゃうの?」
「当たり前でしょ。私のはいいから、自分の使うものを自分で選びなさい!」
そう言って都は台の上からポーチを引ったくるようにして、売り場へと戻した。
できればここにいて、瑠夏のポーチ選びを監視したかったが、どうにもこうにも気まずくて仕方ない。一刻も早くこの場からいなくなりたい。そもそも尾行していたのだから、現れるつもりもなかったのだ。それに、おかしなものを選ぶのを阻止するという目的は達成されている。
だから都は、
「じゃあ私は先に帰るから! なにを買って来たのか後でチェックするからね、ちゃんとしたやつを買いなさいよ」
「うん」
「じゃあね。バイバイ!」
そう言い残し、雑貨屋を後にした。
帰り道、都は「まったくもう」と、つい声に出していた。
補修してあげたお返しに新品のポーチをもらったんじゃ、まるで弁償させたみたいじゃない。まず自分のポーチを買って、もしお礼をするならその後にするのがスジってものでしょう。
ぷりぷりと怒っていた都だったが、商店街の窓ガラスに映り込む自分の姿を見て、思わず立ち止まってしまう。
窓に映る自分は化け物の猿みたいな顔をしていて、これじゃあ瑠夏の言っていた鵺がぴったりだと思った。鶴みたいな瑠夏とは全然違う。
瑠夏が器用だったなら友達だってたくさんできているし、ポーチのことで悩んだりもしていないだろう。それができないから瑠夏なのだ。
そんなことわかっていたはずなのに、なんで私は怒ってるんだろう……。
瑠夏は瑠夏なりに考えて、きっとお返しとしてポーチを選んだのよね……。
これが鶴の恩返しなら、さしづめ私は鶴の正体を暴いたお爺さんってわけね……。
気付くと、都は自嘲の笑みを浮かべていた。
都は浮かない気分のまま寮へ戻り、自室で椅子に腰掛けて、机に頬杖をついた。
瑠夏のことを知っているつもりで口を出したのに、実はなんにもわかっていなかった――そんな自分のことがすっかり嫌になってしまった。
瑠夏は鵺のことをかわいいと言っていたけれど、都からすればどう見たって化け物だ。かわいいの基準から大きく外れている。
けれども……と思った。
そういえば瑠夏は鵺の鳴き声をかわいいと言っていたっけ――。
ためしに鵺の鳴き声を検索すると、トラツグミという鳥の鳴き声であるという結果が表示された。都は特に期待せずに、トラツグミの鳴き声を収録した動画を一つ選んで再生してみる。すると、トラツグミの細長く澄んだ鳴き声が響き渡った。
想像と全然違っていた。
もっとギャアギャアと吠えるような声を想像していた。
この鳴き声は不気味で恐ろしいと説明されているが、都には全然そんな風に感じられなかった。
「なによ……。本当にかわいいじゃない……」
私、なんにもわかってなかったのね……と、都は思わず机に突っ伏した。
私はいったい瑠夏のことをどれだけ知っているんだろう――都は自問する。
瑠夏は口下手で、友達作りが苦手で、態度が冷たくて、空気が読めなくて、ポンコツで――。
なのに、私が友達に嫌なことを言われた瞬間や、三者面談前に担任へ進路相談に行った後、瑠夏はなぜかすぐそばに来るし、妙なくらい目が合った。
普段はポンコツのくせして、ここぞというときだけは絶対に外さない。
抜けてるクセに頑固。人の言うことを聞かない。
「はあ。まったく……」
だからこそ断言できる。瑠夏はきっと自分のポーチを買ってこない。
都は立ち上がってクローゼットの扉を開けた。クローゼットの上棚には箱にしまったまま使っていない鞄がいくつも置いてあり、もちろんポーチもたくさんあった。箱にはハイブランドの銘が打たれていて、都はその中から手ごろなひとつを手に取った。
「これでいいかな。悪くないものだし、別にいいよね……」
瑠夏はきっとお礼がしたいのだ。そして新しいポーチなどいらないと言っている。そんな瑠夏に新しいポーチを持たせたいなら、都からプレゼントしないとダメなのだ。でもきっと普通にあげても受け取りはしない。だからまず瑠夏のお礼を都が受け取って、そのお返しとしてポーチを渡すしかない。
「めんどうなやつ……」
都はふたたびため息をつき、箱のホコリを拭いてから、とっておきの紙袋に入れた。
それから、ついでだしと都は思いついて鶴の鳴き声も検索してみた。
すると、
「クエエエエエッ! クエエエエエッ! グエエッ!! グエッ!!!」
と、ラッパのように喚き立てる鶴が再生された。
都はこのときはじめて、本当の意味で鶴の一声を知ったのだった。
◆
それから何日かが過ぎ、都と瑠夏は食堂にいた。
二人は向かい合って席につき、食事を終えてくつろいでいた。
ふと見ると、瑠夏の口元にケチャップがついている。都は自分の口元を指し示して、
(口についてるよ)
と瑠夏に伝えた。
瑠夏は頷いて、バッグから自分のポーチを取り出し、そこからウェットティッシュを一枚引き出した。これは都が補修したキルト地のものだが、今はウェットティッシュと小さな鏡の専用ポーチになっていた。
都は手元のタブレットに目を戻した。使い過ぎたせいか、充電が結構減っているのが目につく。都はカバンから充電器入れとなっているポーチを取り出した。そのポーチは艶のある黒い生地にスカジャンのような刺繍が縫い取られている。
ポーチの真ん中では怒り狂った猿が虎の腕から爪をむき出して、斜めにはしる稲妻を背に蛇の尾をしならせていた。
(了)