ブルリフS二次創作。
久野きららは夢の中で目を覚ました。冷たい箱庭の中に吊り下げられているような感覚があった。目に入るすべてのものが現実的な質感を持っていた。目覚めた後で思い返す夢とはまるで違っていた。映画が上映されているようなおぼろげな感覚ではなく、きららには明瞭な自我があった。だからきららには、これが神託なのだとすぐにわかった。
きららには安住菜々花の後ろ姿が見えていた。菜々花の行く道には雨が降りしきっていて、そんな中を傘も差さずにのしのしと歩き続けている。濡れた髪はぺったりと体に張り付いて、制服はすっかり水を含んでしまっていて、
(まるで黒ずんだ枷みたい)
と、きららは思った。
菜々花の歩いた後には水たまりができていた。
(まるでナメクジが這った跡みたい)
菜々花の行く先には巨大な池があった――あるいはダムや湖の類なのかもしれなかった。水は黒く、深さはまるで底知れない。その水面を雨がしきりに叩いていた。
(煮えた湯の泡が弾けているよう)
けれど菜々花はそんなことに気付かない様子でずんずんと水の中に踏み込んでいく。すぐに腰まで水に浸かり、首に達し、ついに頭のてっぺんまで水の中に沈んでしまった。雨は降り止まないし、菜々花はいっこうに上がってこない。そこで夢は途切れた。
* * *
「久野さん、こんなところにまで来てもらっちゃって、ごめんね」
そう言って、女子生徒はきららと向かい合う形で椅子に腰を下ろした。
「人がいるところでは、あんまりしたくない話だったから」
「心得てる。まったく問題ないから大丈夫だよ」
「うん、ありがとう。じゃあよろしくお願いします」
女子生徒が辺りを見回した。放課後の図書館閲覧室にはきららと女子生徒のほかに誰の気配もなかった。それを確認すると、照れくさそうに身の上を語り始めた。
「あのね、最近いい感じだった男の子と、この前〝そういうこと〟をしちゃったのね。で、もしかしてついに私にも彼氏ができちゃうのかもって思ってたんだけど、実は私の友達もその男の子のことが好きだったみたいで。私はその友達のことを大切な親友だと思ってるから、こんなことで喧嘩したくないんだよね。だからその男の子とは距離取って自然消滅させたっていいし、逆に真剣に付き合わなくちゃ友達に失礼なのかなとも思ってる。どうすればいいかアドバイスが欲しいんだ」
「ふむ。たしかに誰にも聞かせたくない話」
「でしょう! こんなこと誰にも相談できなくてさ」
「まかせて。きららは口が固い」
「それはもう。久野さんの占いはすごくよく当たるって評判だし、打ち明けた秘密も絶対漏れないってみんな信頼してるよ」
「期待してくれていいよ。これがきららのつとめだから」
「あはは、『つとめ』ってなんか変な言い方だね。……あのね、私こんなことであの子との間に溝ができちゃうのが一番怖いんだ。どうしていいかわからなくて、本当に困っててさ……」
女子生徒は力なく笑った。
ふむ、と言ってきららは女子生徒の顔を凝視し、カバンに手を突っ込んで水晶玉を取り出した。
きららは占い七つ道具と称してカバンの中に水晶玉のほか、トランプやタロットカード、ペンデュラムや多面体サイコロや筮竹や方位盤といった占いグッズ――の他に占星術に関する書籍も何冊か――を常備し、相談内容によって使い分けている。水晶玉を選んだのは、今回の相談内容では漠然とした未来を見た方がいいと判断してのことだった。
きららには実際に神託が降りてくるので、占いの結果には神の意思が如実に現れる。降りてきた神託をなるべくそのまま伝えるのがつとめだときららは考えていて、占い七つ道具はそれを言語化するためのものだ。今回の相談には、女子生徒と親友の未来を知ることが肝要と考えて、未来を漠然としたイメージとして受信できる水晶玉にしたのだった。
「じゃあはじめるね」
と、きららは水晶玉を両手の間に抱え込むようにして集中した。といっても、視るのは水晶玉の中身ではない。水晶玉は、(この方法で教えてください)と神に伝えるためのものでしかない。神託はきららの頭に直接降りる。
しばらく動かずにいると、自分が二つに増えるような身体感覚があった。神託の前触れだった。それから、膨大な情報量を持つ球体がねじ込まれた感覚があり、意識が一瞬白く飛んでしまう。神託で授けられる情報を処理するには人間の脳はあまりにも卑小だ。きららがそれでも発狂せずにいられるのは、精神に備わっている特殊な受容体の賜物だった。
といっても、情報のすべてを処理できるわけではなく、神託の大部分はノイズとして処理され、無意識下に置かれる。
今回、神託として残ったイメージは、ごく近い未来で、女子生徒が友人と並んで歩いている後ろ姿だった。この未来に至る過程は無数にあるが、あまりにも漠然としているため、それぞれを線で結ぶことが難しい。それに、二人の後ろ姿から受ける印象は薄暗く、手放しで喜べるものだとは言いがたい。
神託を占いとして人に告げるとき、きららは常に迷いを抱いていた。
神は二人が未来も並んで歩いていると教えてくれはしたが、それはただの結果にすぎない。一時的な友情程度の運命は、ちょっとした選択の違いで簡単に変わってしまう。男子と縁を切ったルートと、男子と真剣に付き合ったルートをどちらも知り尽くしているわけではないのだ。途中の細かな情報は意識の網の目をすり抜けてしまう。
たとえばバスケの試合の神託が降りたとき、きららの脳には試合の結果と、その結果に至る各選手の行動のすべてがインストールされる。選手の途中行動をきららが口にすれば、試合の過程は当然変化するし、試合の結果に影響を与えることだってある。未来はいつだってうつろいやすい。
「結果が出ました」
きららは、意を決した。
「あなたとその友達は未来でも一緒に並んで歩いているでしょう。よかったね」
「本当に!?」
「うん。嘘は言ってない」
「よかったあ……。本当によかった……」
女子生徒は緊張が解けたために机に突っ伏して、長いため息をついた。
「あ、じゃあ私はどうすればいいのかな? 彼と距離を置いたほうがいい? それとも、ちゃんと付き合うべき?」
「それなんだけど、わからないとしか言いようがない」
「そうなの?」
「うん。そのときにならないと何も言えないかもしれない。それがきららの限界」
「そっか。わかった。……やっぱり自分で決断しないといけないんだね」
「……うん」
結局は本人同士が話し合うしかないのかもしれない――と、きららは思ったが、それだって口にするのが憚られた。
「あのさ、なにも言わないんだね」
女子生徒が言った。
「なにも、とは?」
「ほら、私のことをビッチだとか、自分をもっと大事にとか、これに懲りたらもう、とかさ」
「そんなこと思ってもみなかった」
「そうなんだ。あはは。久野さんはすごいね」
「きららがどう思うか気になる?」
「うん。ちょっとはね」
「じゃあ正直に言うね」
「うん」
きららは一瞬の間を空けて、女子生徒に笑顔を向けた。
「おさかんですねえ」
「ええ……。なにそれ。なんかやらしいよ」
「おじさんみたい?」
「そう」
「きららはおじさん。それも悪くない……」
「きもいほうのおじさんだからね」
「あうう……」
女子生徒が指を立てて指摘し、きららが大袈裟にへこんだ表情を浮かべる。それから二人は内緒話のように笑い合った。
「みんないろいろある。友達とうまくいくといいね」
「うん。ありがとう」
きららに求められているのはお説教ではなく導きなのだと、きららはよく心得ていた。
神の導きは誰にも平等に与えられる。そこにきららの意思が介在するのは冒涜だと、きららはそう思っていた。
けれど、きららの望むと望まざるとに関わらず、神託を口にすることで未来は変化してしまうのだ。
きららは図書館を出たところで女子生徒と別れ、文芸部室に向かった。
部室では安住菜々花が退屈そうにスマホをいじっていた。
「お。やっと来たわね」
「おまたせ。もう出発しちゃう?」
「そんな疲れた顔してるのに、なに言ってるの。行くのは少し休んでから」
と、菜々花はアゴをしゃくってきららに座れと言った。きららがおとなしく椅子に座ると、パックのジュースが目の前に置かれた。抹茶オレだった。
「なによその顔。きららって抹茶オレ苦手だったっけ?」
「うんにゃ。ありがとう、なーな」
きららはストローを挿して一口飲んだ。すると、ひんやりとした甘さが広がって、口の中と喉を潤した。自分でも気付かぬうちに喉も渇いていたらしかった。
「あのさ、きらら――」
菜々花が打ち明けるような声色で言う。
「なにか悩んでることがあるならちゃんと言ってよね。力になれるかはわからないけれど、話くらいは聞いてあげられるからさ」
きららのもっぱらの悩みとは神託の伝え方についてだ。神託は絶対だ。けれど、きららが干渉することによって変化してしまうことがあるのもまた事実だ。きららは神託を、誰かを騙すためでなく、誰かの助けになるよう解放すると決めていた。だから、神託が好ましいものでないとき、よい部分だけ抜き出して、あとは口をつぐむことにしていた。けれど、その態度が神に対しても人に対しても不誠実に思えてしまう。
そして、きららがいま口をつぐんでいるのは、夢の中で見た菜々花に関しての神託だ。その恐ろしい未来を前に、きららは何も言えずにいた。
「悩んでること……。聞いてくれる、なーな?」
「もちろん。言ってみて」
「うん。神託で見た未来があまりよろしくないものだったとき、それをどう伝えればいいのか、なんだかわからなくなっちゃった」
「ああ……。それは確かに厄介ね。ヘタなこと言うと恨まれちゃいそうだし」
「それもあるけど、もっと根本的なこと。神様の言葉をきららが曲げてしまうのは冒涜。だけど、誰かに伝えたら神様の教えてくれた未来は変わっちゃう」
「それのなにが悩みなわけ?」
「きららは神様を裏切りたくない。でも、目の前の人を見捨てることもできない」
「バカねえ。きららがそんなこと考えてどうするのよ。神様が勝手に送りつけてくるメッセージなんだから、こっちがどう利用しようが勝手じゃない。お互い様ってやつよ」
と、菜々花は肩をすくめた。
「きららにはそんな風に思えない」
「意外と真面目なのね。でも神様のことなんて人間にわかるわけないんだから、もっと気楽にやりなさいよ」
菜々花が笑って言った。きららにはそれが鼻で笑われたように感じた。
(なーなには神託が降りてないからわからない)
きららは、胸に浮かんだ言葉を抹茶オレと一緒に飲み込んだ。
* * *
その晩、きららはまた夢の中で目覚めた。菜々花が水の中に沈んでいく、同じ夢だった。
(なーな、止まって! そっちへ行っちゃダメ!)
けれど、言葉は声にならなかった。
水に沈んだ菜々花はどうしているだろう。苦しんでいるのだろうか。怯えているのだろうか。どうすれば助けてあげられるのだろうか?
けれど、体は指一本動かすことができなかった。水に沈んだ菜々花をただ見ていることしかできない。無力さに打ちひしがれる。菜々花のいなくなった未来を考えると恐ろしい。そこで夢が途切れた。
* * *
何日も前から雨が降り続いていた。あらゆる川が水かさを増していた。この日も朝から警戒レベル4の大雨警報が発令されていて、対象の地域の住民には避難が呼び掛けられていた。停電したまま復旧が遅れている地域もあった
放課後になり、きららは図書館へ向かった。先日、占いをした女子生徒に呼び出されたからだ。だからこの日、きららは他の生徒の占いをすべて断っていた。
閲覧室には既に女子生徒がいて、暗い顔を浮かべていた。
「久野さん、来てくれたんだね」
「もちろん。あれからお加減どうですか?」
「うん……。それなんだけど……」
女子生徒は言いにくそうに俯いて、ため息をついた。
「全部バレちゃった。もうダメかも」
「全部、とは?」
「うん。順を追って説明するね。久野さんに占ってもらった後、友達の方が大事だと思ったから例の彼とは距離をおこうと思ったのね。だから告白とかされないように少避けてたんだけど、そしたらクラスのグループチャットに私の写真が貼られちゃってさ……」
「そんなにまずい写真だったの?」
「うん……」
と、女子生徒はスマホを取り出し、手元でしばらくためらって、それから覚悟を決めたようにきららに向けて差し出した。画面には腕で胸を隠した下着姿の女子生徒が写っていた。表情は親しい者に向けるそれだった。背景はどう見ても男子の自室であり、直前まで裸だったことが窺える。
「撮られたのはわかってたんだけど。私が甘かったなぁ……」
「これを友達も見たと?」
「気まずくて全然話せてないんだけど、絶対見たと思う」
言いながら、彼女は目に涙を溢れさせた。その涙がこぼれないよう、彼女は上を見上げた。
「こんなこと相談できる人いなくてさ。これから私どうすればいいんだろう……」
「わかった。ちょっと見てみるね」
きららは水晶玉を取り出して、それに両手を重ね合わせた。そのまま心を空白にしていると、あぶり出しの絵のようにイメージが浮かんできた。女子生徒とその友達が並んで歩く後ろ姿だ。神託特有の身体感覚からして、このイメージは神託で間違いなかった。
「見えました。相変わらず友達と並んで歩く未来に変化はないみたい。だから、このままでいいということ……のような気がする」
「そうなんだ。きついなあ……」
「申し訳ない……」
「ねえ、久野さんはこうなることがわかってたの?」
女子生徒が鋭い目を向けた。落ち着いた声ではあったが、瞳の奥に恨むような炎が揺れていた。声が棘をはらむのを極力抑えていることは疑いようもなかった。前回の神託の中に、リベンジポルノを思わせるイメージがなかったと言えば嘘になる。けれど、きららにはそれを一つの大きな流れとして結びつけることができなかった。
きららが何も言わないでいると、
「ごめん、久野さんを責めることじゃないよね。久野さんにとっては結局他人事なんだし。今日はわざわざ来てくれてありがとう。後は自分でなんとかするね」
女子生徒は立ち上がり、閲覧室を出て行った。きららは何も声をかけることができずに、立ち去っていく後ろ姿を見つめた。
きららも閲覧室を出て、とぼとぼと文芸部室に向かっていた。窓の外では雨が降り続いていて、陰気な雨音が廊下に反響していた。
文芸部室では菜々花が退屈そうにスマホをいじっていて、きららの顔を見るなり苦笑いを浮かべた。
「またひどい顔になってるわよ。今日もうまくいかなかったみたいね」
菜々花の言葉に、きららは頷いて返事した。声は出なかった。頭の中がぐちゃぐちゃで、何を言えばいいのかわからなかったからだ。
「占われた側が落ちこむならわかるけど、なんできららが落ちこむわけ?」
まったく訳がわからないわね、と菜々花が言った。
「預言の未来に繋がっていく過程をすべて言えなかったから、今回はきららの取りこぼしのせいで可哀想な目に合わせてしまった」
「それでなんできららが落ちこむのよ?」
「きららにはもっとできることがあったはずだから」
「……あのねえ。所詮は占いでしょ」
「違う。きららには本当に未来が見えている。神託を軽く見るのはよくない」
「ううん、占いよ。きららに未来が見えてるのは知ってるし、実際に活用もしてる。けれどね、私にとってきららの預言は占いなのよ。いい? きららの預言は今までたくさんあったけど、その通りになったこともあれば、預言に抗えたこともあった。未来なんて不確定なものなの」
「それは、きららが預言を口にしたから。言わないで黙っていれば預言通りの未来になるはず」
「そうかもね。でもそうじゃないかもしれない」
「違う。未来は決まってる」
「きららは何もわかってないのね。ま、いいわ。チャンスがあったら詳しく教えてあげる。それよりも……」
菜々花は言葉を区切って立ち上がり、自分のロッカーを開けた。
「さっさと任務に行きましょ。あんまり遅れると暗くなっちゃう」
そう言って、任務用の隊服を羽織った。隊服は本人の体格よりも大きく作られていて、肉体に現れる様々な異常を隠せるようになっている。もちろん頑丈に作られているので戦闘にも耐えうるし、様々な環境を考慮して耐火防水構造でもある。つまり、合羽代わりというわけだ。
外は相変わらず雨が降り続いていた。校庭のいたるところに大きな水たまりができている。排水口からはゴボゴボと水が溢れていて、もはや意味をなしていなかった。雲の向こう側に太陽が滲んで見えていた。空気が生ぬるく、まるで水中にいるようだ。
きららの目の前を菜々花が歩いていた。菜々花は雨に濡れるのを嫌ってフードを被った。その後ろ姿が神託と重なって、きららは思わず菜々花の袖を掴んだ。
「なーな。今日はやめよう。良くないことが起こる気がする」
「あら、例の神託ってやつかしら」
菜々花がとぼけた調子で言う。
「茶化さないで。本当はずっと前から見えていた。神託はなーなが水に沈んだまま浮かんでこないと告げている。だから、今日は任務に出ちゃダメ」
「ふうん。それならなおさら行かなくちゃね」
「なーな! どうして?」
「うーん。理由は大きく二つあるけど。ひとつは、それがもし異灰によるものなら、私がやっつけなくちゃいけないから」
「もうひとつは?」
「それは、戻ったら教えてあげる」
と、菜々花は顎をあげ、自信に満ちた顔をきららに向けた。
「だから、サポートしっかり頼んだわよ。私の頼もしい巫女サマ」
任務とは決められたルートを定期的に巡回するというものだ。巡回はツーマンセルで行われ、たいていは索敵担当と戦闘担当の二人で組むことになっている。広範囲高精度のアンテナを持つきららが索敵担当で、戦闘担当は菜々花だ。巡回では小さな異灰は駆除し、危険な灰の塔があれば崩しておき、もしクイーン級の異灰がいれば座標を記録して持ち帰る。けれど、たいていの場合は何事もなく帰還することができた。
「で、これがきららの言ってた神託ってやつなのかしら?」
菜々花が目の前を親指で示し、挑発的に言った。
道が冠水していて、まるで大きな池のようになっていたのだ。谷のように窪んだ道になっているから、こんなことになってしまったのだろう。といっても、道はひとつではないから迂回すれば問題なさそうだし、道の端を通っても抜けていけそうだ。
「わからない。でも状況はほとんど同じ……」
言いながら、きららは素早く水中を索敵した。けれど怪しい気配は見られない。ただの冠水した道だ。きららは首をかしげた。
「かなり質感のある神託だったから、『水に注意』みたいな抽象的なものじゃないはず。現実に起こる未来なのは間違いない……けど」
菜々花が水の中に入っていく状況など他にあるだろうかと、きららは考えを巡らせた。今は雨の状況まで一致しているのだ。
「ふうん。じゃあこれが神託ってわけね」
「だと思う。なーな、念のためこの道は迂回しよう」
「きらら。これはきっとそういうことじゃない。私、なんとなくわかっちゃったかも」
「なーな……?」
菜々花が水に向かって駆け出した。そして淵で大きく飛び上がり、足から水に着水した。水しぶきが高く舞い上がり、止みかけた雨と混ざってきららに降り注いだ。
きららは呆気にとられて、少しの間、動くことができなかった。それから我に帰り、道の端をそろそろと歩きながら菜々花の着水した辺りに向かった。
「なーな! なーな!」
きららは黒い水面に向かって呼びかけた。返事も泡もなかったが、水面を叩く雨の波紋は神託で見たものと違い、だいぶ弱かった。雨が止みかけているからだ。
自分も飛び込んだほうがいいのか逡巡していると、
「ぷはあっ!」
菜々花が勢いよく水の上に顔を出した。
「あはは! 驚いた!?」
「びっくりした。びっくりしすぎて水に落ちるかと思った」
「落ちたところでただの水よ」
「なーな。なんともないの?」
「ご覧の通り。それに別に足だって立つし」
水面は菜々花の腰より少し上までの高さだった。
「で、神託の通りになってみたけれど、何も起きないわね」
「うん……」
「あのねえ、きらら。私はきららを信じてるんだって、何回言えばわかるのかしら? 神様がきららに神託を見せたってことは、神様なりに何か言いたいことがあるってことでしょ。きららは私を信じられないだろうけど、せめて神様のことは信じてあげなさいよ」
「信じてるなら、なおさら悪い未来は避けた方がいい」
「私はきららを信じたから飛び込んだのよ。決定したものを後からうだうだ変えると、たいてい碌なことにならないんだから。それにね、私の未来を変えるのはきららじゃない、この私よ。わかった?」
それでも、きららは釈然としなかった。未来がどうなるかわかっているのに、その未来を避けることなく受け止めるだなんてまるで茶番だ。
「なんだかわかってなさそうな顔ね。いいわ、じゃあきららの望み通り、神託を超えてやろうじゃない。二人で」
菜々花はそう言うと、水の中から勢いよく跳躍し、一瞬できららとの距離を詰めた。
「未来なんかめちゃくちゃにしてやるから! あははははは!!」
菜々花が哄笑しながら、きららの服を掴み、巴投げの要領で水の中に引き摺り込んだ。水に沈むと、外界の音が消え失せて、ごぼごぼとした泡の音だけが聞こえた。水の中で菜々花が笑っているのが見えた。浮かぼうとすると、菜々花が力を込めてそれを阻んだ。きららが慌てて、もがくように水をかいた。しばらくもがいていると、ようやく菜々花が手を離した。
「ぷあっ! はあ! はあ! はあ!」
きららは菜々花よりも背が低いので、水面は鎖骨のあたりに来ていた。続いて菜々花が水面から体を出した。
「どう、きらら。神託にこの未来はあったかしら?」
「ないよ、ない。きららは水に入らなかった!」
「あはは! じゃあ神託超え成功ってわけね。やったあ!」
「罰当たりな……」
ぺっ、と水を吐いて、きららは菜々花を見た。笑っている菜々花の向こう側に西日が差していた。雲の切れ間から太陽が覗いたのだ。雨は小ぶりになっていて、もうすぐ止みそうだ。そのとき、菜々花を囲むように、大きな虹が空に架かった。その美しさにきららは息を飲んだ。菜々花が首を傾げた。どうしたの、とでも言っているような顔だ。きららはなんだか今は教えてあげたくなくて、「なんでもない」と言った。この美しい景色を、もう少しだけ見ていたかったのだ。
* * *
それから数日後、きららは女子生徒に呼び出された。図書館で会おうとのことだった。きららが先に着き、ほどなくしてから女子生徒もやってきた。
「どっちから言おうか悩むけど、まずは――」
女子生徒は顔の前で両手を合わせた。
「ごめん、久野さん。せっかく占ってくれたのに、変な態度取っちゃって。あれから私、自分のこと嫌なやつだなと思っちゃって、ずっと謝りたいって思ってたんだ」
「ひどい目に会ったのはそっちなんだから、謝ることはないと思う」
「ああ……それなんだけど、もう別にいいかなって……」
「そうなの?」
「いや、されたことはムカつくよ。でも、あれから彼、クラスで浮いた感じになっちゃってさ。まあ自業自得だけど」
「うん」
「親友もね、なんか一瞬でさめちゃったんだって。親友だけじゃなく、ほとんどの女子は引いたんじゃないかな。まあ中には変わり者もいるかもだけど」
「そうだったんだ」
「でね、グループチャットで晒されてから、親友がずっとそばにいてくれたんだ。それに、私のために怒ってくれたの。好きな人と付き合うのが私なら身を引こうって、彼女は考えてくれてたらしいのね。でも、それが裏目になったって悔しがってた。私、ごめんって謝られちゃったんだ。それで私、気がついたんだ。ああ、これが久野さんの言ってたやつなんだって」
「――!!」
「だからもういいの。ううん、そうじゃない。久野さん、占ってくれてありがとう。おかげで親友と前よりもっと仲良くなれたよ。本当に感謝してる」
また何かあったらよろしく、と言って女子生徒は席を立った。そして、困ったことがあったら言ってね、なんでも手伝うからね、と付け足した。きららは頷いて背中を見送った。女子生徒が扉を開けると、扉の前で別の女子が待っていた。その女子はきららの目を見て、手をひらひらと振った。それから二人は並んで廊下を歩いて行った。預言で見た後ろ姿だった。
ひとり閲覧室に残されたきららは、ぼんやりと物思いにふけった。
未来は神託の通りだったり、変わったりする。けれど、それはきららの意思が介在していないのかもしれなかった。だとすると、きらら自身も神託の一部ということになりやしないだろうか?
つまり、神様がなんらかの意図を持ってきららに神託を見せ、それについて自分で考えたことすら神様の手のひらの上なのかもしれなかった。
いや、きっとそうなのだろう。
菜々花はきららを信じていると言った。つまり、きららを通して神様のことも信じているということだ。
きららはもちろん神様のことは信じていたが、菜々花ほど当たり前に信じることができていないのかもしれなかった。
だから、きららも菜々花を通して神様を信じればいい。菜々花が神託を信じてるんだから、きっと大丈夫。それに、暗い神託だって、菜々花とならそれほど悪くない。
「神様。ありがとう」
きららは声に出して言った。すると心の深いところに芯が立ったように感じた。
だから今晩はおいしいものを食べよう。
それがきっと神様への捧げ物になるから。