風呂での事案から約1時間後。何故か脱衣所前で弁当箱を持ち待機していた憲兵から綺麗に包まれた風呂敷を受け、拭いきれない恐怖を顔で表しながらも執務室に戻って食べることにした。
その
「昼の分まで渡されてしまったからな……」
今までこうも優しく接せられた経験の無い長髪の男。口元が微小に上昇していることは未だ知覚していない。
そういえば、憲兵に弁当を渡される時、一緒に紙を渡されていた。文章でしか伝えられないことを察するに、どこで誰が聞いているか分からないということだろう。そう考えると、執務室や私室にも何らかの監視システム──盗聴器や監視カメラ──が設置されているかもしれん。
何なら現状、この鎮守府の艦娘にとって最たる危険人物であるのはこのマッドサイエンティストに他ならない。それならば殊更、情報収集機器がこの部屋にある可能性は上昇した。
それらに気をつけて行動しなければならない。と思うと、上がってた口角が自然と元に戻っていく。
「それよりも先に
書類と書類の間に挟まれた手紙を最小限の動作で取り出し、その文章に目線を向ける。綺麗に楷書体で書かれたそれを見るに、書道を嗜んでいることは一目瞭然であった。
某月某日、二三三〇に連絡橋下に来い。
とだけ書き連ねられた手紙。本来であればシカトするのだが、今回だけはできない要因がある。1行にまとめられた文の左下に刻された血印。その符牒が
──日付は丁度明日。なにかの手違いで手紙が送られてこなかったらどうするつもりだったのか…とたらればを妄想するが、あの人に限ってそんなミスは起こさないだろうと考えを修正する。
偶々目に入った時計が〇五三〇である事を告げると、タイミング良く鎮守府中に目覚ましがラッパを吹き始めた。
私が大学生の時はまだデジタル出力が一般に普及されていなく、CDを使い毎朝定時に曲を流す当番制があったことを思い出す。
統計的に
「失礼します!」
コンコン、と扉をノックする音が鳴り頭の中にあった意識が廊下に向けられる。こんな早い時間帯に一体何の用事なのか。
「入れ。」
「朝食の時間なのでしれえを呼びに来ました!はじめまして、陽炎型八番艦。雪風ですっ!ってあれ?もう朝ご飯食べちゃってます…??」
顔と同じ程の大きさを誇る双眼鏡を首からかけた
「お前が今言った通りだ。……あぁそれと、1つ聞きたいことがあるんだが、その手に持ってるクラッカーはなんだ。」
「はっ……(汗)、、隠して持ってくるはずだったのにしれえが既にご飯を食べていたことに驚いて見せちゃいました……!!」
まるで汗を拭うような動作と、くの字に目を変形した表情でやっちまったーと動揺を示す少女。
「まぁいい。食堂にでも行けばいいのか?」
「来てくれるんですか!?……でも弁当がまだ…。」
「食堂に自前のものを持っていくのは禁止されてるのか?」
「( ゚д゚)ハッ!、その手が有りましたね、流石しれぇです!」
「別に、少し考えれば誰でも思いつくだろう。」
ほぉー、と反応を示す雪風にいいから食堂に案内しろ。と指示をし、執務室を出る。
こんな僻地でも設備はとても整っている。執務室のある1号館、艦娘寮の2号館、そして工廠や食堂・入渠施設などがある3号館。他にもグラウンドや港などが敷地内であり、広さとしては一般的な高等学校と同じくらいのサイズだろう。
「しれえ、あっちから通ると食堂への近道になりますよ!」
私の顔を満面の笑顔で見つめるながら話しかける少女。一体私の何が、そんなに少女の表情に肯定的影響を与えているのだろうか。そう思って私も少女の目を凝視していると、
「しれえ?私の顔に何か付いてます?」
「……そうだな、私には到底理解出来ないものが付いている。」
嫋嫋と答えるマッドサイエンティストとは対照的に、えっ!?という仰天を示す幸運艦。大人に比べ斬新な発想を持つ少女は、幽霊でも付いているのかと見当違いな方向に思慮を巡らせているが、そうこうしている内に私達は食堂の前に到着していた。
引き込み式の扉に手をかけ、両の扉を横にずらすと。
──パァン!
銃声に似た音により自然と瞼が鉛直下向きに運動を実行してしまう。
数瞬の後、目を開けると眼前にはヒラヒラと飛来するカラフルな紙片。その奥を見渡すと多くの少女が居り、中にはカメラを構えている者もいる。
そして一斉に
「セーノ、…提督着任、おめでと(うございます)ー!!!」
煌びやかな少女たちの黄色い声。マッドサイエンティストの左隣にはドヤ顔でこちらを見上げる駆逐艦雪風。
恐らくこれからこの鎮守府の艦娘達と邂逅するのだろうと、予想はしていたがここまで歓迎されているとは思わず戦いてしまう長髪の男。
「はいっ!明坂提督、まずはこちらのお席に座ってください。」
「あ…あぁ。。」
流されるまま憲兵が用意した席に着席させられる科学者。その顔には困惑が隠されておらず、普段の仏頂面が完全に鳴りを潜めている。
直後に体に掛けられる[本日の主役]と書かれたタスキ。ご丁寧に半紙に筆で書かれていることや、飾り付けられた食堂の内装を見るに、今日の力の入れ具合が推し量れる。
「この鎮守府に在籍する32名の艦娘が全員揃っています!」
「…そうかい、かなり私には勿体無い会だな。」
「そんな…謙遜しないでくださいよっ!」
海軍式の敬礼を崩さずに私の次の発言を心待ちにする32人+憲兵。まずはその畏まった敬礼を解かせると、
ふと、考える。目の前佇む少女達であれば、人間である私など極めて容易に殺められる存在だということ。そして私は今まで、数多くの艦娘を傷付けてきたマッドサイエンティストであることをよくよく脳に刻み込み、下手な手を打たないように慎重に発言を考える。
「……まずは、この歓待を用意してくれて感謝する。ところで、確かに統計的に今は最も深海棲艦との交戦回数か少ない時間帯ではあるが。哨戒はしなくていいのか?」
少しでも今いる艦娘を減らそうと提案してみるが、憲兵から「今日の哨戒任務は他の鎮守府に手伝って貰えるよう交渉していた。」と明かされることで思わず眉が歪むが、長髪故に前髪で隠れていたおかげで助かった。
正直な話、ずっと研究所に引き籠っていた科学者にとって数人の艦娘を前にすることはあっても、それこそ1クラス分の艦娘に囲まれるのは初めての経験である。生来の人見知りの助力により、私は千語万語を費やしても表現出来ない
「しれえ?」
私が一言も発しないことに疑問を覚えたのか、未だに中身を発射していないクラッカーを持った雪風が声を掛けてくる。
考え抜いた末に、安直な話が1番いいだろうと結論を吐いた脳に従い、口の形を変える。
「……とりあえず、自己紹介をしておくべきか。日本海軍所属、明坂だ。階級は大尉。皆まで言わずとも解るだろうが、今海軍で噂のマッドサイエンティストと言われている。尤も、現状は研究を封印されて、ただの軍人でしかないがな。何か質問はあるか?」
「はい、私から質問させてください。」
そう言って控えめに手を挙げながら質問するのは、黒髪をサイドで束ねた、目の前にいる艦娘の中では比較的有心のありそうな白道着を着る女性。珍しくマッドサイエンティストでも知っている艦娘。正規空母、加賀だ。
「私、訓練に飽きたから出撃がしたいの。」
「勝手にしろ。」
「あら、流石に気分が高揚します。」
適当に返答した私の言葉に、信じられないとでも言いたいかのように手を口に当て、感情をそのまま言葉にするサイドテールの少女。勿論憲兵が止めに入り、
「ちょっと明坂提督!?そんな…、この鎮守府の資源状況を分かって言ってます!?」
「あぁ、行きの列車で概ね把握している。」
「ならどうしてそう簡単に許可なんて…!!というか、この席の場はそんな話をするために用意した場所じゃないです!とっとと席に着いてくださいっ!頑張って作った料理が冷めちゃいますよっ!」
「その通りね、私や妹達が作った料理もあるの、食べてくれるわよね?」
陽炎型のネームシップの一言もあり、この話がなあなあになりそうになった中、空気の読めない人間が1人。
「別に、加賀。資源を使っていいなんて私は一言も言ってないが?」
マッドサイエンティストの発言に目を丸くしてポカーンとする一同。
そう、資源の無い状態での出撃。よく言われるところの、【捨て艦】である。艦娘にとって死刑宣告であるそれは、いとも簡単にその場の
「出撃なんぞ勝手にすればいい。まぁ、それに使う資源なんて無いがな。」
「それは、私が沈んでも構わない。ということ……?」
表情……は一変してないが、明らかに大食艦の目の色が変わった。怒り、失望、焦り。少し前の横須賀の時と同じ。デジャヴが脳に過ぎるのと同時に、そこで
──早い…早すぎる……。体が10数年培ってきたものに即落ち屈服させられてしまった…!!
ここから何とかして殺されないようにする方法を探し出すマッドサイエンティスト。
「可愛いもの…には旅をさせよと言うだろう?つまりそういうことだ。」
「流石にそれは無理があると思うわよ。」
無理だった。クソ、クソ!どうしていつもこうなる…!!もう死亡確定では無いか…。。目の前に走馬灯が流れていく。おかしい、風呂で癒したはずの精神的ストレスがまた牙を剥き出したな。……思えば親の愛を知らず2歳で孤児院に叩き込まれた私が何故海軍の重鎮と相見えるまでに成り上がったのか。
「あっ、回想に突入するのはまた今度にしてくださいね。」
パン!と手を叩いた心理学専攻憲兵により現実に引き戻された。それを機に先程まで
「ま、今までのは冗談だ。私は非合理な行動が嫌いなんだよ。」
「そう、それなら尚更、さっきの発言は合理的でいいじゃない?
しかし流石は冷静沈着で通っている正規空母だ。揚げ足の取り方がプロ中のプロである。
「それを言われると困るな。」
「じゃあ、出撃してもいいわよね?」
「答えはNOだ。」
「…何故?」
加賀は、先程までとは180度違う長髪の男の返答に、
「私は現状研究を封じられている。それは言い方を変えると、研究をしたら更なる罰則があるとも言える。」
「そうね。でも、それが何か?」
「自分で言うのもなんだが、私はマッドサイエンティストだ。今まで、数々の艦娘を死に追いやってきた。そんな私が着任してすぐにお前のような正規空母を見捨てたらどうなる?」
目から鱗が落ちるように何かに気づいた加賀。
「研究の一環と勘違いされるには必然、ね。」
「それに、私は色んなところの提督とドンパチしている。特に大湊と横須賀は私のことが嫌いだからな。大湊なんか直ぐに難癖付けて軍法裁判を開くだろう。加えて、私はまだ死にたくない。死ぬわけにはいかない。だから答えはNOだ。」
私の答えを聞いてサイドテールの女は額に黒い影を寄せ、私を睨みつけている。成程そういえば、呉のやつが──加賀は感情表現が下手だが感情表現が豊かだ。──と言っていたことを思い出す。
ふむ、曰く問題児の彼女でも、艦娘1個体としての大まかな性格は変わらないようだ。
「へぇ〜、まぁ…いいんじゃないかしら?」
「そうやなぁ!ここの鎮守府の司令はんにふさわしいなぁー!」
私と正規空母により張り詰めていた空気を、切り裂くように発言するのは、例の陽炎型1番艦と、その横にいる恐らく陽炎型であろう黒髪の少女
「どういう訳か分からんが、私のことを
「ふふっ、さっきは研究封じられてうちらには攻撃できない言うたやんかぁー。」
「悪いな、私は基本的に研究のこと以外適当に言葉を繕っているだけだ。」
申し訳なさそうに肩を落とす私を見て、悪いなんて思ってないやろーと返答する全身黒白の断層で身を包んだ少女。
「……!、皆さん、ほらぁ…明坂提督が話続けちゃったせいで(1部の艦が食べ始めていたのを除いて)お料理冷めちゃいましたよっ!レンチンしてくるので早く席に着いてくださいっ!」
早くこの話を終わらせろ。と憲兵に目配せし、それに彼女が気がついて一区切り付けられると、先に食べ始めていた少女たちを除いた約20数名の艦娘がゾロゾロと移動していく。
今思えばよく生き残ったものである。あそこまで艦娘を愚弄したというのに。
人間という下等生物には最早然したる興味が無いのか?と言っても、それで殺されないのであれば万々歳ではあるのだが。
そう感想を頭の中で綴り続けていると、横にまだ移動の素振りを見せていない艦娘が居た。
「どうした?幸運艦。まだ何かあるのか?」
「……私、しれぇのこと最初はちょっと怖かったんです。でもさっきの話を聞いて安心しました!しれえは私たちの事、絶対裏切らないですよね?」
「中々早計だな。確かにさっきも言った通り、私は研究が封じられている間はお前らに手を出せない。憲兵も怖いからな。が、仮に研究が解放されたら真っ先に手を出すのはお前らだろうな。」
「えへへ、そう言って貰えて何より!です。」
「…?」
「期待してますよ…しれえ。」
最後は何を言っていたのか分からなかったが、幸運艦はその場から自席へ戻って行った。タイミングを見計らって私は持ってきて居た
ちなみにいつの間にか弁当箱の中には|減っていた3分の2を埋める具材《陽炎型による特製肉厚皮の内部の液体により舌やけるやつ》が詰め込まれていた。吐いた。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
マッドサイエンティストが話しかけられている中、ヒソヒソと、楽しそうに会話を繰り広げる駆逐艦の2人。
紅く紅蓮のような髪で、時津風とは比較してもみあげの長さが後ろ髪と釣り合っている少女。
「新しい提督、結構いい感じだな!萩。この鎮守府にも嵐が巻き起こりそうだぜ……!!」
その言葉に返答するのは、萩と呼ばれた菫色のサイドテールを持つ少女。
「そうですね。司令官、どこまでやったら壊れちゃうのかな♡」
ここは、問題児が集められた僻地鎮守府。例え提督本人がどれだけ非道な存在であったとしても、上には上がいるということを地で証明していく世界。そしてこれは、そんな上位の存在に研究を盾に滅茶苦茶♡にされる話である。
本作で1番難しいのはなにか。それは、艦娘でも私のモチベでもなく、主人公の扱いだと思っています。マッドサイエンティストっていう特殊な立場故、心情描写が難しいと言うか、なんというか。彼自身の目的とか方向性とか。それがはっきり定まってなかったんです。っていうのが2話までの話で、3話でようやく、頭を悩ませながらも主人公の方向性を決めました。
今までのはどこにでもいるただの主人公。それが、今回''この作品の''主人公になったんですね。