【コミカライズ化決定】引き抜いた聖剣が独占欲剥き出しなヤンデレ彼女面してくる件 作:アスピラント
(こんなに剣って重かったっけ……!)
マルティアナではない、村の武器庫から引っ張り出したただの鉄の剣を握りしめながらアレックスは思う。重心が違うし手に馴染まない。
だからと言って諦める訳にはいかない。
アレックスは構えて魔獣を迎え撃つ。
「ゴァアアア!!」
先頭の一頭が跳び上がった。アレックスは横に跳んで躱し、剣を横薙ぎに振る。手応えがあった――魔獣が地面を転がる。
「よし!」
まずは一体倒したが……こんなの微塵も足止めになってない。
(多すぎる!)
更に一頭倒しても、また一頭来る。倒しても倒しても、群れの端が見えない。アレックスは歯を食いしばって剣を振り続けた。腕が痛い。足が重い。マルティアナと戦う時とは全く違う、純粋な体力と技術だけで押し返そうとしているのだから当然だ。
「こっちに来るな!」
叫びながら、また一頭を弾く。
村人たちは逃げていた。家に駆け込む者、子供を抱えて走る者、荷物を捨てて転びながら逃げる者。その悲鳴が、アレックスの耳に次々と刺さる。
(守らないと)
頭ではそう思う。
しかしいつの間にか、幻覚だという感覚が薄れていた。
気づいたのは、いつからだろう。魔獣の爪が腕をかすめた痛みが本物すぎたからか。村人の叫び声が耳に痛すぎたからか。気づけばアレックスは、これが夢だと疑う余裕すら失っていた。
目の前で起きていることが、全て現実だった。
それ以外の何でもなかった。
「――アレックス!」
ケイティの声がした。
振り返ると、彼女が広場の端で立ち尽くしていた。足がすくんでいるのか、逃げられないでいる。その目の前に、一頭の魔獣が向かっていく。
「ケイティ、逃げろ!」
アレックスは全力で駆けた。
間に合った。魔獣の前に割り込んで、剣で受け止める。衝撃が腕に走り、そのまま弾き飛ばされる。石畳に背中を打ちつけた。息が詰まる。
「アレックス!?」
「逃げろって言ってる!」
怒鳴りながら立ち上がる。膝が笑っている。それでも立つ。
ケイティが走り出した。路地の奥へと消えていく。
アレックスはもう一度魔獣へ向き直った。
そのとき、悲鳴が聞こえた。
広場の反対側だ。老人の声だった。隣の家のおじいさんが、畑の近くで倒れている。その傍らに、魔獣が一頭いた。
「まて……!」
アレックスは動けなかった。
一瞬だった。ほんの一瞬、そちらへ意識が向いた。
それだけで、手前の魔獣への対応が遅れた。
爪が、脇腹をえぐった。
「がっ……!」
痛みで視界が白くなり、膝をつく。
剣を杖にして堪えたが、襲われた老人はもう死んでいた。
アレックスは唇を噛んだ。
何かが胸の奥で、ぐっと固まった。悲しみなのか怒りなのか、自分でもわからない。ただそれは熱くて、重くて、喉の奥から溢れそうだった。
「……くそ」
立ち上がった。
「くそ……!」
剣を構えた。
涙が出そうなのを、奥歯を噛んで堪える。
「ガァアアアア!!」
でも落ち込む時間なんてない。
魔獣はこっちの事情なんて鑑みない。
アレックスは剣を振り続ける。脇腹の傷が開くたびに鈍い痛みが走る。それでも足を止めなかった。止めたら終わりだとわかっていたから。
一頭を弾く。また一頭が来る。
弾く。来る。弾く。来る。
(終われ……!! 終われ……!! 終われ……!!)
村の中はもう悲鳴と怒号で満ちていた。あちこちの建物が崩され、畑が踏み荒らされる。逃げ遅れた村人たちの声が、次々と途切れていく。その一つ一つがアレックスの胸に刺さる。
そのとき、路地の奥から聞き慣れた声がした。
「アレックス、助けて――!」
ケイティだ。
逃げていたはずの彼女が、路地の突き当たりで追い詰められていた。三頭の魔獣が、じりじりと間合いを詰めている。
「ケイティ!」
アレックスは駆けた。
全力で駆けた。脇腹が悲鳴を上げる。足がもつれる。それでも走った。
だが救いの手は届かなかった。
魔獣の一頭が跳んだ瞬間、アレックスはまだ路地の入口にいた。ケイティの声が、途切れた。
「――――!!」
声にならない叫びが喉から出て足が止まった。
路地の奥で、魔獣たちがゆっくりと振り返った。その口元が、赤く濡れていた。アレックスはそれを見て、全身から力が抜けていくような感覚に陥った。
膝をつきかけて、踏みとどまった。
踏みとどまって、剣を構えた。
震える手で、構えた。
「……アレックス!」
今度は別の声だった。
広場の方からしている。
毎日聞いてきたこの声の主は母のものだ。
母は広場の入口で父と一緒に立っていた。こちらへ向かって手を伸ばしている。その表情は、アレックスを見つけた安堵と、魔獣への恐怖が入り混じっていた。
「逃げて! こっちに来ないで!」
アレックスは叫んだ。
しかし二人は動かなかった。動けなかったのかもしれない。足がすくんでいたのかもしれない。それとも息子の元へ来ようとしていたのかもしれない。
その隙に、魔獣が回り込んだ。
「やめろ……!」
間に合わないとわかっていても走った。
だって自分と距離があるのだ。魔獣の方が速いなんてわかりきっている。
それでも足を動かした。動かし続けた。
その果てにアレックスは目にした。
「うぁああああ!!」
父と母が食いちぎられる姿を。
「うぁぁぁぁぁ……!! ああああ!!」
アレックスは叫んだ。声が枯れるほど叫んだ。走りながら剣を振った。魔獣の一頭に当たった。当たったが、倒せなかった。弾かれて石畳に叩きつけられた。
「ぐ……ぅ」
起き上がろうとするが腕が震えて持ち上がらない。顔を上げると、両親がいた場所が見えた。
そこにはもう、誰もいなかった。
「……お父さん、お母さん……」
涙が、石畳に落ちた。
魔獣がこちらへ向かってくる気配がした。アレックスはそれでも剣を握ろうとした。指に力が入らない。鉄の剣が、からんと音を立てて手から離れた。
「……なんと無様な姿」
するとアレックスの下に誰かが現れた。
石畳を踏む音が、規則正しく近づいてきて、アレックスの側に立つ。
「お……ま…………え」
アレックスは目を細めて、その影の主を見上げた。
エリドゥだ。
黒いローブをまとった姿ではなく、メイドの制服を着たユミの姿でもない。ただの人の形をした、輪郭の曖昧な何かだった。しかしその声は、確かにエリドゥのものだった。
「愚かな奴だ、ただの子供が、敵う相手だと思ったか?」
「……!」
「力無き者が偶々担い手に選ばれたばかりに……お前は家族を亡くした」
これは幻術のようなもの――だがアレックスは実体験として心に刻まれている。
「一瞬でも英雄になれると思ったか?」
エリドゥの言葉がアレックスを貫く。
「諦めろ、お前に聖剣は荷が重い」
絶望がアレックスを襲ったその時――何者かがアレックスの前にいきなり現れた。
『そんなことはない』
「……?」
ふとその人物に目を向けると、全身にモヤがかかった少年がいた。アレックスは一体何者だと不思議に思っていたが、エリドゥは驚いて唖然としていた。
「まさか……なぜお前がここに――」
『……彼女のおかげだよ』
その少年は儚い笑みを浮かべた後――光を放った。
◆
「――ここは?」
気づくと、アレックスは広場の石畳の上に座っていた。
さっきまでの光景が、消えていた。
魔獣もいない。血の匂いもない。崩れた建物も、踏み荒らされた畑も、途切れた悲鳴も――全部、なかった。
綺麗に元に戻ったフォルス村だった。
空は青く、風は穏やかで、遠くで鶏が鳴いている。広場の真ん中には勇者像が変わらずそこに立っていて、台座の苔も右肩の欠けも、記憶通りだ。
「……何が」
アレックスはゆっくりと立ち上がり、周囲を見回した。
脇腹の痛みもない。腕の痺れもない。石畳に打ちつけた背中も、爪で抉られた傷も、全部消えていた。まるで戦っていた時間ごと、なかった事にされたように。
(一体何が起きた……?)
あの少年が光を放った直後から、記憶が繋がっていない。
「あ、目が覚めた!」
声がしてアレックスは振り返った。
広場の端に、少年が立っていた。
年はアレックスより少し下に見える。体格は細く、服装は何とも形容しがたい、この世界のどこにも属さないような薄い白だった。そして顔が、見えなかった。光でも影でもない、ただ自然に、顔のあるべき場所がぼやけている。輪郭はあるのに、そこだけ焦点が合わない。
「良かったー、間に合った」
少年は心底ほっとしたように言った。声は明るく、軽い。緊張感のかけらもない口調だった。
「……君は」
アレックスは一歩近づきながら言った。
「助けてくれたんだよな。さっき、あの場所で」
「うん、そう!」
少年はあっさりと頷いた。
「あのままだとちょっとまずかったから」
「ちょっとまずい、ね」
アレックスは苦笑しかけて、それよりもと思い直した。
「君は誰だ? どうしてここに来られた? エリドゥが作った幻術の中のはずなのに」
少年は少し考えるような間を置いた。んー、と低く唸る。迷っているのか、言葉を選んでいるのか、どちらともとれる間だった。
「……まだ、話すべきじゃないというか」
歯切れが悪そうに少年は言った。
「勝手には話せないんだよね、これが」
「勝手には、って?」
「うん。俺が話していい事と、話しちゃいけない事があって……君に伝えるべきかどうかは、俺一人では決められないんだ」
少年はそう言って、少しだけ申し訳なさそうに首を傾けた。顔が見えないのに、その仕草だけで表情が伝わってくる気がした。
「だから今は……それだけしか言えない。ごめんね」
アレックスはしばらく少年を見ていた。
怪しいといえば怪しい。しかしあの絶望の中に飛び込んできて、エリドゥを驚かせて、自分を助けたのは事実だ。
「……わかった」
アレックスは一度息を吐いた。
「でも一つだけ聞いていいか」
「なに?」
「君は、敵じゃないよな」
少年はきょとんとした間の後、くすりと笑った。
「敵じゃないよ、安心してくれアレックス」
その声はどこか懐かしい響きを持っていた。
初めて会った人なのに……どうしてだろうと思ってると。
「僕もね……フォルス村の出身なんだよ」
「え……」
さらりと驚く事を言った。
「もう随分昔だけどね……僕が住んでいた頃なんて」
そう言って寂しそうに言った少年を見て、アレックスは意を決して言う。
「貴方は……マルティアナの関係者……ですか?」
「まぁ……そうなるね」
やはりそうか――ならこの人は勇者なのかと、アレックスは自然と姿勢を正そうとする。
「いやいやそんな畏まらなくていいよ……僕は、もう残留思念なものだ。本人ですらない」
「でも……勇者様ですし……」
「……」
そう言うと少年は何やら複雑そうな顔をする。
「マルティアナ自身がまだ乗り越えてないから、僕の口から勝手に色々言えないんだけどさ……」
少年はそこで言葉を切った。
少し間を置いてから、声のトーンが変わった。
「それより今は、そっちじゃなくて」
少年はアレックスをまっすぐ見た。顔は見えないのに、視線だけははっきりと感じる。
「君の仲間の話をしないといけない」
アレックスは表情を引き締めた。
「仲間もこの魔法に……!」
「うん。エリドゥの魔法はただの幻覚じゃない。心に直接強い負荷をかける魔法だ。今頃みんな、それぞれ苦しい場所に閉じ込められてる」
アレックスの胸が締め付けられた。
短い時間でもかなりきつかったのだ。
一気に心配になってきた。
「ローズたちも……ルカさんも?」
「全員だよ。マルティアナも含めて」
「マルティアナも……」
「そう」
少年は静かに頷いた。
「普通なら僕がここに来ることも出来なかった。でも……君とは縁が強かったから」
「縁?」
「フォルス村、っていうのもあるけど……それだけじゃないかな」
少年は少し言葉を濁した。
それ以上は踏み込まないと決めているような間だった。
「……マルティアナの力と繋がって、何とかここまで来られた。君の意識をエリドゥの負荷から一時的に切り離す事も出来た」
「助かりました、本当に……」
「でもね」
少年の声が、少し真剣になった。
「逃げられたのはここまでだ。幻術そのものはまだ続いてる。君も仲間も、まだエリドゥの魔法の中にいる」
アレックスは息を飲んだ。
「じゃあ……どうすれば」
「この魔法を完全に打ち破るには、マルティアナの力が必要になる」
少年ははっきりと言った。
「心に負荷をかける魔法は、外側から壊せない。内側から、本人たちが打ち破るしかない。そのための力がマルティアナにはある」
「でもマルティアナも閉じ込められている……」
「そう」
少年は頷いた。
「だから君が先に、マルティアナのところへ行って彼女を目覚めさせるんだ」
アレックスは少年を見た。
「……ここから行けるんですか?」
「僕が繋げる。ただ……」
少年は少しだけ躊躇うように間を置いた。
「僕も一緒に声をかける、今の彼女は……まずい状態にある」
「それって……!」
「折れかけてる、このままじゃ聖剣の力を奴に取られかねない。時間との勝負になる」
少年はこちらを見て言った。
「君が彼女を救うんだ、当代の担い手」
◆
気づくと、足元が変わっていた。
さっきまでのフォルス村の石畳ではない。黒く焦げた大地だ。草一本生えていない。空は赤く濁っていて、どこを見ても煙が立ち上っている。
「な……んだここは」
アレックスは思わず後退りした。
地獄、という言葉が頭に浮かんだ。それ以外に形容できない。熱くもなく寒くもないのに、ここにいるだけで体の芯が冷えていくような感覚がある。
足元に、何かがあった。
「……!」
見下ろして、息を飲んだ。
甲冑を着た騎士の死体だ。しかもその隣にはエルフらしき人物が倒れていた。その向こうにも、また別の誰かが。見渡す限り、様々な種族の死体が大地に折り重なっていた。人間、エルフ、小柄な種族、翼を持つ者――みんな同じ方向を向いて倒れている。
何かから逃げようとして、力尽きたようだ。
「……魔王との戦争で、世界が荒れていた時だね」
隣で少年がぽつりと言った。
感傷でも説明でもない、ただ事実を述べるような声だった。それがかえって、重かった。
「こんな……酷い時代が」
「そうだね……今思い出しても酷いと思うよ」
少年はそれだけ言った。
アレックスは唇を引き結んで、前を向いた。立ち止まっている場合ではない。
「マルティアナ……!」
呼びかけながら歩き出した。死体を踏まないように、しかし急いで。焦げた大地を進むたびに、灰が舞い上がる。
しばらく歩くと、地形が変わった。
建物の残骸だ。柱が折れ、壁が崩れ、かつて何かであったものの残骸が積み重なっている。それが増えるにつれて、その規模が見えてきた。
都市だ。
いや、正確に言えば都市だったものだ。
アレックスは立ち止まって、見上げた。
見たことがないほど大きい。王都でさえ霞むほどの規模だったのだろうと、残骸からでもわかる。広い大通り、巨大な建築物の骨格、精巧な石組みの跡。それが全部、焼き払われていた。白かったのだろう石が黒く煤けて、かつての美しさを辛うじて伝えている。
(こんな都市が……あったのか)
アレックスはひたすら進む。
するとその廃墟の中心に、人影があった。
女だ。
水色の髪が、風もないのに緩やかに揺れている。細い背中が、廃墟の中でただ一人立っていた。その手に、剣を握っている。
見覚えのある剣だった。
(マルティアナ……?)
アレックスは眉をひそめた。
あの剣は間違いなくマルティアナだが、担い手は女だ。
少年ではない。
「どういう事……いや、それは……今はいい」
訳がわからなくなってきたが、そんな事は後で考えればいい。アレックスは意を決して叫んだ。
「マルティアナ!!」
「!」
すると女の肩が、わずかに揺れてゆっくりと、振り返り始めた。
「……どうして……私の名を?」
「……!」
凄まじい圧がアレックスに突き刺さる。
正直言ってエリドゥのものより恐ろしく感じた。
「マルティアナ……俺だ、アレックスだ!」
「アレックス……」
振り返ったその顔を見て、アレックスは息を飲んだ。
光のない瞳には絶望と、怒りしかなかった。
「マルティアナ……聞いてくれ」
アレックスは一歩踏み出した。
「ここは偽物だ。エリドゥが作り上げた幻術の中だ。目を覚ましてくれ」
マルティアナは答えずにただこちらを見ている。
「頼む、俺の声が聞こえているか?」
その瞬間だった。
見えない何かが、アレックスを叩いた。
「――っ!」
体が宙を舞い、瓦礫に叩きつけられた。
石の角が背中に食い込む。息が詰まる。何が起きたか理解する前に、全身が痛んでいた。
「ぐ……」
それでも顔を上げた。
マルティアナはまだそこにいた。表情一つ変えていない。
「……大切な人はいつも、私の前からいなくなる」
ぞっとするほど冷たい声が発せられるたびに、マルティアナの力が増していく。
「どれだけ……どれだけ強くなっても。どれだけ側にいようとしても。私が守りたいと思った人間は、必ずいなくなる」
マルティアナの手の中で、剣が静かに輝いた。
「そんな世界など……私にはいらない」
「……!」
まさかと思った。
この破壊を齎したのは――
「……一つだけ聞いていいか」
声を絞り出した。
「この破壊は、君が齎したのか」
マルティアナがアレックスを見た。
その目には、何もなかった。
答えはなかった。しかし目が、全てを語っていた。
アレックスは廃墟を見渡した。焼け落ちた都市、黒く焦げた大地、折り重なる死体の数々。これだけの規模の破壊を、一振りの剣が齎した。
その瞬間、記憶が蘇った。
――
ナフタが言っていた。
聖剣は不安定だと。
(マルティアナの精神は不安定……そこを揺さぶられたのか……!)
ぐっと唇を噛み締める。
彼女が担い手に並々ならぬ感情を向けるきっかけを、エリドゥに刺激されたのが原因だと。
(そうか……あれは冗談でも何でもないんだ)
マルティアナが世界を壊す。そんな事が本当にあるのかと、半信半疑だった。
しかし今、目の前にある光景は現実だと思わせるもの。
「アレックスくん……」
「はい……」
少年が語りかける。
「彼女は喪失の悲しみに打ちひしがれてる。今彼女に必要なのは安心だ」
安心……とアレックスは敢えて口にする。
「この手に大切な人がいると……実感させるんだ」
その一言を聞いて……アレックスは何をすべきか理解した。
「もう……彼女に直接愛を与えてやれるのは君しかいないから……」
「……わかりました」
これが幻術なら死ぬ事はないはずだ。
気の持ちようにかかってるなら、気合いで何とかすれば良い。
「行きます……!」
「うん……頑張って……アレックス……!」
少年に背中を押されてアレックスは立ち上がった。
足が震えているし瓦礫に叩きつけられた背中が痛い。それでも、一歩踏み出した。
マルティアナへ向かって。
「来ないで」
「――っ!」
マルティアナが見えない力を叩きつけてきた。
吹き飛ばされる。また瓦礫に叩きつけられる。今度は肩だ。鈍い音がして、腕が痺れた。
それでも立った。
また一歩、踏み出す。
「来るな」
マルティアナの声が、低く響いた。
「来るなと言っている」
また力が振るわれた。
今度は真正面からだった。胸に直撃して、アレックスは数メートル吹き飛んだ。地面を転がり、灰が舞い上がる。
「く……っはぁ……!」
息が、できない。
肺が潰れたような感覚だ。それでも指を動かした。掌を地面につけた。腕を伸ばした。
「……なんで」
マルティアナの声に、わずかな亀裂が入った。
「なんで立つの」
「そりゃ……」
アレックスは荒い息のまま答えた。
「まだ言いたい事があるからだよ……!」
また歩き出して距離が縮まる。
マルティアナの力が、また叩きつけてくる。今度は連続だった。一発、二発、三発。その度に体が吹き飛び、地面を転がり、それでも立ち上がる。
服が破れた。腕から血が出ていた。頬が切れた。
それでも足を止めなかった。
「寂しい思いは……絶対させない……!」
マルティアナの肩が揺れた。
「黙れ! 黙れ、黙れ、黙れ……!」
力が更に強くなった。嵐のような圧力がアレックスを押し返そうとする。足が地面を削りながら後退する。それでも前傾姿勢のまま、一歩一歩押し進んだ。
「うるさい……! どうせいなくなる……! どうせまた……!」
「いなくならない」
アレックスはまっすぐ言った。
「いなくならないから……!」
残り数歩だった。
その瞬間、マルティアナが剣を振り上げた。
(来る)
わかっていた。わかっていても、足を止めなかった。
剣が、アレックスの胸を貫いた。
「……ぐ、あ……っ」
息が、止まった。
痛い。
これが幻術なら死ぬことはないと、頭のどこかが言っている。でも痛みは本物だ。全身が、ここで止まれと叫んでいる。
「ぐぶ……!」
血が、口の中に満ちた。
(これは幻術だ)
奥歯を噛んだ。
(これは幻術だ……!)
「ォオオオ!!!」
血反吐を吐きながら、アレックスは前へ進んだ。
剣が刺さったまま、進んだ。
マルティアナの目が、大きく見開いた。
「マルティアナ……!」
「っ!」
あと一歩踏み込んでアレックスはそのまま、マルティアナに抱きついた。
「……もう二度と」
アレックスは囁いた。
「君を一人にしない」
「…………ぁ……!」
沈黙があった。
マルティアナは動かなかった。
アレックスも動かなかったが、彼女の身体が震えているのが伝わってくる。
「……っあ、そんな……! アレックス!」
マルティアナの目に光が戻る。
だが自分が何をしでかしたのか気づいて、また狼狽える。
「ごめん……ごめん……アレックス……ごめん……!」
マルティアナの手が、震えながらアレックスの背中に触れた。剣から手が離れた。そのまま、ぎこちなく、それでも縋るように、背中を掴んだ。
「ごめんごめんごめん……私……私……!」
声が、途切れ途切れになった。
アレックスは抱きしめたまま、口を開いた。
「マルティアナ」
「……っ」
「やっと思い出した?」
言いながら、笑った。
血反吐を吐いた口で、それでも笑った。
「どうして……どうしてこんな無茶を……!」
「そりゃ……ね……」
アレックスは少し息を整えてから、答えた。
「君の担い手だから」
マルティアナが唇を震わせた。
「そんな理由で……剣に刺さりに来るの……馬鹿じゃないの……!」
「まあ否定はしない……幻術だけど痛いし……」
「否定しなさいよ……!」
マルティアナの声が、完全に揺れた。
泣き声と怒り声が混じった、ぐちゃぐちゃの声だった。
アレックスはそれを聞きながら、ああ戻ってきたなと思った。
「マルティアナ……君に何があったのかは知らない」
「…………ぅぅ」
「でも……俺はいつか君が話してくれるのを待つよ」
ゆっくりマルティアナの背中を摩りながら、アレックスは出来るだけ寄り添う。
「いつか……話すから、離れないでくれる?」
「うん……」
「……もう失いたくないの」
「ずっといるよ」
しばらくそのままでいた。
マルティアナの震えが収まるまでアレックスも何も言わなかった。ただ背中に手を当てたまま、静かにそこにいた。
やがてマルティアナが、ゆっくりと顔を上げた。
目はまだ赤いが、それでも光は戻っていた。
「……まだ、皆が囚われてるのよね」
「うん……」
アレックスは頷いた。
「ここから出るには君の力が必要だ」
一拍置いて、続けた。
「お願い、出来る?」
マルティアナはアレックスを見た。
それからゆっくりと、口元が動いた。
「当たり前じゃない……! 貴方の聖剣よ? 出来ない事はないわ」
すっと背筋が伸びる。さっきまで泣いていたとは思えない顔で、マルティアナはしたり顔を作った。
「今の私は世界最強だもの」
アレックスは思わず、くすりと笑った。
「そうだね」
「笑わないでくれる? 本当の事を言ってるんだから」
「笑ってないよ」
「笑ってるわよ」
アレックスはもう一度笑った。
こんな場所で、こんな状態なのにそれでも笑えたのは、きっと彼女のおかげだ。
(ああ、良かった……本当に、良かった)
ならばやるべきことはただ一つ。
「行こう、マルティアナ、皆を助けよう」
そう言われたマルティアナはアレックスをまっすぐ見て言った。
「……仰せのままに、愛しい担い手様」
次の瞬間、マルティアナの輪郭が揺れた。人の形が溶けるように変わり、光が収束していくと剣の形になっていく。
「……よし」
アレックスの手に、重さが戻った。
馴染んだ重さだ。重心も、温度も、全部知っている。これがなければ何か足りないと感じるほどに、この手に馴染んだ重さ。
『行くわよ』
頭の中に、声が響いた。
いつもの声だった。
「ああ」
アレックスは剣を握り直した。
足を踏ん張る。全身に力を集める。マルティアナの光が、刀身に沿って走る。青の輝きが増していく。
「ねぇ」
「!」
その瞬間、少年が声をかけてきた。
「あとは任せたよ……アレックス」
どこか、ほっとしたような声を聞いて、アレックスは口を開いた。
「待って、君は――」
「大丈夫。僕のことはいい」
少年は遮った。
もう未練はない――そんな表情だった。
「彼女のことを……頼んだよ」
アレックスは前を向いたまま、頷いた。
「……わかった。ありがとう」
返事はなかった。
気配が静かに薄れて消えていく。
『アレックス……?』
「大丈夫……!」
悲しむのは後だ――アレックスは剣を振り上げた。
マルティアナの光が最大になった瞬間、全力で振り下ろした。
「ハァアアアア!!!」
空間が、裂けた。
亀裂が走り、幻術の縁が剥がれるように、世界の輪郭が崩れていく。
「いっけぇえええ!!」
そしてその光が世界を埋め尽くし――幻術を砕いた。