「えーっと、今日の夕飯はどうしようか・・・ん?」
ルクは夕飯前の買い物に出かけ、店舗までのルートにある公園を横切って歩いていると、ふと視界の端に見覚えのある姿を見つけた。
「あれ、青山さん?」
「・・・・・・」
「青山さーん」
「え、あぁ、ルクさん。こんにちは」
公園でポケーっとしていたのは青山さんだった。いつもふわふわした雰囲気なのだが、今日はいつも以上のそれだ。
「どうしたんですか?」
「実は昨晩ラビットハウスに行ってみたんです」
「えっ!来てたんですか?」
昨日のバータイムはルクも働いていたが、青山さんが来た覚えがなかった。自分の勤務時間外に来たのか、キッチンへ向かった時に来たのか。それはわからないが、ともかくルクは彼女に会っていない。
「でも――」
青山さん曰く店に入ったはいいものの、カウンターの中に立っていたのがいつものマスターではなくダンディなおじ様だったため、店を間違えたと思い慌てて出てきてしまったとの事。
学生時代のラビットハウスは夜もいつものマスターがやっていたと青山さんは言っているが、やはりそれはチノの祖父の事だろう。
残念な事に彼は亡くなっている。だが、それは身内でもないルクが第三者に言うことではない。
「看板はラビットハウスだったんでしょう?でしたらその人はタカヒロさんだと思います。チノのお父さんですよ」
「なるほど、そういう事ですか!」
彼女は嬉しそうにポンと手をたたく。
聞けば学生時代から執筆を続け、書く場所はだいたいはラビットハウスのカウンターだったそうな。あの店が彼女の思い出の場所であることは間違いない。
「俺もラビットハウスでバイトしてるんですよ?なんなら居候させてもらってますし」
「え!そうなんですか・・・!そう言えば私も執筆のために長期間滞在した場所がありましたねぇ」
ルクは今年度からラビットハウスへ住んでいる事を青山さんに話す。そしてその目的も。
ただ、居候する気はなかったのだか、香風家のご厚意で住まわせて頂いている。特にタカヒロには感謝しきれないほどの恩を感じている。
そして青山さんもラビットハウスにお世話になった事は忘れていない。あそこに通っていたからこそ、今の自分があるのだから。
「どうしましょう。失礼な事をしてしまったかもしれません」
「まぁ大丈夫でしょう。また今度店にいらして下さい」
ルクの誘いに青山さんは若干悩んだが、直ぐに口を開いた。
「・・・・・・そうします。では明日の夜にでもお邪魔しますね」
「お待ちしてます。ところで青山さん」
「はい?」
「原稿は書かなくてよろしいのですか?」
「・・・あら〜、メモ用の手帳とペンがどこかにいってしまいました。これではアイディアが練れませんね〜」
と言い、青山さんはフラフラ〜と公園の奥へ消えていった。あの誤魔化し方だと原稿は進んでいないのだろう。
彼女の生み出す作品はどれも名作で、特にうさぎになったバリスタはまるで見てきたかのようにリアリティがある。
あれらの作品を生み出すには担当編集もさぞかし大変な思いをしたのだろう。ルクはいつか青山さんの担当に会ってみたいと思った。
ラビットハウスに戻ったルクは、夕飯の支度をしながら、テーブルの上にいるティッピーに今日の事を話した。
「先代。今日の買い物の時に青山ブルーマウンテンという作家にあったのですが」
「なぬ?あの娘か」
「覚えていたんですか」
「まぁの。今は名作を生み出しておるが・・・昔は作品の設定がぶっ飛びすぎていたわい」
ティッピーはゴロゴロと転がりながら当時の事を話す。高校の制服でラビットハウスに訪れていた青山さんは、毎回のように小説の設定を話したらしい。
うさぎと飼い主が海賊王を目指したり、うさぎが大食いチャンピオンになったりと、微妙な設定もあっとという。
しかし3年も経つと青山さんは短編ではあるものの、作品を完成させるくらいには成長し、長編の設定に取り掛かっていた。
「もしかして先代、うさぎになりたいなんて漏らしてませんよね?」
「うむ・・・・・・言った気がする」
青山ブルーマウンテンの代表作。【うさぎになったバリスタ】はやはりチノ祖父の影響だった。
「いつかバレるんじゃないですか?」
「その時はその時よ」
ティッピーはそう言って部屋から出て行った。下にいるタカヒロの所に向かったのだろう。
♢ ♢ ♢ ♢
青山さんが訪れる当日。
ルクとタカヒロはいつも通りにカウンターの中に立っていた。
「こんばんわ」
「青山さん、いらっしゃいませ」
「ああ、やっぱりこの店でした!」
青山さんは店内を見渡しながらカウンターの席に座る。
いつも座っていた椅子なのだろう。迷いが全く無かった。
「こんばんわ。うちの親父と知り合いだったんですね」
タカヒロはお酒を作る準備をしながら青山さんに問いかける。ティッピーはこの光景を懐かしむかのように目を細めた。
「はい。学生時代は色々とお世話になりまして・・・・・・ところでマスターは?」
「親父は・・・・・・少し前に亡くなったんだ。寿命かな」
「そう・・・でしたか。ではチノさんが店を手伝っているのは?」
「ええ。親父のような立派なバリスタになるんだって言いまして」
チノの祖父が亡くなった事を聞いた青山は悲しそうな表情を浮かべる。そしてルクが詳細を話さなかった事にも納得がいった。
マスター・・・チノの祖父は色々とアドバイスをしてくれたし、青山さん自身も心地よい場所だったと自覚していた。この店と、チノ祖父と出会ったからこそ小説家になる事ができたのではないだろうか。
「マスター。カクテルの種類はどれほど?」
「だいたいの物は作れますよ」
「ではギムレットを3人分」
「青山さんそれは・・・・・・」
3人。つまり青山さん、ルク、タカヒロの分ということだろう。
ティッピーもその意図に気が付き彼女をじっと見る。
「前に来た時勘違いをしてしまった事、マスターの事で気を使わせてしまった事へのお詫びです。どうか受け取ってくれませんか?」
「・・・・・・タカヒロさん」
「有難く頂戴しようじゃないか。ではお作りします」
タカヒロはグラスを3つ用意し、カクテルを作り始める。
あっという間に3人分が完成すると、カウンターの上に置いた。
ギムレットの意味は【遠い人を想う】。
実際はティッピーに憑依しているが、青山さんからすれば亡くなった事には変わりない。ルクは本当の事を話せない気持ちを抑えながらも、青山さんなら必ず真実にたどり着くだろうと思った。
「ではマスターに」
「親父に」
「先代に」
「「「乾杯」」」
掲げられたグラスはギムレットを揺らし、照明が反射したのかキラリと光る。
その時、ティッピーの目にも光るものがあったが、それに気が付く者はいない。この夜は青山さんの思い出話で盛り上がったのだった。