茜色の雲海が、海の果てに向かって進む時間帯。
静かな海の波音と、近くの住宅街から聞こえる蝉の鳴き声が目の前の風景に彩りを添える。
浜辺には誰もおらず、足跡も無く、ゴミの一つも落ちていない。
近くにあるいつものバス停。塩害の影響を直接的に受けたこのバス停は、今や誰にも使われておらず、機能もしていない過去の残骸だ。
誰にもじゃないね。私以外は使ってない。こんな所でコンビニの袋を持って座りに来る人なんて、この区域では私だけだろう。
たまに、こうやってここに来ては呆けたりしている。
家から職場までの場所にあるから寄りやすいし、湯船から上がって気分良く涼みたい時、風を受けるのに最適だ。と言っても、潮風で体がベタつくから家に帰れば冷水シャワーをするのだけど。でも、この無駄な行為が心をリラックスさせてくれる。
「……一人になるのって結構久々? かも」
コンビニで買ってきたおにぎりを一口頬張り、烏龍茶の蓋を開け、また一口喉に通す。
こうやって海を眺めながら食べるおにぎりは格別だ。
何も考えなくても良い気分になるし、それに外で食べるおにぎりは一段と美味しさが増すからだ。
「でも、今日はちょっとした調べ物をしないとね」
USBメモリに入っているトリニティ学園の生徒名簿。
しかも、ただの生徒名簿じゃない。10年間、これまでの卒業生や歴史資料も入った物だ。
「ノートパソコンに挿してっと」
小さくなったおにぎりを口の中に放り込み、バッグの中にあるノートパソコンを引っ張り出し、起動する。
背景画面は変更したばかりで、起動するのが若干楽しみになっている自分がいる。
ナミ社長にメル、ヨミ、サノ、そして私。
私が一度倒れる前、これからのメンバーという事で集合写真を撮ったのだ。
この時はまだ三人の事をよく知らなかったからか、私はどこかよそよそしい素振りをしている。目線は虚空を向き、表情は硬い。
「三人と出会ってから二週間とちょっとか。あれ? なんだかかなり仲良くなっているような」
彼女達の出会ってからというもの、常日頃三人は私にべったりだ。
何たって距離が近い。心ではなく物理的に。
一緒に練習をしているのは勿論、家で一緒に映画も見たしご飯も食べた。同じお布団の中で寝たし、温泉も一緒に入りに行った。
距離の詰め方がとにかく早い。隙があれば好き好きアピールをしてくる……まるでナミさんみたいに。
「悪い気分にはならないけど」
初めてホシノ先輩やノノミに会った時の私に比べて、今は素直に好意を受け入れるようにしている。
私は──きっと寂しいんだ。
あの世界から来たから。一人でいる事は辛いのを理解しているから。
「でも、初日からグイグイ来すぎだよね……悪い気分にはならないけど」
こんな私のどこが良いのやらと疑問は付いて回るが、受け入れてくれるという事実は変わらない。
「さて、ファイル展開は終わったかな?」
USBメモリの中にある圧縮してあるファイルを解凍して、中のデータを覗き込む。
一つのアプリケーションと、それらを構成するスクリプトファイルだ。
要があるのはアプリの方。クリックして起動する。
真四角のウィンドウの中に幾つかの項目が分けられており、その中の「生徒名簿」の欄をクリックする。
次の画面に映ると、年代別の在籍生徒が分けられており、その中をCSVファイルに変換して別アプリで立ち上げるという流れだ。
「これで一発で分かるね。えーっと、ひらがなでいいか。く……ろの、りあっと」
単語検索欄に名前を入れると、いくつか名前候補を出してきた。
黒原、黒崎、黒木……どれも顔も違うし名前も違う。
「他の年代も調べるか」
それから全ての年代の生徒名簿を調べたが、黒野リアという生徒は一人も見つからなかった。
あそこに閉じ込められて10年と言っていたから、10年前の生徒名簿も引っ張ってきたのに、これでは徒労だ。
「うーん、困ったなぁ」
何だか自信が無くなってきた。
だって冷静に考えればあそこでの出来事は白昼夢かもしれないし、何だか記憶も朧げだ。
名前だけははっきり覚えてるのが妙に違和感。
「ま、とりあえず情報を入れる新規の生徒名簿を作成して登録しとこっと」
新しいファイルを作り、そこに黒野リアの名前を入れる。
生徒名簿のデザインを引っ張り、プロフィール欄には私が知った情報だけを書き込む。
トリニティの生徒で、カイロスを追っかけていると。色彩に一度触れる、そしてカイロスに敗北すると。
「よし完了……ん、そういえばトリニティの生徒ってヨミちゃんやメルちゃんもそうだよね?」
黒野リアの事を調べるのもそうだけど、そういえば私は三人の事もよく知らない。
彼女達は私を知ろうと必死になってくれるのに、私が彼女達を知ろうとしないのは人として間違ってるのでは。
「……生徒名簿ならある。うん、ちょっとくらいならいいよね? 詳細な個人情報が書いてある訳でもないし」
倫理より好奇心が勝ってしまうと私は止まる事が出来ない。
早速アプリをもう一度立ち上げ、生徒名簿の中から今年の生徒名簿を選択し、ファイルを出力する。
「じゃあまずは……月森ヨミっと」
当然、検索候補の中に出てくる彼女の名前。
クリックし、詳細画面に映る。
「おお、よく撮れてるね」
ヨミはおっとりとした可愛い子だ。
やはりそれは写真でも変わりなく、りんごほっぺが際立っている。
「えっと? んー……え? 一昨年、ロードレースに出てるの?」
行事参加項目にある「キヴォトスロードレース」の文字。
主催者は株式会社キヴォトスサイクルと書いてある。勿論社長はナミさんだ。
「もしかして、三人とも出てるのかな」
次に、メルの名簿も調べてみる。
同じように写真が映り、その横には文字が並べらている。
やはり、一昨年にロードレースに参加しているみたいだ。参加したのは中学三年生の頃と記録にある。
「出た事あるなら言ってくれればいいのに。というか、最初に会った時は嗜む程度とか言ってたのにガッツリ乗ってるじゃない。納得だよ」
トリニティに入ってからは部活にも──あれ? 入学が2年生からになってる?
「私と会う数ヶ月前に入学したのかな。じゃあ一年生の時は? 何かあったのか……ん、ヨミちゃんも同じだ。一年生の記録が無い。あれ? 入院記録がある」
もしかして、ロードレースで怪我をして入院せざるを得なかったのかな。
そんなに過酷なレースなの?
キヴォトスロードレース。
そういえば、きちんと調べた事が無かった。
ナミさんが百鬼夜行にいた頃に開催しているのなら、まだネットの中には情報が残ってる筈。
「えっと、二年前か……あったあった」
ページをスクロールする。
第何回と、同じページがいくつか出てきた。
今回が第68回だから、二年前なら64回周辺を調べれば出てくる筈だ。
「あ、あった」
ページの上部にはデカデカとロードレースの文字が並ぶ。
前回か前々回辺りでデザインを一新したのか、今回のと比べると割と適当な作りだ。
「記事はもっと下だね……あ、あった」
入賞者欄の名簿に彼女達の名前が記載されていた。
月森ヨミ、大実メル、未子サノの名前。隣には……大口ミコト?
聞いた事のない名前だ。
「助っ人かな」
さらにページをスクロールすると、そこには仲睦まじい四人の学生の姿が映し出された。
三人とも屈託のない笑顔。それに中学生の頃の制服だからか、今よりも初々しく写っている。
その中心に、同じ制服で、同じようにはにかんだ顔をした生徒が一人。
両腕をメルとサノの首元に絡ませ、顎先をヨミの頭部に乗せているその姿。
長い睫毛に、際立つ白銀の髪色。
大きく天まで剃りたつ獣耳に、碧色の瞳。
「え……? でも、こんな記憶私には」
──写真の中に映り込んでいたのは、自分と同じ顔をした人物だった。