きっと寒いだろうからと、隣に座っている黒野リアは少しでも暖を取らねばならないと言い、ぴったりと私の肩に自分の肩を擦り付けてきた。
正直私の体温より低いから、より肌寒く感じる。逆に私で暖を取ってる説もあり得る程だ。
「障壁?」
「うん、障壁。前回ここに来た時にあなたの中に私の力を滑り込ませておいたの。私の頬を触ってくれたでしょ? 普段の私なら相手の瞳を見れば1発で同じ事が出来るのだけど、今の私なら──ってちょちょちょっと!? 握り拳を振り上げないで怖いから!?」
「勝手に人の中に変なの刷り込ませるからでしょう。ちなみにこれ、落とすととても痛いんだよ。私はナミさんに数発貰ってるから分かるの!」
「やだやだ痛いのはやだぁ!!」
ヒヒィンと馬みたいな声で怯えられたので、その怒りの矛先は胸の中に仕舞う事にした。
彼女はほっとした表情で胸を撫で下ろすと、今度は好奇心旺盛な瞳で私の顔を下から覗いてくる。
「ふふ、でも今のあなたはバスタオル一枚だけ……勝機は私にあると思わないちょちょちょっと!?握り拳を振り上げないで怖いから!?」
「ん! 全然反省を感じられない! これは一発だけじゃ足りないかも!」
「待って痛いのは嫌ぁ!! ただでさえ儚い存在になってるのにそんなの喰らったら煙のように消えちゃうよぉ!」
ヒヒィンヒヒィンと二回馬みたいな声で怯えられたので、怒りの矛先は胸の中に仕舞う事にした。
なんとまぁ怯えるのが上手なのだろうか。例え全裸でも彼女には負ける気がしない。
「で? 障壁には何が引っ掛かってたの?」
「その為にあなたを呼んだの。まだ正確には確認出来てなくて……ちょっと頭を貸して」
立ち上がり、彼女の正面へと周り込み、膝を着く。すると、彼女は両手で私の頭を添え、ゆっくりとおでこ同士を合わせ付けた。
口同士が当たりそう。いきなりの距離の近さに驚いたが、彼女の真剣な瞳から漏れたまつ毛がとても美しく、見惚れていると「理解した」と声を出しながら静かに背もたれに体重を寄せる。
「ムネモシュネの痕跡がある。もしかして、カイロスと対峙したの?」
「うん。仲間が三人操られて困ってる。どうしたら解除出来る?」
「……どんな操られ方をしているの?」
ーー
ーー
「成程ね。昔の友達に寄せているのね。残酷な事を考える」
「目的は私の中にある世界線の残滓だって。リアも以前言っていたよね? ねぇ教えて、どういう意味なの?」
琥珀色の瞳を薄く開き、頬に手を当てながら喉を複数回鳴らす。言い方を考えているのか、それとも何か言えない部分があるのか。
「以前言ったのと同じだよ。何故あなたの中に世界線の残滓があるのかも分からない。私はあなたの記憶を覗き見る事は出来るけど、その中の登場人物の思考までは読めないの」
「ん……すごい能力だね。ここもおかしな空間だし。あれ? それならどうして世界線の残滓を先生が残したって分かったの?」
「……先生の香りがした。あなたから。それでどうしてかなと思って視てみたの。あなたの世界での先生は……」
──勇気に満ち溢れる、偉大で尊敬出来る恩師だったね。
私の口からではなく、他人の口から私の知ってる先生を褒められると、胸が火照って目頭に熱が籠る。
人前で涙を流すのは恥ずかしい。今の感情を抑え込むように息を数回吸っては吐き、背筋を整えもう一度彼女と視線を合わせる。
「リアも先生を知っているんだね。それはこの世界の先生?」
「ううん、違う。だってこの世界では私は存在していないじゃない? と言うよりも、もうどこの時空でも世界線でも、私という存在は私一人しかいない」
「一人しかいない?」
「そう、一人しかいないの。私の世界はこの世界と同じように先生が大活躍して、地下に居た不届き者も、色彩に塗り替えられた者も全員倒した」
「えっと、リアはカイロスに倒されたって言ってたよね? リアは世界の敵だったの?」
「……うん、敵だったよ。まぁそんな簡単な話しじゃないけどね。どちらかといえば無名の司祭に騙されたってのもある」
話が見えない。
ただ一つ言える事は、彼女も私と似た境遇と立場だという事。
「そんなお話しは置いといて。で、ムネモシュネの仮面の解除の仕方だけど、一言で言うとカイロスそのものを倒すしかないの。正確には、仮面を持ち主から引っぺがすのが正解かな。出来そう?」
「ん、結局は物理で殴るのだったら大丈夫。チャンスを見計らって突撃して奪い取るよ。あれ? でも前は弱点は分からないって言ってなかった?」
「一つとても大事な情報」
「大事な情報?」
「そ、あなたが出会ったカイロス、それは本物のカイロスじゃないよ。だからこそ、今回の仮面は解除が出来る」
「え? そもそも偽物とかいる生き物なの?」
「ううーん、正確には力をコピーして他者に分け与えてるんだよね。いやはや厄介厄介……」
「待って、本物じゃないのにあんなに簡単に人を操れたりするのって反則じゃないかな!」
そもそもあの三人が操られて私が操られないのはどうしてだろう。
「あ、それは簡単な解答。あなたは私が守っているからなのです!えっへん!どやっ!私がいる限りカイロスの好きにはああああって握り拳を振り上げないで怖いから!?」
「ん! んっ!! 勝手に人の心の中を覗き込んで勝手に解答するから!」
「ふんっ!肌と肌が密着してる時は相手の中に潜り込めるの! しかも離れても数分はパスが繋がってるから、いくら身体能力が高いあなただとしても私にその打撃は当てられないね! そして数分もあればその間に命乞いくらいなら出来る。完璧な計画!!」
「この距離で私が外すとでも?」
「試してみる? あなたが空ぶってる最中に私は土下座が出来るのよ?」
拳を天高く掲げると、彼女も立ち上がり身を低くして構えた。
クラウチングスタート。この拳の先には勝利か、敗北か。
「せい!!!(右だ!!!)」
振り下ろすと同時に、彼女は俊敏に頭を振る。
にやりとした勝ち誇った顔が面白い。
「ふっっ!(くくく、右ね読みやすい。単純な立ち上がりでがっかりかな)ごふぅ!?」
心の中で右と唱えるだけで本当に右に避けるとは。
単純、あまりにも単純。
心を読めると言っても、表面的なものしか読めないみたいだ。
「ヒヒィン……ヒヒィン……痛いよぉ」
「よしよし」
振り下ろされた拳の後の痛みを取るように頭を撫でる。
すると、どこから共なく急に聞こえてくる鐘の音。大きな古時計がチクタクチクタクと時を刻み、時間を知らせる合図が鳴り響く。
以前にも聞いた音色だ。
「あーあ、折角久しぶりの楽しい時間だったのに」
「ん、また呼べばいいよ」
「多少力が戻ったとしても、そんな頻繁に呼べないよ。……ま、でも伝えたいことが伝えられたからよかった。頑張って」
「リアも」
両手を握り、笑顔で見送る彼女はとても嬉しそうだった。
あの仮面の力が私に効かない、それに弱点が分かればこっちにも勝機がある。
でも、偽物という事は、本物はどこに?
今考えても仕方ないか。まずは三人を助けないと。