「いいねぇシロコちゃん。ぁぁ……そこだよそこ。んー違う親指はもう少し下」
「ナミさん、いつも同じところ凝ってる。デスクワークのやりすぎじゃないの? たまには一緒に走ってみる?」
「やだよ〜、だってシロコちゃんいつも速いんだもの。私はのんびり街道を突っ切るだけで十分なのさ」
「むぅ……大会だって優勝してたんでしょ。勿体無い」
潮風が自由奔放に駆け回り、青空の画角が視界の大半を占める浜辺を背に、ポツンと構えているサイクルショップ。その名は「キヴォトスサイクル」
キヴォトスにあるから文字通りの名前。
こんな辺鄙な所にあるからきっと金持ちの道楽だとか、それこそ何かしらの闇の仕事をしているだとか最初は疑ってたけど、私が知らなかっただけでこのキヴォトスサイクルはキヴォトス全体で300店鋪を構える大所帯であり、今私が「業務・肩揉み」の仕事をしている対象の人物がそのサイクルショップの社長。
彼女の名前は「黄泉(よもつ)ナミ」
元々は百鬼夜行連合学院の生徒であり、キヴォトスロードレース選手権の優勝者。
普通は学校を卒業したら次の進路をどうするか考えるが、彼女は「ひたすらにロードバイクの青春を追い続ける」と、その言葉を貫き通す様に起業し、今に至るという。
「昔の話しさ。それよりも今は目の前の書類をこう、パソコンでカタカタするのに精一杯。姿勢が固まるから肩は凝るし、目も疲れる。お客さんの相手だってしなきゃならないし。シロコちゃんがいなかったらきっと今頃病院のベッドの上だよ」
やはり社長というのはとても忙しいらしく、あまりの多忙さに見ているこっちが疲れてくる。
パソコンの前で画面の向こう側にいる人とずっと喋ってるし、社長自らが現場に立つという意地もあるから、まともに社長の仕事をするのは閉店後になる。
「でも、それならどうしてここにお店を構えているの? まぁ、私はそれに救われたから疑問を持つのもアレだけど」
「そんなの、それこそ大会の為に決まってるじゃないか!」
「へ? 大会? でもそれは昔の話しだって」
「あくまで私が出場するのはね! 違う違う、うちの別店舗でバイトをしている子とかが出るんだよ。やはりキヴォトスきってのサイクルショップだからね、スポンサーとしての義務もあるし」
オフィスチェアをくるりと回し、好奇心旺盛な瞳をキラキラと輝かせる社長。
肩まで伸びた金色のミディアムヘアは、まさにその人の性格を表す。
躍動すれば輝き、静まれば知的な実業家。
「そっか、シロコちゃんは初めてだったのか。そういえばうちに来て半年経つね」
「うん、お世話になってる」
「調子はどう? やっぱりあの下手くそな敬語がないと会話しやすいな〜」
「うぅ……それは……反省してる。でもお客さんの前ではきちんとしている。多分……」
「まぁそれはさておき、実はもうそろそろ大会があるんだ! 年に2回、夏と冬にね! 今回は夏の陣という訳」
流石社長だ。会話していると翻弄される。
「どこで開催するの?」
「ここだよ。この海岸沿いの道路をコースとして利用するの。元々人通りの少ない地域だし、塩害の影響もあるから人口も少ない。それに、ここら辺の自然保護の法律がとても強くてね、土地の値段がバカにならないから何かをやるにしても相応の家賃を払わないといけないのさ。食品売ってる所は例外として区分けされてるけどね」
そんな場所だったんだ。初めて知った。
「本当は、シロコちゃんに貸してるアパートも、全国のロードレース部の合宿所の宿として利用する予定だったの。まぁ、思ったよりも申請が来ないからびっくりしちゃったけどね。もっと盛り上げないと」
「え、じゃあ……もしかして、全国から殺到したら私はもう住めなくなるーー? うわぁん」
「ちょっと!? そんな鬼みたいなことする訳ないでしょ!? きちんと面倒見るって!!」
「ほんと……?」
「ほんとよほんと! ま、もう一人は本当に追い出すかもしれないけどね。彼は胡散臭すぎる。一度は境遇に同情して入れてあげたけど、働く意志は無いし、しかも夜な夜な変な連中も出入りしているし。えっと、なんだっけ。諸葛亮……だっけ? 変な思想広めてくるし」
「待ってナミさん、諸葛亮じゃなくて小括弧ね! 彼はこの前だって廃棄弁当を分けてくれたし、それに頼めば庭の雑草とか抜いてくれるし、悪い人じゃない。決めつけは良くない」
「むぅ……」
「私は朝すれ違ったりするんだけど、きちんと挨拶をしてくるんだ。挨拶ができる人に悪い人はいない。接客業の基本だってナミさんも言ってた」
「むぅ……確かにそうだけど」
「それに、彼に以前どうして働かないの? って聞いたんだけど、以前はカイザーグループの警備員をやってたらしくてさ。その時心に大きな傷を負ってしまったらしいんだ。なんかプリンとか言ってたのは気のせいかもだけど、彼にも色々あるんだと思う」
「え!? それは初耳よ!? うーん……厄介なの拾っちゃったかな」
「うぅ……そうだよね、厄介だよね」
「って違う違う!? シロコちゃんのことじゃなくてね!? ってあーもーいい! この話はおしまいおしまい!! 大会の話しなの!!」
ーー
ーー
「シロコちゃん、今日は一緒にご飯でも食べに行くわよ。拒否権は無いからね」
今日はナミさん自ら夜ご飯を奢ってくれるとのことだ。沸き立つうきうき感を表に出すのは少しはしたないと若干の羞恥心はあるので、あくまでも経然とした態度で受け答えをしてみる。
「肉? それとも海鮮?」
「んー、どっちがいい?」
大変重要な場面。
今の気分だと、体を回復させるために肉というが正しい選択。けど、きっと海鮮と答えたらこの前の超が付くほどのお高い店に連れてってくれるだろう。あそこのお刺身定食は絶品だった。しかしーー直接言葉に出すのは憚られる。
「私は、ナミさんが食べたい物が食べたいな」
「む、それ系が一番困るわね……私はシロコちゃんの食べたい物が食べたかったんだけど」
「え、それじゃあこの前の海鮮のお店行きたい。あそこ美味しかった」
「ふーん、シロコちゃんも甘え上手になったね。良き。というか耳がぴくぴくしてるからバレバレなのよあなた」
流石ナミさんだ。
彼女にかかればどんな人も丸裸にされる。