多次元宇宙、並行世界、世界線。どれもこれも荒唐無稽で理解し難い理論だ。それこそミレニアムのトップの頭脳でなければ明確な意見など出せないだろうし、一般的な私たちからすればただの夢物語に過ぎない。証拠があるとすれば、空が赤く染まったという現象だけ。その赤くなった原因が「色彩」という異端の現象であり、キヴォトスに存在する様々な神秘を反転させ、心をおかしくする光であった。
「……あの光景はそれが原因だったのね。私は避難していたから何が何やらわからない状態だったけど、裏で色んな人が戦っていたんだ」
ナミさんは私に視線を合わせ、「あなたも?」と問いかける。私は返事がうまくできず、ただ頭を上下に振る。すると彼女は「そう……」と声を漏らしながら、ソファの背もたれに深く背中を預けた。きっと思考が定まらないのだろう。
「それじゃ……カイザーの基地で言っていた話って」
「うん、全部本当。これで理解してもらえたかな?」
そんな馬鹿な、と声を出し、両手で顔を覆うサノ。
「ねぇ……この世界にシロコちゃんは二人いるの?」
「うん、もう一人はアビドス高等学校にいる。この世界の私」
「見た目も一緒?」
「そう。この世界では私がドッペルゲンガーなの」
「変なこと言わないで。シロコちゃんは本物なの、偽物じゃないの」
「……ヨミは優しいね」
すると、隣にいたメルが急に立ち上がり、先生に向かい大きく指をさして声を荒げ始めた。
「世界に歪みが起きたらシロコはどうなるのですか!? 当然……当然対策は考えてありますのよね!?」
「メ……メル! 落ち着いて。先生は何も悪くないの。悪いのは全部私」
「あなたは何も悪くありません!! ……いえ、誰も……悪くない」
二度三度呼吸し、取り乱したことを詫びるようにソファにゆっくり腰掛ける。すると、先生は再びシッテムの箱を取り出し、私たちの前に置いた。浮かび上がる「S」の文字。普通なら先生にしか聞こえない声なのだが、今度は全員に聞こえるように声を出してくれた。
「……これは推測の域を出ません。とてもフィクションなお話ですが……聞きますか?」
皆の視線が私に注がれる。
「うん、続けてプラナ」
画面越しにこほんと咳き込む音が聞こえると、その背後から高めの声で「大丈夫!?」と心配する声が聞こえた。「先輩は黙っててください」と小声で囁いた後、「お待たせしました」とスピーカーの音量が大きくなる。
「シロコさんは、言わば別の並行世界の住人です。それは線であり、点でもある。そんなイメージで話を聞いてください。並行世界の特徴は、それぞれが異なる結果を持つという点です。被っている結末もあるかもしれませんが、基本的には微妙に、一ミリの誤差程度の違った結末が用意されていると見てもいいでしょう。理論はどうであれ、シロコさんの世界では全く違った結末が流れています。ここまではいいですか?」
「大丈夫だよ」
「理解が早くて助かります。並行世界にはそれぞれ時空が存在しています。ここでは時の流れとしておきます。時空は歪みやすいという特徴があるのはご存知でしょうか? 代表的な例で言えばブラックホールですね。極端なエネルギーや質量は時空を歪め、時の流れをおかしくします。要は力で捻じ曲げやすいのです」
圧倒的な演算力で時空を捻じ曲げたアトラ・ハシースがそうだ。多次元解釈演算装置。なんでもありの船。
「シロコさんの並行世界と私たちの並行世界。並行世界は私たちの事情など知りませんので、この世界は二人のシロコさんを同一のものと観測しています。なので、矛盾を起こします。その矛盾を解決するのが、いわゆる……歪みというものではないかと」
「片方を消すってこと?」
ナミさんが頭を抱えながら質問する。
「いえ、恐らく消すという行為よりも、前の並行世界がシロコさんを戻そうとするのではないかなと。ここら辺はまだ曖昧なのですが、要はプログラミングで言うところの同じスクリプトファイル名は存在できない。同じ名前を使いたいなら別のプロジェクト=並行世界を立ち上げてください、と言う感じです。クラスの中のメソッドすら同じですから、これはとてつもないエラーなのですね」
「ごめんなさい。よく分からないわ」
「よく分からなくて正解です。何故ならば推測なのですから。その並行世界が引き合う力は時空や空間を歪ませ、世界を分断させる可能性もあります。要はこれが歪みと呼ばれる……現象です」
再三、憶測の域を出ていないと念を押されるが、それはきっとプラナが私に気を使ってくれているだけだ。どちらにしろ、この世界で私はただのエラー項目。早めに対処しないとエラーが溜まりすぎて、この世界が停止してしまうんだ。
「理屈はなんとなく分かった。それならどうしてシロコはここに居られるんだ?」
「先生がいますから」
サノは理解できないといった反応を見せる。
「どうして先生がいると……いや、今はその答えなど重要じゃない。メルの言う通り、何か対策は考えてあるのか?」
すると、先生は下げた眉を顰めるようにして、顔を俯かせながらゆっくりと口を動かし始めた。
「ごめん、まだ何も見つかってないんだ。ただ、クズノハという存在に会わなきゃいけないんだけど……反転したシロコを戻すためにね。そのクズノハにさえ会えていないのが現状なんだ」
ごめん、と頭を下げようとする先生を止めるように、プラナが会話に割って入る。
「皆様、先生を責めないでください。先生は本当に多忙な人で、最近もずっと様子がおかしいのです。今まで食べてたおやつをまずいと言い始めたり、生徒との約束をすっぽかしたり」
あれから変わってないなと私の目には映ってたけど、ずっと傍にいるからこそ、些細な仕草にも気が付く。プラナがそう言うのなら本当に大変なのだろう。
「責めるなんて無責任なことはしないわ。とりあえずこれを受け取りなさい」
ナミさんは手元のバッグから一枚の紙を取り出すと、先生に両手で丁寧に渡した。それと大きな茶封筒。
「これは……名刺?」
「ええ、私の名刺よ。社長としてのね。当グループは今からあなたを全面的にバックアップすることにしたわ。安心しなさい、お金ならそれなりに持っているから」
「あ……ありがとうございます! それと、この茶封筒は?」
「それは私たちが帰ってから開けてちょうだい」
何だろう。とても気になる。
「シロコ……素敵な仲間に出会えたんだね。私は安心したよ」
「ん、先生が救ってくれたから」
「そういえば、アビドスの皆には会わなくていいの? ……顔は出してないよね?」
「……うん、出してない」
「どうして会わないんだい?」
「それは……その」
「折角ここにいるんだから、会ってきたらいいのに」
「ん……先生の言う通りだね」
「そうだよ、いつ会えなくなるか分からないんだから」
先生、こんなこと言う人だったっけ。やっぱり結果が違う並行世界だから少し変わってるのかな。
「その答えは茶封筒の中身を見たら分かるわよ」
受け答えに苦しんでいた私の様子を悟ってくれたのか、ナミさんが割って入り会話を止めてくれた。
「先生、やはり様子がおかしいですよ? 今の受け答えは先生らしくありません……。ダメですね、これからの予定は全部キャンセルします。今日はきちんと眠ってください。この前みたいに箱の電源を落としたりしたら……さすがの私も怒りますからね」
プラナも語気を強めにして先生に注意を促す。
「すまない。悪気はなかった」
「ううん、いい。よっぽど疲れてるんだね先生」
「ここ最近ずっと探している物があってね。でもそれが全然見つからなくて」
「探してる物?」
「うん、ティタンの宝物庫というのがあるんだ。知っているかい?」
ティタンとギリシャは混同されやすい。
何がとは言いませんがね!