どのタイミングで私の連絡先を知ったかは定かではないが、彼女はシステム管理者だ。他機への侵入など容易くこなせるだろう。きっと会話している最中にアクセスしたに違いない。
ーシロコさん、一度シャーレまで戻ってきてください。心配要りません。先生はあの後あなたが連れてきた大人に説教され、沈んだ顔でそのまま仮眠室まで向かいました。急な出来事でびっくりしているかもしれませんが……やはり、このタイミングで渡しておくべきと判断しました。シロコさんにとって大事な物がありますので、受け取って頂きたいです。それに、お友達もとても心配しています。
物って何だろう。どうして大事な言葉を抜くのか今一掴めなかったが、プラナは優秀だ。きっと何か考えがあるはず。
ーん、分かった今から向かう。
そう返信すると、脇にあったモモトークのアプリの右上に4の数字が浮き出ていたのに気づく。
中身を開くと、それぞれ私を心配するメッセージが入っていた。そのまま返信せずに既読にし、重たくなった腰を持ち上げ飲みかけのお茶を喉に流し込む。
これくらいへっちゃらだ。絶望がある訳でも、色々失って途方に暮れている訳でもない。ただ、私が期待していた出来事とは違っただけ。それだけなんだ。
「ここからどれくらい掛かるかな」
マップのアプリを開き位置を確認。場所はシャーレから西にまっすぐ進んでる外郭端の公園。もう少し歩けば海が見えそうな高台があるそうだ。距離はここから約一時間程。走ってもいいけど、折角引いた汗をまたかく訳にはいかない。お化粧だってきちんとした……あ、走ったから崩れてるかも。
辺りを見回すと、公共トイレがあったので、急いで入り鏡を確認した。思ったよりも崩れて無くて安心したが、それ以上に目元が赤く充血している。泣きながら走ったからだろう。こんな顔をナミさんにでも見られたりしたら……先生の顔が腫れ上がる事になりそう。
「多少手直しするくらいでいい」
人が来る前にさっさと終わらせ、もう一度スマートフォンを開く。
何故か圏外になっていたので、もう一度電源を入れなおすが、結果は同じ。さっきまでは使えてたから故障ではないだろうけど、街のフリー無線にも繋がらないのはどうしてだろうと疑問を持つ。が、ここでじっとしていても仕方ない。
「……あれ?」
出入口を抜けると、そこには以前にも見た事のある大きな星空と鏡面の地平線。さっきまであった芳香剤の匂いも、照明の光も無くなり、ただ広い宇宙の様な空間にポツンと一人佇む。
つまり、また彼女の世界に来たという事。
「やっぱり」
振り返ると、そこにはいつもの古びた電車。以前来た時と変わらない姿形に安心感を覚える。また呼び出したのなら、私に何かを知らせたいということ。もう違和感の無くなった水面の上を歩き、駅の方から迷わず電車の中に入る。
「今回は無警戒で入って来たね。そろそろ慣れた? って前回は直で中に呼んじゃったのか」
黒野リア。
私にカイロスの存在を教えてくれた謎の子。
「あ、しかもやっぱり泣いてるし。どうかしたの?」
「急に呼んでおいていきなり聞いてくるね。でも、うん、少し辛いことがあって」
「なるほど! それなら仕方ない。私が抱きしめてあげるよ。ほら、隣に座って」
お尻を数回動かし、自分が座っていた場所に手招きする。
私は言われた通り席に座ると、反対側の肩まで腕を回され、彼女の胸元に頭を預ける姿勢になる。
「ん、そういえばあの時はありがとう。あなたのおかげで友達を救えた」
「ほんとに! それはよかった! さっすが私!」
「それで、今回はどうして呼んだの? 何かおかしい所でもあったりした?」
「ううん、何もおかしい所なんてないよ。それよりもあなたの感情が流れ込んできて、それがあまりにも強すぎたから心配でついつい」
「触れれば私の記憶は見えるんでしょ? だったら答えは知ってるはず」
か細く頷く声がした後、彼女は腕を解き、そのまま向かい側を見るように座り直した。長いまつ毛を仄かに動かす仕草は、私の出来事を憂いているようにも見える。
「生きてたら色々あるんだよ。先生だって人間だもの。沢山の生徒を見て疲れちゃったのかもね。怪我だってするだろうし、死ぬ思いだって散々してきたはずだよ」
「……うん、だね」
「そんな時は時間が必要。時は思い風化させる特性があるんだ。今のあなたの気持ちだって数日すればけろっと治る。だから、一時の感情に流されちゃだめ」
「励ましてくれてる?」
「もっちろん! 嬉しい? ねぇ嬉しーい?」
ぐいぐいと眼前まで迫る彼女の悪戯っぽい顔を見ていると、さっきまでの出来事が嘘みたいに馬鹿らしくなってきた。思わず手元のスマートフォンで写真をパシャリと一枚。彼女も私のまさかの行動に一瞬目が点になるも、もっと撮ってと指でピースサインを構える。
そもそもここの写真は向こうに持って帰れるのだろうか。
「私なんてずっとここに引きこもってるんだからね。少し嫌な言葉吐かれたくらいで何さ! 元気に前を向いて生きなさい!」
「はーい。あなたもいつかここから出して引きずり回してあげるね」
「引きずり回す!? え……励ましたのに。知ってるよ私、両足をロープで固定してバイクで走るんだよね? あ、あなたの場合はロードバイクか。それでしばらく走った後振り向いて私に向かってこう言うんだ。シャバの空気は美味しい? って」
「これまでの私との会話でそんな雰囲気を匂わせたのならその理由を聞くけど」
「だってあなた銀行強盗とかやってるじゃん!! ひひぃんっ! やっぱり引きずり回されるんだ~!」
ん、銀行強盗に関しては一ミリも否定出来ないのが悔しい所。確かにロードバイクでシゴきをする方がまだ一般的だ。
「比べる対象間違ってるよ!?」
「ん、だってあなたが望んだから。そうだね、引きずり回したら一緒にラーメンを食べに行こう。美味しいお店知ってるんだ」
「先に病院じゃないの!?」
「甘い、はちみつより甘いね、リアは。私なんて片腕と肋骨折れて、全身に強い打撲を負ってロードレースに挑んだんだよ? それに比べてなんて軟弱」
「だから比較対象おかしくない!? 病院より優先されるレースってなんじゃい!」
そう話していると、鐘の鳴る音が響く。
この音が鳴るという事は、彼女とのお別れの時間。
「前回よりも短いね」
「うう……やっぱりシャーレは遠かったか。大口神社近くならもっと長い時間過ごせるのに。でも、以前に比べて力が戻って来てるね。やっぱりあなたと過ごしてるからかな?」
「力が戻る条件は?」
そう聞くと彼女は立ち上がり、私の前まで足を動かし片方の腕はおでこに添え、もう片方の手は腰の横に置き、姿勢を45度まで傾け変なポーズを取りはじめた。
片眼を閉じ、口から舌を覗かせた悪戯っ子みたいな顔。
「わかんにゃい!」
何故煽り気味に答えているのかは定かではないが、どうやら引きずり回されたい願望はあるみたいだ。
どうせなら両手でその頬を揉みクチャにしてやろうと手を伸ばしたが、丁度いいタイミングで私はいつのまにか元の空間に移動している。
場所はさっきのトイレではなくシャーレの前。時刻はさっきよりも30分過ぎた辺りだ。
「逃げられた。次は捕まえる」
硬く誓いながら、さっきの撮った写真が見られるか確認。
どうせ残っていないだろうと思っていたが、がっつり全部残っていて思わず息を呑んだ。
「そうだ、この写真をプラナに見せれば何かしら分析してくれはず。私も怖がってないで……早くシャーレに入らないと」
時間が経てば、先生も元に戻ってくれるかな。