月森ヨミ。
彼女と言えば、その大人しそうな見た目とは裏腹な屈強な肉体。時には悪戯っ子の様に口元の口角を上げ、時には鷹のような瞳の鋭さで敵を制圧し、時にはたまに時々偶然いつかきっと見せる見た目通りのインドアな趣味を嗜む顔。
私はヨミが絵を描いている所をあまり見た事が無い。
ん……あまり? いや今回が初めてかも。描いた絵を見せて貰った事はあるけど、描いている姿を見るのは今回のイベントで初めてだ。
気になったのでモモトークでサノとメルに聞いてみたのだが、二人も0ではないけど見た事はあるそうだ。この前のメルの誕生日プレゼントだって一人で部屋でこっそり制作したのだそう。
「んんー……んんっ! あ! シロちゃん動かないで!!」
右手で構えた鉛筆。
親指を芯に向け、右腕を私に向けて突き出す。その仕草は絵を描いている人がよくする仕草だ。えと……確か距離を測っているんだっけ。よくわからない。
「ん……動いてないはずだよ」
「嘘! だってさっきと角度違うよ!」
「ん……片手で壁に向かって倒立をしているのに、どうやって動けばいいの。頭に血が登るから早くして……」
「あ、そっか。私が動いたらそりゃ角度変わるよね。ごめんぴごめんぴ」
倒立を解除し、そのままの地面に足が触れる反動を利用して側転しながらヨミに近づき、丁度真正面に立ちふさがるタイミングで彼女のほっぺをぎゅーぎゅーの刑にする。
「わ、ひろはんはひひゃってるほ!」
「ヨミが動いて角度が変わるのはまだ許容できたけど、ごめんぴが許せなかったの。この柔らかいほっぺをつまんでればもうそんな口は聞けないでしょ?」
そもそも私が壁に向かって倒立している絵を描いて何を表現したいのか。話はそこからだ。
「うひーうひー! だれひゃひゃひゅけてー!」
「ん、誰も助けに来ない。ヨミはもっとしっかり真面目にするべき。ごめんぴは許さない」
「うわーん! うわーん!」
「そう、ほっぺをつねると上手く喋れないか。じゃあ離してあげる」
「うう、うう……もうお嫁にいけない」
「というか描き始めてもう二時間経ってる。もうそろそろ小腹も空いたし休憩しよう」
「シロちゃん結構食い意地張ってるよね」
「何か言った?」
「何も……ごめんぴ」
とにかくきちんと謝ろうとしないヨミのほっぺを広げ終わったあと、一旦休憩ということで近くのカフェに入ることにした。
「奥の席にしようぜ~。密談密談っ!」
ウルフ小隊の彼女達と仲良くなってから、よくカフェに行くようになった。というか休みの日に集合するのは決まってカフェ。どうしていつもカフェなのかと聞くと、昔からの習慣だからだそうだ。つまり、特に理由は無い。無いけど、なんだか感覚的でいいなと思う。
「密談なんて……。危ない事を話す訳でもないのに」
「何言ってるのさ、イラコンは極めれば極める程過酷なコンクールなんだよ。ふっふっふ、周りを見てごらんよ」
肩肘を机に付き、顎を手のひらに乗せたまま首を動かす。
周りには間接照明の影に隠れた生徒が複数。大きなタブレットを覗き込む二人がペンを持ちひたすらにペン先を動かしてる生徒。カウンターの席に座り、イヤホンを装着しながらノートに何かを描き込んでる生徒。きっと絵だろう。気が付けば周りのお客さん全員が画面や紙を前にしてうんうんと唸り声を上げ、ひたすら作業に没頭している。よく見ると皆同じペンだ。アナログとデジタルでそれぞれ種類は違うだろうけど、デザインが全く同じ。どうしてかな?
「ん、もしかして周り全員が参加者?」
「くひひ、ご名答。今日は穏やかな日かな? それとも資料が揃いきって残りは描き上げるだけ? さぁさぁ皆様の胸中は如何程か」
何やら含んだ言い方をするヨミ。
すると、従業員さんがコーヒーを二つ運び、私達の前にそっと丁寧に添えるように置く。湯気と共に舞い上がる良質な豆の香りが心を震わせ、口の中でどれだけの夢見心地を見せてくれるのか淡い期待を持ってカップを口に付けようとした瞬間、従業員さんがおどおどした表情でヨミに声を掛けた。
「あの……もうお店は壊さないでくださいね。あの時は補償金をたんまり頂きましたが、私は現場で働くのが好きなので」
「くひひ。先に手を出したのは私じゃないよ? それにほら、もう殺気がちらほらと私達に向けられているみたいで」
「うう……やるならお店の外にしてくださいね」
ううううーと腰を低くしそそくさと持ち場に戻る従業員さん。
「殺気? 私には何も感じないけど」
「くひひ、そりゃ私だけに向けられてるからね」
「あの……なんで殺気?」
「そりゃ皆私が辞退するのを望んでるから……おっとっと、噂をすれば……ってあれ? 珍しいな」
間接照明の影。最奥の席からつかつかと真っ直ぐ歩いている人影が二人。
片方は真っ白なコートに身を包み、袖口と裾には柔らかなファーが施され、まるで冬の風から守るようにふわふわとした暖かさが溢れている。インナーには鮮やかな赤のマフラーを巻き、顔を縁取るようにアクセントを加えている。その下にはスカートと厚手のタイツを合わせ、寒さを感じさせないスタイリッシュな装いだ。
知的な雰囲気。軽く巻かれた髪には色とりどりのピンが留められ、フレームのしっかりとした眼鏡が小さな顔にしっくりと馴染んでいる。肩にかけた大きなバッグには、様々なメモが貼り付けられており、彼女が日々のタスクを漏らさないよう工夫している様子が窺える。
「久しぶり」
もう片方の人物。
彼女は、全体が白を基調とした、もこもこの冬装束に身を包んでいた。ふわふわとしたファーがついた帽子は、両側にかわいらしいポンポンがついており、彼女の無邪気な表情にとてもあっている。
コートには可愛らしいくまのぬいぐるみのデザインがあしらわれており、その愛らしさが一層際立つ。また、コートの裾や足元には白いファーがふんだんにあしらわれ、全体的に温かみと柔らかさを感じさせる装だ。ちっちゃくて可愛い。
「お久しぶりですね!」
この服装見た事がある。
そうだ、レッドウィンターの制服。この辺には滅多に現れないし、自治区から出るなんて殆どないはずだ。
「くひひ、二人共久しぶり」
「あらあらヨミったら、もう体は大丈夫なの?」
「大丈夫なんですか!? ネット活動やっと再開したと思ったら連絡くれないんですもん。心配しましたよ!」
どうやら友達同士らしい。
「おっと、そちらの方は初めましてかな? 私の名前は姫木メル。よろしく」
「私の名前は秋泉モミジです! 綺麗な方ですね! よろしくお願いします!」
「私は砂狼シロコ。……ん、よろしく」
とりあえずぺこりと頭を下げ、席に座るかなとお尻を動かす。
彼女達もその気らしく、私の横にはメル。ヨミの横にはモミジが座る形となった。
メル……メルか。
「くひひ、二人はどうしてここに? もしかして私の筆を折りに来たりとか?」
「そそそそそんな事しないですよ!? そもそもヨミさんめちゃくちゃ強くて私達二人でも一分持ちませんし……」
「こらこら。私達はある本の収集で遠路はるばるこの地に来たのと、あなたが心配でどうしてるかなって見に来たのよ! 連絡先知らないからどうしようかなと思ったけど、あの自転車屋さんに聞いたらここだって聞いてね」
心配って事は、ヨミ……だけじゃなくて、三人が塞ぎ込んだ時期を知っているってことだ。
ヨミは随分長い事創作活動をしているらしい。それならそれ関係の知り合いがいてもおかしくない。でも、そうだとしてもネットの力って凄い。遠い地の友達が出来るんだもの。
「あれ、二人ってそもそも図書館から出ていいの?」
「いいんです。数日くらい開けたって誰も来ないですから……」
「そもそも今回は知識解放戦線として動いているからね」
「つまり、束縛されてる知識があると? どうせまた同人書くだけでしょ?」
「何を言ってるのよ。っと、話は変わるんだけどその同人。横の砂狼さんの肖像を借りてもいいかしら?」
ピクンと反応する。
いつもはどんな人でも何気なく反応する私だが、この子に限ってはどことなく警戒の色が自然と出てしまうのだ。
なんだろう。紙の中でめちゃくちゃにされそうな……そんな感じだ。そもそも肖像を借りるって変だと思う。
「駄目だよメルリー、シロちゃんは私のだ」
「えぇ~いいじゃない~……。色の抜けたような儚い感じ。うっすらとぼやけた瞳。妄想が捗るわ」
「わた……私も読んでみたいです。なんだか直感でぴんと来ました!」
「ん……どんなの描くの?」
「シンプルに触手ものか、最近だったら感覚遮断ものかしらね?」
「ん……、んん? ごめんもっかい言って? なにもの?」